上 下
21 / 37

悪夢と光(ラスター視点)

しおりを挟む
 



 さらさらと流れる銀の髪、紫水晶のように濃く輝く紫の瞳。
 強行したパレードの雑踏の中から、以前と違った色彩の彼女を見つけた瞬間、頭よりも先に体が歓喜に打ち震えた。

(生きてる。ディアが。本当に)

 息が止まる。自身の心臓がうるさいくらいに跳ねるのに、周りの音も聞こえない。
 目が眩むような幸福の絶頂で、叶うことなら今この場で死んでしまいたいと、ラスターは思った。


 ◇


『――私はあなたの瞳が、気に入ったの』


 涼やかで甘い、声がする。
 また夢が始まった。

 動かない手足に汚泥のような絶望が染みていく。
 十九年前、ラスターの心が揺らめく紫にさらわれたあの日の夢だ。

『だからあなたの名前はラスター。これからどうぞよろしくね』

 初めて人と認められた少年の心は、その時もう戻れない場所へと落ちたのだと思う。
 誰よりも強くて美しいその人は、十九年前のその日からずっと、彼にとって唯一の光で希望で、全てだった。


『ごめんね、ラスター』

 場が暗転する。
 心臓を貫かれ血に濡れながら、彼女は情けなさそうに柔らかく微笑んだ。
 痛いのも苦しいのも全て自分の方だというのに、ラスターへの心配ばかりを目に宿して。

 過ぎた記憶だ。これは夢だ。そうはわかっていても、いや、そうだからこそ、氷のような絶望は胸から手足へ全身へと駆け巡る。叫びだしたいのに、声は喉に張り付き体はぴくりとも動かない。

『どうか、幸せになって』

 そんなことを言われるのなら自分の心臓を貫けと言われた方が幸せだった。
 到底無理な願いを口にして、彼の光はこの十六年間、毎晩彼の目の前で死んでいく。


 ◇


 リディアに再会してから二か月が経った。
 前のように闇雲に働くのをやめ、ラスターは大魔術師として最低限の仕事のみを引き受けるようになった。

 今日は鬱蒼と木々が迫る禁忌の森――かつて獰猛だった魔物がいるとされる、ダグラの森へと足を運んでいる。

「森もたまには良いものですね! ほら、上を見上げると木の葉っぱの隙間から、名前を言ってはいけないあの方の結界がきらきらと……心が洗われるようだなあ! そろそろ休憩しませんか?」
「黙れ」
「ちょっとラスター様、最近前にもまして冷たくないですか!?」

 ぎゃあぎゃあ騒ぐ部下は無視をする。馬鹿に構っている時間があったら、一秒でも早く仕事を終わらせて家に帰りたい。

(……今頃は、何をしてるんだろうか)

 大方、彼女は眠っているのだろう。彼女はラスターが可愛がっている黒猫と同じくらいよく眠る。

 ――十六年前までは、少し幼い彼女の寝顔が好きだった。眺めているだけで切ないような甘いような、奇妙な気持ちになったものだ。

(だが今はもう、眠っているディアの姿には不安しか浮かばない)

 早く。早く帰って、生きている彼女を見たい。温かい手に触れたい。

「あ、ラスター様。あそこに魔物が。……ええと、マンティコアですかね。あ、こっち見た」

 見ると真っ赤な人面ライオンが、日の当たる場所に寝そべりながらこちらを眺めている。文献によると人の肉を好む非常に好戦的な魔物だったとあるが、襲い掛かってくるような気配はない。

「……マンティコア、コカトリス、ジャバウォックにハルピュイア。今日確認した魔物に人を襲う兆候はないな」
「ふんふん。さすが名前を言ってはいけないあの方の結界! 二十年近く経っても余裕ですね!」

 ロードリックが何故か得意げに胸を張る。そうかと思えば急に眉根を寄せ、「まったく」と苛立たしげに口を開いた。

「なのに結界がいつ壊れるかわからないから今のうちに魔物を殲滅するべきだなんて。野蛮で怖い」


 今日、ラスターとロードリックが魔物の住む場所へと偵察に来たのは、結界の効果はまだ有効かどうかを調べるためだった。

 ディアナが鎮静の結界を考案してから間もなく二十年が経つ。
 しかし相変わらず、鎮静の結界を張れるのは現在ラスター一人のみだ。

 今後、万が一ラスターの身に何かが起こったときに備え、結界に頼る現状を変えるべきだという議論が最近なされるようになった。

「結界のおかげで、魔物との共存に否定的だった方々も随分と軟化したと聞いてましたが、ミラー公爵に感化されてまた魔物は滅ぼすべしという意見が強くなってきたとか」

 ミラー公爵は、魔物を殲滅せよと主張する過激派の筆頭だ。

 彼の魔物嫌いは筋金入りのようだ。幼いころ領地視察に赴いた際魔物に襲われ、両親と弟を失い、一人生き残った彼自身も顔に深い傷を負ったと言われている。
 そのため普段は、顔の半分を覆うように仮面をつけていた。

