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第八十二話(奇っ怪な声音)

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ーー突如、遠方から妙な鳴き声が聞こえた気がした。

小鳥の囀りとは似ても似つかないそれは、まるで赤ん坊が呱々の声を上げた時に発する声音と、年嵩の男性の慟哭が綯い交ぜになったような、なんとも言い難い不気味なものに感じた。

「はれ……万も、ツクネもいない……」

僅かに開いたテント内に差し込む旭光は、思わず顔を顰めるほどに眩しく、寝坊助を起こす目覚ましの代わりを十二分に果たしていた。
眠い目を擦りながら立ち上がり、外に出て周りを見回すも、近辺に二人の姿は見当たらない。

(もしかしたら、二人で魚釣りにでも出掛けたのかも……)

サイトに設置してある木のテーブルと椅子が、三人が食事の際使用する場所だ。
何時もなら此処で朝御飯の筈が、その時間を疾うに過ぎているにも関わらず、二人が帰って来る様子がない。
お腹が鳴って待ちきれなくなったテイルは、ツナ缶をバックから取り出して開封し、使い捨てのスプーンを使って食事を始めた。

ーーそれにしても、さっき聞いた不気味な声はなんだったのだろう。

「夢でも見てたのかな……」

テイルは頭を捻る。
シーチキンをぱくぱくしながら考えていたそんな矢先、何者かが徐ろに近寄って来る跫音を察知し、その方を見遣った。

「…………誰?」

視線の先に居たのは一頭の熊。子犬程の大きさをした愛嬌のある小熊がテイルの方を円らな瞳でじぃっと見つめている。

「貴方もお腹空いてるの?」

そう問いかけると、こくんと首肯し可憐な合図が帰ってきた。
それを確認したテイルは、小さな体を胸に抱き抱え、ツナを一口分スプーンで掬い取り小熊の口へ運ぶ。
そんな一人と一頭の微笑ましい様子はまるで、母親とその赤子を彷彿とさせる。

「ツナを食べてて思い出したんだけど……」

『うん』

「トンボの羽を毟る行為を『シーチキン』ってゆうよね。あれって、何でなのかなぁ……?」

『人間界の事情は詳しく知らないけど、トンボはそのまんま丸呑みにするに限るね。彼等の羽は美味しいし体に良いって、熊界では有名何だ。羽を毟って食べる何て勿体無いよ。そんな邪道なことを平気でする連中は富裕層くらいなもんさ』

「そっか。君は意外にグルメ何だね」

テイルの素朴な疑問に、彼はトンボがどれだけ美味な食べ物なのかを饒舌になって語った。
動物と会話できる人間と人懐っこい小熊の他愛ない会話は、微妙にというか非常に齟齬があるように感じた。


ーー帰路を二人で歩いていた途上、万が体を蹌踉めかせ、地面に手を付いた。

「おい……そんなんで大丈夫かよっ……やっぱり、今日移動するのは無理なんじゃーー」

「平気……大丈夫だから。知ってるでしょ?『order』から解放されるといつもこうなるんだ……」

今日中にキャンプ場を後にしようと意気込んでいた万だったが、夜間から朝を迎えるまで、打っ続けで奔走し暴れ回った身体には其れ相応のガタが来ていた。
それを理由に彼女達のプランは、舌の根の乾かぬうちに頓挫を余儀なくされる状況にある。
今回の乱闘で、熱鉄を飲む思いで掃討した人間の数は優に二桁を超えている。
それだけの人間が三人の居場所を突き止め、遠路遥々、態々、命を奪いにやってきた。
まるで何者かが手引きしたかの如く、潜伏先が毎回見事に筒抜けだ。何処に逃げようが結果は同じ。そんな不安が脳裏を過る。
行く先先で醜い死体を量産するだけの、そんな非人道的で嫌気が差す生活は、一体何時になったら終わるのか。
酷使し続けた体は悲鳴を上げ、立っているのもやっとといった現状だ。
人生のゲームオーバーは刻一刻と差し迫る。
暗転ばかりで好転するような兆候は今の所見られない。

