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追いかけてこない影

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 彼女たちはマーシャが誰の彼女なのかを、理解したらしい。

 そこは商売をしている女性たちだ。
 トラブルを回避する術も、しっかりと学んでいた。

「彼と話をしたいの?」
「私が用があるのは彼だけ」

 亜麻色の髪をした女に訊かれて、そう答える。
 ケインを指差してやったら、青い顔はさらに青く、日焼けをした顔がそれに拍車をかけて彼の顔をより黒くしている。

 マーシャの心は、婚約者の元に駆け寄っていき、どういうことかを問い詰めたいという思いと、この現実に焼けるような痛みを感じておかしくなりそうだった。

「そう……だそうよ、ケイン」
「話があるんだったら二人でやってちょうだい。私達これから仕事だから」
「ごめんなさいね」

 そう言い、彼女たちは、彼らを引きずるようにしてホテルに入っていく。
 ケインの友人たちは消え、しかし、彼女はそこに残っていた。
 仲間たちの後を追わないのか、とにらむと彼女は物欲しげな顔をして手を差し伸べてくる。

「キャンセル料はもらわないとね? こっちも仕事だから」
「……それは彼から受け取ったらどう」
「だって。私の仕事を邪魔をしたのはあなただし」

 どうするの、と亜麻色の髪の女はケインの腕を抱いた。
 それを振りほどこうともせず、呆然と立ち尽くす彼はそれまで愛情を注ぎ合った男性ではなく、ただの他人に成り下がったようだった。

「これはどういうことなの、ケイン。説明して頂戴!」
「……なにもない。男の付き合いに女が口出しするな。結婚して妻になったわけでもないのに……図々しい」
「図々しい? どういう意味よ!」
「そのままの意味だ。俺はこいつと遊んでいる。文句があるなら帰れ! いまは話しなんてない」
「へえ……そう。そうなんだ! ああ、そう!」

 こっちが怒っていいはずなのに、なぜかマーシャは運河で船に絡みついて離れない、面倒くさい水草にでもなった気分だった。
 距離を詰めて、手に力を込め、たった一発。

 拳を固めて殴りつければそれだけで気分は晴れるだろうに。
 目の前に見えない壁が現れたかのように、そこから先に足を踏み出せないでいた。

「これ以上邪魔はしないから、好きにしたらいいわ」

 心の中から憎しみを搾り出すようにしてその一言を告げると、ケインの顔が一瞬だけ軽く華やぎ、それから絶望に襲われたように、目を見開いてこちらを見返していた。

 踵を返す。
 もはや彼にとらわれる必要はなかった。

 戻って父親にこのことを話し、さっさと婚約破棄をして、いつもの現実に戻ろう。
 足早に去るマーシャの名前をケインが叫んだような気もしたが、振り返りはしなかった。

 桟橋に戻ると、手早くロープを解いて、船着き場を後にする。
 一瞬だけうしろを振り返った。

 もしかしたら彼が追いかけてきているかもしれない。
 そんな幻想に囚われてしまった。

 しかしそれは跡形もなく消えていく。
 追いかけてくる人間なんて誰もいなかった。

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