上 下
1 / 9

聖女の船

しおりを挟む
 水の都、カルアドネは陸路よりも水路が発達した土地だ。
 従って住民の足代わりになるのも、馬車より舟、ボートだった。

 水の精霊に加護を受けた者たちが操るそれは、騎士が馬を駆るように軽やかに水上を駆け巡る。
 マーシャはそんなカルアドネに店を開く商人の娘として、また水の精霊に加護を受けた船漕ぎの一人として、店の舟を操舵し、忙しく荷物を運ぶ日々を送っている。

 婚約者のケインは逞しく、カルアドネでも有数の水魔法使いとして知られていた。
 水の上で働く他の船乗りと同じように日に焼けた彼は、いつも優しく、笑顔の絶えない人だった。

 二人きりでいる時、マーシャがつまらない素振りを見せたら、いつも冗談めかして自分の仕事でやらかした失敗談を面白おかしく聞かせてくれる、ユーモアの持ち主でもあった。

 彼はいつもマーシャだけを見ていて、彼女のためだけに懸命に尽くしてくれている。
 そう、周囲も思っていたし、そんな生き方をしてくれる彼にマーシャもまた、感謝を捧げていた。

 こんな幸せそうな二人に、あんな未来が待ち受けているなんて――そう。誰も思わなかったに違いないのだ。
 誰も……。


 ☆

 カルアドネは水車に喩えらえることも多い都市で、中心地に行政区があり、そこから放射状に水路が伸びている。
 その左上側に、市場は存在した。

 とはいっても地上にあるわけではない。
 カルアドネは元々、湿地帯でそこに無数の杭を打ち込み、人が移り住むようになった土地だ。

 人数がある程度増えたところで、海からの水を引き込んで今のような街を形成した。
 そのあと、水の精霊王と契約をかわして土地を借り受けた人々が住んでいる、仮住まいの土地だった。

 夏の盛りも過ぎた、八月の終わり。
 まだ、月が西の空に隠れたかどうか、というころ。
 マーシャ・ヒンギスは自前のボートを市場に向かい、走らせていた。

 父親の経営する店は、ボートの機関部分に使う魔導具や、燃料となる魔石を扱っていて、不意の来客の注文に応えるためにマーシャは市場に向かっているのだった。
 つい先ほど、父親のレンダーと交わした会話が耳の奥に残っている。

「朝一番で、教会が部品を欲しいそうだ。どうする、お前」
「どうするって……。在庫が無いなら仕入れにいくしかないでしょう」
「いや、そりゃそうなんだが」

 問題の発端は、深夜を過ぎ、朝の四時だというころに、一人の人物が商会の戸を叩いたからだった。
 朝早くから日が暮れるまで顧客に向けて開かれているその扉も、さすがにこんな夜と朝の境目の時間には空いていない。
 夜の香りに夢の世界を楽しみつつぐっすりと眠っていた親子は、いきなりの来客に叩き起こされた。

「聖女様が使われる船の部品を、ここならば扱っていると。部品を探して市内を回っている時に、とある店で聞きまして!」

 その人物は、水の精霊王を奉る神殿の使いだった。
 翌朝、というかもうすぐしたら迎える今日。

 神殿に、王都から聖女様がお越しになるのだと言う。
 その予定はいきなり決まり、教会が所有している、聖人を送迎するためのボートが、故障していることが分かった。

 一部の部品を交換すればどうにか使えるようになると技術者は言うのだ、と使者は語る。
 現在進行形で技術者はエンジンを直していて、その修理用の部品の備品がない。

 仕方なく、こんな夜更けに部品を扱っている商会の門を叩いて回ったが、どこも相手にしないか、部品は品切れかのどちらかだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私がもらっても構わないのだろう?

Ruhuna
恋愛
捨てたのなら、私がもらっても構わないのだろう? 6話完結予定

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

10日後に婚約破棄される公爵令嬢

雨野六月(旧アカウント)
恋愛
公爵令嬢ミシェル・ローレンは、婚約者である第三王子が「卒業パーティでミシェルとの婚約を破棄するつもりだ」と話しているのを聞いてしまう。 「そんな目に遭わされてたまるもんですか。なんとかパーティまでに手を打って、婚約破棄を阻止してみせるわ!」「まあ頑張れよ。それはそれとして、課題はちゃんとやってきたんだろうな? ミシェル・ローレン」「先生ったら、今それどころじゃないって分からないの? どうしても提出してほしいなら先生も協力してちょうだい」 これは公爵令嬢ミシェル・ローレンが婚約破棄を阻止するために(なぜか学院教師エドガーを巻き込みながら)奮闘した10日間の備忘録である。

婚約破棄される未来見えてるので最初から婚約しないルートを選びます

もふきゅな
恋愛
レイリーナ・フォン・アーデルバルトは、美しく品格高い公爵令嬢。しかし、彼女はこの世界が乙女ゲームの世界であり、自分がその悪役令嬢であることを知っている。ある日、夢で見た記憶が現実となり、レイリーナとしての人生が始まる。彼女の使命は、悲惨な結末を避けて幸せを掴むこと。 エドウィン王子との婚約を避けるため、レイリーナは彼との接触を避けようとするが、彼の深い愛情に次第に心を開いていく。エドウィン王子から婚約を申し込まれるも、レイリーナは即答を避け、未来を築くために時間を求める。 悪役令嬢としての運命を変えるため、レイリーナはエドウィンとの関係を慎重に築きながら、新しい道を模索する。運命を超えて真実の愛を掴むため、彼女は一人の女性として成長し、幸せな未来を目指して歩み続ける。

悪役令嬢が残した破滅の種

八代奏多
恋愛
 妹を虐げていると噂されていた公爵令嬢のクラウディア。  そんな彼女が婚約破棄され国外追放になった。  その事実に彼女を疎ましく思っていた周囲の人々は喜んだ。  しかし、その日を境に色々なことが上手く回らなくなる。  断罪した者は次々にこう口にした。 「どうか戻ってきてください」  しかし、クラウディアは既に隣国に心地よい居場所を得ていて、戻る気は全く無かった。  何も知らずに私欲のまま断罪した者達が、破滅へと向かうお話し。 ※小説家になろう様でも連載中です。  9/27 HOTランキング1位、日間小説ランキング3位に掲載されました。ありがとうございます。

浮気相手の面倒見ろとか寝惚けてるんですか? 撃ちますよ? 雷魔法。

隣のカキ
恋愛
私の婚約者は足りていないと貴族界隈で噂される程の人物。そんな彼が真実の愛を見つけたのだそうです。貴族にそんな言い訳は通用しません。第二夫人? 寝惚けているようなので目を覚まして差し上げます。雷魔法で。

信じてくれてありがとうと感謝されたが、ただ信じていたわけではない

しがついつか
恋愛
「これからしばらくの間、私はあなたに不誠実な行いをせねばなりません」 茶会で婚約者にそう言われた翌月、とある女性が見目麗しい男性を数名を侍らしているという噂話を耳にした 。 男性達の中には、婚約者もいるのだとか…。

処理中です...