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15.言語の壁と関係の溝
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異国の人間も珍しくない帝国内でもなお珍しい、真っ黒い髪をした背の高い男性が1人。傍には従者か護衛らしき人も連れているが、その人も含め、シルエットや色の珍しい服を着ている。少しくすんだブラウンのジャケットに、胸元の大きなブローチ……エーデンタール国でもあまり見ない。間違いない。
「こんにちは、なにか困りごと?」
ネベル語で声をかけた瞬間、驚きと喜びの入り混じった顔が振り向いた。特別彫が深いというわけではないのだが、眉と睫毛などが濃くて目力がある。そのせいか、ラウレンツ様とは違ってずいぶん男性らしく見える。
「ああ……よかった、そこのマーケットで美しい鉱石が売ってあったから、ぜひ売ってほしかったんだ」
声も低い。ラウレンツ様は少し少年っぽく甲高い声だな、とそこで気が付いた。
「ペンダントに加工してもらえないかと聞いたんだが、あんまり分かってもらえなかった」
「プレゼント? とりあえず、そのマーケットに向かいましょ」
目当ての場所へ向かいながら、その人の服装をもう少し観察する。汚れのない靴は馬車でしか移動しないことと毎日手入れするほどの余裕があることを示すし、大きなブローチの真ん中についているこれまた大きな石は、一見するとただの黒い石だったけれど、よく見れば深い緑色で、奥から光を放つような色の深さがある。どれもこれもが格式高さをうかがわせた。
そして何より、この人のネベル語は高位貴族のものだ。帝国語との違いとして、ネベル語には、よほど明確な上下関係がない限り、まるで友達同士みたいなフラットな話し方をするという特徴がある。例えば侯爵と子爵でもフラットな話し方をするし、逆に「丁寧」さを込めた喋り方をすると「召使か」と笑われてしまう。だから家庭教師は後者の喋り方で、それを真似した私は例によって「未来の王子妃がそんなへりくだった喋り方をするなんて」と指導された。お陰で、私のネベル語も王家の人間として喋っておかしくないものではある。
そしてこの人もそう。なんなら発音はきれいで訛りがなく、挨拶だけで王都育ちと言っているようなものだ。
ネーベルハイン国の使者と共に遊びにきたという時点で察するところではあるけれど、やはりかなりのお偉いさまに違いない。しかもお目当てはプレゼント、若く見えるし婚約者か結婚相手か、いずれにせよいいお買い物をしてくれるに違いない。ラウレンツ様とのボーナス交渉ではここでの売上も加味していただこう。
「ところで、君はマーケットの商会の人か?」
「え? ええ……そう、ね……」
皇子妃の発表はされていないから正式に就任していないし、なにより敷地内のマーケットとはいえ皇子妃が一人でふらふらしていると思われてはたまらない。微笑んで誤魔化すと「なるほど?」とその人はつるんときれいな顎を撫でた。
「ネベル語は誰から学んだんだ?」
「……知り合いがネーベルハイン国の出身だったの」
「商会の手伝い仲間か。その訛り、相手はナルディ地方の者ではないか?」
訛り……! 他人の発音のきれいさには気が付けても自分のものにはなかなか気が付けない、それが訛り。くっ、と心の中で反省した。外務卿がネベル語を話せるらしいし、仕事に際してはネベル語縛りにしていただいたほうがいいかもしれない。
「母もナルディ地方の出身だったんだ。すごく懐かしいよ」
「あら! よかった!」
かと思えば、とんだ僥倖だ。心から笑みを浮かべ、喜びのあまり手を合わせてしまった。ルーツの共有は簡単に、そして効果的に親近感を抱かせると相場は決まっている。
「ペンダントって言ったけれど、そのお母様宛?」
「そんなところだ。しかし、帝国では珍しい鉱石がとれるんだな」
そこの店だ、と指さされた先には、薄汚れたシーツが広げられ、ゴロゴロとまるで子どものコレクションのように石が転がされていた。とても価値ある石には見えないが……とよく見てみると、形が悪く薄汚れているだけで、磨けば光りそうな、半透明の石ばかりだった。
