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平行世界へのエレベーター
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西山先輩のマンションにあるエレベータで、以前に調べた方法を試すことが出来るかもしれない。それを知ってからの僕の行動は早く、バイトが終わると急いで家に戻り、今夜の検証実施に向けて計画を練る。先輩のマンションは10階建て。話によれば、9時以降になるとマンションの出入りは少なくなる。エレベーターを使ってパラレルワールドへ行く方法の条件を満たしているし、途中で邪魔されないという好条件だ。
カップ麺の包装を剥がし、フタを開け、沸騰した湯をトクトクと注ぐ。箸を重し替わりにフタに置き、スマホを開いて時間を見る。
3月7日 8時42分。麺の出来上がりは45分。それを食べてから家を出る準備をし10時ぐらいに撮影を始められるようにしよう。先輩のマンションには一度行ったことがあり、前いったときは自転車で10分程度だったから9時半に出れば余裕だと考える。それまでは、麺をすすりながら悠々と過ごそう。
前の夜。正確に言えば今日の2時20分頃。合わせ鏡を行ったとき、僕はちょっとした怪奇現象を経験したが、残念ながらビデオカメラでは鏡のなかでうごめくものは映っていなかった。僕が聞いたささやく声も音声に残っておらず、僕が「ふっ!」と叫んでカメラから消えるシーンはただ恥ずかしいだけだった。僕の気のせいかもしれないが、実際に悪魔を呼びかけたのかもしれない。もし、この動画をそのまま載せたことで、視聴者に被害が及んだり、霊感があるとかなんとかで、気分が悪くなったという苦情が「飽きた」の動画よりも来てしまえば、今後の活動に支障がでてしまうだろう。最悪、アカウントがBANされ、今まで集めてきた再生数が無にされてしまうことだけは避けなければならない。結局、僕が怪奇現象を経験したシーンはすべてカットし、似たような動画を撮り直してくっ付け、何事もなかったかのようにした。具体的に言うと撮り始めのあいさつシーンと時間を確認するシーンはそのまま使用し、鏡を構えるシーンとドヤ顔で「何も起こらなかったです!」と言うシーンは朝方に撮った別の動画をくっ付けた。その後に、合わせ鏡にまつわる都市伝説を紹介する2分ぐらいのパートを添えて全体的に5分の動画になった。
あれから体に何も異変は無いし、幻聴、幻視だったのだという気がしてきた。久しぶりに夜更かしをしたことで疲れていただけかもしれない。
ズルズル、クチャクチャ。3分きっちりにフタを開け、麺をすすり始める。投稿した動画の再生数を調べる。
「うむ。4500回か・・・・・・」
前回の動画よりも減るのは予想していた。オチもやっぱり想像できるものだったし、怪奇現象の部分はすべてカットしたため、気分が悪くなった等のコメントもない。前回の動画で僕のことを知ってもらえたのに、惜しいことをしたかもしれない。
だが、心配ご無用。次のネタはかなり期待が出来る。今までは紙に字を書いたり、鏡を持ったりするだけで絵柄は地味だったが、今日は外に出て行動する。時間も手順のおかげで長くなることで、視聴者も今まで以上の緊張感と恐怖感を感じてくれるはずだ。エレベーターが上下するだけで平行世界など行けるわけがないと僕は心のどこかで思っている。それゆえ、安心して動画を撮ることが出来る。ただ、撮影許可なんてとってないから建物もろもろ、モザイクをかける必要があるし、やってる最中に住民とすれ違ってカメラを持った不審者と間違われてしまうのではないかという不安の方がいまの僕にとっては大きい。
「さて・・・・・・」
9時半。ちょっと厚着をして家を出る。外は曇っており月の光も見えない。自転車に乗り、いきなり立ちこぎで飛ばしていく。冷たい風が頬を撫でていく。3月を過ぎ、少しづつ暖かくなってきたと思ったが、まだ夜は冷え込む。とは言っても、僕の体はこれからの期待で胸が躍り、寒さで気分までは冷えなかった。それと同時にさっき食べた温かいカップ麺がおなかを芯から温めてくれているようだ。
お店の街灯や車が走る音を聞きつつ自転車をこぐこと10分。先輩のアパートへ着く。マンションに住む人以外でも、普通に部屋の前まで行けるタイプのセキュリティでよかった。もしそうだったら、エレベーターにさえ乗るとも出来なかっただろう。1階に止まったエレベーターの前に立ち、指差しで10階あるかを確かめる。
