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第4話

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 ――そっと、夜の庭園を歩く。さらさらと流れる小川の音を聞きながら歩いていると、サクリサクリと草を踏む音が聞こえた。

「やあ、ヴァレン。少し待ってた?」

 ひょいと挨拶代わりに一房のぶどうを放り投げられ、大きく口を開けてキャッチした。伏せて前足でそれを押さえかじりついていると、ラウレンツ王子は隣に座り込み、俺の背を撫でる。最初は遠慮して触れてこなかったが、最近は勝手に旧知の仲になったつもりらしい。悪くないので許しているが。

「今日はロザリアが紅茶を淹れてくれたんだ、お疲れでしたからって。でも俺は顔に出さないようにしてるというか、なんなら他の臣下には無尽蔵のエネルギーがありますねなんて笑われてしまうくらいなんだけれど、なんでロザリアは気が付くんだろう。彼女は本当に不思議だね」

 ガツガツとぶどうの粒をいくつも一気に齧りながら無視をした。ラウレンツ王子の凛々しい眉の端が少し垂れる。

「……もちろん、期待し過ぎないようにしているよ。ロザリアは責任感をもって仕事を真面目にしてくれているだけだ。それにアラリック殿下と婚約していたのはほんの半年前、いくら酷い仕打ちを受けたって嫌いになることはないだろうし。……そういえば、ロザリアがいなくなってエーデンタール国の王城はてんてこまいらしいね」

 ラウレンツ王子は、私は言葉を喋ることができないと思っている。その立場上話し相手もそういないせいか、ロザリアに話すことができないことはすべて私に垂れ流すのが常だった。

 例えば、ロザリアの元婚約者アラリック殿下とその住まいの王城について。

 王子の婚約者として扱われなかったロザリアは、嫌がらせ的にとかく無理難題を押し付けられ、いつもそれをどうにかして乗り越えてきた。その一つが王城の統治システムなのだが、ロザリアは何事にも細かい基準を定めて運用し、お陰で重要事実は漏れなく王子ないし王へ報告され、また逆に些末な事物は下の者の裁量に任され、王子と王の負担が軽減されていた。その意義を理解しなかった王子は、無能な者の「基準が細かくて面倒くさい」という進言を受け入れロザリアの評価を落としていたし、ロザリアがいなくなった後は思い出したようにその基準を撤廃した。結果、王子ないし王のあずかり知らぬところで重大な決定がなされてしまい、それを強く叱責したところ、王城で飼育する鶏のエサの量まで確認されるようになってしまったのだという。どの立場の人間がどこまで関与し決定するか、その塩梅が分からず苦労しているとか。

 他にラウレンツ殿下から聞いた話といえば、ヴィオラ公爵令嬢が神獣呼ばわりしていたウサギがただの野ウサギだと発覚してしまったこととか。

 ヴィオラ公爵令嬢に実は神獣の守護があると聞いたとき、私はいの一番に確認に行ったが、ただの野ウサギであった。愚かなアラリック王子は、もちろんヴィオラ公爵令嬢のウサギを神獣と信じ、ヴィオラ公爵令嬢との婚約に際しては大々的にそれを喧伝してまわったという。ただ、ヴィオラ公爵令嬢の横暴に耐えかねた侍女がウサギを逃がし、また彼女に頼まれて野ウサギを捕獲したと暴露してしまったそうだ。その“心労”で、ヴィオラ公爵令嬢は床に伏し、アラリック王子は“侍女の不敬”と怒っているとか。

「それから、エーデンタール国は不作で大変苦労しているともね。俺も苦労は分かるからできるだけ安く作物を輸出してあげたいけれど、それはそれとして、ロザリアが俺の妃――ああいやもちろん契約なんだけれど、ともあれ我が国に来た途端に我が国が豊かになってエーデンタール国が貧しくなるというのは……なんとも奇妙というか……」

 私は加護を与える対象を選んではいるが、存在するだけで多少の加護は垂れ流してしまう。エーデンタール国が苦しんでいるのはその反動だろう。

 ラウレンツ王子は、少々意味深な目を私に向ける。無視してぶどうの茎を鼻で押しやれば、王子はその手にもう一房ぶどうを取り出した。

 加護を与えた甲斐あって、この国で採れる果実は非常に美味い。もう一房くれるのかと起き上がると「まあ待て、これは賄賂だよ」と手で制止された。

「ヴァレン、ロザリアは何も言わないが、少なくとも君は見た目よりも遥かに賢いだろう? そもそもオオカミは賢い生き物だし、きっとロザリアの言葉も――俺の言葉も、すべて正確に理解してる。そこでどうだろう、俺とロザリアの仲に協力してくれるというのは」

 この王子がロザリアに話すことができないこと、そのもう一つは、この王子が実はロザリアに惚れてしまっているということだ。

 この王子がロザリアを雇った理由はロザリアに伝えていたとおりで、あくまで結果論だ。しかし傍にいてもらううちに、その器量と機転に惚れ込んでしまい、今では夜に私に果物を与えながら恋愛相談をしているという、近年まれにみる馬鹿な王子なのだ。

「俺もそれなりに努力はしているつもりなんだが、いかんせん女性にどうアプローチをするのが正解か分かりかねててね。乗馬に誘えば景色ばかり見ているし、お茶に誘えば仕事の相談と勘違いされるし、城下への散歩に誘えば市井調査と勘違いされるし……ヴァレンからもなにか手助けはないかと、思うんだが……オオカミにこんな相談をする俺は相当切羽詰まってるな」

 まったくもってそのとおりだ。しかし、ラウレンツ王子は顎を撫でて柳眉を寄せながら「あとはなんだろう……贈り物なんてどうかな、日頃の労をねぎらうという形で……」と大真面目に相談を続ける。いいから早くぶどうを寄越せ。

「……君が本当に神獣ならいいんだけれどね。確か、オオカミの神獣は絆もつかさどるだろう? いい相手との縁を結んでくれると……まあ、ロザリアに釣り合うようにもっと努力しろという話かもしれないけど――あっ」

 その手からぶどうを奪い取ると、ラウレンツ王子は分かりやすく迷惑そうな顔をした。指は食いちぎらないで済むよう配慮したのだ、いいではないか。

「……ヴァレン、食うってことは協力してくれるんだろうな? 俺がロザリアの隣に座ろうとすると君は決まって間に割り込んでくるが、あれはわざとだろう? あれを控えるだけでもいいし、なんならたまには二人きりにしてくれる、それだけでもいいんだが。聞いているか、ヴァレン?」

 お前がロザリアに見合うかは、まだ評価途中だ。あまりにうるさいのでそう答えてやりたかったが、神獣と知られるにはまだ早い。

 コイツも大概馬鹿な王子だが、もうしばらく、ロザリアとの関係は見守ってやるとしよう。なにせ、ロザリアのまともな人生は始まったばかりなのだから。
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