君に何度も恋をする

美珠

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1巻

1-3

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「俺は独身になったから、また遊びにおいでよ」
「えっ……?」
「正広と美優紀ちゃんも一緒に」

 一瞬、誘われているのかと思ってしまった、バカな珠莉だった。もう玲は彼氏ではないのだから、二人きりで会うわけがない。
 誤解したのは自分だけど、思わせぶりな言動をする玲に、内心ムッとしてしまう。

「そうですね。機会があればぜひ」

 珠莉は棒読みでそう言って、袋の中から最後の衣類を取り出し玲に渡す。

「他の荷物も、片付けてきます」

 立ち上がり、玲に背を向けて部屋を出る。引き戸を閉めると、正広と美優紀が顔を上げて微笑んだ。

「元カレ、元カノ同士の話は終わったかなー?」

 正広が冗談めかして言うのを聞いて、珠莉は唇を尖らせる。

「そんな話してません!」

 思わせぶりな言動についドキドキしてしまったが、こんなことで揺らいでなんていられない。
 これからはこんな風に玲と会うのが容易たやすくなってしまい、今からどうしようかと不安になる。魅力的な玲が独身になって現れたことが、こんなにも珠莉の心を揺らめかせるとは思いもしなかった。
 内心でため息をつきながら、珠莉は元カレの色気に惑わされないように自分を強く律しなければと、改めて気を引き締めるのだった。



   3


 ――初めて古川珠莉と出会った時、その肌の白さに目を奪われた。


 玲が珠莉と出会ったのは、二十九歳になったばかりの頃。
 実家が割と海に近く、サーフィンの名所であったため、得意ではなくてもある程度はできた。もとから運動神経は悪くなく、普段から体幹をきたえるトレーニングやジョギングをしたりするのが好きだった。
 その時は、高校時代からの友人、新川正広が久しぶりにサーフィンをやりたいと言ったので一緒に海に出たが、正広はさんざん波に翻弄ほんろうされていた。
 玲は久しぶりであっても、ある程度は波には乗れるため、正広にかなり悔しがられたが、素直で明るい正広と一緒にいるのは割と好きだった。
 調子のいいことを言ったり、悪ぶって冗談を言ったりするが、どちらかというと人が良すぎるくらいの男だ。玲と同じ金融業に勤めているが、業績は普通止まりだと自分で言っていた。
 けれど玲は、優しい正広は、きっと誰かの助けになっているのだろうと思っている。会社の業績を上げ、結果を出すことは必要だが、時に人に寄り添うことも必要なのが金融業である。
 その日、もうやめる、と正広は早々に海から上がっていき、手早くシャワーを浴びて着替えるとため息をついた。

「俺カッコ悪くなかった?」

 一人で残ってもつまらないので、一緒に上がって身支度を整えた玲に、正広が開口一番に聞いてきた台詞せりふがそれで、思わず苦笑した。

「久しぶりだったら、誰でもあんなもんじゃないのか?」
「野上は波に乗れてたじゃないか! しかもイケメンだから、女の子はお前ばっか見てたじゃん」

 玲は、もちろん自分の容姿がいいことは自覚しているし、色気があると言われたこともある。同性からは、スタイル維持のため何かしら努力していると思われているし、面と向かって確認されたりもする。
 否定しすぎると面倒なので、たいてい笑ってやり過ごすが、運動はもともと好きだし、基本食べてもあまり太らないのだ。

「俺は正広より前からやってるから。それに、波に乗れたと言っても、ただ乗ってただけで技はないだろ?」

 そうかな、とブスッとした顔をしていた正広の目が、次の瞬間何かに釘付けになった。一点集中している視線の先を追うと、女の子が二人、砂浜に下りる階段の途中に座っていた。
 二人ともほっそりとした体形で、一人はパンツスタイルに白のカーディガンを肩に羽織った、見るからに綺麗な女の子だった。
 もう一人は黒いつばの広い帽子をかぶり、夏らしい柄のワンピースに黒のカーディガンを着ていた。
 正広がジッと見ているのは、白のカーディガンを羽織った美人で、自分たちより若く笑顔が魅力的な女性だった。