 二十年前に、ディアナは生物多様性の重要性を説いてこのミラー公爵と対立をした。
 鎮静の結界を張ることでミラー公爵の主張を退けたディアナを、ミラー公爵がどう思っているか想像に難くない。

 だから古龍討伐の際、ひたすら高圧的に命乞いをしていた、想像よりも情けないその男を助けようが迷った。
 しかし生かしたお陰で、十六年間探していた犯人がそいつではなかったことがわかり、犯人探しに必要な公爵位も得ることができた。


「さあ! 調査はこれくらいにして帰りましょう! 愛しの奥様が寂しがってますもんね~……ってラスター様!? 置いていかないでくださいね!?」

 言われずとも帰るつもりだ。ディアが寂しがってることは絶対にないが。
 ラスターのためにあの日すべてを失った彼女は、ラスターと再会することさえも望んでいなかった。それを知り目の前が真っ暗になったが――同時に、ひねくれた安堵もあった。

(もう俺のことを嫌いなら。嫌われたくない、などと考えなくてすむ)

 純粋だった恋心はあの日を境にねじ曲がってしまった。
 もう彼女を失わないためならなんでもする。罪悪感は消えないが、家族の元からさらったのは正解だったと、先日の広場の一件で確信をした。


 リディアはあの時一瞬の躊躇いもなく、暴走する馬車に向かった。
 保護魔術がかかっているからだと言ったが、断言する。その時のリディアに、そんなことは頭になかったはずだ。

 何故怒っているのかわからない、といった顔でこちらを見ている紫の目を見た瞬間、ラスターは泣きたいような激情に駆られた。

 めちゃくちゃにしてやりたい。傷つけたい。もうお前は俺のものなのだと、その体に思い知らせてやりたい。

 どろどろに甘やかしたい。大切にしたい。一度も守らせてくれずに目の前で死んでしまった彼女を、何の危険も及ばない場所に閉じ込めて陽だまりの中で眠る姿を見ていたい。


 だけど彼女はそんな激情を知らずに、精霊への祈りを唱えて。
 十九年前のあの日と、同じ光を放つ彼女に途方に暮れた。

 きっとこれからもあのひとは、隠しきれない光を放つのだろう。

(今度こそは、俺が守る)

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ鬱陶しい部下を仕事場の机に飛ばす。報告などの処理は彼の仕事だ。

 ラスターは目を瞑って吐息をつく。そしてどうしようもない妻の待つ屋敷へと、転移した。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

フリーターは少女とともに

マグローK
キャラ文芸
フリーターが少女を自らの祖父のもとまで届ける話 この作品は カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/1177354054891574028)、 小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n4627fu/)、 pixiv(https://www.pixiv.net/novel/series/1194036)にも掲載しています。

逃げてもいいですか?…ダメ?…なら契約を…

ねこママ
恋愛
あの日は、王子様方の婚約者選別お茶会開催日でしたわ。 この時わたくしはまだ9歳。王子様に会えると言う両親の甘言を真に受け、王宮までやって来たのでした。 王子達の自己紹介とその顔を見た瞬間、目の前が真っ暗になり…あの映像が…… それからはひたすら王子達を避け続け、頑なに婚約者になるのを拒んでいました。 何故って?…前世を思い出したからですよ。 ここは前世で遊んでいた乙女ゲーム『あなたを癒す光の乙女』の世界なんですもの… お願いだからわたくしを構いに来ないで下さいませ。 「お2人の内どちらかなんてわたくしには選べませんわ」と正式にお断りしたら正式なお返事が来ました。 「…………はああああっ!?」 あり得ない…ホントあり得ないですわ… 何をどうしたらそうなるんですの!?

