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第六章 帰郷

第57話 久方ぶりの帰郷

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 まだまだ夏の暑さを色濃く残した九月の下旬。秋の彼岸に合わせて充は地元鎌倉に戻ってきていた。彼がこの時期に帰郷するのは、かなり久しぶりのことだ。

「あっ……」

 仏花やら線香やらお供え物やらをバケツ一杯の水と柄杓と共に両手に持ち、「上総家之墓」と印された墓に歩みを進めた充は、その目新しい墓前に立つ人物を見て思わず声を上げてしまう。

「よう、みっちゃん。来たのか」

 合掌し、しゃがみこんで墓を見上げていたその人物……大誠は充に気が付くと立ち上がり、右手を小さく上げて言う。
 北海道で見た底知れぬ不気味な表情とは真逆の、穏やかな顔つきだ。深く刻まれた眉間のシワも、今日は少し薄く見える。

「おう、来た。たまたま休みだったんだよ」

 一瞬ぎょっとした充もすぐにその表情を引っ込めて、「仏花と線香、要らなかったな」と付け足し笑って返す。そうして大誠の横に並び、慣れた手付きでバケツの水を柄杓ですくって墓石をすすいだ。

「今まで何かと忙しくってこれなかったけど、今のところはわりと時間に余裕があるんだ。だから、たまにはこうやって顔出しに来ないとな」

 一通り動作を終えた後は、充も先ほどの大誠同様、両手をあわせてその場にしゃがみ、墓石を見上げるような姿勢を取った。

 なぁ、花。お前は一体、俺に何を伝えたいんだ?

 心の中で、彼は花に問い掛ける。王都の雑踏でそれらしい姿を見たときは、流石に幻覚か見間違いかと思った。不思議なことだが疲れているんだろうと思った。そう、自分に言い聞かせた。
 だが、メッセージとなるとそんな言い訳は通用しない。今もメッセージボックスの中にそれは残っているし、証拠の写真も撮影した。
 大学進学以来、昔に負った事故の後遺症から地元を遠く離れられない彼女とはずいぶん疎遠になった充。
 必然、彼のことをメッセージにあったように「みっくん」と呼ぶことを知っているのは、同郷の信也と大誠ぐらいなものだ。

 最初は悪趣味な悪戯かと自分に言い聞かせようともしたが、信也も、ましてや彼女と婚約までしていた大誠も、そんなことするはずがないことに充は早々に気付いてしまった。三人とも、花の死で心に深い傷を刻まれている。
 そもそも大誠に至っては、花の後遺症をケアするためにフルダイブ技術の研究をしていた。没後の彼の落ち込み様と、その直後すぐさま一層研究に没頭していく姿は、目も当てられなかった。

「ああ、そうしてくれると俺も嬉しい。二人とも、喜んでると思う」

 充にならい、再び膝を折って大誠はしみじみとそう言っ――え?

「二人、とも……? 二人って?」

 気付いたときには、充は大誠の方を振り向いてそう口に出していた。頭の中で、未だ疑問が反響する。
 だって、おかしいじゃないか。この墓には花の祖父母の他に、彼女自身しか入っていないはず。そう彼女の父親から聞かされた。
 だから、大誠が二人ともと言うのはおかしい。それなら三人ともと言えば良い。なら、どうして大誠は二人ともだなんて……
 脳内が疑問で埋め尽くされる。充の問い掛けに、大誠はゆっくり顔だけ振り向いて、変わらず穏やかな顔でこう言った。

「花、お腹に赤ちゃん居たんだよ」

 だから二人ともなんだよ、と、彼はまるで子どもを諭すかの様な口振りで優しく語る。
 あぁ、なるほど。そりゃ花も化けて出るわけだ。こいつはあの日の夜から時間が止まっているんだな。大誠の様子から直感的に、充はそんな結論に達した。
 充や信也にとっては、あの日は辛く悲しい過去だ。姉弟同然の幼馴染みが不幸にも先立ってしまった、忘れられない過去の日だ。
 でも、大誠にとってはそれは過去なんてものではない。今だ。彼の魂は、心はまだ、あの日の夜に取り残されたままなのだ。

 もしかするとあのHANAなるアカウントは、いよいよ限界になった大誠の自作自演なんじゃないのか。過去に取り残された心の、助けを求めた悲鳴なのではないのか。
 そう思わざるを得ないほど、大誠の顔は清々しく終わっている。心ここに有らずでは済まされないほどの、すっきりとした表情だ。

「なぁだいちゃん。変なこと、考えんなよ。話、なんでも良いから聞かせてくれよ」

 どうしてこうなるまで気付いてやれなかったのか。自分で自分に憤り、思わず顔を手で覆った充は、か細い声でそう言った。
 大誠はただ、首を横に振るだけだった。


 *


 落ち込んだ気分のまま、充は仏花を片手に慣れ親しんだ道を徒歩で行く。少年時代を過ごした、閑静な名越の町だ。
 見知った家や、馴染みの表札。時折すれ違うかつての同級生達の姿に沈んだ気持ちを慰められながら、彼はついに重い足取りながら一つの家にたどり着く。
 北条。
 そう表札のかけられた、少し大きな庭付きの洋風家屋。
 家を囲うように植えられたヒイラギの低木の向こう、庭との縁側の辺りから、聴き慣れた鼻唄と共に紫煙が立ち上っているのが目に見えた。

「姉ちゃん、ただいま」

 充はそう言って、家の敷地へ足を踏み入れた。
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