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第五章 再会

第四十二話 別れの時

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「俺には何も見えてなかった。君のことを知ろうともしなかった。そのことを許して欲しい、セナ……パルスティン公爵家の関係者というのは、本当なのか?」
「嘘ではないけれど。関係ない話よ……あの公爵家とは随分長い間、関わってないもの」

 気ままに我が家を訪れる、気さくでわがままな友人には振り回されているがけれど、と心で付け足してやる。
 ミアには家を継ぐ考えはなくて、実家とのつながりもあまり重視していないようだ。

 彼女は今では帝国の皇室に仕える宮廷博士の一人だし、恋人と考古学のこと以外、頭にない。伝えた言葉は嘘ではなかった。

「その言葉を信じて、随分と探したんだ。あの夜、舞踏会に出席していた公爵令嬢にも、接触しようとした。帝国の政治に阻まれてなかなかうまくいかなかった」
「接触しなくて良かったと思う。もし繋がっていたら、彼女はあなたに何も語らなかったはずよ。私たちはもっと遠いどこかに、引っ越していた」
「つまり……そういう程度の仲はあるということか」

 ごめんなさい、とセナは彼の前から逃げ出したあの夜のことを謝罪した。
 ドレスや仮面はあの子から借りたの、と過去を悔いるように、頭を下げて謝っていた。

 それはもはや何も重要なことではなかった。
 パルスティン公爵もその令嬢も、何もかもがこれ以上、セナとディーノに関わらないと決めたロバートにとって、何の価値も持ち合わせていない。

 決意を翻すようなことがあれば、彼は契約に従って、ひどい罰を受けることだろう。
 もたらした結果は王家にそれ以上の関与をしてはならないという、精霊の意思を告げることにもなる。

「今はもう関係ないの。私の過去も関係ない」
「そうだな。俺も新しい家族に恨まれるようなことはしたくない」
「どういうこと?」
「国の問題ではある。今の婚約者とはそういう関係だ。そういう関係だからこそ、俺は決断することに迷っていたのかもしれない。彼女はいい女性だが、俺は新しい誰かを愛せる気がしない。俺は君への愛を偽りにはしたくない。約束したことを守れるようにしたい」
「でもそれは――相手の女性に失礼じゃない。愛のない結婚かもしれないけれど、あなたには幸せになって欲しい。それは偽りではないわ。私への愛はもう忘れて」

 彼らが立ち去れば、ロアッソが戻ってくる時間が近くなる。
 ディーノには環境が変わってしまうが、新しい土地を探そうと、セナは考えた。
 一度目は彼の前から嘘をついたことが怖くてバレるのが怖くて、ホテルを解雇されることを恐れて逃げてしまった。

 二度目は、嘘も偽りもない。
 どこかに行くとも言ってないし、どこにも行かないとも言っていない。それはまだ許される範囲だ。

 再会の時間はそろそろ終わりを告げるようだった。
 終わりの虚しさを感じながら、ロバートはバッグから別の封筒を取り出してセナへと手渡す。

「君の望むように。どんなことでも俺は犠牲を払うことを誓う。精霊に、王家に、俺たちの子供に――。君が何を考えてるのかわかるような気がする。受け取ってくれないか」

 差し出されたそれを開いてみたら、中にあるのは一枚の長方形の用紙だった。
 小切手が一枚。無記名のそれはどこの銀行であってもこちらの正体を明かさずに換金することができる、そういった代物だ。

 ロアッソの店舗の経営を手伝うようになり経理の仕事にも少しばかり携わっていたセナには、その知識があった。

 金額欄に記帳されている額は途方もない金額だ。
 彼女が追放され、継母たちに奪われた父親の遺産の半分ほどが、そこには記されている。

「こんな大金、受け取れない。これは私が貰うべきものではないわ」
「国の金じゃない。俺が自分で経営した会社の利益によるものだ。この六年の間、俺自身の手で稼いだ資産だよ。少なくとも君にはそれを受け取る権利がある」
「ちょっと待って。慰謝料なんていらない。養育費なんて求めてない!」
「セナ。君が何を考えているのか俺にはわかる。それを止めようとは思わない。君が望まないのであれば追いかけたりはしない。だがそれには資金が必要だ。それくらいは俺にでもわかる」
「……私にだってお金を稼ぐ方法はあるの。それを無視したような方法はやめてほしいわ」

 セナは頑なに、それを拒絶した。彼の想いはありがたかったが、再会しなければこんな金額は出てこなかったはずだ。息子とのこれからについて、このお金は間違いなく手助けになるとわかるが、受け取れない意地のような物も存在した。

 上流貴族らしく高級ブランドに身を包んだロバートと、生地も薄く安っぽい身なりをしている自分を比較する。
 これだけの金があれば新しい土地で新しく爵位を手に入れ、憧れだった貴族社会に戻ることも不可能ではない。

 それが息子のためになるならば。
 父親の全てを奪っていった義理の家族への憎しみがなぜかこみ上げてくる。これはつまりそういったお金だ。自分の醜い一面にずっとさらされながらこれから生きていくことを誓う、そんな片道切符がそこにはある。

 走り出してしまえば二度と戻れない負の感情の列車に乗ることは嫌だ。
 豪華で派手な生活を送るよりも、つつましくても人として地道に生きていくことの方が今は尊い生き方だと、十四歳では分からなかった価値観が、母親になったセナには備わっていた。

 セナの拒絶の意味が、富裕層に生きるロバートには実感として、湧かなかった。
 言葉の意味は理解できる。彼には権力とお金が当たり前のものとして常にそばにあるのだ。

 それを失うことも、失ってしまった世界に生きた経験も、ロバートには存在しない。
 二人の生きる世界は大きく違ってしまったのだと、価値観の差が暗に告げていた。

「受け取れないと言うなら、それを俺は受け入れる」
「ありがとう。あの子には私が元住んでいた世界について何も話していないの。貴族の血を引いているということも話していない。華やかな世界はいつかどこかで散ってしまう。私はそう思うようになったわ」
「俺には分からない。君がどうしてそう考えるのかが。でも君が望むことは何でもしてやりたい。それは本当だ」

 だからこれは持って帰ることにする。
 そう言って、ロバートが封筒を鞄の中にしまい込んだ。

 昔のように強引に押し付けてくると思っていたセナは、どこか解放された気分になり彼の好意に感謝を述べる。
 別れの時間が近づいていた。
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