聖女オリビアの禁欲事情

秋津冴

文字の大きさ
上 下
5 / 9
プロローグ

第四話 勇者の撤退

しおりを挟む
 ◇

 聖女オリビアは、とんでもないことを耳にしたと、目を大きく見開いていた。

「勇者様が、前線を大きく下げられてしまいました」
「何ですって?」

 季節は二月。
 東の領域は、険しい雪山に閉ざされてしまい、魔王軍がうごける雪解けにはあと二ヵ月はかかるはず。

 例年もそうだったし、昨年もそうだ。
 今年もそうだと思っていたら、一気に状況は悪化した。

「魔王軍の攻撃が凄まじく、国境線を破って、東の領内に侵入している模様です」
「勇者様はご縁ですか? 彼の居城、エルバサールが落とされたら、西の領域まで、すぐですよ!」

 のほほんとして春を待っていたわけではないが、これでは今年の予定が大きく狂ってしまう。
 オリビアの未来にも関わる、大問題となってしまった。

「今入っている情報では前線から、エルバサールへと戻られた。それのみです」
「とんでもないことになったわね……。大至急、残りの聖旗の守護者と王都に連絡を」

 とはいっても、あの戦上手な勇者のことだ。
 前線を捨てる前に、こうやって各地に連絡をしてから、ゆっくりと安全な居城に引いたに違いない。

 砦に攻め行ってみたら、そこはもぬけの殻だった。
 魔王軍はさぞや悔しがったことだろう。

 勇者は守りの達人だった。奪われて困るものはさっさと燃やすか、転送魔法で自分の城に戻したはずだ。
 あとは彼とその部下たちに犠牲者が出ていないか、その安否が問われる。

「こちらの前線基地からも、エルバサールへ応援を大至急。ついでに医療神官も送りなさい」
「これから数日の間、聖女様が不在となりますが。それでもよろしいのですか?」

 報告をしてきた神殿騎士が、申し訳なさそうな顔をする。
 オリビアと侍女たち数人だけで華やかだった部屋に、いきなり殺伐とした雰囲気を持ち込んで、楽しい状況をぶち壊しにしてしまったからだ。

「大神官……叔父様がいるから、どうにかするでしょう。聖騎士たちを多く残していきます」

 神殿には神に選ばれた聖女、彼女を守護する聖騎士がいる。
 彼らは聖女と同じく、女神に選ばれた特別な能力を有する、神殿騎士たちのエリートだ。

 王族を守護する近衛騎士のようなものだと思えばいい。
 一人ではそうでなくても、数人集まれば、勇者に匹敵するともいわれている。

 四人いる聖騎士のうち、一人を連れてオリビアは出かけることに決めた。

「しかし困ったものね。どうしてこの時期に……」
「雪に閉ざされた冬の山脈を超えることができた者などこれまでになかったですが。あの高さでは、飛行船すらも超えれないといいます」
「飛行船、ですか。西の大陸の大帝国が経営しているという、あの天空航路を走る空飛ぶ船のことね。この南大陸まで商圏を広げて来たのだとしたら、とんでもないことになるわ」
「いえ、まだそうと決まった訳ではありませんが」

 神殿騎士は自分の発言の迂闊さを恥じた。
 確証のないことで聖女を惑わした自分は愚か者だ。

「お前が気にすることではないわ。そうなったらそうなったで何か考えればいいだけのこと、ご苦労様」

 申し訳なさそうに顔を伏せる彼を労いながら、さてどうしたものかと考えを巡らせる。
 敵は砂漠を迂回してまさかの天高く連なる険しい山脈を通過し、一気に東南から攻め入ったらしい。

