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第三章 愛人の役割
第二十八話 特別なオフィーリナ
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いま向き合っている状況下で、安定したなにかを求めるのはとても贅沢なことだ。
オフィーリナはブライトの甘いキスを味わいながら、うっとりと陶酔する。
心が溶けていく感覚が、全身を幸福感で満たしていく。
だが、どうしても一つの想いが、頭の片隅に引っ掛かって取れないでいた。
エレオノーラのことだ。
第二夫人として立場を弁えなさい。
そう言った公爵の第一夫人だが、それでいてなお、国王に帝国の血を入れるように助言したのも、彼女だと言っていた。
いくらブライトの妻とはいえ、遙かに上にいらっしゃる国王陛下に、モノ申すことができるものだろうか。
どうして、そんな余計なことをしてくれたのだろう、とも考えてしまう。
まあ、結果としていまの幸せがあるなら、そこに関しての文句はないのだが。
ブライトがオフィーリナを十分に堪能してからゆっくりと離れると、まだ足りない。
そんな物足りなさを感じてしまい、どれほど彼を独占したいのだろう自分は、と赤面する。
彼はそんなオフィーリナの仕草を可愛いと見て取ったのか、今度は額に軽く口づけをした。
唇が離れると、その部分がひんやりと、冷たくなる。
「もう、ブライト。そろそろ朝食にしないと、カレンが怒るわ」
額の感触が彼の関心が去っていくことを予見しているようで、なんとなく物怖じしてしまい控え目に提案する。
ブライトは社交界一のプレイボーイらしく、悪びれた素振りもせずに、頬を上げて見せた。
そこに小さなえくぼがひとつできる。
いつも年上らしく先導してくれる夫が、この時だけは幼い子供のように目に映ってしまい、ついついオフィーリナは仕方ないな、と笑顔をほころばせる。
彼のことを愛した女性たちはみんな、このギャップに心を動かされたのだろうな、と思ってしまった。
「すまない。俺はまだまだこの時間を楽しみたくてね」
「それはそうですけれど」
自分も同じですよ、とオフィーリナはそっと同意する。
しかし、もうそろそろ昼が近くなっている。
彼女にもやることはそれなりにあったから、この愛おしい二人だけの時間を静かに終わらせることにした。
どうせ、夜になればまた、愛して貰えるのだ。
そう考えたら、身体の芯が熱くなり、疼くのを感じて、ごくりと唾を呑み込む。
ブライトは切り替えの早い人で、先程までの甘い雰囲気はもう普段のものへと、戻ってしまっていた。
「じゃあ、行こうか。食事に」
「ええ、そう、ね」
ブライトの腕をそっと取ると、頬の火照りを悟られないように顔を背けつつ、オフィーリナは二階へと彼を導いた。
二階の台所と続く二部屋ほどもあるリビングルームに赴くと、普段はそこで余暇を過ごす三人はもうそれぞれの仕事に就いていて、人の姿は見当たらない。
カレンとカナタは交替で一階の店を開け、客を案内する役目を与えているし、ギースには屋敷の庭を綺麗にする役目を与えている。
いま店にいるのはカレンのようで、二階のテラスからは庭の整備に従事するカナタとギースの後ろ姿が見え隠れしていた。
茶色と灰色のキャンバスに、黒と金色が混ざるようにして、黙々と働いている。
普段は賑やかなカナタも、仕事となると人が変わったように静かに業務に集中するのが、すこし意外だった。
朝食用に、とカレンが作ってくれていたシチューとパンは、もう冷めていてパンの方は固くなっている。
新たにパンをオーブンに入れて焼き始めると、今朝、市場で購入してきたのだろう。
新鮮なそれはとても芳ばしい香りを放ち始めた。
シチューを温め直し、ブライトの大好きな紅茶を淹れる。
ミルクを小さなポットに入れ、好みの量を注げるようにすると、焼き立てのパンにバターを塗り、皿に盛りつけて、テーブルへと運んだ。
「家人がいるなら、仕度をさせればいいのに」
「もう慣れているから」
申し訳なさそうにするオフィーリナは、ブライトの向かいに座ると、視線を落としてそう言った。
普通の貴族の婦女子は、料理などしないものだ。
裁縫や詩歌をつくることを嗜むが、それも一日中するものでもない。
大半は家の中で退屈な時間を潰すために読書をしたり、他の趣味を見つけたりするものだ。
その意味で、オフィーリナはちょっと変わった存在だった。
「君はなんでもできてしまうんだな」
「そんなことはないわよ。師のお付きだったから、仕込まれただけ」
ラバウル師はオフィーリナを側付きの弟子として扱った。
彼の身の回りのことや、食事の用意、家事洗濯から工房の下準備まで、オフィーリナはラバウルの妻や兄弟子たちに教わって育ったのだ。
そのお陰で、今ではもう普通の女性と同じように、家のことは自分でこなすことができた。
「料理にしても君がする必要は特にないんだがな」
ブライトはいかにも貴族として尊大に言う。
しかし、これは価値観が違うから仕方のないことだ。
彼は公爵様。
魔石彫金技師として早く一人前になりたかったオフィーリナは伯爵令嬢だが、貴族としての教育よりも自分の将来に人生を捧げてきた。
「そうは言っても美味しいでしょ?」
「まあ、悪くはない」
