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誘拐

マルコル1

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 現れたのは、王子――ではなかった。
 纏う気狂いの雰囲気が王子と似通うものがあったのだが。事実、それは全くの別人だった。
 王子ほどは綺麗ではない、というより可愛いらしさの漂う青年。例えるなら、子犬やら子狸やら、ちょっとした庇護欲をそそる風貌であった。
 首を支柱にギギギとお兄さんへと顔を向ける。未だ、うずくまる彼の腕をツンと突いた。
「……もしかして、あの方が雇い主さんですか?」
 問えば、「なに言ってんだ、こんなとこにいるはずないだろ……」と、いかにもなフラグを立てながら顔を上げる。
 そして、案の定――
「な、何故こんなとこに⁉︎」
 なんとも間抜けな驚愕が響き渡った。
 ……やっぱりぃ。
 しかし、青年はお兄さんの問いに答えることはなく。コウモリみたいにぶる下がった天井からストンと降りて、ゆっくりこちらへ歩いてきた。
「悪いですが、予定を変更してもらいたいんです。向こう側に動きがあって……、どうやらこの話を流そうとしているらしいんです」
 淡々と紡がれる言葉に、お兄さんが一瞬固まった。そして、少しの間を置いてから、
「はぁ⁉︎ 流すって、俺はもう、コイツを運んじまってんだ! まさか、あんたまで流れにするつもりじゃあねぇだろうな?」
 その口ぶりは、『ここまでやらせておいて』とも言いたげな口振りだった。
 とはいえ、話を聞く限りじゃ、お兄さんは先方から渡された私をここまで運んだだけのはず。
 その距離とか時間とか、そういうのは分からない。けれど、薬も使われなかった私がお兄さんの顔をここで初めて見たのだから、縛り上げ梱包だって先方のはずだろうに……と。そんなことを考えてしまった。
 しかし、青年は想定内だというように腰につけた重そうな麻袋をお兄さんへ差し出した。ジャリと鈍い音を立てて、床へと落としていった。
 麻袋の口からは黄金色の輝きが漏れている。青年の瞳には、少し軽蔑の色が滲んでいるようだった。
「ここまでの報酬です。あちら側は大した額を払うつもりはなさそうなので、少し上乗せしておきました。いかがですか?」
 言い終えるとすぐに、お兄さんは麻袋へと手を掛けた。枚数を細々数えるわけではなく、それが偽りなく詰められているかを確かめるように掻き回すと、お兄さんはやや引き攣った顔を前へ向けた。
 手は、先ほど手にしていたナイフに添えられている。
「……お前さん、まさか俺をやろうってわけじゃあねぇだろうな?」
 しかし、青年は少し肩を揺らして笑った。
「まさかまさか。折角この距離を運んだのに、報酬がなしでは気の毒だと思ったんですよ。それに、変更というか追加依頼というか、ひとつお願いしたいこともあるので」
「なんだよ」
「はい、あちら側と貴方の委託関係の解除を私に任せて欲しいんです」
 物腰柔らかい口調ではあるがその青年は、なにせ表情が乏しかった。ずっと貼り付けたような笑みでお兄さんと対峙していて、なんというか胡散臭さというものを感じられた。
 だから、流石のお兄さんも警戒を緩めない。私のイメージなら、すぐにお金を持って小躍りでもしちゃいそうだったけど、お兄さんの声色は私と話していた時より随分慎重な物だった。
「……解除だぁ?」
「こちら側の事情です。貴方の悪いようにはなりません」
 怪しいなぁと、私は思った。心の中で、事情も聞いといた方がいいんじゃない? とお兄さんに念を送っていれば。
「……その事情ってのは、教えてもらえねぇのか」
 知能レベルに似通うところがあるのか、すんなり想いは通じてしまう。
 しかし、青年は僅かに眉を動かして。笑みは崩さず、そのままポケットに手を突っ込んだ。
 チャリ――ンと石床に金属音が鳴り響き、もう三枚の金貨が落とされる。
 それだけで、この先三年はそこそこな生活を送れることだろう。ならば、麻袋を含めれば、お兄さんは足を洗うどころか働かずとも一生暮らせるのである。勿論、豪遊なんてものをしない前提だけど。
 青年はなにも言わなかった。けれど、その無言こそがなにを言わんとしているのかを強調させた。
 勿論、この道12年だというお兄さんもそれを悟った。だから、長いため息を吐いてから。
「分かった、分かったよ」と。
 落とされた金貨を拾い集め、麻袋へ詰め込むと、
「悪いようにはならねぇって言葉、裏切んねぇでくれよ」
 言いながら腰を上げた。
「勿論です。私は約束を守ります」
「……そうかい」
 お兄さんは、重そうな麻袋の紐を肩に掛け、私のことを一瞥した。まるで、あとは頑張れよとでも言いたげに。
 それから、ふいと前を向く。
「じゃあ、俺の仕事はこれで終わりってことでいいんだな?」
 確認を求める声に青年が笑顔で頷いて。お兄さんは、歩みを進めていった。
 やがてガチャガチャと鍵を開ける音が鳴り、キィと鉄扉の開く音がした。
「鍵はここに付けとくんでよ」
 お兄さんが響く声で投げ掛ける。青年は、特段なにも返さぬまま、暫くしてお兄さんは向けた顔を戻した。
 コツコツと階段を踏み締める音がする。
 お兄さんは一人で階段を登り、消えていった。
 
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