上 下
1 / 32
聖女side

1

しおりを挟む


 9歳の私は、突然親元から引き離された。

「……ママ?」

 そこは教会のような場所で、白い衣に身を包んだ大人たちが小さな私を囲んでいた。

 彼らは何かを話し掛けていたけれど、その言葉を私は分からなかった。

「パパ……ママ……?」

 怖くて、心細くて、不安で、泣き叫んだ私を彼らは戸惑うように見下ろしていた。

 心は恐怖でいっぱいだった。
 幼心にあまりに辛い記憶だったんだろう。私はその前後のことをぼんやりとしか思い出せない。

 はっきりと思い出せるのは、それから半年ほど経ってからのことだ。

 私は変わらず、よく分からない教会のような場所に保護されていた。精神的に少し落ち着いてからこの国の言葉を覚えはじめた。すると彼らと意志が通じあえるようになった。

 私を保護した大人たちは、神官、という役職であるという。

「貴方様は聖女です」

 聖女、という聞き慣れない言葉を、当時の私は正確に理解出来てはいない。

「私たちに必要な尊い方でございます」

 大人の言葉は少しも理解出来なかった。

 けれど彼らは絶えることのない笑顔を浮かべながら私の世話をしてくれた。

 幼い私に分かったのはたった一つ。

 パパとママには会えないんだということだけだった。







 ――五年後。
 私はいまだ、両親に会えていない。

 14歳を迎えて、三度目の満月の日だった。

 神殿のはずれに建てられた小さな建物が私の生きる場所。色とりどりのガラスの窓に囲まれたその建物は、教会のような厳かさも持っている。

 実際に聖女が住まう、神に祈るための場所だった。

 ここが今では私の世界のすべてだ。9歳から14歳に至るまで、神殿とこの場所以外には出たことがない。

「それでは聖女様。今宵もお勤めをお願い致します」

 白い長衣を着た神官が礼を取りながら言う。

「分かりました……今宵も月の輝きがありますように」
「月の輝きがありますように」

 神官は儀礼的な返事をすると建物を後にして行った。







 親元で育った記憶は私の大切な宝物だ。
 両親に愛され育ったと思う。

「どうしてパパとママに会えないの?」

 私の問いに神官たちは決まって同じ答えを返した。

「聖女様は神殿で保護する決まりなのです」

 この国では、長い歴史でずっとそうだったのだと語る。

「聖女様の祈りだけが、神からお力を分け与えられるのです」

 聖女にしか出来ない役割。
 それをするために私はここにいるのだと言う。

 神官とは会話をする。勉強も受けさせられる。
 けれど彼らは私の数少ない言葉を交わせる人間のはずなのに、心のこもった会話など出来たことはなかった。それが分かるのは、親元で、おそらく普通に育った記憶が私の中にわずかながらに残っているからだ。

 五年。
 初めは泣いて喚いた。次に身体を壊した。元気になった後は、何度もここから抜け出そうとした。

 街まで逃げたことがある。
 数日煉瓦造りの町をうろつき、お腹を空かせ倒れているところを神官に捕らえられた。

 結局――子供の自分には逃げる場所などどこにもなく、一人では生きていけないのだと知っただけだった。








 諦めてしまえば、日々は穏やかに過ぎていく。

 食べることには困らない。学ばせて貰える。そして綺麗な住居と、心静かに祈れる時間が与えられている。住まいは草花と木々に囲まれ太陽の日差しと鳥の声に満たされている。生活は申し分ない。

 私にしか出来ない役割が与えられている。きっと特別な人間なのだろう。役に立つ勤めを果たすことで、いずれ心から満たさせる時も来るのかもしれない。

 けれどそう思えない……。

 神官とも、世話役の女官とも、心が通わないどころか目を合わせることすら避けられているような気がするのだ。

 何気ない会話が誰とも出来ない。

(ただ……寂しい)

 幼いのだろうか。わがままなのだろうか。

(パパ、ママ……)

 明るい笑顔で愛情を伝えてくれたはずの人たちがいない。

(会いたい……)

