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第五十話 文句なしのハッピーエンド

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「――終わりました」

 濡れたドレスを引きずって噴水から出てきたメアリは、憑き物が落ちたような清々しい顔をしていた。
 いや、実際彼女には悪霊がついていたのだ。転生者という名の。

(意志の強さがあれば制圧できるとは思っていたけど、まさか綺麗さっぱり消滅させるとは……)

 私が普段はアイリーンの影で大人しくしているように、結局は自我の強さの問題。
 最終的にメアリの方が大きく勝り、転生者を打ち倒したのだろう。

 私たちを目の敵にし、ファブリス王子を執拗に狙っていた彼女はもうこの世界から消えた。
 どんな思いを抱きながら消えていったかはわからないが、『誰からも愛されるべきヒロイン』には相応しくない惨めな最期だったと言える。

 私たちは建物の影からこっそりと転生者とメアリのやり取りの一部始終を見ていた。
 これまでの一通りの事情の説明はファブリス王子に任せだ。私もアイリーンもしっかり転生者の末路を見届けておきたかったので、こうなった。

「なんだかスカッとしたわ! これでわたくしの平穏を脅かす者はいなくなったってわけね!」

 アイリーンはかなりのご機嫌だ。
 全ての憂いごとが消え失せたわけではないけれど、大きな決着がついたのだから当然だった。

「ライセット公爵令嬢、今までたくさんご迷惑をおかけしてすみませんでした。そして本当に、本当にありがとうございました。あなたたちがいなければあたしは永遠に奪われたままだった」

「別にいいのよ。わたくしはただあのピンク髪女が気に入らなかっただけだもの!」

 当たり前だが、本当のメアリに恨みはない。
 それどころかアイリーンがこんなことを言い出した。

「あんた、まあまあ気に入ったわ。良かったらわたくしの友人にならない?」

「えっ」

「だってピンク髪女を消したのはあんたでしょ? わたくしたちがうまい具合に和解したとなったらあんたが責め立てられる心配が減る。わたくしはあんたの味方も引き入れてさらに人気者になれる。いいこと尽くしだわ!」

(アイリーン、グイグイいきすぎでは?)

 今後の学園生活を考えれば、もっともな提案ではある。
 問題があるとすれば身分差のこと。公爵令嬢と男爵令嬢が親しくしているなんて、この学園ではなかなかあり得ない話だ。

「い、いいんですか……? あたし、平民上がりの男爵令嬢なのに」

 にっこりと力強く微笑むことで答えとするアイリーン。
 メアリは数秒間躊躇い……やがて恐る恐るながらにこちらの手を取った。

「今度、わたくしのワガシを振る舞ってあげるわ。楽しみにしておきなさい」

「はいっ」

 ――こうして、悪役令嬢とヒロインの戦いは終結したのだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ファブリス王子と学園長の話し合いの結果、アイリーンの引き続きの在学が認められた。
 メアリは五日間に渡る女子寮での謹慎処分。当事者同士の和解があったおかげでそれ以上の罰は下されることはなかった。

「ライセット公爵令嬢、申し訳ない。聞き取りの結果ハーマン男爵令嬢の訴えが真実であると判断し、国王陛下に知らせてしまった。撤回しなければ」

「そうしてもらえるとありがたいわ」

 学園長のおかげで真実は広く知れ渡ることになる。
 友人たちに囲まれて心配されまくったり、大勢の下級貴族の生徒たちから謝罪の嵐を浴びたりして、結構大変だった。

 そんなわけで、無事にアイリーンの学園生活は再開。
 朝はファブリス王子と登校し、授業を受け、放課後には勉強会をして二人で帰る。今まで通りでありながらとても尊い日常が戻ってくる。
 ……その、はずだったのだが。

「ふーん? 今回の件の功績を称えて、ねぇ?」

 騒動が鎮静してから半月も経たないうちに、また学園を出ることになった。

 きっかけはファブリス王子宛てに送りつけられてきた手紙。
 封に王家の紋章が刻まれたそれは、国王からのものだ。

 ファブリス王子の手から手紙を抜き取り、文面にサッと目を通したところ、書かれていたのはごく短いないようだった。
 『学園の騒動の沈静化、ご苦労であった。今回の件の功績を称えて褒美を遣わす』。たったそれだけ。

「ようやくか。大丈夫、怪しい用件じゃない。立太子の儀だよ」

「……立太子の儀?」

 思わず声に出し、首を傾げる私に彼が答える。

「僕はまだ第一王子だろう。ただの王子だったのが、確実に次期国王となり権力を持つ。最低限、一人前と認められたというわけだ。
 王太子になればもう、二度と勝手に婚約破棄なんて真似をされないで済む。たとえ他国の皇帝がアイリーンを求められても取れる手段が増えるから、王太子になっておきたかったんだ」

