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第五十話(兄の背中)

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(あ、れ……何だか懐かしくて、優しい温もり……)

目を覚まして最初に見たのは兄の後ろ姿だ。
気が付けば慈愛は日影の背中におぶられいつもの帰り道に居た。

「……お兄、ちゃん?」

ーー力なく呟いてから、慈愛は思案する。

(もしかして此処って天国?私はあの人に目を抉られて……その後、どうなったんでしたっけ?)

目を抉られた筈なのに、慈愛の目ははっきりと兄の姿を捉えている。
毎日学校に通っている内に見慣れた帰り道も鮮明に確認できる。

まるで、あんな酷い仕打ちを受けたのが、全て夢だったみたいに……。

「痛っ……」

「よう、慈愛ちゃん。起きたか。……怪我、痛むだろ」

背中の上で身動ぎし、呻き声を上げた慈愛に気付いて、日影が声をかけてきた。 

「はい……、痛いです……」

兄が始め何を言っているのかさっぱり理解出来なかった慈愛だが、自分の体のあちこちから込み上げてきた激しい痛みで、気を失う寸前の光景が頭に浮かんできた。

「悪いな。助けるの遅過ぎちまった。帰ったら医者連れて行ってやるからそれまでゆっくりな」

ーーそうだった。

体を押さえつけられて、目を抉られそうになっていた私を、お兄ちゃんが助けに来てくれたんでした。

「お兄ちゃん……」

「ん?」

慈愛は今も変わらずに生きていられることが何よりも嬉しくて、兄の背中の上で涙した。

「恐かったです……、すごく、すごく恐かった……うっ、く……ひっく……ありがと……ござい、ます……」

泣きながらも助けて貰ったことに感謝の言葉を口にする妹に、日影は何も返答しないで黙ったままだった。

面倒だったとか無視していたとか、そんなくだらない理由ではない。

ーーただ単純に、体に受けた激しい痛みで意識が途切れそうになっていた。


************************


(慈愛ちゃん、まだかな?)

忘れ物を取りに行っただけにしては帰りが遅いと、日影は心配になって校舎へと足を向けた。

(あれ……いない。……可笑しいな……)

三年の教室に行ってみればそこに慈愛の姿はなく、机の上に置いてあった脅迫状の存在に気付いた。

ーーあれが無かったら、おそらく最悪な状況を防ぐことは出来なかっただろう。

それからは簡単だった。
五年の教室がある四階に向かってみれば、一つの教室の前に辺りをきょろきょろと見回す見張り役のような少女が立っていたんだ。

そいつの制止を振り切って中に入ってみれば、すでに満身創痍状態の慈愛ちゃんの顔をカッターで切りつけようとしている鈴木彩がいて、

ーー俺はブチ切れた。



「あがっ……てっ、でめっ、どっ……どうひてくれ、んだひょ……歯ひゃ、ほれちまっはじゃ、ねぇは……」

渾身の力を込めて鈴木の顔面を真正面からぶん殴った。
床に転がった衝撃でカッターを手放してしまった相手には最早勝機などなく、無様にも折れてしまった前歯や鼻孔から垂れてくる鼻血を気にすることしか出来ない。
与えられた激痛で上手く喋れない鈴木を放っておいて、大切な妹の体を羽交い締めにするもう一人の女子を鋭い眼差しで睨みつけた。

「慈愛を離せよ」

日影の放つ威圧感にすっかりと怯んでしまったのか、肩をびくびくと震わせながらもゆっくりと慈愛の体を解放する。その少女には本来十八歳である年上の男に刃向かう勇気など微塵も感じられなかった。

「お前等、こんな小さい子によく乱暴なことが出来るな。軽蔑するぜ。可哀想とか思わないのか?」

日影が捨て台詞を吐いた後で、傷だらけの妹を掬い上げその場から立ち去ろうとしていると、さっきまで床に転がっていた鈴木が椅子を掲げてこちらに迫って来る姿が見えた。

「ひっ、ひねぇえええええっ!!」

歯が折れているせいか舌足らずな奇声を上げて襲いかかる鈴木の一撃を、日影は妹を庇うように背中側で受けた。

頭部に椅子を思いっきし叩きつけられ一瞬体をフラつかせるも、平静を保ち廊下側に慈愛の体を降ろしてから、もう一度教室の方を振り返る。

二度目の接近に気付いた日影は、椅子を振り下ろされる前にとどめの拳を顔面に打ち付けた。


************************



「悪い……慈愛ちゃん。救急車、呼んでくれないか。もう、限界だ……」

「……へっ、お兄ちゃん?……しっかりしてくださいっ!お兄ちゃんっ!お兄ちゃんっ!!」

地べたへ崩れ落ちるように転がった日影へ、懸命に慈愛が呼びかける。

兄が頭に何針も縫うような重傷を負っていることに気付いたのは、それからすぐ後だった。





















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