転生令嬢はのんびりしたい!〜その愛はお断りします〜

咲宮
恋愛
私はオルティアナ公爵家に生まれた長女、アイシアと申します。 実は前世持ちでいわゆる転生令嬢なんです。前世でもかなりいいところのお嬢様でした。今回でもお嬢様、これまたいいところの!前世はなんだかんだ忙しかったので、今回はのんびりライフを楽しもう!…そう思っていたのに。 どうして貴方まで同じ世界に転生してるの? しかも王子ってどういうこと!? お願いだから私ののんびりライフを邪魔しないで! その愛はお断りしますから! ※更新が不定期です。 ※誤字脱字の指摘や感想、よろしければお願いします。 ※完結から結構経ちましたが、番外編を始めます!

異世界転移した私が人間の心を取り戻すまで

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
 人生なにをしたって負け組な村瀬すずは、ある日突然異世界転移してしまう。  自分に自信をなくし、サイテーなダメ人間となってしまったすずは優しき人間の心を取り戻せるのか!?    思いつきで書いているため不定期更新となりますがよろしくお願いします。  時々残酷描写ありますが、そこまで酷くないはずです。  

まったりライフは異世界で

りまり
ファンタジー
 都会の現存に疲れたあたしこと今年35歳になり今だ結婚相手もいないこのままずるずるとこんな生活を送るのかと思うと、思い切って田舎に引っ越しして自給生活でも送ろうかと最近考えているんです。  喫茶店でもやりながらのんびりするのもいいなと思い描きながら寝るとそこは不思議な世界でした。  

わたくし、今から義妹の婚約者を奪いにいきますの。

みこと。
恋愛
義妹レジーナの策略によって顔に大火傷を負い、王太子との婚約が成らなかったクリスティナの元に、一匹の黒ヘビが訪れる。 「オレと契約したら、アンタの姿を元に戻してやる。その代わり、アンタの魂はオレのものだ」 クリスティナはヘビの言葉に頷いた。 いま、王太子の婚約相手は義妹のレジーナ。しかしクリスティナには、どうしても王太子妃になりたい理由があった。 ヘビとの契約で肌が治ったクリスティナは、義妹の婚約相手を誘惑するため、完璧に装いを整えて夜会に乗り込む。 「わたくし、今から義妹の婚約者を奪いにいきますわ!!」 クリスティナの思惑は成功するのか。凡愚と噂の王太子は、一体誰に味方するのか。レジーナの罪は裁かれるのか。 そしてクリスティナの魂は、どうなるの? 全7話完結、ちょっぴりダークなファンタジーをお楽しみください。 ※同タイトルを他サイトにも掲載しています。

旅の道連れ、さようなら【短編】

キョウキョウ
ファンタジー
突然、パーティーからの除名処分を言い渡された。しかし俺には、その言葉がよく理解できなかった。 いつの間に、俺はパーティーの一員に加えられていたのか。

夫が離縁に応じてくれません

cyaru
恋愛
玉突き式で婚約をすることになったアーシャ(妻)とオランド(夫) 玉突き式と言うのは1人の令嬢に多くの子息が傾倒した挙句、婚約破棄となる組が続出。貴族の結婚なんて恋愛感情は後からついてくるものだからいいだろうと瑕疵のない側の子息や令嬢に家格の見合うものを当てがった結果である。 アーシャとオランドの結婚もその中の1組に過ぎなかった。 結婚式の時からずっと仏頂面でにこりともしないオランド。 誓いのキスすらヴェールをあげてキスをした風でアーシャに触れようともしない。 15年以上婚約をしていた元婚約者を愛してるんだろうな~と慮るアーシャ。 初夜オランドは言った。「君を妻とすることに気持ちが全然整理できていない」 気持ちが落ち着くのは何時になるか判らないが、それまで書面上の夫婦として振舞って欲しいと図々しいお願いをするオランドにアーシャは切り出した。 この結婚は不可避だったが離縁してはいけないとは言われていない。 「オランド様、離縁してください」 「無理だ。今日は初夜なんだ。出来るはずがない」 アーシャはあの手この手でオランドに離縁をしてもらおうとするのだが何故かオランドは離縁に応じてくれない。 離縁したいアーシャ。応じないオランドの攻防戦が始まった。 ★↑例の如く恐ろしく省略してますがコメディのようなものです。 ★読んでいる方は解っているけれど、キャラは知らない事実があります。 ★9月21日投稿開始、完結は9月23日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

処理中です...