「正広の好みだな……綺麗な子だね」
「あ! ちょっと待て! 野上が先に行ったら、俺がかすむ」

 声をかける気だろうか、と正広を見ると、彼は大きく深呼吸した。

「声をかける気か?」

 しっかりと頷いた正広が、もう一度階段に座る美人を見る。
 玲をイケメンと言う正広だが、彼もまたイケメンだ。言動がそれをちょっと半減させているだけで。それに本当に優しくていい男なのは正広の方だ。玲は割と白黒はっきりしているし、かなりの毒舌だと思っている。
 付き合って二年になる彼女と別れたのは半年前。彼女の方から別れると言ってきたのだが、二股をかけられていた上に、メチャクチャ怒鳴られた。

『もっと、気にかけてほしかったし、結婚を考えてほしかった!』

 彼女の言い分としては、仕事ばかりで自分を大切にしなかった玲が悪いということらしい。
 就職してから全く失敗がなかったとは言わないが、将来のために、自分なりに会社の業績を上げようと頑張っていた。
 玲は都市銀である瑞星ずいせい銀行系列の、瑞星証券株式会社に就職した。社会人八年目で、主任という役職になり一年が経つ。
 初めは若くして役職に就いたことで、いろんなことを言われたりもした。しかし、上からの任命なのでしょうがない、という思いがあり、自分の道を進んでいる最中だった。
 慣れない中間管理職の業務で忙しく、本音を言えば恋愛や結婚なんか考える暇もない状態だったのだ。こちらに非がなかったとは思わないが、浮気されたあげく逆ギレされてはたまらない。
 目の前の正広は、階段に座る女性を見つめたまま言った。

「だって、見ただけでドキドキして、目が離せないし!」

 自分が知る限り、正広にもだいぶ長いこと彼女はいない。だが彼は、たとえ銀行員として仕事を頑張っていても、玲のように恋人をおろそかにしたりはしないだろう。そういうところが、ポジティブで優しい正広のいいところだと思う。

「わかった、一歩下がって見てる」
「いや、三歩くらい下がっていてくれよ!」
「わかった、三歩下がっとく」

 苦笑して彼の背を見ながら、正広が美人に声をかけるのを見ていた。その時、美人の隣にいるほっそりとした女の子が顔を上げる。

「色が白い……遠目でも綺麗な首」

 そう思いながら、玲は正広を見るふりをして、もう一人の女性を見ていた。帽子のつばで顔は見えなかったが、その女性が玲の方を向いたことで目が合った。
 玲はまばたきをして、彼女をジッと見つめてしまう。
 この時ほど、自分の近眼を恨んだことはない。
 それまでは、正広の言いつけを守って三歩下がって見ていた玲だが、気付けば階段をのぼっていた。正広と同じ位置で、色白の彼女を見る。
 玲はショルダーバッグから眼鏡を取り出し、改めて彼女を見ると、黒目がちの目が綺麗で小鼻と頬に薄いそばかすが見えた。
 黒縁の眼鏡をかけているが、それもなんだか可愛くて、玲は彼女から視線が逸らせなかった。

「イケメン……」

 声が聞こえたのは、正広が声をかけた美人からだった。
 彼女はこちらを見ていて、玲は思わず何度かまばたきをして、横の正広を見る。

「三歩下がって見てろって言ったのに……」

 あからさまに残念そうな声で、ちょっとばかり恨みがましい目を向けてくる正広に、軽く頭を下げた。

「ごめん」
「ごめんじゃないよ……もういいや……よかったらさ、LINEの交換しない?」

 気を取り直したように正広が美人の子に言うと、ちらりと玲の方を見た彼女は渋々という感じで正広とLINEを交換していた。
 玲はというと、再び色白で眼鏡をかけた彼女に視線を移した。

「視力、悪いんですか?」

 自分の眼鏡を指さしながらそう言った彼女は、指も白くて細い。爪の形も綺麗だった。

「海で遊んでたから、コンタクトを外してて。酷い近眼というわけじゃないけど、裸眼だと結構近寄らないと人の顔が見えなくて」

 玲が眼鏡を押し上げると、彼女はにこりと笑って、「そうですか」と言った。

「私も同じです。そこまで悪くないけど、近眼で。コンタクトは合わないからいつも眼鏡なんです」

 笑った顔がなんだか素朴で可愛いと思った。なんといっても、ピンクがかったような白い肌が綺麗で、目を奪われてしまう。
 外見の美しさだけなら正広が声をかけた女性の方が美人だし、たいていの男が目を奪われるタイプだろう。
 けれど玲は、もう一人の笑顔が可愛い素朴な彼女の美しさに魅了された。
 この時の自分は、二十九歳にもなって、恋愛初心者のごとく彼女の連絡先も聞けず後悔することになる。
 後日、正広がグループデートの約束を取り付けてくれたことに、心の底から感謝したのだった。


