破れ鍋の使い道

蒲公英

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 居酒屋の個室は、賑やかだった。久しぶりーなんて声が飛び交い、幹事役は出席票にチェックしながら金を数えている。高校の卒業以来顔を見ていなかった面子もいる。高校を出てすぐに就職した人間はいないクラスだったが、現在はさまざまだ。就職した者もいるし、まだ学生であったりフリーターであったり。だから挨拶のあとの言葉は、決まっている。
「おまえ、今、何やってんの?」
 ものっすごく真面目に高校時代を過ごした奴が、どういうわけか無名の劇団員になって親に金をもらっているとか、箸にも棒にもかからず卒業を危ぶまれていた奴が、学生時代に起業して成功していたりする。同じ制服を着ていたときは横並びだった立ち位置は、七年の間にかなりデコボコになった。
 健太もまた、数年ぶりに会った隣の席と話している。
「俺、隣の市の市役所。おまえは?」
「空調屋の営業。毎日この辺を営業車でウロウロしてる」
「何、営業? おまえができんの?」
「飛び込みとか新規とか無いから、楽勝だぜ。暇なときは車の中で寝てられるし」
 隣の席は少し呆れた顔になって、それから笑った。
「おまえのことだから、謙遜とかじゃなくて事実なんだろうな。ワレナベはやっぱりワレナベか」
「何でよ? どうせ出世とかしないもん、楽しようぜ」
 数年ぶりにワレナベって呼称を使われ、それを懐かしむ程度に年数が経っている。

 女子が集団で入ってきた。バラバラに来るのではなく、どこかで待ち合わせて一緒に来たのだろう。化粧と着るもので、こちらは誰が誰だかよくわからない。女が化けるっているのは本当だ。体形のわからない制服や、結んだだけの髪じゃない。おそらく目の大きさまで変わっているのではないだろうか。
「とりあえず、この席順で座って。どうせあとでザッピングするんだから」
 幹事が席票を示して、女子に説明している。クラスの三分の一くらいの小さな集まりだから、どの席についても顔が見えないようなことはない。近い席から順に話していけば、高校生のころを思い出すかも知れない。
 ようやく乾杯のジョッキを掲げたころ、隣のテーブルの隅にいる顔に既視感を覚えた。制服は制服だが高校のブレザーじゃなくて、他の何かで見覚えがある。どこだろうと考えたときに、その子は身体を捻って健太の逆側のテーブルと話しはじめる。ウエストが絞れて、胸が際立った。
 あの胸、あれは。思わずジョッキを持ったまま、腰を浮かせた。


 いるよ、やっぱりいる。幹事が示した席順の中に、きっちりしっかり渡辺の文字がある。しかも、隣のテーブルに。ときどき集まっているメンバー以外にも人間はいるので、思い出すのに少し時間がかかる。特に男子の顔なんて、目立っていた数人しかわからない。
「誰だっけ?」
 そう質問してくる相手を、莉乃だって識別できないのだ。そしてひそかに来ないかなと思っていた人は、来ていない。
「え、富田さん? いやー、可愛くなったー!」
 そう言ってくるのは女子だけで、男子はマジマジと見たあとに首を捻るだけだ。記憶を探っても出てこないらしい。そして目の隅で、ワレナベが立ち上がるのを捉えた。

 来るなと念じるまでもなく、健太が空いていた莉乃の横の席に座る。
「同じクラスだった?」
「そうだよ」
「気がついてたんなら、言ってくれよ」
 そこに席の持ち主が入ってきて、自分の席だからと健太を退かす。
「俺さ、この子と仕事先で会ってんのに、何にも言ってくれないんだよ」
 訴える健太に、隣の席の女の子はしっしっと払うような仕草をした。
「顔も覚えてないような同級生なんて、知らない人だもん。あんた、莉乃の顔覚えてたの?」
「……スミマセン」
 乾杯をするから席につけと幹事に言われて、健太はしぶしぶ席に戻った。莉乃は莉乃で、ほっとしながら同じテーブルの中で近況報告をはじめ、結婚を祝う乾杯から飲み会がはじまった。

 莉乃自身は教室の中で目立たないよう心掛けていたのだから、話しかけてくる男子はほぼ初対面に近い。それでも同じ場所にいたのだから共通の話題もあり、教科の先生の話に花が咲いたりする。それぞれの席で腹が満たされると、ウロウロと席の移動がはじまる。固定して座っているのは話しかけられる立場の人だけで、酔いも手伝ってそちこちにグラスを置きっぱなしの人や、箸と銘々皿を持ったまま食べ続ける人が出てくるわけだ。
 莉乃は立たなかった。別にこちらから話しに行きたい人はいなかったし、酒に強くはないから、お料理を楽しむつもりになっている。そして高校生のころに話したことのない人たちが、入れ替わりで席に来るので、自分が移動しなくても相手は変わっていく。
 仕事の話、恋愛の話、趣味の話、くるくると変わっていく話題は、酒の席でどんどん声が大きくなっていく。〆のデザートが出て残り三十分、飲み放題もラストオーダーだ。

「富田さぁぁん」
 いい加減酔っぱらった健太が向かいの席に座ったのは、幹事がパンパンと手を叩いたタイミングだった。
「声かけてくれないなんて、冷たいよなー。俺、二回も行ったのにー」
「仕事中になんて、久しぶりとか言わないでしょ」
「でも、俺だってわかってたんでしょ。ねぇぇぇぇ」
 酔っ払いの間延びした喋り方だ。
「はいっ! 宴もたけなわではございますが!」
 幹事の声が上から降ってきて、さすがに健太も一瞬口を噤んだ。立ち上がって一本締め、そしてそろそろ帰り支度をはじめる。

 居酒屋の店先で二次会の話をしていると、健太が莉乃に近づいてきた。足取りはまだよれていないが、目つきはかなりアヤシイ。
「富田さんに、お願いがあるんですけどー」
「なんでしょう?」
「挟ませて欲しいんですー」
 一瞬、時が止まった。
「挟むって、何を、どこに」
「ナニを、そこに」
 健太の指は、莉乃の胸を指している。
「さいってー!」
 莉乃のショルダーバッグが振り回され、健太はそのままバランスを崩して尻もちをついた。莉乃はそのまま後ろを向き、数人の女子と固まってお茶を飲みに行くことに決めたのだった。
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