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第十二話
しおりを挟む四頭建ての馬車の中。
さしたる抵抗もなく、あっさりと学院の門扉は開かれた。
ついさっき直面した危機からも、多分、学外に逃れることはできないと思っていた私の予想は、ここでもあっさりと覆える。
「……信じられないわ。こんなに、何事もなかったかのように、外に出られるなんて……」
そう呟き、ふと、斜め前に座る彼‥‥‥まだ、名乗らない紳士が、目を細めるのを視界に収めた。
やっぱり彼が何か裏工作でもしたのではないか、と思わざるを得ないことばかりだ。
私の脳裏には外交官、という役職の前に『武官』という二文字が浮かんでいた。
外務武官。
それはつまり――国外のスパイを現わす、正式な名称だからだ。
「俺の顔になにか?」
「……もう、正直におっしゃったらいかがですか!」
「なにをだ?」
彼はとぼけているのか、不思議そうな顔をしてこちらを見つめた。
珍しいルビーのようなその目には、知的な光が宿っている。
とても、この王国の情報を持ち出そうとしている悪者には、見えなかった‥‥‥。
「外務武官、という言葉を知っています」
「勤勉だな。将来は外交官を目指すのか」
「いえ、違います! あなたを、そのっ‥‥‥その、だから。殿下とのことは感謝しております。本当に‥‥‥あの日々は地獄でした。一瞬でも、救って頂いたことを感謝しております。だけど」
あれ、私は何を言っているのだろう。
彼を糾弾してことあらば、王国を守ろうとしていたのに。
そんな薄っぺらい愛国心よりも、あの男に対しての怒りの方が余程、強かった。
第二王子にしつけと称してぶたれ、身体に痛みを加えられるたびに、死にたいと思っていた。
何も悦びなんかなかった。
あんな非道な男の妻になることは、生き地獄だとさえ思っていた。
なのに、誰も。
いいえ、誰にもその苦しい思いを吐き出すことができなかった。
‥‥‥家を守らなきゃならないから。
そのことが、私と私の心をがんじがらめにしてしまい、いつの間にか抵抗するって気力すら忘れてただ暴力に怯え婚約者の顔色を伺うだけの、飼い犬のような生き方を自ら受け入れていた。
「私は奴隷じゃない、犬じゃない、道具じゃない‥‥‥あんな男、好きじゃなかった。でも、家のことを考えたら、抵抗もできないし、告発もできない。王族を相手にすれば、待っているのは処刑だけだし・‥‥学院でも毎日、毎日。なのに、ここまで我慢してきたのに、婚約破棄なんて! 婚約破棄、なんて‥‥‥逃げたかったっ‥‥‥!」
「言われたとき、安心した?」
「……?」
紳士の抑揚のない声でそう訊かれ、不思議と頷いている自分がいた。
安心というよりも、安堵に近い。
ようやく解放されるんだという、そんな想い。
でも、棄てられたら、家はどうなるんだろうと、そんな想いが殿下に対して非難の声を上げさせた。
これだけ我慢してきたのに。今更、棄てるなんて。
殺してやりたい。
そんなどす黒い思いが、あの時、胸の奥に渦巻いていたのは、隠しようのない事実だった。
「安心しました。それと、許せない、とも思いましたし。さっさと逃げ出したいとも思いました。でも、あなたがいてくれなければ、また同じ日々が続いたことでしょう。多分」
「側室はこの王国の法律では禁じていたのかな? なら、愛人、か。都合よく扱ってくれたものだ」
彼はまるで、我が身に起こったことのように、怒りを込めてそう言った。
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