商人らしきおじいさんはその石に囲まれ、まるでお昼寝でもしているかのようにぼんやりと座り込んでいる。恰好は小汚いけれど、胸元には妙に小奇麗なペンダントをつけていた。飾り紐はボロボロなのにペンダントトップだけは毎日手入れされているようで、湖のように透き通った水色が冬の陽光を吸い込んで輝いている。
「おじいさん、こんにちは。起きていらっしゃいます?」
「うん? うん、うん……」
口元を長く白いひげで隠したまま、こくりこくりと、まるで転寝でもしているような動きで頷く。
「この石、ペンダントに加工してほしいんですって。もちろん買う前提ですけれど、そこまでしてもらうことってできます?」
「うん……ああ、さっきの若いのか……」
もごもごしながら、おじいさんは「買ってくれるわけじゃないのかあ……」とぼやいた。
「え? 欲しいみたいですよ?」
「加工はやめたよ。老いぼれにそんな体力はない」
ははあ、なるほど。確かに、年齢といい、店の出し方といい、鉱石を見つけてくるのが精いっぱいなのかもしれない。
どうやら、ラウレンツ様もマーケット内の商人同士をつなげることまではしていないようだ。ふむ……と少し考え込む。マーケットは宮殿財政復興のために始めたこと、紹介料をとったほうが財政は喜ぶが、都度せこいことをしては反感も買う。それに、全く合理的ではないけれど、このおじいさんを前に小銭を巻き上げるのは違う気もする。いざとなったら、私の一存で金をとる施策は決められなかったということにしよう。
「話はついたか?」
そこまで決めたところで、ネーベルハイン国の彼が口を挟んだ。
「ペンダントにしてほしいんだが」
「どの鉱石のこと? なんだか色々あるけど……」
石をひとつ拾い上げると、おじいさんが「それを磨いて朝日にかざすときれいでねえ……」と勝手に喋り出す。
「もうすっかり掘り尽くしてしまったと思っていたのが、数日前に偶然見つかってね……」
「昔はよく採れてたけど、最近は珍しい石だって。朝日にかざすときれいらしいわよ」
「十年以上前に妻に贈ったのが最後だったよ。その妻も亡くなって、いま私がつけているのが最後だ」
「あ、このペンダントなんだって。確かにきれいな色で珍しいわね」
ペンダントを掲げながら「磨くとこうなります」と宣伝すればもっと客も集まるだろうに、商売というのは物だけではうまくいかないものだ。
実際、ネーベルハイン国の彼は「ほう」と身を乗り出した。
「これは確かに、見たことのない石だな。しかし加工する体力はないと」
「ええ。でもマーケットにいる職人に頼めば大丈夫よ」
なんとこまめなことに、ラウレンツ様はマーケット許可証発行リストも作成している(そんなことまでしているから寝る時間がないのだと思う)。そのリストの中身まで全部覚えているとはいわないが、そういうものがあると見せてもらったとき、出店内容に「石工職人による実演」というサーカスじみたことをしているものがあったのは覚えている。その職人を見つけてきて依頼すればいい。
このネーベルハイン国の彼も、ただの旅人なら時間もないかもしれないが、使者と一緒に遊びにきたのなら、少なくとも今日の間は帝都に留まるだろう。それなら加工の時間は充分あるはずだ。
「お母様宛の珍しいペンダント、なんだっけ? ちょうどいいじゃない、帝国で採れる鉱石を帝国の職人が加工すれば、自国では最高に珍しい一点もののできあがりよ」
「そうだな」
ん、あれ、そういえば体力的に加工まではできないって、そこの通訳までしたかしら? そう首を傾げる前に、ネーベルハイン国の彼が、座り込んだおじいさんの足元にドサッと重たい袋を置いた。……見るからに大量の硬貨が詰まっている。
「この石、すべて買い取らせていただこう」
……帝国語だ。愕然とした私に関わらず、その彼は「ちょっと試しただけなんだ」と朗らかに笑った。
「うちは弱小国だから、帝国にどう扱われるか見ておきたかったんだ。さて、私はラウレンツ殿下と話をしてくるから、その間にラピダリーに繋いでおいてくれ」
