破れ鍋の使い道

蒲公英

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 篠宮建設の前を車で通ったら、なんとなく寄りたくなった。それだけの理由でコンビニに入り、安いスナック菓子をいくつか購入して、来た道を戻る。このとき、健太の中には何も意味はなく、ただそうしたいからしているのみである。
 自動ドアが開いて、受付カウンターから立ち上がった莉乃が、愛想よく挨拶してくれる。いわゆるビジネススマイルだが、莉乃の色白なほわんとした顔が、やけに親しみを感じさせるのだ。それで歓迎されているような気分になってしまい、健太も笑顔になる。けれどそのあとの会話はもう、けんもほろろってやつだ。
 差し入れだけしっかり受け取った莉乃が、もう帰れと言わんばかりにカウンター横のデスクで仕事をはじめると、健太がそこにいる理由なんて何もない。
「あら、初雁空調さん。誰か待ってるの?」
 年配の女子社員に訊かれて、近くを通っただけですと慌てて頭を下げた。差し入れをいただきましたと、その時だけ莉乃が顔を上げる。
「ごちそうさま。今度は川島部長に電話してから来るといいわよ、あの人話好きだから」
 他にも何か話しかけられたが、事務社員と雑談しても物件の情報があるわけではないので、また来ますと頭を下げた。
 自動ドアから出るときに振り返って莉乃に手を振ったら、無表情に左手をひらひらした。反応してくれたのが嬉しくて、もう一度手を振ったときには、莉乃は下を向いていた。

 なるほど、確かにかわいい。客を迎える笑顔が自然で、きちんと両手で差し入れを受け取った。やわらかくウェーブした髪がうまく表情にマッチして、冷たい反応でもギスギスした雰囲気にならない。色白の顔と相俟って、なんて言うんだっけ、癒し系? そう、それ。加えてあの胸だ。
 あれと仲良くなりたくない男はいないでしょう。あわよくば一回くらいお願いしたいと思うのは、みんな同じなんじゃないの? せっかく同級生の縁があるんだから、もうちょっと親しく話してくれるくらい、いいよね。

 会社に戻ってカタログファイルを作っていたら、健太の仕事用のスマートフォンが鳴った。篠宮建設の川島部長からだ。
「差し入れ持ってきてくれたんだって? 今度はいるときに来てくれよ。お茶くらい出すから」
「いえいえ、とんでもない。また新規の物件があれば、情報をいただければ」
 こんな言葉が滑らかに出るようになったのは、ここ数ヶ月だ。
「熱心だねえ。心得とくよ」
 そこから小さい笑い声が聞こえて、あとが続いた。
「まさか富田ちゃんがいるからって、来てるんじゃないよね」
「違いますよ。確かに同級生ですが、顔も覚えてなかったくらいだし」
 何の言い訳にもならない。
「あのこは、あれで結構しっかり者だぞ。仕事はできるし、取引先の顔も一度で覚える。おすすめなんだけどな」
「それじゃ俺なんか、相手にされないっすね」
「いやいや。渡辺君はいい男だし、その気になったら言ってよ。俺からも援護射撃するから」
 お愛想の笑いで電話を切った。中年はどこまで本気なのかわからない。



「初雁空調さん、また来てたねえ」
 年配の女子社員、小室さんが言う。
「暇なんですね」
 莉乃が答えると、経理の阿部ちゃんが加わった。
「富田ちゃんに会いに来てるんじゃないの?」
 この展開があるから、馴れ馴れしくされたくないのだ。
「富田さんにしては珍しく、来た人に素っ気なくって」
 小室さんの言葉に、健太の素っ気ないからって言葉が重なった。
「あんなイケメンなら、もう少しやさしくしてもバチ当たんないよね」
「……いや、ロクなことになんないから」
 阿部ちゃんはもう少し話し続けたそうだったが、莉乃はパソコンに向かって文字を打ち込みはじめた。健太の残念さを説明するつもりはないが、自分と絡めた話はけして嬉しくない。

 ひとしきり仕事をして顔を上げると、取引のある地方銀行の担当者が、自動ドアから入りながら頭を下げた。顧客のローンの仮審査を依頼しているので、莉乃はカウンターから立ち上がって接客スペースに誘導する。個人情報の問題があるから、他人の目に触れるところでは紙を広げられない。
 奥様の所得を加えるか頭金を多く入れないと難しいですねーなんて話をして、受け取った書類をそのままファイルに入れる。客にこの情報を渡さなくてはならないので、相手のプライドを刺激しないための伝え方を考えつつ、銀行さんを労った。
「僕ね、ここに来るの楽しみなんですよ。富田さんがいるから」
「またまた、お上手言わないでくださいよ」
「いや、マジで。今度仕事外で飲みに行きません?」
 莉乃は一瞬相手の顔を正面から見て、微妙に視線を外した。要は値踏みしたわけだが、相手に気取られるほどの時間じゃない。
「内内の懇親会みたいな形で、飲み会しましょうか。小人数で」
 すぐに個人的にどうこうというよりも、多少興味がある場合の常套手段だ。一対一だと話の接ぎ穂に困るが、多人数なら観察するのは容易い。
「合コン、いいですね。じゃあ人数集めますね」
 まだ個人の連絡先は教えない。地銀の営業は結構マメに顔を出すから、そのときでいい。

 銀行さんが出て行ったあと、早速とばかりに経理に行き、阿部ちゃんに声をかけた。
「銀行と合コンの話、乗る?」
「乗ってもいい。それよりさ、今度初雁空調さんを紹介してよ」
「いいけど」
 いいけどと言いながら、気分的には乗り気でない。勝手に自己紹介して仲良くなってくれれば問題ないが、紹介者になると無駄な責任が出そうな気がする。
「なんかイヤそう。実は惜しいと思ってたりして」
 阿部ちゃんはニヤニヤしながら言う。
「じゃなくって。紹介するのはいいけど、バカを紹介されたって言わないでね?」
 莉乃の顔は、かなりウンザリしている。
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