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第4話 婚約保留

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「で、殿下ッ――、と、ルトガー様まで!」

 アントワネットは舌を噛む勢いで狼狽しながら立ち上がったが、私と二人は「よろしければこの後お茶でも」と新年パーティ後にベルンハルト殿下の別邸に招かれて以来、仲良くお茶飲み仲間をやって久しく、そう畏まる間柄ではなくなっていた。

「ごきげんよう、ベルンハルト殿下、ロード・ルトガー」
「相変わらずお美しいですね、レディ・シルヴィア。貴女がいらっしゃると庭園の薔薇も恥ずかしがってしまうようです」
「相変わらず誉め言葉がお上手ですね、ロード・ルトガー。剣士より詩人が向いていらっしゃったのでは?」

 羞花閉《しゅうかへい》月《げつ》、出会いがしらに口にする言葉じゃあない。そんなロード・ルトガーの挨拶代わりの口説き文句にも慣れた。

「ベルンハルト殿下も、今日はいいところにいらっしゃいました。先日の焼き菓子がございますよ」
「誰も好きだったとは言ってないが?」
「殿下のお顔に書いてありましたから」

 そしてベルンハルト殿下は見た目のとおり甘いものがあまり好きではない。必ず真っ先に手を付けるのは礼儀のためなのだろうが、お茶請けによって異なる反応を元営業が見逃すはずがなかった。フフン、と笑ってお手製の甘さ控えめフィナンシェを差し出すと、満更でもなさそうな顔で受け取る。それを見ていたロード・ルトガーは声を上げて笑った。

「殿下が手玉にとられるとは、珍しい。さすがですね、レディ・シルヴィア」
「うるさいな」
「紅茶も、アップルティーを用意しましょうか。ローズティーはお好きではないでしょう、ロード・ルトガーも」
「ご明察だ。取り繕う気にもならんな」

 ぶっきらぼうながらも満足気な顔を見るとこちらまで嬉しくなる。顧客の満足度は満たしてなんぼだ。

「シルヴィア、貴女……、殿下達と知り合いなの?」

 そしてアントワネットのことをすっかり忘れていた。喋りだすのを聞いて「そういえば私とアントワネットのお茶会だったな」なんて思うくらいには二人に空気が持って行かれていたのだ。さすがとんでも美形主従である。

「先日の新年パーティで偶然。アントワネットも、フレデリク殿下とご挨拶して顔見知りではあるでしょう?」
「そうだけど……」

 まごまごする姿はまるで別人だ。水島さんもアントワネットも女としての自分に圧倒的自信アリの空気がその全身から溢れていたというのに、ダウンロードコンテンツ野郎が出てきたところで何をそう動揺することがあるのか。

「お相手は……ベル王子とロード・ルトガーよ? それなのに紅茶の好みまで知って、しかもそんな砕けた態度で……」

 いやほぼ初対面で王子にニックネームつけるお前ほどじゃねーよ。うっかり心の中でお前とか呼んじゃった。

「構わないんですよ、レディ・アントワネット。既に我々は気心知れた仲ですから」
「特にシルヴィアの“奇娘《きむすめ》”っぷりは噂のとおりで大層面白いからな」
「あらあー、王子殿下に面白がっていただけるなんて光栄ですうー」

 引きつった笑みで返していると、私とは裏腹に「あら、隣国にまでそんなお話が、ホホホ」とおしとやかに笑いながらアントワネットが口を挟む。そういえばさっき、ベルンハルト王子に一目惚れしたとか言ってたな。

「シルヴィアったら、幼い頃から変わっていましたものね。好きな話は政治と歴史、皆が詩を読む横で目を輝かせながら魔法の研究……」
「仕方ないわよ、詩もダンスも性に合わなかったんだもの」

 前世のときから文学はさっぱり理解できなかったし、ダンスなんてしたことないし、しいて似たようなものを挙げるとしたらヨガだけど、友達と体験レッスンに行って「サウナでよくね?」としか思えなかったし、とにかく私は優麗さに関する感性が欠如しているのだ。

「しかし、代わりに魔法の研究か。どうりで、君の魔法は卓越しているわけだな」

 二人とのお茶会のとき、たまたま侍女がお湯を零しそうになってしまい、私の魔法で掬《すく》い上げたことがあった。そのとき、ベルンハルト殿下は「器用で丁寧な魔法だ」と感心してくれたのだ。

「お陰様で火の扱いもお手の物です。私が奇娘だったお陰で殿下も好みの焼き菓子を食べることができるのだと存分に感謝していただいて大丈夫ですよ」
「図々しいな、レディ・シルヴィア」

 笑いながら紅茶のカップを口に運ぶベルンハルト殿下に、不覚にもキュンときてしまった。顔がいい男の笑みというのはなんとも破壊力があるものだ。

 銀城も、普段はぶっきらぼうでも笑った顔は少し子供っぽさがあって可愛かったものだ。甘いものは苦手だというから、海外旅行のお土産に紅茶を渡すと「お前イケメンだよな」と喜んでくれた。イケメンじゃなくて可愛いを言ってほしくて、柄にもなく甘さ控えめの焼き菓子を研究したあの日々が懐かしい。なお「柄でもないのに頑張ったな」は言ってもらえたがそれ以外の言葉はなかった。