「さっさと戻ろうぜ。歩けないならあたしの肩を貸してやる。残して来ちまったテイルの身が心配だ」

柄にもなく尤もらしい言葉を口にするツクネではあったが、そもそも……、

「置いてきぼりにした張本人から、そんな一言が飛び出してくる何て思いもしなかったよ……」

「しゃあねぇだろ。あたしの身体は一つしかないんだ。お前とあいつのどっちかを優先すりゃ、片っ方が手薄になっちまうのは当然じゃね?」

それから二十分程の時間を掛けてテントを張ったサイトまで帰還。
そこで二人の視界に飛び込んで来たのは、身を案じていた大切な家族が、小熊と戯れる無邪気な姿だった。
テイルは熊相手に「お手」や「お座り」といった芸を具に教え込んでいた只中、万とツクネが帰って来たことに気付く。

「おかえりなさい。二人して居なくなっちゃったから、ちょっと心配してた」

「ただいま。一人にしてごめんね」

「大丈夫。熊吉と遊んでたら時間が経つの早かった。……万の服、よく見たら血だらけ。どうしたの?」

「……そのことに関係してるんだけど、ちょっとテイルに話があるんだ」

万の浮かない顔と憔悴し切っている現状。それに加え、血だらけの衣服と体のあちこちに刻まれた創傷。それらを根拠に、自分の与かり知らない所で戦闘があったのだと初めて浮き彫りにされた。
聡明に推察したテイルは、こくりと首肯し、話の続きに耳を傾ける。

三人で話し合った結果、明日の早朝、空が明るくなった頃にキャンプ場を離れる考えで最終的に一致した。
実際は「説得させた」と表現する方が正しいのだろうが、その選択は決して間違ってなどいない。
すぐにでも此処から離れた方が良いと提言する万の訴えは、ツクネによって半ば強引に却下された。万が満身創痍な状況で迂闊には動けない中、無闇に行動するのは逆に危険だ。
超能力を自由自在に行使するツクネだけでも十分な戦力を誇示できるが、万の傑出した身体能力と常人離れした才知には勝るにも劣らない。彼女の存在こそ絶大で、三人の今後を、前途を左右する。
丸一日休養して体調を全快に整え、縦横無尽に活躍してくれたらそれに越したことはない。

「……お前さ、朝からずっと、ずぅ~っと言おうと思ってたんだけどな」

「うん。なあに?」

一日という儚くも短い時間は無情にも過ぎ去って、あっという間に夜の帳が下りた。
テイルとツクネが監視に目を光らせる中、万は二人の言葉に甘えテント内で体の疲れを癒している。

「なあにじゃねぇ。その熊公どうするつもりだよ。……まさかとは思うが、一緒に連れて行くとか言い出さねぇよな?」

「だめ……?」

「駄目に決まってんだろ。そんなもん情が移る前にとっととサヨナラしとけ」

「やだ。そんなこと今更言われたって、もう手遅れ。情ならとっくに移ってるもん」

ぶっきら棒で薄情なツクネの手から庇護する様に、テイルが小熊を胸に掻き抱く。
とても大人しく、一見するとぬいぐるみにも錯覚するソイツは、一昼夜片時も離れずテイルの傍に居た。
何時まで経っても広大な自然への郷愁に駆られることはなく、母熊の元に帰ろうとする素振りを少しも感じ取れない。

ーーこりゃ完全にテイルに懐いてやがるな。

あまりにも簡易な問題故に、ツクネは即座にその回答へ辿り着いていた。

万が深い眠りから目を覚ましたのは、二人のそんなやり取りから数分後。
焚き火に控えめに照らされながら、文字通り、三人と一頭揃っての晩餐が始まる。
豪勢なご馳走は無いに等しかったが、ツクネが「戦利品だ」と誇らしげに取り出したアルミホイルに包まれた物体に、その場にいる全員の期待値が高まる。
開封してみれば、その中には得体の知れない「おにぎり」が四つ入っていた。

