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残念ながら、マシューは批判と奇異の入り混じった視線を受け止めれるほどの器はない。
それは幼馴染の俺が一番よく知っている。
こいつは王族なんて特権とは無縁の、小心者なのだ。
自分から大きく騒ぎ立てたりせず、黙って残りの数ヶ月を過ごせばよかったのだ。
そうすれば、この一年の間に起こった様々な出来事で、エヴァの心が離れていたとしても。
彼女はこいつを裏切ることなく、ただ黙って献身的に、良き妻を演じただろう。
それが二人にとって良いことか悪いことかは別として。
人生に荒波を立てずに生きていくことができる、一番賢い方法だったと俺は思う。
「どうしてみんなそんな目で僕を見るんだ。やめろ! 僕は間違っていない、正しいことをしたんだ。我慢ができなかった、人格を否定しているなんて思わなかった。彼女がそれをやめてさえくれたら、こんなことだってしなくて済んだんだ! きちんと事情を話してくれたら僕だって――」
「我慢しなかっただろ」
「えっ――!」
無罪を主張するようにマシューは叫んだ。
聴衆の何割かは、その言葉に耳を傾けていたし、こいつの言い分だってわからないことはない。
だけど、俺は挟んでしまった。
冷たくも、怜悧な、その言葉を。
「我慢しなかっただろ、お前なら。我慢できるなら、今だってそうしたはずだ。エヴァは言わなかったのか、お前に。母君の喪が明ければ、全てを話しますと。あなたのことを裏切っていませんと、そう言わなかったのか」
「それ、は‥‥‥」
「どうなんだ、エヴァは? マシューはこう言っているが、理解を求めたことはないのか」
「……」
エヴァはまぶたを閉じ、唇を固く引き締めて、何も言わずに首を振るだけだった。
たぶんそれは‥‥‥言ったのだろう。
何度も何度も懇願したのだろう。そう思う。
実際に俺は何度かその現場に立ち会っている。
他の生徒たちだって、同じ教室で、今とよく似たような状況があったことを覚えているはずだ。
「俺は何度か耳にしている。教室や、食堂や、この場所で。今よりももっと小さく、マシューとエヴァが同じことを言っているのを、聞いたことがある。他にも聞いたことがあるものは、いるだろ? いるなら、手を挙げるか、前に進み出てくれないか。無関係になりたくないと言っても、俺たちはこのままじゃ連帯責任を取らされる。まともな卒業も出来なくなるかもしれない。それは困るだろ?」
あと数ヶ月だ。
そうすれば、生徒の多くは卒業する。
何人かに一人は、大学に行くかもしれない。
どちらにせよ、この学年に至って、奇妙な噂が立ったまま卒業するのは、誰も望まない。
「俺も聞いたことがある」
「私もあるわ」
「あたしも、それを知ってる」
「僕もだ。その先週の木曜日だって、食堂で揉めていた」
「エヴァ様はいつも、お願いしてらしたわ!」
「そうよ。いつも殿下が忌まわしいって言われて、エヴァ様は泣きながら懇願されていたわ!」
それは近寄るなとか、匂いを何とかしてくれとか。
そんなマシューの嫌がる言葉の数々で。
その都度、エヴァは「申し訳ありません」とか。「もう少しだけ待ってください」とか。「私から離れますのでどうかお許しください」とか。
言っていたのを覚えている。
彼女は決して、自分が悪くないと主張したことはなかった。
「どうする、第三王子様。みんな覚えているってよ」
「ばか、な‥‥‥。こんな馬鹿なことがあってたまるか! 僕はずっと我慢してきたんだぞ」
「我慢してきたのは、お前だけじゃない。お前に理解してもらえず、悲しみを心に堪えてきたエヴァはどうなるんだ。お前は婚約者として恥ずかしくないのか」
「だって、だって‥‥‥僕は――」
俺の言葉に、グスカールとその他数名。
そして、二階からも、三階からも、同じ階の奥の列からも。
そこかしこから、仲間たちの声が集まってきた。
それを耳にして、彼らの行動を目にしたマシューは、憤怒の顔から、青白い死人のそれへと顔色を変えていた。
