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第十六話 フロー公爵令嬢の密通
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密偵の男は、なかなかに気さくな人物だった。
公爵領の片隅にある平民の一軒家にひっそりと暮らしている彼は私に嫌な顔一つせず、快活に笑いながらこちらの依頼を聞いてきた。
「シェナ・フロー公爵令嬢、そしてアルト・ウィルソン侯爵令息との関係を調べてほしいのです。それから、フロー公爵家に何か後ろ暗いところがあるかについても」
「ほぅ。依頼料は?」
「金貨十枚です。足りなければ倍額にしますが」
「いや、十枚で事足りますとも。期限はありますかい?」
「期限は一月以内でお願いします」
「はいよ」
交渉は予想以上にうまく行き、私は彼を雇うことができた。
アロッタ公爵家が信頼しているようだから多分大丈夫だろうとは思うが、あの公爵閣下のことを考えると本当に彼の腕が確かなのかは怪しいが、こちらとしては待つしかない。
気長に構えていよう、そんな風に思っていたものの、依頼してからたった五日後に彼はやって来た。
「調べてきましたぜ、公爵夫人」
完全に戸締まりしていたはずの屋敷の中に突如として現れた密偵は、私にニヤリと笑いかけて言う。
そして数枚の資料をこちらへ差し出しながら言った。
「こちらが使用人どもが公爵令嬢と侯爵令息のことを色々と喋っていたのを盗み聞きした内容。まあ、簡単に言えば愛のかけらもありゃしないってことです」
フォンスト伯爵令嬢二人――つまり私とジルのこと――と立て続けに婚約解消となったアルトは、ありもしない悪い噂が立ってしまい、なかなか婚約相手が見つからずに困っていた。
そこへ声をかけて来たのがフロー公爵家。娘のシェナ・フロー公爵令嬢を嫁がせる代わり、とある事業提携を結ぼうと言って来たらしい。
ウィルソン侯爵家はこれ幸いとそれを承認し、婚約は結ばれた。当のアルトの意思など無視の完全なる政略だった。
「ウィルソン侯爵令息はフロー公爵令嬢に失礼のないように接してはいるものの、特別な感情はなさそうなご様子。一方フロー公爵令嬢は表向きはいい顔をしながら部屋では侯爵令息を無能だの何だのと罵倒している声を聞いたという証言もありましたぜ」
「アルトが、無能?」
私は怒りに少しだけ声を震わせてしまった。
何を言っているんだ、あの女は。もしも彼女が今目の前にいたら間違いなくビンタしてしまっていたくらいだ。
だが同時に、そんな女にアルトが絆されていないことに心から安堵した。これなら胸が痛まないで済む。
他にも使用人たちのおしゃべりの内容が書かれていたが、どれも二人の冷め切った関係についてのものばかりで、特筆すべきものはなかった。
「これだけですか?」
「ああ、それでなんですがね、耳寄りな情報がありましたよ。
聞いて驚かないでください、かの名家、フロー公爵家の大醜聞。……シェナ・フロー公爵令嬢が隣国の皇太子と密通していたっていうんですよ」
「えっ」
公爵令嬢、それも筆頭公爵家の令嬢が隣国と密通?