 記憶はとうに朧げだ。
 幼い身にあまる辛さは、私から大事な記憶まで薄れさせてしまった。

 それでも何年経っても寂しさに慣れない。張り裂けそうな孤独を抱えながら空を見上げる。

 月が昇る。

 聖女には勤めがある。
 月明かりの元、この一人きりの建物の中で、月に向かって神に祈れという。

 満月の夜は特別だ。
 祈りを怠ると、神官たちにもそれが分かってしまう。聖女の祈りは、この世界の魔力量を増やすためのものなのだから。

 心を無にするように深呼吸をしてから、祈りの姿勢を取ると、私は言った。

「月の女神シャーリャン様。この世界の皆が幸福でありますように……」

 祈りの言葉は限りなく存在するけれど、突き詰めればこの願いを祈るだけだ。

 だけど本当は、心から祈れていないことも知っていた。私の世界はとても狭い。知らない人のことなど祈れない。だからひっそりと、心の中には家族を思い浮かべている。

「私の大切な人たちがどうか幸せでありますように……」

 月にそう願うと、ぽたりと一粒の涙がこぼれ落ちる。

 月のしずくのような涙が床に染みを作ると、暗い気持ちが湧き上がる。

 ――私は、幸せじゃない。

 寂しさと、恥ずかしさが入り混じる複雑な思いが心を占める。

 幸せじゃ、ない、なんて。

 自分は健康だ。
 聖女として、きっと敬われている。特別な役割を与えられ、豊かな暮らしをしているのに、幸せだと思えないなんて。

 ――自分はなんて醜いことだろう。

 けれど、世界の人々の幸せを願いながら……私は自分の幸福を祈ることも出来ず、自分の笑っている姿すら、想像することが出来ないのだ。

「……寂しい……寂しいの」

 口に出してしまえば想いは止まらない。

「……ふぅ……うぅ……っ」

 嗚咽が止まらず口元を押さえながら床に膝を突く。

「ママ……っ」

 瞬間。

 カタン。

 誰もいないはずの室内に静かな音が響く。涙に濡れた瞳を向けると、白い封筒が落ちている。

「……?」

 神官の忘れ物だろうか。手に取ると封がされていない。自分宛のものかと思い、無造作に開けてから息を呑む。

「――え?」

 便せんに書かれていたのは、神の言葉。子供の頃に知っていた言葉。

 ――聖女様しか知らないお言葉は、神の世界のお言葉なのでございます。

 祈りは、神の言葉で捧げている。

 この国の人々には読めない、懐かしい文字で書かれていたそれは、私宛の手紙だった。




『聖女様

突然のお手紙をお許しください。
僕は平凡な学生です。

ある夜の祈りの時間から、貴方様のお姿を拝見するようになりました。
とても信じられないような出来事でした。
目を瞑り祈っていると、どうしてだか閉じた瞳の奥がぼんやりと明るくなり、貴方様のお姿が映るのです。

清らかに神に祈るお姿から、聖女様に違いないと思いながらも、それを確認するすべもなく日々を過ごしてきました。

あまりに不思議なことです。
神の思し召しなのでしょうか。

けれど、貴方様のお姿を思い浮かべるだけで、僕は心が晴れるような気持ちになれることに気が付きました。
辛い日常を耐え、明日を生きる元気をもらえるように思えたのです。

この感謝をどうにか伝えられないかと思った僕は手紙を書くことにしました。

瞳の奥でだけ拝見出来る、幻の聖女様に手紙だなどと、馬鹿な考えだとお笑いください。

けれど、この手紙が貴方に届くことを、月の神シャーリャン様に祈りたいと思います』


 ――それが、彼からの初めての手紙だった。


しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

婚約破棄の夜の余韻~婚約者を奪った妹の高笑いを聞いて姉は旅に出る~

岡暁舟
恋愛
第一王子アンカロンは婚約者である公爵令嬢アンナの妹アリシアを陰で溺愛していた。そして、そのことに気が付いたアンナは二人の関係を糾弾した。 「ばれてしまっては仕方がないですわね?????」 開き直るアリシアの姿を見て、アンナはこれ以上、自分には何もできないことを悟った。そして……何か目的を見つけたアンナはそのまま旅に出るのだった……。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】私を虐げる姉が今の婚約者はいらないと押し付けてきましたが、とても優しい殿方で幸せです 〜それはそれとして、家族に復讐はします〜

ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
侯爵家の令嬢であるシエルは、愛人との間に生まれたせいで、父や義母、異母姉妹から酷い仕打ちをされる生活を送っていた。 そんなシエルには婚約者がいた。まるで本物の兄のように仲良くしていたが、ある日突然彼は亡くなってしまった。 悲しみに暮れるシエル。そこに姉のアイシャがやってきて、とんでもない発言をした。 「ワタクシ、とある殿方と真実の愛に目覚めましたの。だから、今ワタクシが婚約している殿方との結婚を、あなたに代わりに受けさせてあげますわ」 こうしてシエルは、必死の抗議も虚しく、身勝手な理由で、新しい婚約者の元に向かうこととなった……横暴で散々虐げてきた家族に、復讐を誓いながら。 新しい婚約者は、社交界でとても恐れられている相手。うまくやっていけるのかと不安に思っていたが、なぜかとても溺愛されはじめて……!? ⭐︎全三十九話、すでに完結まで予約投稿済みです。11/12 HOTランキング一位ありがとうございます!⭐︎

奪われる人生とはお別れします ~婚約破棄の後は幸せな日々が待っていました~

水空 葵
恋愛
婚約者だった王太子殿下は、最近聖女様にかかりっきりで私には見向きもしない。 それなのに妃教育と称して仕事を押し付けてくる。 しまいには建国パーティーの時に婚約解消を突き付けられてしまった。 王太子殿下、それから私の両親。今まで尽くしてきたのに、裏切るなんて許せません。 でも、これ以上奪われるのは嫌なので、さっさとお別れしましょう。 ※他サイト様でも連載中です。 ◇2024/2/5 HOTランキング1位に掲載されました。 ◇第17回 恋愛小説大賞で6位&奨励賞を頂きました。 本当にありがとうございます!

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

【完結】どうやら私は婚約破棄されるそうです。その前に舞台から消えたいと思います

りまり
恋愛
 私の名前はアリスと言います。  伯爵家の娘ですが、今度妹ができるそうです。  母を亡くしてはや五年私も十歳になりましたし、いい加減お父様にもと思った時に後妻さんがいらっしゃったのです。  その方にも九歳になる娘がいるのですがとてもかわいいのです。  でもその方たちの名前を聞いた時ショックでした。  毎日見る夢に出てくる方だったのです。

処理中です...