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第一章
第三話 聖女の血筋
しおりを挟む「久しぶりだね、リオーネ。元気にしていたかい?今年の初めに会ったきりだ……帝都は暑くてこの身にはなかなかきつい」
「おじ様、お久しぶりです。陛下と同じ年なのにそんなことを言われていると、お叱りを受けますよ」
「いやいや、本当のことだ。あれは元気すぎる。私は年を経ったよ」
外務大臣として長く帝国の外交のかじ取りを任されてきた大公は、二番目の夫オリビオアの上司だった。
慣れない二度目の結婚に戸惑うリオーネの悩みをもっとも聞いてくれたのが、大公の妻、ヘレンだ。
二人と抱き合い挨拶をかわした後、リオーネは「そちらは?」とやってきた少女に視線を移す。黒にも青にも見える濃い亜麻色の髪、苔色というよりは青く澄んだ湖底のような瞳。
この国でこんな容姿を持つ一族はそう多くはない。その正体を一目で見抜いてしまう。
――聖女様の家系……アーバンクル公爵の血縁者?
戦女神ラフィネの聖女を勤めたのが初代アーバンクル公爵夫人だった。
以来、何世代を経ても外見と容姿はずっと鏡に写しとったかのように似ているとされている。
「聖女様の?」と問いかけると、少女はなぜか気難しそうな顔をしてしまった。
「ミネルバだ。二番目の孫でな。アーバンクル公爵家では四女に当たる。もう18だが、なかなか外に出る機会がなく、今夜はいい機会だから呼んでみたんだ」
と、大公は告げた。
いい機会……つまり、ライオネル様との将来を視野にいれた顔合わせ。そういうことなんだろうな、とリオーネは理解する。
「オーネ・タニア・モンテファンです」
「ミネルバです……アーバンクルの」
あとは言わなくてもわかるだろうと大柄な態度をとるミネルバに、リオーネの後ろでメリッサはひっ、と小さく悲鳴を上げる。
主人であるリオーネは身分による無作法を許さない。
上から下へと水は流れるもの。身分差があればどんな我が儘だって通るのが貴族の世界だ。
ミネルバは公女であり、生まれと四女という立場から爵位的には男爵。よくて伯爵位を継承できる程度でしかない。
それに対して、リオーネは女伯爵。女、とつくがれっきとした家の当主なのだ。
楚々と微笑を浮かべ怒りを微塵にも感じさせないリオーネだが、後から伯爵家を通じてアーバンクル公爵家に物言いが入る事だろう。
大公夫婦は孫娘の不調法をここで矯正して欲しいのか、しばらく相手をしてやって欲しい、といい去ってしまう。
これからどんな女同士の揉め事に発展するのか、と外野たちが見守るなか、先に口火を切ったのはミネルバのほうだった。
「女伯爵。女の身分で爵位を任ぜられるなんて、滑稽だわ。どうやって手にしたのかしら」
ミネルバは細かく編み込んだ髪をいじりながら、片手で扇子を立て口元を隠して下卑た笑みを浮かべる。
「お金、土地、容姿……ああ、もうそのお歳ではだめですね。特に三人も――ああ、なんでもありませんわ」
「若さでしか物事を図れないって物悲しいですわね、公女様。初代様ならそんな品位のかけらもない発言なんてされなかったでしょうに」
「あら、そのお歳で後家にもならない方がおかしくてよ、リオーネ様。胸元を大きく露わにしてそんな高いヒールを召されるなんて、殿方からしたら目のやり場に困りますわ」
ほほっ、とミネルバは扇子をかたむけて外野をちら、と見やる。
彼女の怪しげな目線の先にいるのは10代から20代のまだ年若い令息たちだ。
指摘されてああ、確かに、とリオーネは心でうなづく。
そういえばこのドレスを仕立てたのは二年前で、あの頃はこういったファッションが流行だった。
いまの最先端は全身にぴったりとフィットして肌の線を明らかにするものらしい。
