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第二章 偽りの公爵令嬢

第十一話 冷製スープ

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 その夜のシフトをこなす間、セナは幾度か、バーで王子を見かけてしまい、幾度か視線を逸らしてしまった。
 相手に不快感を与えないように、それとなく気遣いながら。

 王族関係者がこの最上階にあるバーを利用するのは、よくあることだ。
 このリゾート地は帝国との国境線に近い場所にある。
 
 帝国と王国との間を往復する際に帝都とはほぼ真反対の場所にある王都は、このホテルから数百キロは離れていて、中間地点にあるこのホテルで、旅の宿を取るのがほぼいつも通りのコースだった。

 王太子ロバートは二十歳になると聞く。
 自分よりも二歳しか違わないのに、彼は次期国王として権力の中枢まであと一歩といったところにいた。

 対して自分はその真っ只中から、叩き出されたのだ。
 十四歳という世間など右も左も分からない状況で。

 そう考えると、彼の恵まれた人生のすべてが、羨ましくも憎らしいもののように思えてならなかった。
 ……いけない、いけない。醜い嫉妬なんて感じてる場合じゃない。今は仕事に集中しなきゃ。

 セナはそう考え直し、キッチンで作るように言われたデザートの下ごしらえに入った。
 今日、出すのはミントのゼラチンを使った、桃の冷製スープだ。

「桃は少々、形を崩してもかまわない。きちんと裏漉しをしてくれ。丁寧にな」
「はい、かしこまりました」

 バーには厨房があるが、レストランのように料理長がいるわけではない。
 二人の料理人が交互にシフトに入り、その日、客に出す日替わりのデザートはウェイトレスたちが、開店前に厨房に入り、手助けをすることになっていた。

 昔は帝国の一流ホテルで働いていたという料理人は、鮮度のいいよく冷えた桃を十数個取り出すと、セナに、ミントやヨーグルトなど、他の具材の場所を教えていく。

「このスープを作った経験は?」
「先週から、何度か、やらせて頂いてます」
「よし。それなら任せたぞ。失敗はするなよ」
「はい」

 料理人は配膳係やリネン部よりも厳しい。
 その瞬間、その瞬間の火加減や仕込みのやり方が、如実に味に表れるからだ。
 
 その意味ではリネン部の課長バルド。
 あの嫌味な暴力男より、セナには恐ろしい相手だった。さすがに手を挙げられたりはしないが……。

「桃に、ミント。蜂蜜、ヨーグルト……漉すためのこし器に牛乳。あとはゼラチン、か」

 冷蔵魔導具や棚から必要だと言われたものをメモした用紙が最初は必要だったが、いまではそうでもない。
 桃の皮をむくペティナイフで手を切らないように用心しながら、まずは桃の皮をむいていく。

 なかにある種を包丁の先で綺麗にとりのぞく。
 十数個もあるとそれなりに時間がかかる。

 ようやくペティナイフを置いたとき、ロバートの姿はキッチンから目に入る場所にはいなくなっていた。
 これで余計な気を遣う相手が減った、とセナは胸をなでおろす。

 ミアから話を持ちかけられて以来、殿下の花嫁探しのために開かれる舞踏会に参加していいものか、と生来の心配性が心に出てきた。

 もし、話しかけられたりしたら……などと、乙女の妄想に浸っていたわけではなく。
 現実的に職を失う危険性がつきまとうのが、どうしても怖かったのだ。

「ミント、ミント……葉だけを除いて」

 香りの強いペパーミントの葉を茎だけちぎって容器に入れ、そこにお湯を注いで蓋をする。
 香りを十分に引き出すためだ。

 しばらくしてお湯が透明なグリーンになったら、蓋を除けこし器で余計な繊維などを取り除く。
 まだ温かいうちに逃がさないようにしたら、ゼラチンを加え、また蓋をして氷魔法のかかった冷蔵魔導具のなかで冷やしてやる。

