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第四章 新たな命

第三十二話 妊娠

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 あのあと、ミアの部屋に入った途端、セナはその場に泣き崩れてしまった。

「ちょっと、何? どういうこと?」
「ごめんなさい。あなたの関係者だと名乗ってしまったの」

 親友は泣き崩れるセナを抱きしめると、率直に何があったかを質問する。
 セナは嗚咽交じりになりながら、ミアの厚意を裏切ってしまったことへの謝罪を告げた。

「どういうこと? 家名を告げたってことなの」
「そうじゃなくて、名乗ったのは自分の名前だけ。家の名前は告げてないわ。……でも彼と会話がはずむうちに、いろいろと」
「いろいろと、どこまで話したの」

 その問いにセナは視線を落として呻くように言った。

「ミアの経歴を、そのまま……あなたになりきらないと駄目だと思って! ごめんなさい」
「まあ……うん。そうね……私の関係者だって言っただけなら、もし彼があなたのことを探そうとしたら、もちろん最初に来るのは私のところよね」

 力なさげにセナはうなずく。
 それを見て、ミアは「なぜかわからないけど起きてから体調がいいの」と答えた。

 言葉の意味がわからずキョトンとしている親友に、ミアは「帝国に戻ろうと思う」と告げる。
 ドレスルームの方を指で示し「荷物をまとめて、こんな危ない所からさっさと立ち去る」と、離脱宣言をした。

「私は誰とも会わなかったし、このホテルに入っていきなり体調が悪くなって寝込んでいた。そういうことでいいのかな?」
「……本当にごめんなさい。裏切るつもりはなかったの」
「裏切られたなんて考えてない。行方不明になったって聞いていたセナに再会できて、無事で、元気にしていることが分かっただけでも、いい旅行になったと思う」
「ここにいることは誰にも」

 もちろん、とミアは素直にうなずいて見せた。
 そこには他意とか悪意とか、そんなものは微塵にも感じられない。
 心の中に仕えていたものが、少しだけ取れた気がした。

 夢の世界は終わり清掃係となって他のスイートルームを掃除している時、ミアはゲストアテンダントに命じて人を手配して貰ったらしい。

 さっさと荷物をまとめると、出て行ったようだ。
 仕事の合間に様子を見に行くと、その部屋の宿泊客はもういなくなっていた。


 

 あれから二週間と少しが過ぎた。
 その間、毎日のように新しいいじめがセナを頻繁に襲った。

 暴力的なことは何もなく言葉によって心は打ちのめされたが、以前のように例えようのない悲しみに襲われることは少なくなった。

 その二人も程なくして消えることになる。
 あの夜、バーの調理人ロアッソがそっと教えてくれたように、ホテルの上層部ではセナだけでなく、移民としてこの王国に流れてきた人々に対する他の従業員からの不当な扱いが、問題視されていたからだ。

 問題の早急な改善が要求されていた。
 総支配人アレックスは貴族だが、ビジネスとして差別問題がホテルの経営に深刻な問題を引き起こすと考えていた。

 いろいろな事情が重なり、セナを虐めていた二人もまた、解雇されたり他部署に移動となるなど、厳しい罰を受けた。
 ロアッソは「なにか他に大きな問題が起きてる気がする」と言って首をかしげたが、その理由はセナには明白だった。

 あの夜のこと。
 奇跡のようなあの一夜と、彼から逃げ出した現実が、ホテルを苦しめているのだと分かっていた。

 その苦しみを半分引き受けたように、この二週間の間、セナは絶え間ない吐き気と気だるさに襲われては、女神に奇跡を祈った。

 味覚がおかしくなり、自分でも感情の起伏が普段よりも何倍も激しくなって、周囲を困惑させていた。
 不思議なことに死者でも蘇らせるという女神の奇跡は、なぜかこの苦しみから解放してくれなかった。

 女性特有の苦しみを味わうあの日が、予定よりもずいぶんと遅れている。
 昼と夜も際限なく繰り返される悪夢のような日々の原因が、あの世にあるのだとセナは自覚した。

「……妊娠した」

 洗面台に向かって覚えた吐き気を解き放った後、妊娠検査魔導具を使うことで、それはより明らかになった。
 間違いない。

 私は彼の子供を身ごもっている。
 検査によって疑念が確信に変わった時、また例えようのない恐怖が、セナをさらに打ちのめした。

 彼を裏切った罪悪感もまた、セナを苦しめた。
 舞踏会という素晴らしいあの場所、ワインの勢いと、彼の雄々しさ。

 その全てが、セナの理性を狂わせた。
 本能の導くままに体を委ねてみたら、結果はこうなった。

 それらのことを思い出してみても罪悪感はちっとも消えなかった。
 ロバートに誘われた時点で、さっさと会場を後にするべきだったのに。

 だけどもし、そうしていたら……彼との素晴らしい一夜を過ごすことができなかった。
 それはなぜかとても、もったいない気がした。

 今からでも彼を追いかけて、あのたくましい背中に抱きつきたかった。
 できることなら自分が隠した全てを白状して、許しを請いたかった。

 謝罪をして、この気持ちから救われたいと思った。
 だけど、そうしたらこの職を失うことになる。

 あんなひどいことをしたのだから。
 彼にだって恨まれているだろうし、軽蔑されることは間違いない。

 そして妊娠の事実……。
 誰に打ち明けて助けを求めたらいいのか。

 夜のシフトに入りまた吐き気に襲われた。
 それはこのところずっと続いてたから、ロアッソも心配して、気にかけてくれたらしい。

「体調が悪いなら休んでいい。それは誰にでも起こることだから」
「ロアッソ」

 私どうしたらいいのか。
 彼の優しい言葉に、セナは思わず縋りそうになった。
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