どちらにしても殿方にうける内容なのは間違いないだろうな、と思って勝手に納得してしまう。
「これは失礼、貴女ほど自分を隠すようなドレスを仕立てる気にはなれないので。線の目立つドレスはよほど、着込むのに便利でしょうから」
「な――ッ! なんですって……?」
胸もお尻も詰め放題。好きなように肢体を演じることができてさぞ、便利だろう。リオーネはそう揶揄したのだ。
「どうかしたのかしら? そんな擬態しなければならないほどだから、今夜は御一人なのでは? ミネルバ様」
「あ、貴女だってそうではなくて? わたくしはおじい様に呼ばれてここにいるのです! リオーネ様は部下の手柄を横取りされただけではありせんか!」
「は? どのような意味かしら?」
「だって、おかしいですわ! 女伯爵として当主になったとはいえ、貴女だって女! 男性の領分である政治や経営なんてわかるはずがありませんわ! 聞けば二番目の方や三番目の御夫君たちは揃って優秀な官僚であったり、商才を持たれていたとか」
「他家の内情に口を挟むなんて、貴族令嬢らしくなくてよ、ミネルバ様?」
「口を挟んでなどおりません! 事実を申しております! 御夫君方が遺された部下の方や人脈で得た業績をさも、自分のものと披露されている恥知らずは貴女ではなくて、リオーネ様?」
ミネルバの言い分に、周囲は「それもそうだ」「女性が自分で手掛けたにしては優秀過ぎる」「女伯爵様はそんなごまかしをしていたのか……」などと小さく批判めいた声を出す。
その反応に力づけられたのか、ミネルバはさらにリオーネが気に食わないと言い出した。
「ミネルバ様、もっと世間を知られた方がいいですわ。例え部下が成功させた業績だとしても、それは伯爵領全体として報告したもの。そして陛下は伯爵領の代表としてわたしを呼ばれたにすぎません」
「ですから――未亡人がこの場でそのような栄光を賜ること、それ自体がおこがましいと申しております! 帝室の血筋であっても女が目立つことは許されないとされておりますのに……!」
ああ、そうか。とリオーネは納得した。
この年若い少女は、選民思想に囚われているのだ、と。
帝室の血筋は最高で、そのなかに在籍しているのが、ミネルバ。
聖女の血筋は代々、帝室ともつながりがあるから、それを誇るのはなかば自然に刷り込まれた意識だろう。
そして、特別な民であるミネルバ自身が認められないのに、女伯爵として独立し皇帝から褒められたリオーネが特段、気に食わないのだ、と。
「大公ご夫妻があずけられていくわけだわ」
「なにかおっしゃいまして、未亡人?」
エプソナ大公夫妻は世間知らずの孫を矯正して欲しいとの意味も込めて、この場に置いて行ったのだ。どうせ、リオーネから学べとか。直接的なことは指示しなくてもそれらしいことはいっている可能性が高い。
最良の日に最悪の依頼をあずかってしまった。
今更、後悔してももう遅い。後悔先に立たずだ。
「いいえ、別に。聖女様のお血筋は苛烈なのね」
「苛烈? まさか、深淵な物言いをしているだけですわ。我が家系は迂遠に伝えることを美徳としておりませんの」
言い換えれば直接的。攻撃的、配慮がない。
さすが戦女神の聖女の家系だと感心してしまうほどの苛烈ぶりだ。
しかし、敵を選ぶことをミネルバは知るべきだ、とリオーネは思った。
どうやって手厳しく対処してやろうかと思いあぐねる。
あまり手ひどくやってエプソナ大公夫妻との仲が悪化しり、アーバンクル公爵家ひいては戦女神ラフィネの神殿と揉めるようになってしまっては意味がない。
やんわりと制する方法はないものか、と思案していると思ってもみなかった人物が仲裁に乗り出てくれた。
それは、先ほどまで皇帝の側で警護していた皇弟、ライオネルだった。
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