使者にくっついて遊びにきたどころか、大本命のネーベルハイン国外務卿補佐だった。唖然とする私の後ろでは、事の次第を理解していないおじいさんが「これで妻の墓に添える花を買える」と呑気に喜んでいた。
「こんにちは、なにか困りごと?」
ネベル語で声をかけた瞬間、驚きと喜びの入り混じった顔が振り向いた。特別彫が深いというわけではないのだが、眉と睫毛などが濃くて目力がある。そのせいか、ラウレンツ様とは違ってずいぶん男性らしく見える。
「ああ……よかった、そこのマーケットで美しい鉱石が売ってあったから、ぜひ売ってほしかったんだ」
声も低い。ラウレンツ様は少し少年っぽく甲高い声だな、とそこで気が付いた。
「ペンダントに加工してもらえないかと聞いたんだが、あんまり分かってもらえなかった」
「プレゼント? とりあえず、そのマーケットに向かいましょ」
目当ての場所へ向かいながら、その人の服装をもう少し観察する。汚れのない靴は馬車でしか移動しないことと毎日手入れするほどの余裕があることを示すし、大きなブローチの真ん中についているこれまた大きな石は、一見するとただの黒い石だったけれど、よく見れば深い緑色で、奥から光を放つような色の深さがある。どれもこれもが格式高さをうかがわせた。
そして何より、この人のネベル語は高位貴族のものだ。帝国語との違いとして、ネベル語には、よほど明確な上下関係がない限り、まるで友達同士みたいなフラットな話し方をするという特徴がある。例えば侯爵と子爵でもフラットな話し方をするし、逆に「丁寧」さを込めた喋り方をすると「召使か」と笑われてしまう。だから家庭教師は後者の喋り方で、それを真似した私は例によって「未来の王子妃がそんなへりくだった喋り方をするなんて」と指導された。お陰で、私のネベル語も王家の人間として喋っておかしくないものではある。
そしてこの人もそう。なんなら発音はきれいで訛りがなく、挨拶だけで王都育ちと言っているようなものだ。
ネーベルハイン国の使者と共に遊びにきたという時点で察するところではあるけれど、やはりかなりのお偉いさまに違いない。しかもお目当てはプレゼント、若く見えるし婚約者か結婚相手か、いずれにせよいいお買い物をしてくれるに違いない。ラウレンツ様とのボーナス交渉ではここでの売上も加味していただこう。
「ところで、君はマーケットの商会の人か?」
「え? ええ……そう、ね……」
皇子妃の発表はされていないから正式に就任していないし、なにより敷地内のマーケットとはいえ皇子妃が一人でふらふらしていると思われてはたまらない。微笑んで誤魔化すと「なるほど?」とその人はつるんときれいな顎を撫でた。
「ネベル語は誰から学んだんだ?」
「……知り合いがネーベルハイン国の出身だったの」
「商会の手伝い仲間か。その訛り、相手はナルディ地方の者ではないか?」
訛り……! 他人の発音のきれいさには気が付けても自分のものにはなかなか気が付けない、それが訛り。くっ、と心の中で反省した。外務卿がネベル語を話せるらしいし、仕事に際してはネベル語縛りにしていただいたほうがいいかもしれない。
「母もナルディ地方の出身だったんだ。すごく懐かしいよ」
「あら! よかった!」
かと思えば、とんだ僥倖だ。心から笑みを浮かべ、喜びのあまり手を合わせてしまった。ルーツの共有は簡単に、そして効果的に親近感を抱かせると相場は決まっている。
「ペンダントって言ったけれど、そのお母様宛?」
「そんなところだ。しかし、帝国では珍しい鉱石がとれるんだな」
そこの店だ、と指さされた先には、薄汚れたシーツが広げられ、ゴロゴロとまるで子どものコレクションのように石が転がされていた。とても価値ある石には見えないが……とよく見てみると、形が悪く薄汚れているだけで、磨けば光りそうな、半透明の石ばかりだった。
商人らしきおじいさんはその石に囲まれ、まるでお昼寝でもしているかのようにぼんやりと座り込んでいる。恰好は小汚いけれど、胸元には妙に小奇麗なペンダントをつけていた。飾り紐はボロボロなのにペンダントトップだけは毎日手入れされているようで、湖のように透き通った水色が冬の陽光を吸い込んで輝いている。
