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第四章 新たな命

第三十話 保身

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「それは無理だ」

 ホテル・ギャザリックの総支配人アレックスは、ロバートの依頼を拒絶した。

「なぜだめなんだ! 王族に関わる問題だぞ?」

 ロバートは親友に深く詰め寄る。
 セナが消えた当日の昼のできごとだった。

 彼女が消えた後、ロバートはさんざん方々を探したが、セナの行方はようとして知れない。
 どうしても彼女は見つけたいと願う彼の心は、一つの方策を見出していた。

「王族に関わる問題? まだ問題は発生してないだろ、ロバート。君とは長年の付き合いだが、それだけで顧客の情報を勝手に、僕の判断だけで外に漏らすわけにはいかない」
「どうして分からない? 俺は王太子だぞ! この国を統べる次期国王だ! その依頼がどうして訊けない?」
「……王族の権威を嵩に着るのか?」

 もちろんだとロバートはうなずいた。
 その傲慢さに、アレックスはため息を落とす。

 昼の食事にでも誘いにオフィスへと彼が顔を出してくれたのかと喜んだら、これだ。
 王族の身勝手さにも程がある。

 ロバートの度を越した要求に、呆れを通り越して、怒りすら覚えた。
 なんでも思い通りになると思うなよ!

 怒鳴りつけたくなる衝動を我慢して、アレックスは執務室の机の引き出しを開ける。
 書類の束を取り出し、傲岸不遜な王太子の前に置いてやった。

「これなら渡すことはできる。君の依頼で作成した招待客のリストだ。君が関わっている案件だから渡すことが可能だ」
「違う、そうじゃない。俺が望んでいるのは、今、この時点で宿泊している顧客のリストだ!」
「できないよ、ロバート」

 親友の頼みにアレックスは悲しげに首を振った。

「それはこのホテルの信用を落としかねない行為だ。たった一人の依頼……たとえそれが帝国の皇帝陛下だとしても王国の女王陛下だとしても、同じことだ。このホテルは王国の法律ではなく帝国の法律で運用することが、あらかじめ王国との間で合意がなされている」

 それは知っているだろう、と友人から総支配人の顔になって、アレックスは告げた。
 ロバートはそのことを確かに知っている。

 このホテルで彼があんなにやんちゃをやらかすことができたのも、王国では数少ない治外法権が適用される場所だからだ。
 帝国の法律では、皇族。およびそれに等しい爵位をもつ貴族はどこの国の人間であっても、スイートルームの中ではある程度の特権が保証されていた。

「それがどうした、アレックス」
「お客様の滞在状況は明かすことができない。必要ならこの国の司法機関が発行した捜査令状を持ってきてくれ。犯罪に関わる可能性がある事件なら、いくらでも協力する。彼女は何かトラブルを起こしたのか?」
「いや……。ただ黙って消えただけだ。誘拐された可能性もある!」
「可能性では動けないよ。それに王室に関わる問題なら来るべきはここじゃない。今すぐにでも、女王陛下を頼るべきだろう。彼女がいなくなってからどれくらい時間が経つ?」

 ロバートは執務室の壁に掛けられている時計を確認する。
 時刻は正午をすこしばかり過ぎようとしていた。

 セナがいなくなったのは、早朝の四時過ぎだ。
 あれからもう、八時間が経過しようとしている。

「約八時間だ」
「おかしいじゃないか?」

 親友の行動を批判するように、矛盾点をアレックスは指摘した。
 何がどう間違っているのかとロバートは顔をしかめる。

「お前、彼女のことが大事ならこんな場所にいるんじゃなくて、今すぐにでも、やはり陛下を訪ねるほうがいい。そして、お願いをするべきだ。自分と一夜を共にしてくれた女性がいきなり消えてしまった。彼女の身が心配だからどうか特権を使わせて欲しいと」
「王族の特権を、行使することを、陛下が簡単に許されるはずがない……」
「ほらやっぱりおかしい。お前、本当に彼女のことを心配しているのか?」
「どういう意味だ」

 アレックスは人差し指をロバートに突きつけて、鋭く言葉を発する。

「愛してなんかいないんじゃないのか? 自分の保身のためだけに、ここにいるんじゃないのか?」
「そんなことはない。そんなことは……」

 なぜか狼狽えてしまう自分の心に、ロバートは焦りを感じ始めた。
 セナのためだと思って行動したことは、もしかして自分のための行動だった?

 狼狽ぶりを見て、アレックスはやはり、と困ったように目を伏せた。
 親友は自分の心を理解していない。
 
 ただ直情的に感じたままに行動しているだけだ。
 それは、学生時代ならともかく、大人となった今の自分たちには許されないことだった。

「少しでも彼女のことを考えているなら、お前はまっすぐに宮殿に向かったはずだ。僕の知っているいつものお前ならそうした。なにを臆病になっている?」
「違う。俺は臆病になんかなっていない」
「いいや、なっているよ。お前と過ごした時間は長い。その間、女性の問題についてはほとんど耳にしたことがない。それくらい、お前はちゃんとしていた。そのことにかけてはな……だが、今回は違う」
「俺は彼女と、いや彼女のことを心配して」
「心配してない。心配してるかもしれないが、その前に、もっと気にかけていることがあるだけだ」

 どういうことだ。
 何がそんなに間違っているというのか。

 真紅の瞳が、傲慢と憤りに燃えているようだった。
 怒りに満ちた視線で睨まれても、アレックスは後ろに引かなかった。

「次期国王。王位継承権。そういった問題が、お前の正しい判断を鈍らせている。違うか?」
「ちょっと待て。俺は自分の問題と彼女を天秤にかけてなんかいない」

 まだ分かっていないのか。
 幼さが抜けきっていない殿下を見て、親友は悲し気な顔をする。
 先に社会に出て、責任ある立場を任されたアレックスは、哀れみに満ちた表情でロバートに諭していた。

「頭を冷やしてよく考えるんだな。出て行ってくれ」
「お前こそいい加減にしろ……俺の頼みを断ったことを、いつか後悔することになるぞ……!」
「親友の僕まで、そんな捨て台詞を吐いて行くのか?」
「断られると思ってなかった。残念だよ」

 恨みがましくそう言い残し、ロバートはアレックスの執務室を後にした。
 その背中を見送りながら、アレックスは彼の知りたかった顧客情報があっても、もうここにはいないのだと言ってやりたかった。

 パルスティン公爵令嬢。
 ここ最近、スイートルームで病床に伏せていたはずの彼女が、チェックアウトを済ませてホテルを後にしたのは、今朝早くのことだ。

「最善の判断を下してくれ、殿下」

 寂しさと虚しさを覚えながら、勢いよく閉じられた扉に向かい、アレックスはそう呟いた。
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