     ☆


「なぁ、野上……お前、珠莉ちゃんとこれからどうなりたいんだ?」

 日本での勤務初日を終え、スマホを見るとメッセージが届いていた。正広からの飲みの誘いで、了承すると小さな居酒屋に連れていかれた。
 ビールで乾杯したあと、開口一番にそう聞かれる。

「は?」

 久しぶりに帰ってきた日本は、やっぱり居心地がよかった。最初にフランス、次に中国。その次にポストがいたからとアメリカに行き、結果一番長くそこにいた。
 日本へ帰りたい気持ちはずっとあった。希望が通り、昇進と共に日本へ帰国することができてよかったと思う。ついでに、約六年続いた結婚生活にもピリオドを打った。
 日本へ転勤になるのを打診されたのをきっかけに、玲から離婚を切り出したのだ。

「なんでそんなことを?」
「だってさ……野上、珠莉ちゃんのことずっと好きじゃん」

 正広が妻の美優紀をナンパしたことで珠莉との接点ができた。初めてのグループデートで連絡先を交換し、玲は二人きりで会いたいと誘ったが、なかなか彼女からいい返事はもらえなかった。
 四度目の誘いで、やっと二人で会ってくれた時は嬉しかったし、次に会う約束もできて、徐々に会う回数が増えていった。
「なんで地味な自分なんかを玲のような人が誘うの」と、二人で会うようになった三度目のデートで聞かれたことがある。
 色白の肌が綺麗で、黒目がちの目が綺麗。首も細くて、薄いそばかすが散った顔も可愛い。笑った顔ももちろん可愛いし、ちゃんと仕事の話ができるのもいい。慣れない大変さも込みで、自分の仕事が好きだと言えるところを尊敬する。
 玲が理由を答えると、恥ずかしそうに白い肌を赤くして顔を伏せた。
 その姿が、とてつもなく可愛かった。
 思い出すだけで、抱きしめたくなってしまう。当時は、かなり我慢したものだ。

「まぁ、そうだけど……俺、離婚したばかりだし。もう三十六のアラフォーだしね」

 珠莉のことがずっと好きだったかと言われれば、イエスと答える。じゃあなんで別の相手と結婚したのか、と問われると、奈緒が妊娠したと言ったからだった。
 しかし妊娠したというのは嘘で、「玲のことが好きすぎて結婚したくて嘘をついた」と、入籍したあとに言われた。

「しかし、野上……結婚生活六年弱? よく続いたな。俺的には、妊娠したって嘘をつかれたのを、許したのがそもそも野上らしくないけど」

 確かにらしくない気もするが、たいした理由はない。
 入籍後すぐに離婚するのもどうかと思ったし、玲と奈緒は職場結婚だった。何より好意を持って近づいてきたのを受け入れたのは、玲自身だ。
 当時の玲は、珠莉と別れてかなり傷心していた。どこかで自分は、珠莉はついてきてくれると高をくくっていたのだろう。
 だから、プロポーズを断られた時、玲が思うほど珠莉は自分のことを好きではなかったのだと思って、だいぶ落ち込んでいたのだ。

「まぁ……趣味は合わなかったけど、美人で仕事への理解があったし。毎日のように好きだって言われて、美味しい料理を食べさせてくれて、ニコニコ笑ってくれてたから。あの頃は、珠莉と別れて落ち込んでたしね」

 ビールを飲んでいると、おつまみが運ばれてくる。久しぶりの日本の居酒屋だからか、どれも美味しそうに見えた。

「早く珠莉を忘れたかったし……でも正広が会わせてくれてたから、結局無駄だったけど」

 妻だった奈緒は、最初はしっかりした人だと思っていた。
 けれど、アメリカ勤務になったあとくらいから、好きだったハイブランドにずいぶんと執着するようになり、時には生活費にまで手を出していた。玲が指摘すると、アルバイト勤務の稼ぎで補填ほてんして、いつしかそれを繰り返すようになっていた。
 曲がりなりにも玲と同じ金融業界にいて、使い込みを補填ほてんすればいいという考えには、どうにも同意できなかった。