「おじいさん、こんにちは。起きていらっしゃいます?」
「うん? うん、うん……」
口元を長く白いひげで隠したまま、こくりこくりと、まるで転寝でもしているような動きで頷く。
「この石、ペンダントに加工してほしいんですって。もちろん買う前提ですけれど、そこまでしてもらうことってできます?」
「うん……ああ、さっきの若いのか……」
もごもごしながら、おじいさんは「買ってくれるわけじゃないのかあ……」とぼやいた。
「え? 欲しいみたいですよ?」
「加工はやめたよ。老いぼれにそんな体力はない」
ははあ、なるほど。確かに、年齢といい、店の出し方といい、鉱石を見つけてくるのが精いっぱいなのかもしれない。
どうやら、ラウレンツ様もマーケット内の商人同士をつなげることまではしていないようだ。ふむ……と少し考え込む。マーケットは宮殿財政復興のために始めたこと、紹介料をとったほうが財政は喜ぶが、都度せこいことをしては反感も買う。それに、全く合理的ではないけれど、このおじいさんを前に小銭を巻き上げるのは違う気もする。いざとなったら、私の一存で金をとる施策は決められなかったということにしよう。
「話はついたか?」
そこまで決めたところで、ネーベルハイン国の彼が口を挟んだ。
「ペンダントにしてほしいんだが」
「どの鉱石のこと? なんだか色々あるけど……」
石をひとつ拾い上げると、おじいさんが「それを磨いて朝日にかざすときれいでねえ……」と勝手に喋り出す。
「もうすっかり掘り尽くしてしまったと思っていたのが、数日前に偶然見つかってね……」
「昔はよく採れてたけど、最近は珍しい石だって。朝日にかざすときれいらしいわよ」
「十年以上前に妻に贈ったのが最後だったよ。その妻も亡くなって、いま私がつけているのが最後だ」
「あ、このペンダントなんだって。確かにきれいな色で珍しいわね」
ペンダントを掲げながら「磨くとこうなります」と宣伝すればもっと客も集まるだろうに、商売というのは物だけではうまくいかないものだ。
実際、ネーベルハイン国の彼は「ほう」と身を乗り出した。
「これは確かに、見たことのない石だな。しかし加工する体力はないと」
「ええ。でもマーケットにいる職人に頼めば大丈夫よ」
なんとこまめなことに、ラウレンツ様はマーケット許可証発行リストも作成している(そんなことまでしているから寝る時間がないのだと思う)。そのリストの中身まで全部覚えているとはいわないが、そういうものがあると見せてもらったとき、出店内容に「石工職人による実演」というサーカスじみたことをしているものがあったのは覚えている。その職人を見つけてきて依頼すればいい。
このネーベルハイン国の彼も、ただの旅人なら時間もないかもしれないが、使者と一緒に遊びにきたのなら、少なくとも今日の間は帝都に留まるだろう。それなら加工の時間は充分あるはずだ。
「お母様宛の珍しいペンダント、なんだっけ? ちょうどいいじゃない、帝国で採れる鉱石を帝国の職人が加工すれば、自国では最高に珍しい一点もののできあがりよ」
「そうだな」
ん、あれ、そういえば体力的に加工まではできないって、そこの通訳までしたかしら? そう首を傾げる前に、ネーベルハイン国の彼が、座り込んだおじいさんの足元にドサッと重たい袋を置いた。……見るからに大量の硬貨が詰まっている。
「この石、すべて買い取らせていただこう」
……帝国語だ。愕然とした私に関わらず、その彼は「ちょっと試しただけなんだ」と朗らかに笑った。
「うちは弱小国だから、帝国にどう扱われるか見ておきたかったんだ。さて、私はラウレンツ殿下と話をしてくるから、その間にラピダリーに繋いでおいてくれ」
使者にくっついて遊びにきたどころか、大本命のネーベルハイン国外務卿補佐だった。唖然とする私の後ろでは、事の次第を理解していないおじいさんが「これで妻の墓に添える花を買える」と呑気に喜んでいた。
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