耳を疑ったものの、どうやら嘘でも冗談でもないらしい。多少の不正やら何やらはあるだろうと想定していたがまさかここまで大事になるとは。
「詳しく聞かせてください」
前傾姿勢になりながら私は、密偵の男の話に聞き入った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
これで手札は揃った。
隣国との密通、それすなわち国家への反逆。それだけでフロー公爵令嬢――否、公爵家ごと潰すのは容易い。
だがこの問題はそれだけで終わらないだろう。しかしそれを理解した上で私は、密偵にもらった資料を元に侯爵家と王家に手紙を送った。
……ただし侯爵家宛てのものは名を伏せたから信用してもらえるかはわからなかったが、どちらにせよ王家が動けば同じ話だ。
こうして、一人の女が初恋を取り戻すための壮大な戦いが今ここに幕を開けた。
公爵領の片隅にある平民の一軒家にひっそりと暮らしている彼は私に嫌な顔一つせず、快活に笑いながらこちらの依頼を聞いてきた。
「シェナ・フロー公爵令嬢、そしてアルト・ウィルソン侯爵令息との関係を調べてほしいのです。それから、フロー公爵家に何か後ろ暗いところがあるかについても」
「ほぅ。依頼料は?」
「金貨十枚です。足りなければ倍額にしますが」
「いや、十枚で事足りますとも。期限はありますかい?」
「期限は一月以内でお願いします」
「はいよ」
交渉は予想以上にうまく行き、私は彼を雇うことができた。
アロッタ公爵家が信頼しているようだから多分大丈夫だろうとは思うが、あの公爵閣下のことを考えると本当に彼の腕が確かなのかは怪しいが、こちらとしては待つしかない。
気長に構えていよう、そんな風に思っていたものの、依頼してからたった五日後に彼はやって来た。
「調べてきましたぜ、公爵夫人」
完全に戸締まりしていたはずの屋敷の中に突如として現れた密偵は、私にニヤリと笑いかけて言う。
そして数枚の資料をこちらへ差し出しながら言った。
「こちらが使用人どもが公爵令嬢と侯爵令息のことを色々と喋っていたのを盗み聞きした内容。まあ、簡単に言えば愛のかけらもありゃしないってことです」
フォンスト伯爵令嬢二人――つまり私とジルのこと――と立て続けに婚約解消となったアルトは、ありもしない悪い噂が立ってしまい、なかなか婚約相手が見つからずに困っていた。
そこへ声をかけて来たのがフロー公爵家。娘のシェナ・フロー公爵令嬢を嫁がせる代わり、とある事業提携を結ぼうと言って来たらしい。
ウィルソン侯爵家はこれ幸いとそれを承認し、婚約は結ばれた。当のアルトの意思など無視の完全なる政略だった。
「ウィルソン侯爵令息はフロー公爵令嬢に失礼のないように接してはいるものの、特別な感情はなさそうなご様子。一方フロー公爵令嬢は表向きはいい顔をしながら部屋では侯爵令息を無能だの何だのと罵倒している声を聞いたという証言もありましたぜ」
「アルトが、無能?」
私は怒りに少しだけ声を震わせてしまった。
何を言っているんだ、あの女は。もしも彼女が今目の前にいたら間違いなくビンタしてしまっていたくらいだ。
だが同時に、そんな女にアルトが絆されていないことに心から安堵した。これなら胸が痛まないで済む。
他にも使用人たちのおしゃべりの内容が書かれていたが、どれも二人の冷め切った関係についてのものばかりで、特筆すべきものはなかった。
「これだけですか?」
「ああ、それでなんですがね、耳寄りな情報がありましたよ。
聞いて驚かないでください、かの名家、フロー公爵家の大醜聞。……シェナ・フロー公爵令嬢が隣国の皇太子と密通していたっていうんですよ」
「えっ」
公爵令嬢、それも筆頭公爵家の令嬢が隣国と密通?
耳を疑ったものの、どうやら嘘でも冗談でもないらしい。多少の不正やら何やらはあるだろうと想定していたがまさかここまで大事になるとは。
「詳しく聞かせてください」
前傾姿勢になりながら私は、密偵の男の話に聞き入った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
これで手札は揃った。
隣国との密通、それすなわち国家への反逆。それだけでフロー公爵令嬢――否、公爵家ごと潰すのは容易い。
だがこの問題はそれだけで終わらないだろう。しかしそれを理解した上で私は、密偵にもらった資料を元に侯爵家と王家に手紙を送った。
……ただし侯爵家宛てのものは名を伏せたから信用してもらえるかはわからなかったが、どちらにせよ王家が動けば同じ話だ。
こうして、一人の女が初恋を取り戻すための壮大な戦いが今ここに幕を開けた。
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