よし、10階まである。
そうと決まれば、さっさと撮ろう。現在9時43分。マンションの人とは今のところすれ違ってないし、防犯カメラは無い。大丈夫。不審者として捕まったときはその時だ・・・・・・。ささっと撮ろう。きっと10時過ぎには検証し終えれる。
自分の顔が映るようカメラを構える。背景はどうせモザイクかけちゃうからむしろ、映らない方が手間が減っていい。カメラのモニターいっぱいに僕の顔を映す。
「どーもー皆さん。かじやんですっ~」
いつも通りの挨拶。今、誰かに見られていたとしたらきっと僕は不審者だろうな・・・・・・。さわいでいることがバレぬよう、前の鏡の動画の時よりもさらに声量を下げてトークをする。手順の説明は後で付け加えるとして、とりあえず早いうちに検証動画を撮らなければ。
さっそく上に行くボタンを押す。手順はすでに家で頭に叩き込んできた。乗ったらすぐに4階のボタンを押す。扉が閉まり、ガクッと下に少し落ちたと思ったら、鉄籠は上品に上昇を始める。小さい頃はこのぞわってする感覚を楽しみにしていたが、そんな気持ちはいつの間にか忘れてしまった。
チーン。4階だ。扉が開き、誰もいない廊下を見て一安心。次の2階を目指し、ボタンを押す。カメラは常に右手に持ち、変化する電子版の数字を映す。時にはエレベーター内全体を映しつつ、くだらない小話も交える。
チーン。2階。
「誰もいませんように、誰もいませんように、誰もいな~い」
扉を開くタイミングに合わせて馬鹿みたいに場をつなぐ。もちろん、扉の先に人がいたら大恥をかくだろう。だが運よく人はいない。扉を閉じ、次の階へ。次は6階だ。
先輩が住んでいる部屋の階だ。もし先輩が乗ってきたらどうしよう。もう自分が動画投稿をしていることをばらす羽目になるだろう。しかし、カメラを持った不審者だと思われて管理人に通報されるよりはましだ。昼に聞いた先輩の話を思い出す。こんな人気の少ないマンションでイタズラする奴はどういうつもりだったのだろう・・・・・・。
チーン。6階に着く。
「はっ」
つい考え事をしていて無口になってしまっていた。いかんいかん。ちゃんと間をつないでいかないと。
「さぁ、順調にやってきました。他人が乗ってこないかだけが不安ですね」
扉が開く。だれもいない。
「ふう」
先輩と鉢合わせする可能性がすこしでもある以上気は抜けないが、手順もあと少しだ。次はもう一度2階。誰も乗ってこないことを祈りつつ、電子版の数字を眺める。
チーン。2階につく。運よくここでも誰も居ない。さあ次は10階だ。扉が閉まり、僕が10階へのボタンを押したことでエレベーターは最上階へ向けて動く。
「にしても、最近寒いですね~」
適当な話題が浮かび上がらず、奥様方の世間話みたいになる。最悪ここは早送りでカットするか。やっぱり次に身につける必要があるのはトークスキルだな。動画編集だけでも再生数の上昇は見られたが、そもそも素材がよければ編集など必要ないのだ。と有名動画配信者みたいなことを考える。
2階から10階に着くまでの時間は思ったよりも早かった。
チーン。よし、誰もいない。あとは5階まで降りて案内人の女性が乗ってくるのを待つだけだ。扉が閉まり、次の目的地の5階のボタンを押す。
カメラをずっと持っていたせいか、それとも、本当にパラレルワールドに行ってしまったらどうするという不安か、右手が汗でねっとりしてきたのを感じ、ズボンで汗を拭く。しかし、前の鏡の時のような何かが迫ってきている様子もないし、音もない。きっと次の階で女性は乗ってこず、パラレルワールドには行けないだろう。
チーン。5階に着く。どうせ誰もいないだろうから早く扉を閉めてしまおうと思い、閉じるのボタンに左の人差し指をそえる。そして扉が開く。
コツ・・・・・・コツ・・・・・・。
コツ・・・・・・コツ・・・・・・。
いる。廊下側から。
黒髪の女性が入ってくる。円盤型のUFOのようなつばの広い帽子。3月の季節感とはずれた格好なのは確かだ。反射的にカメラを体で隠し、目線を行先がわかる電子版に向けて斜め上にしたため、どんな顔をしていたかなどの事細かい彼女の情報は得られなかった。
まさか・・・・・・案内人?本当に案内人?それとも普通に一般人?確かめる方法は?
