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1章 それはきっと必然の出会いで

5. 打算と執着

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 シャーロットは己の手の甲についている奴隷紋を眺めながら、憂鬱な気持ちになっていた。

(これがなければ、すぐにでも逃げ出すのに)

 本来、シャーロットの魔力はかなり強力だった。
 ちゃんとした教育を受けた訳ではないので強力な魔法は使えないが、孤児でありながら身を守れる程度には魔法を使うことができた。

 あの時も、魔力が切れてさえいなければ奴隷狩りに捕まることはなかっただろう。
 魔力持ちであることにすぐに気づかれ、魔力が回復しないうちに奴隷紋を刻まれたので逃げることはできなかったが。

(いいわ。いずれ、アルベルト様が助け出してくれるから)

 シャーロットの身分だと流石に王妃はとなるのは無理がある。アルベルトも愛だけで王妃を決める程愚かではないだろう。しかし、きっと愛妾として王城に置いてもらうことぐらいは出来るのではないか。それでも一定の扱いは保証される。紋章も消してもらえる筈だ。
 ラヴィニアもそうなれば手出しできないだろう。

 今日はアルベルトとラヴィニアのお茶会がある。アルベルトが訪れる日は良い日だ。
 ラヴィニアは一日機嫌が良いし、アルベルトは帰り際にシャーロットに会ってくれる。
 勿論、その日も良い日になるはずだった。

 それはアルベルトの来訪の直前、ラヴィニアの身支度をしている時だった。

「私、アルベルトおにい様と婚約するのよ」

 歌うように告げたラヴィニアの言葉を、シャーロットは一瞬理解することができなかった。

「まあ、とうとう決まったんですね、おめでとうございます」
「お似合いですわ」

 口々に侍女たちが誉めそやす。
 シャーロットはそれを聞きながら、貼り付いたような笑みを浮かべることしかできなかった。
 腹の奥がスッと冷たくなっていくような心地がした。

(それじゃ、私は愛妾になってもラヴィニア様から逃げられないってこと?)

 手が震える。
 アルベルトはラヴィニアの素顔を知らない。今までシャーロットもあえて告げることはしていなかった。
 一介の奴隷でしかない自分と、生まれも由緒ただしい聖女であるラヴィニア。恋仲になったとはいえ、アルベルトが自分の主張を信じてくれるか不安だったからだ。

(お伝えしないと。ラヴィニア様の本性を……)

 しかし、果たして信じてもらえるのだろうか。
 シャーロットは不安を抑え込み、ラヴィニアをアルベルトの元へ送り出した。

 この時はまだ、恋人が別の女と婚約することより、自分の身の安全が脅かされることを気にしていることに無自覚だった。



 いつも通り裏庭にやってきたアルベルトに今まであったことを告げた。
 自分に怪我を負わせたのがラヴィニアであることも告げた。
 先日もラヴィニアのきまぐれで高名な司祭が一人首を刎ねられたことも告げた。

 アルベルトは、いつもと同じ、柔らかい笑みを浮かべたまま言った。

「君の身分だと、王妃にはしてあげられないんだよ」

 優しくそう告げられ、シャーロットは絶望した。

(ラヴィニア様に嫉妬して、嘘をついていると思われたんだわ……)

「私を信じては、くれないんですね」

 そう言っても、アルベルトは曖昧に微笑むばかりだった。


 アルベルトが帰った後、シャーロットは一人裏庭に残っていた。
 震える膝を抱き寄せる。サワサワ、と草木の揺れる音だけが寂しく響いていた。

 信じてもらえなかった。逃げられないんだ。抑え込んでいた思いが溢れ出す。
 立ち上がる気になれなかったが、幸いまだ時間はある。もう少しここで、心を落ち着かせることはできるだろう。

 それに、もしかしたら、思い直したアルベルトが戻ってきて、自分の話を聞いてくれるかもしれない。
 淡い望みだとは分かっていたが、シャーロットは膝を抱え、ただ、日が暮れていくのをぼんやりと眺めていた。




「シャーロット」

 呼ばれてパッと顔を上げる。
 一瞬、期待をしてしまった。そんな筈はなかったのに。

「こんなところでなにしてるのかしら」

 ラヴィニアだった。
 アルベルトの声でないことは、すぐにわかっていた。
 聖女らしい穏やかな笑みを浮かべたラヴィニアは、相変わらず随分機嫌が良さそうだった。
 シャーロットは震えた。ラヴィニアにこのような聖女然とした笑みを向けられた際に、碌な目に遭ったことがなかった。
 ふふ、と笑いながらラヴィニアは座り込んでいるシャーロットに近づく。
 逃げたかったが、足腰に力が入らず、立ち上がることすらできなかった。
 シャーロットの目の前まできたラヴィニアは、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
 
「ねえ、おにい様かと思った? いつもここで会ってるのよね。私、知ってるのよ」
「ラ、ラヴィニアさま」

 いつから知っていたんだろう。全身が震えだした。
 何も考えられないうちに、頬に衝撃が走った。

「いっ」

 思わず声が漏れる。
 ラヴィニアに頬を張られたのだと気付いたときには、もう折檻が始まっていた。

(痛い、痛い)

 ラヴィニアに全身を蹴られている。何もできずに亀のように丸まっていることしかできない。
 華奢な聖女は力こそないが、人の痛めつけ方をよく知っていた。
 腹を強く蹴られ、シャーロットは吐き気を覚える。

「あはははは! かわいそう。かわいそうねえ。私から逃げられると思ってたんでしょう」

 聖女の楽しそうな声が頭上から降ってくる。
 ラヴィニアは他の侍女たちに命じ、シャーロットの衣服を無理やり剥ぎ取らせた。

「ごめんなさい! ごめんなさい! 許してください! もうアルベルト様とは会いません!」

 これから何をされるのかが分かり、必死に叫ぶが、ラヴィニアはニヤニヤしたまま侍女に耳打ちした。
 頷いた侍女はどこかへと去り、戻ってきたときには鞭をその手に持っていた。
 ラヴィニアは侍女が持ってきた鞭を手に取ると、シャーロットの露わにされた無防備な背中に思い切り振り下ろした。

「ひっ」
 
 背中が熱い。シャーロットは歯を食いしばった。視界がチカチカする。
 遠くでラヴィニアの声が聞こえた。

「いいのよ別に。ヒロインだものね。攻略対象と恋愛するのは仕方ないわ。一緒におにい様の妻として、これからも仲良くしましょうね」

 ラヴィニアが理解できないことを言っていたが、どうでもよかった。
 ただ、嵐が過ぎ去るまで、シャーロットは痛みに耐え続けた。

 その中でもぼんやりと、シャーロットがアルベルトと交際していたことではなく、ラヴィニアから逃げ出そうとしていたことが気に障ったのだということは理解していた。

 思う存分痛めつけた後、ラヴィニアはシャーロットの傷を癒した。
 死に至らないような傷は放置するが、殺しはしない。
 いつものラヴィニアのやり方だった。

 癒しながら、ラヴィニアはシャーロットの耳元で囁く。

「死なないでね……。ずっと、ずっと一緒にいましょうね」


 そこでやっとシャーロットは目を覚ました。
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