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エピローグ

第六十八話 ロバート、再び

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 二日目の朝が過ぎ、テーマパークは北国ながらも暖かい陽気に包まれて、蒸していた。
 この都の気温は最先端の魔導で、常に一定に保たれていると聞いたが、今日はいつにもまして暑いと、テーマパークを訪れていた他の客たちが漏らしているのが耳に入ってくる。

 メリーゴーランドやいくつかの絶叫マシン、水棲魔獣が住まう海底へと潜水艇によって潜ってみたり、数キロ上からただ椅子に固定されただけで、いきなり梯子を外されたかのように落下する機械などが、ディーノをこれ以上になく喜ばせ、逆にセナは一つ、また一つと恐怖に心を削られていた。

「……! 削られるのはお尻だけでいいのに!」

 野生の魔獣たちを逃げ出さないように覆った結界の中に住まわせている、魔獣パークでは舗装されていない路面の上を、四輪駆動のバスが客の気持ちなんて考えずに凄まじい速さで疾走する。

 そうしなければ魔獣たちに追いつかれて、襲われてしまうのだという。
 もちろんそんなことになればとんでもない事故となってしまうから、それはただの煽り文句であって、運転の荒さもまたこのアトラクションの楽しみ方の一つだと気づくまでに、ずいぶん時間がかかった。

 それに慣れる頃には薄いクッションの椅子でお尻を嫌と言うほどぶつけ、頭を何度か天井にぶつけてしまった。

 シートベルトをしていたおかげでそれほどたいした怪我ではなかったが、アトラクションの出口の門を通過すると、あれほど痛かったお尻と頭がさっと元通りになっていた。

 痛みなどどこかに消え去り、怪我のあとなんて見当たらない。
 あの門に、高度な回復魔法をかけているんだわ。なんてすごい技術。

 噂どころかここはまさしく世界の最先端。
 こんな場所で息子が学ぶことができるなら、彼は持って生まれた精霊と戦女神の加護も相まって、歴史に名を残す偉大な賢者になるかも。

 魔獣テーマパークのバスを降りて昼食をとるためにレストランに移動したとき、自分の腰あたりに目線のある息子をじっと見下ろしていると、こちらの思惑があけすけにばれてしまったのか、ディーノは「それも悪くないかもね」なんて腕組みをして、ふんふんと肯いていた。

「ちょっとあなた! ママの心を読むような真似をしないで……」
「そんな便利なことできるわけないでしょ」
「だって、いま」
「なんとなく、この国に引っ越したらもっといい暮らしができるのになーとか、ママなら考えそうだって思っただけ」
「ぐっ……」

 正解だった。
 やはり息子は鋭い。

「でもねママ、僕、ようやくラフテルの初等学院の一年生なんだよ? 今の時期に転校とかしたら、みんなと仲良くできるかな」
「……」
「心配だよね?」

 ニコリの笑顔を一つ。息子は母親を殺す武器をいつも携えている。
 そんな彼は、セナが予想しなかったもう一つの殺し文句を口にした。

「殿下も心配そうだけど」
「はっ……?」

 殿下、という言葉はセナにとって特別なものだ。
 それを耳にするだけで心臓が激しく脈動する。彼に会いたい、恋しいという想いが、抑えようのない奔流となって、セナのこころを翻弄し、正しい判断を失わせていく。

 出会ったばかりのあの瞬間に、いとも簡単に戻ってしまうのだ。
 ロバートの真紅の瞳が放つ、情熱的な光に魅せられてしまったら――。

「あそこ」

 とロバートはいまお城を模したアトラクションの二階、そこに突き出したベランダでカフェを開店している店のテーブルに座ったまま、こちらを目指してまっしぐらに歩いてくる、青い髪をした青年を指差した。

「ロバート、そんな……嘘っ」
「幽霊じゃないみたいだけど。魔族のアトラクションの幻影?」
「そっ、そんなはずないでしょう! ほら、行くわよ、早く来なさい、ディーノ!」
 
 まだ料理を半分以上、皿に残したまま、どこに行くというのか。
 息子はセナのそれまでとは打って変わった狼狽ぶりに、きょとんと顔をかしげる。

「まるで逃げるみたいだよ、ママ」
「だって!」

 早く、と急かす母親の耳元に息子は唇を寄せて、そっと告げた。
 僕たち、このままじゃ悪者みたい、と。

 悪者? それは私達から全てを奪った、あの継母と義姉たちなのに?
 不意に両脚から力が抜け、セナは椅子にしゃがみこんだ。

「違うわ、ママはあの人たちのように悪人じゃない……」
「よく分からないけれど、僕もそう思うよ。それに――女神様の祝福があったんじゃなかった、ねえママ?」
「しゅく、ふく……」

 そうだ。二日前。確かに戦女神ラフィネは祝福をくれた。
 なにも恐れるものはなく、危険はもう遅いってこない。逃げる日々は終わりを告げたのだ。あの夜に。

「でも、私には何も残っていない、何も……」
「ママ、ちょっと! どうしたのさ、お腹が痛い? なんで泣くの、ねえ」

 ずっと溜め込んできた憎悪や憎しみといった感情を、セナの心の奥で堰き止めていたそれが、決壊した。
 逃げることは終わったはずなのに、どうして自分は最愛の男性からまだ逃げようとしているのか。

 その矛盾した感情がセナの心を震わせる。
 たった一日でもいい。あの日々を取り戻せるのなら、両親と過ごしたあの瞬間が取り戻せるなら。
 そう願ってやまなかった。
 
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