 程よく冷えて固まったら、ミントゼリーは完成だ。
 同時に桃のほうも作業をすすめていく。

 手早く済ませれば、三十分もかからない作業だ。
 さっさと済ませないと、ホールの接客がおろそかになる。

 切った桃をすべて魔導ミキサーに入れ、牛乳と少量の塩、ヨーグルト、蜂蜜を加えてペースト状になったものを、こし器で漉してやる。

 筋などが取れたものにまた牛乳を注ぎ、トマトジュースくらいの濃度に整えてやる。
 滑らかなスープが完成したら、ゼリーと同じように魔導冷蔵庫で冷やしてやり、ガラスの筒のようになった深皿に、氷とミントを散らした上から、桃のスープを淵から零れない程度に注ぐ。

 その上にミントゼリーを小さじ二杯ほど入れていき、上からミントの葉を飾れば、これで桃の冷製スープの完成だ。
 この料理はパスタや魚料理などで油っぽさを覚えた舌を、すっきりと爽快にさせてくれるだろう。

 容器の上から、同じくガラスの蓋を閉めると、セナはそれをトレイに並べて、魔導冷蔵庫のなかに四段、並べた。
 一段が三十個で、百二十は出ることになる。
 
 これは今週の定番デザートになっているから、数日は日持ちがすることを見越して、多めに作ったのだ。
 とはいえ、桃のいろはすぐに悪くなるから、明後日の朝には廃棄されるのだが。

「デザート、できたわ。冷蔵庫のなかに入れて冷やしています」
「おう。お疲れさん。……どうした、嫌に機嫌がいいな?」
「え? そう見えますか?」
「豪勢にチップでも貰ったか?」
「いえ、そういうのではないですが」

 時刻は十九時過ぎ。
 しかし、バーはまだまだ開店したばかりで、深夜二時までは忙しい。
 セナは深夜を回るまでここにいる予定だった。

「ちっ」
「どうかした?」
「嫌な奴が来てやがる……」

 と料理人が漏らす方角にあるテーブルを見ると、そこにはリネン部の部長と課長……あのバルドが、もう一人の女性を囲み三人でお酒を飲んでいる姿だった。
 セナはその最後の一人の後ろ姿に見覚えがある。

「カティ」
「知り合いか」
「同僚です。リネン部の。いま怪我をして休んでいるはずなのに……」
「あの事故のか?」
「……」

 静かに肯くと、壮年の料理人はふん、と面白なさそうに鼻を鳴らした。
 どこでもある光景だ、とぼやくように言い、三人がこちらに気づく前に、セナの手を取って厨房へと入らせる。

「あのまだなにか? デザートの用意は終わりましたけど」
「今夜はここから出なくていい」
「ええ?」

 どういうこと? とセナは訝しんだ。
 厨房で彼の手伝いをしろということだろうか。
 もしそうだとしたらせめて服を着替えてきたい。

 接客用のこの服では、油汚れがひどくなった時に、お客様の前に顔を出すことができない。
 ピーク時に、周りに迷惑をかける恐れがあった。
 それを伝えると、ロアッソとかかれた名札を胸につけた彼は、ほらよ、とエプロンを渡してくれる。

「二日前に酷い目にあったっていうのは噂になってる。ボケ野郎、バルドが部下の女を蹴りまくってたってな」
「……」
「誰もお前がそうだとは言ってない。お前がミスをしたとも思ってない」
「はい……」
「だがこの厨房は俺の城だ。このバーを取り仕切るのは俺に任されてる。そういうふうにオーナーと契約した。帝国の皇弟殿下とな。意味がわかるか?」
「いえ、さっぱり」

 困り果てて顔を左右に振る。
 ロアッソは男らしく勇ましい笑顔でそれに応えた。

「ここにいる限りは、俺の部下だ。女は殴るやつは最低だし、酒が入ったら場所を選ばない。お前に危険が及ぶ可能性もある。だから今夜はここから出るな。辛いだろうが洗い物でもして時間を過ごしてくれ。いいか?」
「はい……ありがとうございます」
「適材適所ってやつだ。お前はウェイトレスとして注文を取るのにも、料理を運ぶのにも、テーブルのサービスを行うにも有能な奴だ。そういった奴は厨房でも十分使える。だから今夜はここでいい」

 料理人の温情に、思わず涙がこぼれそうになる。
 今日は、いろんな人からの温情が厚い夜だった。
 
 
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