 そうか、そんな利点があるのか。
 少々王太子になりたかった理由が不純な気がしないでもないものの、口出しはしない。

「立太子の儀は正式な式典だから、社交デビューしていない年頃でも参加できることになっているんだけど……良かったらアイリーンにも参加してほしい」

「あら、そうなの? 行けないなら無理矢理にでも乗り込んでやろうと思っていたけれど、そういうことなら好都合ね! なんだか楽しそうだし、立太子の儀、ついて行ってあげるわ!!」

「ありがとう」

 国の式典というくらいだから、大勢集まるに違いなかった。
 また面倒ごとが引き起こされる可能性は充分あるが、だからと言って不安がっていても仕方がない。

(ファブリス王子もアイリーンも嬉しそうだから、まあいいか)

 そう思っておくことにした。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「十六歳で立太子なされるなんて、さすが王子殿下ですね。あたしなんかにはあまりにも雲の上の存在です」
「そうよ。わたくしのファブリス殿下はすごいんだから!」

 眩いほどに飾り立てられた会場の中央、光り輝くようなサテン生地のドレスを纏ったアイリーンは、すっかり親しくなったメアリと歓談しながら主役の登場を待っていた。

 初めての公の場だけれど儀式なので食事や酒は出されず、代わりにこっそり手作り菓子を持ち込んでいる。全く緊張していないのは、豪胆な性格のおかげだろう。
 メアリはあたりをきょろきょろ見回してばかりだ。

 学園長の指示で、開催日の周辺数日は休校。おかげで学園の生徒たちも全員この式典に参加している。

 もちろん参加者は若い子女だけではない。
 この場には老若男女、身分も様々の貴族たちが全員集められているのだ。

 隅の方に目をやればフェリシア王女――の姿をした紫彩が見え、手を振りながら駆け寄ってきた。

「アイリーン! 良かった、ファブリスから一応は聞いてたけど無事みたい……って、メアリ!?」

 ほっとしたような笑顔を一気に引き攣らせる紫彩。
 私は周囲に聞き耳を立てている者がいないのを確認して、小声で言った。

「驚くのもわかるけど、彼女はもう悪い子じゃないの。ね、メアリ?」

「はい。王女殿下にご挨拶申し上げます。ハーマン男爵家のメアリですっ!」

 メアリが辿々しいながらもドレスの裾を摘み、頭を下げる。
 しばらくの沈黙のあと、紫彩はこくりと頷いた。

「なるほどね。大体事情は飲み込めた。アイリーンが残ってるんだから、メアリも残っててもおかしくないってことか。……ごめんねメアリ。自由になれたみたいで良かった。
 来年からわたしも学園に入るの。だから仲良くしてね、先輩」

 多分メアリは紫彩の言葉の半分くらいの意味はわからなかったと思う。
 でも最後の一言だけはきちんと伝わったようで、「恐縮です」と言いながら笑みを交わしていた。

 そんな最中、控えていた楽隊が高らかにファンターレを吹き鳴らす。
 それが入場の合図ということは事前に聞いていた。一斉に会場が静まり返り、直後――。

 目が焼け焦げそうになるほど麗しい少年が現れた。

「……っ!!」

 言葉にならない声が漏れる。
 白地に金の刺繍の施された煌びやかな衣装。絵画の中から飛び出してきたかのようなその姿に、目を奪われずにはいられない。
 あとから入場した国王などどうでもよく思えるくらい、ファブリス王子は特別に目を引いた。

「皆の者、お集まりいただき感謝する。これより立太子の儀を開始する。――ファブリス・エインズワー・デービス。貴族学園より広まった此度の混乱を収めた手腕、なかなかのものである。故に、そなたこそが次代の王、すなわち王太子に相応しいと余は認めた」

「――――」

「この冠を譲り渡す時が来たようだ」

 白銀のクリスタルでできた小さな冠が、ファブリス王子の頭の上に被せられた。
 それは王太子である証。建国以来受け継がれてきたらしいと学園の授業で習ったのを思い出す。

 湧き上がる歓声。
 儀式の内容自体はものすごくあっさりしているのに、凛々しく引き締まった横顔を見ているだけで心が震えてしまう。

「罪なほどにお顔が良過ぎるわね、ファブリス殿下ったら……」

 アイリーンの呟きに完全同意だった。

 そして彼は無言のままで国王の前を離れ、ゆっくりと歩き出す。
 どこへ行くつもりなのか。それはすぐにわかった。

 だって、こちらへ向かって来ているのだから。

「王子殿下っ……!?」
「ファブリス、もしかして」

 すぐ背後の紫彩とメアリが囁き合う。

 そうしているうちにファブリス王子……いや、ファブリス王太子がアイリーンの目前に立っていた。
 懐に隠し持っていたらしい花束を取り出して、深々と地面に膝をつく。まるで、童話の中に出てくる騎士のように。

