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「クマさん‥‥‥あなた、そこにいてくれたのね」
目を覚ませばそこにあったのは懐かしい光景だった。
記憶の中にある最も古いものの一つ。
貴族の子供は五歳ともなれば自分の寝室が与えられる。
しかし当時、人一倍怖がりだった私は夜の闇を恐れ一人で寝ることができなかった。
おねしょをしたり夜泣きをしたりして両親を困らせたものだ。
私はまだ貴族の子弟子女が通う学園に登るには少し早く、家の中で従者達と寝起きを共にするのが普通だった。
同年代の友達がいないことが寂しさの原因かもしれないと考えた両親は、等身大のクマのぬいぐるみを私に買い与えてくれた。
それが今、隣にいる。
両親の死後、王宮に引き取られた時には持ち込むことを許されなかったそれが、私の隣にちょこんと座っている。
懐かしくも一度たりとも忘れたことないぬいぐるみのふわふわ感を頬に感じながら、戻ってきたのだと実感する。
あの宝珠に秘められた力は、本物だったのだ。
起き上がるのにいつもと違う感じがして戸惑う。
子供は体よりも頭の方が大きい。
老人だった自分の肉体は、そんなに力を込めることができなかった。
いつも老いを、力の無さを実感していた。
だがいまは違う。生きる気力に溢れている。
ベッドから起き上がり、床の上に立つまでたった数分の出来事なのに、もう三十分も一時間も経過したような気分になる。
私の部屋の隣には、老いた侍女が寝起きしていたはずだ。
壁に掛けられた時計を見ると、針は深夜を指していた。
彼女は今頃夢の世界に向かっていることだろう。
起こすのは忍びない気がして、そっと部屋を抜け出す。
今日が何月何日なのか。
もっと正確に言えば王国歴で何年なのか。
両親が死に、引き取られるまでの間、私の夜の風景はあまり変化がなかった。
もしも、人生を巻き戻すことが成功したのだとしても、何かの手違いで願った時よりも後の時代に飛ばされた可能性もある。
そうなってしまっていては元も子もない。
あの事件よりも前に戻らなければ意味がないのだ。
そして私に与えられた可能性はたった一度だけ。
その可能性を信じて、私は父親の書斎へとそっと足を運ぶ。
床の上に敷かれた繊毛の絨毯。
分厚くて毛先が長いそれの反応を足元に感じながら、重たい樫の木で作られた書斎のドアをそっと押し開く。
父親がいない時には施錠されているそのドアの鍵がどこに保管されているかは知っていた。
鍵を無くした時のスペアがどこにあるかも。
私はその予備の鍵を手に取ると、書斎の入り口を開けて中に身体を滑り込ませる。
月明かりの差し込む西向きの窓の隣の壁。
そこにカレンダーがあるのだ。
壁に貼られたそれで数字を見て、ほっと安堵の吐息を漏らす。
書斎には毎日のように届けられる新聞があり昨日のそれは乱雑に処分する書類の山の上にあった。
九月十日。
両親があの事故で死亡した日は、九月二十日。
まだ十日も時間がある。
これからの十日間は老婆だった頃過ごした六十数年の人生よりも、もっともっと過酷で困難を極める十日間になるだろう。
だけどそれを乗り越えることができた時。
私にはようやくといっていい、幸せな家族との生活が待っている。
ここで諦めるわけにはいかない。
私はそう決心すると、ひとつ静かに頷いた。
それから一月ほどの時間が過ぎた。
両親があの事故に遭遇することを未然に防ぐことができた私は、とりあえずの幸せを手に入れた。
もしかしたらこれは本当の過去ではないかもしれない。
あの時、宝珠に願ったことで寿命を対価に授けられた、幻覚の可能性もある。
はかない、夢。もし、幻想かなにかだったとしても。
私は、新しく与えられたこの人生を頑張って生きるにした。
二度と、愛おしい家族を失わないために。
戻るべき場所を守り抜くために。