何階ですか?と聞いてみて、一般の人かを確かめるべきか?嫌、話しかけたらこの検証は失敗になってしまう。だけど、このままカメラを撮り続けるのも不審者だと思われかねない。
僕は、そっとカメラを閉じ、ズボンのポケットへねじ込む。もちろん、彼女からは見えないよう体で隠しながら。
どうする・・・・・・。最後までやるか。もし、1階のボタンを押しても1階に向かわず、10階へ向かって上昇しだしたら最後、その先はパラレルワールド。
「う・・・・・・」
ボタンに添えていた左手が震える。動画を撮っていない時点で僕がこのままエレベーターに乗っている必要はない。今すぐ降りて階段を使い、家に帰ってもいいのだ。途中で人が乗ってきたので今日は断念という形にしてもいい。だが5階で女性の人が乗ってきた。帽子もかぶっているし、その人が案内人だとしたら、パラレルワールドへ行く方法が正しいものだったと証明することになる。
そのまま行ったらどうなる。そういえば帰り方は・・・・・・知らない。どうせ成功するはずがないと面倒くさがり、調べてこなかった自分を恨んだ。向こうで同じ方法あるいは逆の方法をすれば帰ってこれるのだろうか?それとも・・・・・・。
一気に思考が頭の中を埋め尽くす。カメラをもう握っていないのにも関わらず、せっかく拭いた右手の汗も元に戻っていた。耳の先から足の先まで元気よく血液が流れているのを感じ、鼻の穴を大きくして、できる限り新鮮な息を吸おうとしている自分に気づく。この状態になって時間が止まったように感じたが、そうでもなかったらしい、扉が閉まり、次の行先を待っている。帽子を被った女性は行先を指定していないようで、じっと僕の背後で動き出すのを待っているのだろう。
すみませんお待たせしました。今からこの鉄籠を動かします。行先はきっと1階だろう。僕も同じです・・・・・・。
かちっと1階のボタンを押す。
ぐわっとエレベーターは下に大きめに落ちる感覚を僕に与えた。このまま下に向かって落ち続けてくれたら平凡な日常へ帰ることが出来るのだろう。残念ながら、いつものようにエレベーターは、落ちるという感覚を僕に与えたと思いきや、上昇を始める。左右にさっきまでとは違う揺れを感じる。
まずい。上に・・・・・・。上に向かっている!
「ふーっ、ふーっ」
6・・・・・・
7・・・・・・
8・・・・・・
僕の体は揺れる。エレベーターに揺られていたからでもあるが、ことの異常さに気づき始め、挙動不審になり始めたからでもあった。足踏みをし、あちこちに視線を動かし、右手でエレベーターの壁に触れて落ちつこうとするも効果はない。視線を動かしたときに、その勢いを利用して後ろにいる女性を見る。何もしゃべらず、ただ下を向いているだけ、帽子のつばが邪魔をして顔は見えない。
電子版の表記が8~9に移ろうとしている。駄目だ。僕にはこの先を見届ける勇気がない!あのネットで書かれていた情報を思い出す。
10階に着くまでに他の階のボタンを押すと、パラレルワールドへ行くのを中断できます。ここが中断できる最後のチャンスだとされていますので、覚悟のない方はここでやめましょう。
カチカチカチカチ!急いで、エレベーターの9階のボタンを押す!これで中断したことになるのか?間に合ったのか?わからないわからないが・・・・・・。
チーン。電子版に表示された番号は 10。
扉が開く。ここで、自分が一番に出ていくのではなく、開くボタンを押し、中の人が出ていくのを待つのが出来る男だ。いつもの僕ならそうしていた。だが、今の僕にはそんな余裕はなかった。扉が開ききる前に体を横にしてまで扉を抜け、エレベーターから降り、階段を使って10階から1階まで駆け下りた。エレベーターの中にいた女性が何をしていたのかなんて見ていない。ただ自転車の元へ早く行き、それに乗って家へ向かいたいという一心だった。
駐輪場に着く。だが、僕の思いと裏腹に自転車は見つからない。嘘だろ。30分立っていないというのに、まさかパクられてしまったのか?マンションの駐輪所はそんなに広くなく、止めた場所も特別見にくいというわけではなかったのに・・・・・・。こんな夜遅くから警察に届け出るのも面倒だ。それに、何をしていたのかを聞かれたときに、エレベーターで動画を撮っていたなんて言いづらい。その後、僕はしぶしぶ片道10分の道のりを、後ろから見られているのではないかという恐怖におびえながら20分近くかけて帰った。