 ……まあ、私と銀城は、もともと合わなかったのかもしれない。卑怯な手で水島さんに奪われたと呪いながら残業して死んだけれど、冷静になってみれば水島さんを恨むのはお門違《かどちが》いもいいところだった。銀城にとって、私は結局仲のいい女友達に過ぎなかったのだ。

「レディ・シルヴィア、どうした?」
「え? あ、すみません失礼しました……」

 うっかり十余年前の失恋に思いを馳せてぼんやりしてしまっていたらしい。顧客の前で上の空になるなんて、営業失格だ。

「ごめんなさい、何のお話……」
「シルヴィアはフレデリク殿下の元婚約者候補だったって話よ」

 何? 流れが全く理解できない話題に目を丸くしてしまった。しかしアントワネットは可愛らしく、悪意なさげに微笑んでいる。

「フレデリク殿下もシルヴィアの隣だと形無しだって嘆いてしまうくらい、シルヴィアはとっても男前でしたってお話」

 お……お前――! 再びお前呼ばわりしてしまったけれど、もう気にしなかった。お前アントワネット、それは褒めてるふりのネガキャンだろ! お前が“一目惚れ”したっていうベルンハルト殿下の前だからとりあえず他の女を下げてるんだろ! 「うん、大抵の男よりイケメンの自信ある」なんて愚鈍な返事をしていたのは大学生までだぞ!

 が、こんなところでお茶会の空気を悪くすることはない。

「……そうね。フレデリク殿下にはアントワネットみたいに可愛らしいタイプのほうがお似合いだったし、フレデリク殿下が貴女を選んだのはごく自然の流れだったわ」
「やだ、可愛らしいって言ったらシルヴィアだってそうじゃないの。貴女は性格が恰好良すぎるってお話よ。そのせいでなかなか婚約者が見つからないようだけれど」

 畳みかけてくるじゃないか。どんだけベルンハルト殿下がお気に入りなんだよ。いや確かにベルンハルト殿下は格好良いけど、それは目の前のこの男の話だ。アントワネット――水島さんにとってはたかだかゲームの、しかも元背景だろ。それでもって半年ちょっと前にまんまと銀城を手に入れて、もうダウンロードコンテンツの男なんていよいよどうでもいいだろ。望みがなかったとはいえ私から銀城を奪ったんだから、せめて脇目もふらず前世に恋い焦がれて引き摺ってろよ。

 なんてことを口にするわけにはいかない。それよりも、なんて返すとこの場が盛り上がるのか? 紅茶を口に運んで時間を稼ぎながら全力で頭を回す。幸いにもベルンハルト殿下もロード・ルトガーも冗談の許容範囲は広い。大抵のギャグは受け入れてもらえるはずだ。

 そう思ったけれど、何も出てこなかった。

「いいのよ、私は自分より恰好良くない男性なんてお断りだもの」

 どうやら、私はメンヘラもにっこりな傷心状態にあるらしい。銀城のことを考えただけで――しかも水島さんという恋敵を前にリアルな懐古をしてしまったせいで、何も出てこなくなった。

 営業失格、どうやら私はすっかりこの乙女ゲー世界の住人になってしまったようだ。

「レディ・シルヴィア、貴女は殿下よりご自身のほうが恰好良い自信がおありで?」
「え?」

 もう一度紅茶を飲んで間を持たせようとしていると、ロード・ルトガーから珍妙な問いかけをされた。なんだその、天より高いものはなんだみたいな問いは。

「いえ……さすがに殿下のほうが格好いいと思いますが……」
「であれば、殿下と婚姻なさってはどうでしょう?」

 ……何?

「は?」

 素っ頓狂な声を上げたのは私ではなくアントワネットだ。頼んでもないのに心を代弁されたらしい。

「え、ええと? ……それはあまりに唐突なように思いますが……?」
「いかがでしょう、レディ・シルヴィア」

 また頼んでもないのに代弁されたと思ったら、ロード・ルトガーはアントワネットをガン無視だ。当の私は目を白黒させるだけで、これまた何を言えばいいのか分からなかった。質《たち》の悪い冗談かとも思ったが、歩く冗談みたいなロード・ルトガーが大真面目な顔をしている。

 肝心のベルンハルト殿下は……呆気に取られていたが、ロード・ルトガーを見遣った後、少し困った顔を向けた。

「……どうだろう、レディ・シルヴィア」

 ……ベルンハルト殿下も吝《やぶさ》かでない、と? まあそうだよね、シルヴィアの顔は美少女だもんね。

 となれば、答えは一択、なのだが。

「……お友達からでいかがでしょう?」

 ついうっかり絆《ほだ》されてしまったし、そのくせ中途半端な返事になってしまい、反省した。本当に私はもう営業には戻れないのだと。
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