「そういえは、仕事どうだった?」
「うん……なんでこんな早く、しかも部長職がいたのかと思ってたら、前部長って人がチビチビ横領してたんだって……瑞星でこんなことあるんだな、って驚いた。きちんとした引き継ぎもなくてどうなることかと思ったんだけど、部下はまぁいい感じに人間のできている人が多くて助かった」
「そりゃ……びっくりだな。あ、俺の銀行には言わないからな!」
「正広がしゃべるヤツだったら言ってないよ。そこは信頼している」

 季節外れの人事だと思っていた。まだしばらくアメリカにいると思っていたのだが、急に部長への昇進と共に日本勤務になったのだ。
 正直、玲の年齢で部長昇進は早すぎる。だが、これまでしっかりと実績を作ってきたし、日本にいた頃も役職に就いてきちんと仕事をしていたからか、若い上司が来ても、周囲に反発はなかったが。

「んで、珠莉ちゃんどうする? 野上、独身になったじゃん? 珠莉ちゃんもまんざらじゃないだろ?」
「正広、なんの話をしたいんだよ……」

 玲はため息をついた。ついでにビールを飲み干して、お代わりを頼む。

「仕事? 恋愛? 後者だったら放っておいてほしいんだけど。俺は離婚したばかりだし、元妻は同じ東京に住んでる。しかも、なんでかランチに誘われてるし……会いたくないって断ったけど」

 元妻から連絡があるとは思わなかった。離婚する時は泥沼だったし、散々なことを言われたから、また会う気になんてなれるわけがない。

「え? 奈緒さん、未練あるのか……」
「どうかな。尽くしてやったのに捨てるなんて、恨んでやるって、向こうにいた時に言われたな……そんな相手とランチなんてしたいわけないだろうって、電話を切った。……本当は、離婚理由は性格の不一致だけじゃないんだ。珠莉には言うなよ、もちろん美優紀ちゃんにも」

 言わないけど、と正広もまたビールを飲み干し、お代わりを頼んだ。

「俺とレスだったから、浮気してたんだ」
「えー……そんな……なんでレス?」
「理由は、いろいろあるけど、いつだったか、ブランドの服を着てる奈緒を見て……一気に冷めて。誘われても無理だった」

 一度気になりだしたら、彼女の香水の匂いすらダメになった。なんで突然こんな風に思うようになったんだと、自分がおかしくなったのかとも思ったが、相手の見方が変わってしまったのだからしょうがないと、自分を納得させた。
 それに奈緒も、アメリカへ行って変わった。ニューヨークで暮らすことに憧れていたのもあり、生活が途端に派手になった。
 たぶん浮気も、一回や二回ではなかっただろう。
 玲はだまされて結婚して、それでも情があるから結婚生活を続けた。なのに浮気までされて、何をやっているのかと、自分の人生をバカみたいに感じる。

「それで女として見られなくなった? じゃあ、野上は、どこで性欲を発散してたんだ?」

 前のめりで聞いてくる正広に、眉間にしわを寄せて首を横に振る。

「そういうことを聞くなんてセクハラだ。ちなみに俺は、誓って浮気はしてない」

 離婚したくない奈緒が興信所を使って調べても白だったからと、ハニートラップを仕掛けようとしたくらいだ。余計に嫌いになり、最後は泥沼だった。
 珠莉に結婚生活は楽しかったか聞かれた時、つい元妻の文句をこぼしてしまったことを後悔している。
 まだ結婚していない彼女を、幻滅させてしまったかもしれない。

「じゃあ、ホントに珠莉ちゃんとは、もうないのか?」
「珠莉は、俺ともう一度とは思ってないんじゃないかな……この前会った時、嘘をついていたくらいだし」

 新たなビールが二つテーブルに置かれ、正広と玲はそれぞれ手に取る。

「珠莉ちゃんが嘘? なんの嘘をついてたんだよ?」
「俺の家に引っ越しの手伝いに来たくないから、仕事が押してる、って嘘をついたんだよ。前は嘘なんかつけなくて言葉に詰まってたけど、さすがに前とは違ってたな」

 珠莉は極力、玲との接点を持ちたくなさそうだった。それは別れてからずっとだ。
 だが玲は結婚していた時も、心の片隅にはいつも珠莉がいた。だから、正広がセッティングし、みんなで会う時は彼女の会社まで迎えに行った。少しだけでも、二人の時間が欲しかったからだ。
 この前、「珠莉は俺のこと、友達か……それ以下くらいにしか思ってないだろう」と、わざと友達という言葉を強調した。なぜなら、そんなちょっとした予防線が、珠莉が自分と、そして自分が珠莉といることへの安心材料になるから。
 でも自分は、一度だって彼女を友達と思ったことなんてない。
 せっかく日本に帰ってきても、もう珠莉を振り向かせることができるとは思えなかった。
 玲のことを嫌いじゃないのはわかるが、純粋なところのある彼女だから、互いの距離が近づくと悩ませてしまうかもしれない。
 たぶん珠莉もまた、今もどこかで玲のことを好きだと思っているはずだから。