やけに静かで、車が走る音が聞こえなかったのを後日、僕は思い出す。
交通人と誰一人すれ違っていなかったことも。
カップ麺の包装を剥がし、フタを開け、沸騰した湯をトクトクと注ぐ。箸を重し替わりにフタに置き、スマホを開いて時間を見る。
3月7日 8時42分。麺の出来上がりは45分。それを食べてから家を出る準備をし10時ぐらいに撮影を始められるようにしよう。先輩のマンションには一度行ったことがあり、前いったときは自転車で10分程度だったから9時半に出れば余裕だと考える。それまでは、麺をすすりながら悠々と過ごそう。
前の夜。正確に言えば今日の2時20分頃。合わせ鏡を行ったとき、僕はちょっとした怪奇現象を経験したが、残念ながらビデオカメラでは鏡のなかでうごめくものは映っていなかった。僕が聞いたささやく声も音声に残っておらず、僕が「ふっ!」と叫んでカメラから消えるシーンはただ恥ずかしいだけだった。僕の気のせいかもしれないが、実際に悪魔を呼びかけたのかもしれない。もし、この動画をそのまま載せたことで、視聴者に被害が及んだり、霊感があるとかなんとかで、気分が悪くなったという苦情が「飽きた」の動画よりも来てしまえば、今後の活動に支障がでてしまうだろう。最悪、アカウントがBANされ、今まで集めてきた再生数が無にされてしまうことだけは避けなければならない。結局、僕が怪奇現象を経験したシーンはすべてカットし、似たような動画を撮り直してくっ付け、何事もなかったかのようにした。具体的に言うと撮り始めのあいさつシーンと時間を確認するシーンはそのまま使用し、鏡を構えるシーンとドヤ顔で「何も起こらなかったです!」と言うシーンは朝方に撮った別の動画をくっ付けた。その後に、合わせ鏡にまつわる都市伝説を紹介する2分ぐらいのパートを添えて全体的に5分の動画になった。
あれから体に何も異変は無いし、幻聴、幻視だったのだという気がしてきた。久しぶりに夜更かしをしたことで疲れていただけかもしれない。
ズルズル、クチャクチャ。3分きっちりにフタを開け、麺をすすり始める。投稿した動画の再生数を調べる。
「うむ。4500回か・・・・・・」
前回の動画よりも減るのは予想していた。オチもやっぱり想像できるものだったし、怪奇現象の部分はすべてカットしたため、気分が悪くなった等のコメントもない。前回の動画で僕のことを知ってもらえたのに、惜しいことをしたかもしれない。
だが、心配ご無用。次のネタはかなり期待が出来る。今までは紙に字を書いたり、鏡を持ったりするだけで絵柄は地味だったが、今日は外に出て行動する。時間も手順のおかげで長くなることで、視聴者も今まで以上の緊張感と恐怖感を感じてくれるはずだ。エレベーターが上下するだけで平行世界など行けるわけがないと僕は心のどこかで思っている。それゆえ、安心して動画を撮ることが出来る。ただ、撮影許可なんてとってないから建物もろもろ、モザイクをかける必要があるし、やってる最中に住民とすれ違ってカメラを持った不審者と間違われてしまうのではないかという不安の方がいまの僕にとっては大きい。
「さて・・・・・・」
9時半。ちょっと厚着をして家を出る。外は曇っており月の光も見えない。自転車に乗り、いきなり立ちこぎで飛ばしていく。冷たい風が頬を撫でていく。3月を過ぎ、少しづつ暖かくなってきたと思ったが、まだ夜は冷え込む。とは言っても、僕の体はこれからの期待で胸が躍り、寒さで気分までは冷えなかった。それと同時にさっき食べた温かいカップ麺がおなかを芯から温めてくれているようだ。
お店の街灯や車が走る音を聞きつつ自転車をこぐこと10分。先輩のアパートへ着く。マンションに住む人以外でも、普通に部屋の前まで行けるタイプのセキュリティでよかった。もしそうだったら、エレベーターにさえ乗るとも出来なかっただろう。1階に止まったエレベーターの前に立ち、指差しで10階あるかを確かめる。
よし、10階まである。