精一杯、生きるのだ……家族と共に。
目を覚ませばそこにあったのは懐かしい光景だった。
記憶の中にある最も古いものの一つ。
貴族の子供は五歳ともなれば自分の寝室が与えられる。
しかし当時、人一倍怖がりだった私は夜の闇を恐れ一人で寝ることができなかった。
おねしょをしたり夜泣きをしたりして両親を困らせたものだ。
私はまだ貴族の子弟子女が通う学園に登るには少し早く、家の中で従者達と寝起きを共にするのが普通だった。
同年代の友達がいないことが寂しさの原因かもしれないと考えた両親は、等身大のクマのぬいぐるみを私に買い与えてくれた。
それが今、隣にいる。
両親の死後、王宮に引き取られた時には持ち込むことを許されなかったそれが、私の隣にちょこんと座っている。
懐かしくも一度たりとも忘れたことないぬいぐるみのふわふわ感を頬に感じながら、戻ってきたのだと実感する。
あの宝珠に秘められた力は、本物だったのだ。
起き上がるのにいつもと違う感じがして戸惑う。
子供は体よりも頭の方が大きい。
老人だった自分の肉体は、そんなに力を込めることができなかった。
いつも老いを、力の無さを実感していた。
だがいまは違う。生きる気力に溢れている。
ベッドから起き上がり、床の上に立つまでたった数分の出来事なのに、もう三十分も一時間も経過したような気分になる。
私の部屋の隣には、老いた侍女が寝起きしていたはずだ。
壁に掛けられた時計を見ると、針は深夜を指していた。
彼女は今頃夢の世界に向かっていることだろう。
起こすのは忍びない気がして、そっと部屋を抜け出す。
今日が何月何日なのか。
もっと正確に言えば王国歴で何年なのか。
両親が死に、引き取られるまでの間、私の夜の風景はあまり変化がなかった。
もしも、人生を巻き戻すことが成功したのだとしても、何かの手違いで願った時よりも後の時代に飛ばされた可能性もある。
そうなってしまっていては元も子もない。
あの事件よりも前に戻らなければ意味がないのだ。
そして私に与えられた可能性はたった一度だけ。
その可能性を信じて、私は父親の書斎へとそっと足を運ぶ。
床の上に敷かれた繊毛の絨毯。
分厚くて毛先が長いそれの反応を足元に感じながら、重たい樫の木で作られた書斎のドアをそっと押し開く。
父親がいない時には施錠されているそのドアの鍵がどこに保管されているかは知っていた。
鍵を無くした時のスペアがどこにあるかも。
私はその予備の鍵を手に取ると、書斎の入り口を開けて中に身体を滑り込ませる。
月明かりの差し込む西向きの窓の隣の壁。
そこにカレンダーがあるのだ。
壁に貼られたそれで数字を見て、ほっと安堵の吐息を漏らす。
書斎には毎日のように届けられる新聞があり昨日のそれは乱雑に処分する書類の山の上にあった。
九月十日。
両親があの事故で死亡した日は、九月二十日。
まだ十日も時間がある。
これからの十日間は老婆だった頃過ごした六十数年の人生よりも、もっともっと過酷で困難を極める十日間になるだろう。
だけどそれを乗り越えることができた時。
私にはようやくといっていい、幸せな家族との生活が待っている。
ここで諦めるわけにはいかない。
私はそう決心すると、ひとつ静かに頷いた。
それから一月ほどの時間が過ぎた。
両親があの事故に遭遇することを未然に防ぐことができた私は、とりあえずの幸せを手に入れた。
もしかしたらこれは本当の過去ではないかもしれない。
あの時、宝珠に願ったことで寿命を対価に授けられた、幻覚の可能性もある。
はかない、夢。もし、幻想かなにかだったとしても。
私は、新しく与えられたこの人生を頑張って生きるにした。
二度と、愛おしい家族を失わないために。
戻るべき場所を守り抜くために。
精一杯、生きるのだ……家族と共に。
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