 万年雪の積もる山脈をどうやって突破したのかは謎だが、勇者の住む城、エルバサールは砂漠と山脈の合間を流れる深い大渓谷を利用して作られた、天然の要害だ。

 そうそう簡単に負けることはないと思うが、一度、その門を閉じてしまうと、砂漠側にあるこちらからも大渓谷が邪魔をして援軍を送ることができない。

 魔王軍がその城を落とすことに時間をかけてくれれば、一年でも五年でも、勇者は持ち堪えるだろう。
 その間に、王国の中心にある王都から、援軍も出せるはず。

 しかし、敵がエルバサールを迂回して、そのまま南へと降りてきたらどうなるだろう。
 そこには浄化の女神リシェスの神殿がある。

 つまり、オリビアが騎士と会話をしているここに、早々に敵が攻め込んでくる可能性がある。
 女神様の結界がそうやすやすと破られるとは思わないが、しかし、万が一のことも考えなくてはいけない。

「援軍を用意するとともに、冒険者ギルドや他の神々の神殿にも増援を要請して。領内の戦える者は皆、戦いに備えるように。そうしなければ、私たちが滅びることになるかもしれない」
 その言葉は重苦しく、大理石の壁に吸い込まれて消えた。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

学院内でいきなり婚約破棄されました

マルローネ
恋愛
王立貴族学院に通っていた伯爵令嬢のメアリは婚約者であり侯爵令息、さらに生徒会長のオルスタに婚約破棄を言い渡されてしまう。しかも学院内のクラスの中で……。 慰謝料も支払わず、さらに共同で事業を行っていたのだがその利益も不当に奪われる結果に。 メアリは婚約破棄はともかく、それ以外のことには納得行かず幼馴染の伯爵令息レヴィンと共に反論することに。 急速に二人の仲も進展していくが……?

【本編完結】婚約破棄されて嫁いだ先の旦那様は、結婚翌日に私が妻だと気づいたようです

八重
恋愛
社交界で『稀代の歌姫』の名で知られ、王太子の婚約者でもあったエリーヌ・ブランシェ。 皆の憧れの的だった彼女はある夜会の日、親友で同じ歌手だったロラに嫉妬され、彼女の陰謀で歌声を失った── ロラに婚約者も奪われ、歌声も失い、さらに冤罪をかけられて牢屋に入れられる。 そして王太子の命によりエリーヌは、『毒公爵』と悪名高いアンリ・エマニュエル公爵のもとへと嫁ぐことになる。 仕事を理由に初日の挨拶もすっぽかされるエリーヌ。 婚約者を失ったばかりだったため、そっと夫を支えていけばいい、愛されなくてもそれで構わない。 エリーヌはそう思っていたのに……。 翌日廊下で会った後にアンリの態度が急変!! 「この娘は誰だ?」 「アンリ様の奥様、エリーヌ様でございます」 「僕は、結婚したのか?」 側近の言葉も仕事に夢中で聞き流してしまっていたアンリは、自分が結婚したことに気づいていなかった。 自分にこんなにも魅力的で可愛い奥さんが出来たことを知り、アンリの溺愛と好き好き攻撃が止まらなくなり──?! ■恋愛に初々しい夫婦の溺愛甘々シンデレラストーリー。 親友に騙されて恋人を奪われたエリーヌが、政略結婚をきっかけにベタ甘に溺愛されて幸せになるお話。 ※他サイトでも投稿中で、『小説家になろう』先行公開です

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~

黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※ すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!

その方は婚約者ではありませんよ、お姉様

夜桜
恋愛
マリサは、姉のニーナに婚約者を取られてしまった。 しかし、本当は婚約者ではなく……?

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です

くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」 身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。 期間は卒業まで。 彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。

伯爵令嬢、溺愛されるまで~婚約後~

うめまつ
恋愛
前作から引き続きじれじれなリリィとロルフ。可愛らしい二人が成長し、婚約後の波乱に巻き込まれる。 ↓オマケ↓ ※『グラッセの最後』→リリィの姉が最強でした。ザマァ ※『タイロンの復讐』→ウドルとの関係ザマァ ※『ウドルの答』→下に甘い長男気質と俺様男 ※『庭師の日常』→淡々とほのぼの ※『年寄りの独り言』→外交官のおじいちゃん

処理中です...