そうと決まれば、さっさと撮ろう。現在9時43分。マンションの人とは今のところすれ違ってないし、防犯カメラは無い。大丈夫。不審者として捕まったときはその時だ・・・・・・。ささっと撮ろう。きっと10時過ぎには検証し終えれる。
自分の顔が映るようカメラを構える。背景はどうせモザイクかけちゃうからむしろ、映らない方が手間が減っていい。カメラのモニターいっぱいに僕の顔を映す。
「どーもー皆さん。かじやんですっ~」
いつも通りの挨拶。今、誰かに見られていたとしたらきっと僕は不審者だろうな・・・・・・。さわいでいることがバレぬよう、前の鏡の動画の時よりもさらに声量を下げてトークをする。手順の説明は後で付け加えるとして、とりあえず早いうちに検証動画を撮らなければ。
さっそく上に行くボタンを押す。手順はすでに家で頭に叩き込んできた。乗ったらすぐに4階のボタンを押す。扉が閉まり、ガクッと下に少し落ちたと思ったら、鉄籠は上品に上昇を始める。小さい頃はこのぞわってする感覚を楽しみにしていたが、そんな気持ちはいつの間にか忘れてしまった。
チーン。4階だ。扉が開き、誰もいない廊下を見て一安心。次の2階を目指し、ボタンを押す。カメラは常に右手に持ち、変化する電子版の数字を映す。時にはエレベーター内全体を映しつつ、くだらない小話も交える。
チーン。2階。
「誰もいませんように、誰もいませんように、誰もいな~い」
扉を開くタイミングに合わせて馬鹿みたいに場をつなぐ。もちろん、扉の先に人がいたら大恥をかくだろう。だが運よく人はいない。扉を閉じ、次の階へ。次は6階だ。
先輩が住んでいる部屋の階だ。もし先輩が乗ってきたらどうしよう。もう自分が動画投稿をしていることをばらす羽目になるだろう。しかし、カメラを持った不審者だと思われて管理人に通報されるよりはましだ。昼に聞いた先輩の話を思い出す。こんな人気の少ないマンションでイタズラする奴はどういうつもりだったのだろう・・・・・・。
チーン。6階に着く。
「はっ」
つい考え事をしていて無口になってしまっていた。いかんいかん。ちゃんと間をつないでいかないと。
「さぁ、順調にやってきました。他人が乗ってこないかだけが不安ですね」
扉が開く。だれもいない。
「ふう」
先輩と鉢合わせする可能性がすこしでもある以上気は抜けないが、手順もあと少しだ。次はもう一度2階。誰も乗ってこないことを祈りつつ、電子版の数字を眺める。
チーン。2階につく。運よくここでも誰も居ない。さあ次は10階だ。扉が閉まり、僕が10階へのボタンを押したことでエレベーターは最上階へ向けて動く。
「にしても、最近寒いですね~」
適当な話題が浮かび上がらず、奥様方の世間話みたいになる。最悪ここは早送りでカットするか。やっぱり次に身につける必要があるのはトークスキルだな。動画編集だけでも再生数の上昇は見られたが、そもそも素材がよければ編集など必要ないのだ。と有名動画配信者みたいなことを考える。
2階から10階に着くまでの時間は思ったよりも早かった。
チーン。よし、誰もいない。あとは5階まで降りて案内人の女性が乗ってくるのを待つだけだ。扉が閉まり、次の目的地の5階のボタンを押す。
カメラをずっと持っていたせいか、それとも、本当にパラレルワールドに行ってしまったらどうするという不安か、右手が汗でねっとりしてきたのを感じ、ズボンで汗を拭く。しかし、前の鏡の時のような何かが迫ってきている様子もないし、音もない。きっと次の階で女性は乗ってこず、パラレルワールドには行けないだろう。
チーン。5階に着く。どうせ誰もいないだろうから早く扉を閉めてしまおうと思い、閉じるのボタンに左の人差し指をそえる。そして扉が開く。
コツ・・・・・・コツ・・・・・・。
コツ・・・・・・コツ・・・・・・。
いる。廊下側から。
黒髪の女性が入ってくる。円盤型のUFOのようなつばの広い帽子。3月の季節感とはずれた格好なのは確かだ。反射的にカメラを体で隠し、目線を行先がわかる電子版に向けて斜め上にしたため、どんな顔をしていたかなどの事細かい彼女の情報は得られなかった。
まさか・・・・・・案内人?本当に案内人?それとも普通に一般人?確かめる方法は?