「これ、どうしたの……?」

「肉片に変わり果てたおっさんの懐に入ってたんだ。食えそうだったから一応頂戴しておいた」

ただでさえ他人の作ったおにぎりを食べるのは抵抗があるというのに、殺し合いの果てに屍と化した人物が所持していた物を食べるのは気が進まない。

「微塵も食指が動かない。期待して損した」

「えっ、どうして……?久しぶりのお米、普通に美味しそうだよ?」

落胆する万とは打って変わって、テイルは双眸をキラキラさせておにぎりに食いついている。

「んだよ。お前は食わねーのか?折角、このツクネちゃんが奢ってやるっつってんだ
ぞ」

「僕だって、人の作ったおにぎりがどれもこれも食べられないって言ってる訳じゃないんだよ。勿論、ツクネやテイルが作ってくれた物なら喜んで食べるし……流石に、何処の誰とも知らない人が作ったのはちょっとね……」

「ふっ、なるほどな。小汚い身なりをした見知らぬオッサンが、何を触ったかはっきりしない御手手で握ったおにぎりはNGだってか」

「うん。そう……別に、そこまで酷いことを言ったつもりはないけれど」

「露骨に嫌そうな態度を取られると、無理矢理にでも食べさせたくなってくるよな」

「絶っ対に、止めてよね」

「テイルが食べたおにぎりには鮭が入ってた。ちなみに、熊吉にあげたおにぎりは昆布。ツクネのには何が入ってるの?」

「あたしのはハズレだな。梅干しとかセンスなさ過ぎだろ……」

夕食を終えて間もなくのことだった。
日中の監視を頑張ってくれていたせいか、ツクネは机に顔を伏せて船を漕ぎ、テイルは小熊を抱きしめながらテント内で寝そべっている。
朝まで見張りは任せろと、このように張り切っていた二人は呆気なく睡魔に敗北し、自分達の役目を早々に投げ出していた。

ーー仕方がなくも見張りを開始し、午前三時を回った頃。

正体不明の胡乱な音と突出した殺気を感知し、即座に警戒モードにシフトした。

招くように。誘うように。導くように。
その異様なノイズは徐々に距離を狭め、よたよたとこちらへ赴く
老人と乳飲み子の慟哭と嗚咽。うら若い男女の啼泣に啼哭。この世のものとは思えない肉声が混交して聞こえ、思わず体が戦慄いた。
確実に進捗する跫音は地を揺るがし、飛び交う数々の悲泣が、深更のキャンプ場に木霊する。

万は勇気を振り絞り、戦々恐々として森へ向かう。

「な、に……、あれ…………」

足を踏み入れて一弾指、双眸が映し出したのは生き物と呼ぶには程遠い長身の化け物。
暗闇に支配された森の中、木々の隙間から僅かに射し込む月明かりによって、朧げだった全容が白日の下に晒される。
頭と首が欠損した裸の上半身。程よく鍛えられた腹筋。その真上に存在するのは胸板に埋め込まれた二つの白目を剥いた顔。すらりとした腕の先端には足。がっちりした脚を支えるのは手。
簡単に言うと、手と足が真逆という非常識な見た目をしている。

「そん、な…………あいつは、あんな、小さな子まで…………」

恨みに思う相手の冷笑が自然と頭に浮かんだ。

断言できる。彼等を人ならざる者に変え、凄惨な境遇に追い遣ったのは奴に違いない。

甚だしい怒りと悲しみの感情が同時に沸き上がって、歯を食い縛った。

悍ましく変わり果てたクリーチャーの姿が自分の姿と重なって、自ずと涙が滲んだ。
















































































































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