外国を渡り歩くことも多いブライトは、食にあまりこだわりがない。
前回の魔猟で、カレンの料理の腕前を知ったオフィーリナは、同意を得て口元をほころばせた。
オフィーリナはブライトの甘いキスを味わいながら、うっとりと陶酔する。
心が溶けていく感覚が、全身を幸福感で満たしていく。
だが、どうしても一つの想いが、頭の片隅に引っ掛かって取れないでいた。
エレオノーラのことだ。
第二夫人として立場を弁えなさい。
そう言った公爵の第一夫人だが、それでいてなお、国王に帝国の血を入れるように助言したのも、彼女だと言っていた。
いくらブライトの妻とはいえ、遙かに上にいらっしゃる国王陛下に、モノ申すことができるものだろうか。
どうして、そんな余計なことをしてくれたのだろう、とも考えてしまう。
まあ、結果としていまの幸せがあるなら、そこに関しての文句はないのだが。
ブライトがオフィーリナを十分に堪能してからゆっくりと離れると、まだ足りない。
そんな物足りなさを感じてしまい、どれほど彼を独占したいのだろう自分は、と赤面する。
彼はそんなオフィーリナの仕草を可愛いと見て取ったのか、今度は額に軽く口づけをした。
唇が離れると、その部分がひんやりと、冷たくなる。
「もう、ブライト。そろそろ朝食にしないと、カレンが怒るわ」
額の感触が彼の関心が去っていくことを予見しているようで、なんとなく物怖じしてしまい控え目に提案する。
ブライトは社交界一のプレイボーイらしく、悪びれた素振りもせずに、頬を上げて見せた。
そこに小さなえくぼがひとつできる。
いつも年上らしく先導してくれる夫が、この時だけは幼い子供のように目に映ってしまい、ついついオフィーリナは仕方ないな、と笑顔をほころばせる。
彼のことを愛した女性たちはみんな、このギャップに心を動かされたのだろうな、と思ってしまった。
「すまない。俺はまだまだこの時間を楽しみたくてね」
「それはそうですけれど」
自分も同じですよ、とオフィーリナはそっと同意する。
しかし、もうそろそろ昼が近くなっている。
彼女にもやることはそれなりにあったから、この愛おしい二人だけの時間を静かに終わらせることにした。
どうせ、夜になればまた、愛して貰えるのだ。
そう考えたら、身体の芯が熱くなり、疼くのを感じて、ごくりと唾を呑み込む。
ブライトは切り替えの早い人で、先程までの甘い雰囲気はもう普段のものへと、戻ってしまっていた。
「じゃあ、行こうか。食事に」
「ええ、そう、ね」
ブライトの腕をそっと取ると、頬の火照りを悟られないように顔を背けつつ、オフィーリナは二階へと彼を導いた。
二階の台所と続く二部屋ほどもあるリビングルームに赴くと、普段はそこで余暇を過ごす三人はもうそれぞれの仕事に就いていて、人の姿は見当たらない。
カレンとカナタは交替で一階の店を開け、客を案内する役目を与えているし、ギースには屋敷の庭を綺麗にする役目を与えている。
いま店にいるのはカレンのようで、二階のテラスからは庭の整備に従事するカナタとギースの後ろ姿が見え隠れしていた。
茶色と灰色のキャンバスに、黒と金色が混ざるようにして、黙々と働いている。
普段は賑やかなカナタも、仕事となると人が変わったように静かに業務に集中するのが、すこし意外だった。
朝食用に、とカレンが作ってくれていたシチューとパンは、もう冷めていてパンの方は固くなっている。
新たにパンをオーブンに入れて焼き始めると、今朝、市場で購入してきたのだろう。
新鮮なそれはとても芳ばしい香りを放ち始めた。
シチューを温め直し、ブライトの大好きな紅茶を淹れる。
ミルクを小さなポットに入れ、好みの量を注げるようにすると、焼き立てのパンにバターを塗り、皿に盛りつけて、テーブルへと運んだ。
「家人がいるなら、仕度をさせればいいのに」
「もう慣れているから」
申し訳なさそうにするオフィーリナは、ブライトの向かいに座ると、視線を落としてそう言った。
普通の貴族の婦女子は、料理などしないものだ。
裁縫や詩歌をつくることを嗜むが、それも一日中するものでもない。
大半は家の中で退屈な時間を潰すために読書をしたり、他の趣味を見つけたりするものだ。
その意味で、オフィーリナはちょっと変わった存在だった。
「君はなんでもできてしまうんだな」
「そんなことはないわよ。師のお付きだったから、仕込まれただけ」
ラバウル師はオフィーリナを側付きの弟子として扱った。
彼の身の回りのことや、食事の用意、家事洗濯から工房の下準備まで、オフィーリナはラバウルの妻や兄弟子たちに教わって育ったのだ。
そのお陰で、今ではもう普通の女性と同じように、家のことは自分でこなすことができた。
「料理にしても君がする必要は特にないんだがな」
ブライトはいかにも貴族として尊大に言う。
しかし、これは価値観が違うから仕方のないことだ。
彼は公爵様。
魔石彫金技師として早く一人前になりたかったオフィーリナは伯爵令嬢だが、貴族としての教育よりも自分の将来に人生を捧げてきた。
「そうは言っても美味しいでしょ?」
「まあ、悪くはない」
外国を渡り歩くことも多いブライトは、食にあまりこだわりがない。
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