何階ですか?と聞いてみて、一般の人かを確かめるべきか?嫌、話しかけたらこの検証は失敗になってしまう。だけど、このままカメラを撮り続けるのも不審者だと思われかねない。
僕は、そっとカメラを閉じ、ズボンのポケットへねじ込む。もちろん、彼女からは見えないよう体で隠しながら。
どうする・・・・・・。最後までやるか。もし、1階のボタンを押しても1階に向かわず、10階へ向かって上昇しだしたら最後、その先はパラレルワールド。
「う・・・・・・」
ボタンに添えていた左手が震える。動画を撮っていない時点で僕がこのままエレベーターに乗っている必要はない。今すぐ降りて階段を使い、家に帰ってもいいのだ。途中で人が乗ってきたので今日は断念という形にしてもいい。だが5階で女性の人が乗ってきた。帽子もかぶっているし、その人が案内人だとしたら、パラレルワールドへ行く方法が正しいものだったと証明することになる。
そのまま行ったらどうなる。そういえば帰り方は・・・・・・知らない。どうせ成功するはずがないと面倒くさがり、調べてこなかった自分を恨んだ。向こうで同じ方法あるいは逆の方法をすれば帰ってこれるのだろうか?それとも・・・・・・。
一気に思考が頭の中を埋め尽くす。カメラをもう握っていないのにも関わらず、せっかく拭いた右手の汗も元に戻っていた。耳の先から足の先まで元気よく血液が流れているのを感じ、鼻の穴を大きくして、できる限り新鮮な息を吸おうとしている自分に気づく。この状態になって時間が止まったように感じたが、そうでもなかったらしい、扉が閉まり、次の行先を待っている。帽子を被った女性は行先を指定していないようで、じっと僕の背後で動き出すのを待っているのだろう。
すみませんお待たせしました。今からこの鉄籠を動かします。行先はきっと1階だろう。僕も同じです・・・・・・。
かちっと1階のボタンを押す。
ぐわっとエレベーターは下に大きめに落ちる感覚を僕に与えた。このまま下に向かって落ち続けてくれたら平凡な日常へ帰ることが出来るのだろう。残念ながら、いつものようにエレベーターは、落ちるという感覚を僕に与えたと思いきや、上昇を始める。左右にさっきまでとは違う揺れを感じる。
まずい。上に・・・・・・。上に向かっている!
「ふーっ、ふーっ」
6・・・・・・
7・・・・・・
8・・・・・・
僕の体は揺れる。エレベーターに揺られていたからでもあるが、ことの異常さに気づき始め、挙動不審になり始めたからでもあった。足踏みをし、あちこちに視線を動かし、右手でエレベーターの壁に触れて落ちつこうとするも効果はない。視線を動かしたときに、その勢いを利用して後ろにいる女性を見る。何もしゃべらず、ただ下を向いているだけ、帽子のつばが邪魔をして顔は見えない。
電子版の表記が8~9に移ろうとしている。駄目だ。僕にはこの先を見届ける勇気がない!あのネットで書かれていた情報を思い出す。
10階に着くまでに他の階のボタンを押すと、パラレルワールドへ行くのを中断できます。ここが中断できる最後のチャンスだとされていますので、覚悟のない方はここでやめましょう。
カチカチカチカチ!急いで、エレベーターの9階のボタンを押す!これで中断したことになるのか?間に合ったのか?わからないわからないが・・・・・・。
チーン。電子版に表示された番号は 10。
扉が開く。ここで、自分が一番に出ていくのではなく、開くボタンを押し、中の人が出ていくのを待つのが出来る男だ。いつもの僕ならそうしていた。だが、今の僕にはそんな余裕はなかった。扉が開ききる前に体を横にしてまで扉を抜け、エレベーターから降り、階段を使って10階から1階まで駆け下りた。エレベーターの中にいた女性が何をしていたのかなんて見ていない。ただ自転車の元へ早く行き、それに乗って家へ向かいたいという一心だった。
駐輪場に着く。だが、僕の思いと裏腹に自転車は見つからない。嘘だろ。30分立っていないというのに、まさかパクられてしまったのか?マンションの駐輪所はそんなに広くなく、止めた場所も特別見にくいというわけではなかったのに・・・・・・。こんな夜遅くから警察に届け出るのも面倒だ。それに、何をしていたのかを聞かれたときに、エレベーターで動画を撮っていたなんて言いづらい。その後、僕はしぶしぶ片道10分の道のりを、後ろから見られているのではないかという恐怖におびえながら20分近くかけて帰った。
やけに静かで、車が走る音が聞こえなかったのを後日、僕は思い出す。
交通人と誰一人すれ違っていなかったことも。
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