「珠莉は、時々会うくらいでいい。でもまぁ……もう少しくらいは近づきたい気持ちは……あるよ」

 そう言って大きく息をついて、新しいビールに口を付ける。正広もまた一口飲んで、大きく息を吐き出した。

「野上って、そんなに不器用な男だったっけ? 俺にとってのお前は、要領のいいデキル男なんだけどさ」

 正広の言葉に、思わず笑って、口を開く。

「正広は、美優紀ちゃんに一目惚れしただろう? それで、押せ押せで付き合って、結婚までして今は幸せだ」

 最初、美優紀は玲に好意を向けてきていた。彼女は美人だし、玲の心を自分に向けさせる自信があるような言動をしていた。しかし、玲には珠莉だけだったので、彼女の好意には見て見ぬふりをし続けた。
 それを近くで見ていた正広は、ただただ自分の気持ちに正直に、ひたすら美優紀にアタックし続けた。その結果、好きな人と結婚し、今も一緒にいる。

「……それがどうした?」

 首を傾げる彼に、頷いて笑みを向けた。

「俺もね、あの時、珠莉に一目惚れしたんだよ。色白で、笑うと可愛い、黒目が綺麗な珠莉が、すごく魅力的に見えたんだ」

 今もその思いは変わらず、珠莉は六年経っても柔らかい笑みを向けてくれる。
 一度振られて、珠莉を思う気持ちがありながら別の人と結婚した。そんな自分に、彼女はいつまであの笑みを向けてくれるだろう。
 お互いに好きな気持ちはまだあると確信していても、何かの拍子に今の関係まで壊れてしまうのではないかと思うと、不用意に動けないのが本音だ。

「ただ、正広と俺が違ったのは、海外転勤になった時、珠莉は自分の仕事に手いっぱいだった。そしてお互いに相手より仕事を取って、俺は同僚の女性と結婚することになった。どんなに思っていても人生が交わらないこともある……ただそれだけのこと」

 玲がつまみを一つ口に入れると、正広はビールをテーブルに置き、わかった、と言った。

「俺、この先も、飲み会に珠莉ちゃんを誘うから。その時は、野上も必ず来いよ!」
「はいはい。ありがとう」

 玲は珠莉が好きだ。彼女と別れたことを今も後悔している。しかし、どうしようもないことだったとも思っている。
 これから先、彼女とどうこうなるのはある程度諦めているが、それでも、もしもがあったらと思わないわけではない。
 離婚して日本に帰ってきたことで、いろいろと人生の転機を迎えている。
 未来のことは、まだわからない。
 そう思いながら、玲は正広と他愛のない話を続けるのだった。



   4


 いろいろ悩んでも仕事は待ってくれない。
 急ぎの仕事が入り、校正を複数掛け持ちしたら肩りが酷くなり、ため息ばかりだった。しかし、上司の陶山秋里すやまあきさとや同僚で先輩の山本愛子は、珠莉より多い量を早くこなすからすごいと思う。
 早ければいいというものじゃないとはよく言われるが、自分にももう少しスピードがあればと思ってしまう。
 それに、これで終わった、と納得して出した校正原稿も、あとからもっとこうすればよかったと思うことが多々ある。

『頑張りすぎるところがあるから無理してほしくない』

 入社一年目でテンパっていた珠莉を知っているだけに、玲はそう言ったのだろう。優しい人だから、そこに深い意味なんかない。
 だけど、彼の言葉を思い出すだけで、声が聞こえそうな気がする。
 いい声なんだよね、と思ってしまってから急いで首を振る。たとえまだ好きな気持ちが残っていても、彼は離婚したばかりだし、珠莉は珠莉で自分の人生を考えなくてはいけない。
 それに、いくらなんでも、あれほどの中身も外見もイケメンな彼が、二度も自分を好きになるはずはないだろう。
 こんな風に気持ちが揺れるのは、玲が日本に帰ってきたからだ、と玲のせいにしてしまいたくなる。

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