「これは一体どういうつもりかしら!」

 問いかければ、真剣な青の瞳と目が合う。
 一瞬視線を交えただけで、彼のこの行動が冗談でも何でもないことはわかった。

 胸が熱い。痛みを伴うほど激しく鼓動した。

「アイリーン。アイリーン・ライセット公爵令嬢。僕の気持ちをどうか受け取ってはくれないだろうか」

「何よ、そんなに改まって……」

「誰が何と言おうと、僕の最愛は君だけ、いや、君たちだけだ。それを一度しっかり言っておきたくてね」

 これは、あれだろうか。
 告白……されているのだろうか。こんな、大勢の前で?

 わかっては、いた。国外追放されかけていたところを助けられていた時点で、ファブリス王太子に愛されていたという理解しなかったわけがない。
 でも今『君たち』と言われたように思った。聞き間違いかも知れないが。

「僕はアイリーンのおかげで、ここまで来れた。強くて頼り甲斐があってワガママな、そんなアイリーンにどうしようもなく惚れ込んでしまった」

 それから、アイリーンと私に聞こえるのがやっとな声量で囁かれた。

「そしてアイ嬢。君とどう接するべきか、僕はまだ正しくわかっていない。でも誰よりもアイリーンを想ってくれていることはよくわかっている。追放されたアイリーンを助けてくれたのも、君だろう」

「なっ……!」

 アイリーンが叫びを堪え、唇を噛み締める。
 そういえばまだ、彼に私の存在を知らせていることを教えていなかった。

 (こんな形で驚かせるつもりはなかったのに)とぼんやり考えた。

「僕はアイ嬢もしっかりと愛していきたい。勝手かも知れないけど、そう思っているんだ」

 沈黙が落ちる。
 私は、なんと答えたらいい? 嬉し過ぎるはずなのに言葉が出てこない。

 ――彼が私のことを考えてくれていたなんて、それをこんな場所で告げられるなんて、思ってもみなくて。

「召使のくせに勝手にわたくしたちのことを話したのね、アイ!」

 やれやれと肩をすくめたアイリーン。
 ほんの少し悪戯っぽく笑いながら、彼女はファブリス王太子と同じ高さになるよう屈み込んで――。

「この花束はいただくとするわね! だってわたくし、ファブリス殿下のことが好きだもの!」

 王太子の口元に、容赦なく唇を突きつけた。

 式典の参加者たちがどよめく。国王などは、「ライセット家のワガママ娘めが……」と頭を抱えてしまっていたし、紫彩もメアリも黄色い声を上げていた。
 でもそんなこと、全く気にならない。すぐそこで顔を赤くしているファブリス王太子の尊さしか感じられなかったから。

(私も……)

 好きだ。この人のことが、好きだ。
 恋心が疼き、甘い感覚がもっと欲しくなる。一度唇を離してから私はすぐに重ね合わせた。

 ちゅっと軽い音が鳴った。

 これが、私からの返答。言葉にできない想いを全て込めた。
 「伝わったよ」とでも言うように、アイリーンの、そして私の銀の髪をそっと撫でられる。

 私の、アイリーンの、ファブリス王太子の。
 それぞれの初恋が実った瞬間だった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 口付けのせいでメアリを含む友人たちなどから色々騒がれたが、そこは割愛しよう。
 私にとって大事なのはファブリス王太子と心を通わせられた、それだけだ。

 式典終了後、王宮にて別れることになった紫彩が、泣きそうな顔で言った。

「なんか感動しちゃった。わたしの想像なんて軽く超えた、文句なしのハッピーエンドだったよ」

 一度は破滅して、何もかも終わってしまったかと思った。
 でも私たちは今こうしてここにいて、幸せで満たされている。これはもしかすると奇跡のようなことなのかも知れない。

「そうね。本当に……ここまで長かった」

 先ほどの唇の感触を思い出しながらそう呟い。
 けれど、アイリーンはそれを「ふん」と鼻で笑い飛ばして。

「あんたたち、何幸せな人生の終わりみたいな風に言ってるの? わたくしの人生はまだ始まったばっかりでしょ! 楽しい学園生活を送って、卒業して。そのあと王妃になってからだって好き勝手しまくるわよ!」

 なんともワガママな宣言をした。

「それでこそわたしの、わたしたちのアイリーンだね」

 そうだ。
 紫彩の言う通り、アイリーンはそういう人だった。

「たっぷり振り回されそうで今から楽しみだ」

「まったく、困った人なんですから。勉強はちゃんとするんですよ」



 たとえ物語がハッピーエンドを迎えても、心安らかに過ごせる日は当分来なさそうだ。
 ――でも、なんだか悪い気はしなかった。


~完~
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