それは幼馴染の俺が一番よく知っている。
こいつは王族なんて特権とは無縁の、小心者なのだ。
自分から大きく騒ぎ立てたりせず、黙って残りの数ヶ月を過ごせばよかったのだ。
そうすれば、この一年の間に起こった様々な出来事で、エヴァの心が離れていたとしても。
彼女はこいつを裏切ることなく、ただ黙って献身的に、良き妻を演じただろう。
それが二人にとって良いことか悪いことかは別として。
人生に荒波を立てずに生きていくことができる、一番賢い方法だったと俺は思う。
「どうしてみんなそんな目で僕を見るんだ。やめろ! 僕は間違っていない、正しいことをしたんだ。我慢ができなかった、人格を否定しているなんて思わなかった。彼女がそれをやめてさえくれたら、こんなことだってしなくて済んだんだ! きちんと事情を話してくれたら僕だって――」
「我慢しなかっただろ」
「えっ――!」
無罪を主張するようにマシューは叫んだ。
聴衆の何割かは、その言葉に耳を傾けていたし、こいつの言い分だってわからないことはない。
だけど、俺は挟んでしまった。
冷たくも、怜悧な、その言葉を。
「我慢しなかっただろ、お前なら。我慢できるなら、今だってそうしたはずだ。エヴァは言わなかったのか、お前に。母君の喪が明ければ、全てを話しますと。あなたのことを裏切っていませんと、そう言わなかったのか」
「それ、は‥‥‥」
「どうなんだ、エヴァは? マシューはこう言っているが、理解を求めたことはないのか」
「……」
エヴァはまぶたを閉じ、唇を固く引き締めて、何も言わずに首を振るだけだった。
たぶんそれは‥‥‥言ったのだろう。
何度も何度も懇願したのだろう。そう思う。
実際に俺は何度かその現場に立ち会っている。
他の生徒たちだって、同じ教室で、今とよく似たような状況があったことを覚えているはずだ。
「俺は何度か耳にしている。教室や、食堂や、この場所で。今よりももっと小さく、マシューとエヴァが同じことを言っているのを、聞いたことがある。他にも聞いたことがあるものは、いるだろ? いるなら、手を挙げるか、前に進み出てくれないか。無関係になりたくないと言っても、俺たちはこのままじゃ連帯責任を取らされる。まともな卒業も出来なくなるかもしれない。それは困るだろ?」
あと数ヶ月だ。
そうすれば、生徒の多くは卒業する。
何人かに一人は、大学に行くかもしれない。
どちらにせよ、この学年に至って、奇妙な噂が立ったまま卒業するのは、誰も望まない。
「俺も聞いたことがある」
「私もあるわ」
「あたしも、それを知ってる」
「僕もだ。その先週の木曜日だって、食堂で揉めていた」
「エヴァ様はいつも、お願いしてらしたわ!」
「そうよ。いつも殿下が忌まわしいって言われて、エヴァ様は泣きながら懇願されていたわ!」
それは近寄るなとか、匂いを何とかしてくれとか。
そんなマシューの嫌がる言葉の数々で。
その都度、エヴァは「申し訳ありません」とか。「もう少しだけ待ってください」とか。「私から離れますのでどうかお許しください」とか。
言っていたのを覚えている。
彼女は決して、自分が悪くないと主張したことはなかった。
「どうする、第三王子様。みんな覚えているってよ」
「ばか、な‥‥‥。こんな馬鹿なことがあってたまるか! 僕はずっと我慢してきたんだぞ」
「我慢してきたのは、お前だけじゃない。お前に理解してもらえず、悲しみを心に堪えてきたエヴァはどうなるんだ。お前は婚約者として恥ずかしくないのか」
「だって、だって‥‥‥僕は――」
俺の言葉に、グスカールとその他数名。
そして、二階からも、三階からも、同じ階の奥の列からも。
そこかしこから、仲間たちの声が集まってきた。
それを耳にして、彼らの行動を目にしたマシューは、憤怒の顔から、青白い死人のそれへと顔色を変えていた。
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