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悪夢と光(ラスター視点)
しおりを挟むさらさらと流れる銀の髪、紫水晶のように濃く輝く紫の瞳。
強行したパレードの雑踏の中から、以前と違った色彩の彼女を見つけた瞬間、頭よりも先に体が歓喜に打ち震えた。
(生きてる。ディアが。本当に)
息が止まる。自身の心臓がうるさいくらいに跳ねるのに、周りの音も聞こえない。
目が眩むような幸福の絶頂で、叶うことなら今この場で死んでしまいたいと、ラスターは思った。
◇
『――私はあなたの瞳が、気に入ったの』
涼やかで甘い、声がする。
また夢が始まった。
動かない手足に汚泥のような絶望が染みていく。
十九年前、ラスターの心が揺らめく紫にさらわれたあの日の夢だ。
『だからあなたの名前はラスター。これからどうぞよろしくね』
初めて人と認められた少年の心は、その時もう戻れない場所へと落ちたのだと思う。
誰よりも強くて美しいその人は、十九年前のその日からずっと、彼にとって唯一の光で希望で、全てだった。
『ごめんね、ラスター』
場が暗転する。
心臓を貫かれ血に濡れながら、彼女は情けなさそうに柔らかく微笑んだ。
痛いのも苦しいのも全て自分の方だというのに、ラスターへの心配ばかりを目に宿して。
過ぎた記憶だ。これは夢だ。そうはわかっていても、いや、そうだからこそ、氷のような絶望は胸から手足へ全身へと駆け巡る。叫びだしたいのに、声は喉に張り付き体はぴくりとも動かない。
『どうか、幸せになって』
そんなことを言われるのなら自分の心臓を貫けと言われた方が幸せだった。
到底無理な願いを口にして、彼の光はこの十六年間、毎晩彼の目の前で死んでいく。
◇
リディアに再会してから二か月が経った。
前のように闇雲に働くのをやめ、ラスターは大魔術師として最低限の仕事のみを引き受けるようになった。
今日は鬱蒼と木々が迫る禁忌の森――かつて獰猛だった魔物がいるとされる、ダグラの森へと足を運んでいる。
「森もたまには良いものですね! ほら、上を見上げると木の葉っぱの隙間から、名前を言ってはいけないあの方の結界がきらきらと……心が洗われるようだなあ! そろそろ休憩しませんか?」
「黙れ」
「ちょっとラスター様、最近前にもまして冷たくないですか!?」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ部下は無視をする。馬鹿に構っている時間があったら、一秒でも早く仕事を終わらせて家に帰りたい。
(……今頃は、何をしてるんだろうか)
大方、彼女は眠っているのだろう。彼女はラスターが可愛がっている黒猫と同じくらいよく眠る。
――十六年前までは、少し幼い彼女の寝顔が好きだった。眺めているだけで切ないような甘いような、奇妙な気持ちになったものだ。
(だが今はもう、眠っているディアの姿には不安しか浮かばない)
早く。早く帰って、生きている彼女を見たい。温かい手に触れたい。
「あ、ラスター様。あそこに魔物が。……ええと、マンティコアですかね。あ、こっち見た」
見ると真っ赤な人面ライオンが、日の当たる場所に寝そべりながらこちらを眺めている。文献によると人の肉を好む非常に好戦的な魔物だったとあるが、襲い掛かってくるような気配はない。
「……マンティコア、コカトリス、ジャバウォックにハルピュイア。今日確認した魔物に人を襲う兆候はないな」
「ふんふん。さすが名前を言ってはいけないあの方の結界! 二十年近く経っても余裕ですね!」
ロードリックが何故か得意げに胸を張る。そうかと思えば急に眉根を寄せ、「まったく」と苛立たしげに口を開いた。
「なのに結界がいつ壊れるかわからないから今のうちに魔物を殲滅するべきだなんて。野蛮で怖い」
今日、ラスターとロードリックが魔物の住む場所へと偵察に来たのは、結界の効果はまだ有効かどうかを調べるためだった。
ディアナが鎮静の結界を考案してから間もなく二十年が経つ。
しかし相変わらず、鎮静の結界を張れるのは現在ラスター一人のみだ。
今後、万が一ラスターの身に何かが起こったときに備え、結界に頼る現状を変えるべきだという議論が最近なされるようになった。
「結界のおかげで、魔物との共存に否定的だった方々も随分と軟化したと聞いてましたが、ミラー公爵に感化されてまた魔物は滅ぼすべしという意見が強くなってきたとか」
ミラー公爵は、魔物を殲滅せよと主張する過激派の筆頭だ。
彼の魔物嫌いは筋金入りのようだ。幼いころ領地視察に赴いた際魔物に襲われ、両親と弟を失い、一人生き残った彼自身も顔に深い傷を負ったと言われている。
そのため普段は、顔の半分を覆うように仮面をつけていた。
二十年前に、ディアナは生物多様性の重要性を説いてこのミラー公爵と対立をした。
鎮静の結界を張ることでミラー公爵の主張を退けたディアナを、ミラー公爵がどう思っているか想像に難くない。
だから古龍討伐の際、ひたすら高圧的に命乞いをしていた、想像よりも情けないその男を助けようが迷った。
しかし生かしたお陰で、十六年間探していた犯人がそいつではなかったことがわかり、犯人探しに必要な公爵位も得ることができた。
「さあ! 調査はこれくらいにして帰りましょう! 愛しの奥様が寂しがってますもんね~……ってラスター様!? 置いていかないでくださいね!?」
言われずとも帰るつもりだ。ディアが寂しがってることは絶対にないが。
ラスターのためにあの日すべてを失った彼女は、ラスターと再会することさえも望んでいなかった。それを知り目の前が真っ暗になったが――同時に、ひねくれた安堵もあった。
(もう俺のことを嫌いなら。嫌われたくない、などと考えなくてすむ)
純粋だった恋心はあの日を境にねじ曲がってしまった。
もう彼女を失わないためならなんでもする。罪悪感は消えないが、家族の元からさらったのは正解だったと、先日の広場の一件で確信をした。
リディアはあの時一瞬の躊躇いもなく、暴走する馬車に向かった。
保護魔術がかかっているからだと言ったが、断言する。その時のリディアに、そんなことは頭になかったはずだ。
何故怒っているのかわからない、といった顔でこちらを見ている紫の目を見た瞬間、ラスターは泣きたいような激情に駆られた。
めちゃくちゃにしてやりたい。傷つけたい。もうお前は俺のものなのだと、その体に思い知らせてやりたい。
どろどろに甘やかしたい。大切にしたい。一度も守らせてくれずに目の前で死んでしまった彼女を、何の危険も及ばない場所に閉じ込めて陽だまりの中で眠る姿を見ていたい。
だけど彼女はそんな激情を知らずに、精霊への祈りを唱えて。
十九年前のあの日と、同じ光を放つ彼女に途方に暮れた。
きっとこれからもあの女は、隠しきれない光を放つのだろう。
(今度こそは、俺が守る)
ぎゃあぎゃあと騒ぐ鬱陶しい部下を仕事場の机に飛ばす。報告などの処理は彼の仕事だ。
ラスターは目を瞑って吐息をつく。そしてどうしようもない妻の待つ屋敷へと、転移した。
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