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第三話 ライセット家と、悪役令嬢の親子関係

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 破滅回避できないなら、これからどうやって生きていけばいいのか。
 頭を悩ませる私をよそに、アイリーンはこんなことを言い出した。

「あんたはこの屋敷のことなんにも知らないのよね。それならわたくしが教えてやるわ!」

「いや確かにそれは大事ですけど今はそれより――」

 考えることがいっぱいで、それどころじゃなくて。
 そう続けようとした私の言葉は途中で遮られた。

「いいから行くの! わたくしの召使なんだから言うこと聞きなさい!」

 ドレスの裾を軽く摘まみ、鏡の前から離れ、勢いよく部屋から駆け出るアイリーン。
 貴族のお嬢様と思えないその全速力な走り方に私は驚きを隠せない。

(なるほどこれは父親も扱いに困るのにも納得するわ……。まったくもうこの子はどれだけ自由勝手なの)

「止まってくだ――いいのよこれくらい! せっかく教えてやっているんだから屋敷の内装を目に焼き付けるのよ」

 すぐに言い返され、私は渋々ながら従うしかなかった。
 屋敷のことを知っておいた方がいいのは確かだし、この体が元々アイリーンのものだからなのか彼女の意思が強いからなのか体の主導権は彼女にあり、どうしようもなかったのだ。

 アイリーンは部屋を出てすぐの階段を降り、一階へ。
 彼女が走り抜ける屋敷の廊下の片側の壁には、いかにも名画という風な絵が額縁に入れられたくさん飾られており、もう片方は大きな窓になっていて真昼の日差しが差し込んでいる。
 天井には豪華過ぎるシャンデリアがあり、柔らかい光を溢れさせていた。

 空間自体がまるで芸術品。前世の家とは比べ物にならない華やかさに目を奪われていると、背後から鋭い声が飛んできた。

「お嬢様! アイリーンお嬢様!」

「……もう、うるさいわね」

 途端に不機嫌になったアイリーンが振り向く。
 そこには黒いドレスに白いエプロンのメイド服を着た、長身の女性。年頃は二十歳前くらいだろうか。

(高校の文化祭でメイド服コスプレの子がいたけど、それとは格が違う。まさか本物のメイドさんに会う日が来るなんて)

 痛々しいコスプレではなく、女性のメイド服はとても似合って見えた。

「あの人は?」

「説明はあとで。さっさと逃げ切るわよ!」

「いや、これ絶対逃げたらさらに怒られるやつじゃ」

 私の言葉を無視してアイリーンは疾風のような速さで逃げ出した。
 廊下の角をいくつも曲がり、中庭に飛び出して、かと思えば反対側の廊下へ。そして小さな部屋に転がり込んで息を吐く。

「まあここなら追ってこれないでしょ。はぁ、疲れた!」

「疲れた、じゃないですよ。なんで逃げたんですか」

「またぐちぐち言われるのが面倒臭いからよ。あれはわたくしの専属侍女のエリー。走っちゃいけませんだとか勉強しなさいだとか、本当にしつこいの!」

 ぷぅ、と頬を膨らませて、わかりやすく憤慨するアイリーン。
 子供らしいその仕草は今なら可愛げがあるが、エリーという侍女はさぞ困り果てていることだろう。

「謝ったおいた方がいいと思いますよ。身近な人を困らせたら将来しっぺ返しを喰らうのは自分なんですから」

「ふん。そんなの知らないわ!」

 やはり説得失敗。このワガママっぷりは手の施しようがない。
 込み上げそうになるため息をグッと呑んだ。

「さっさと続き行くわよ、アイ。次は厨房、それから二階に戻ってぐるっと一周ね」

「転ばないように気をつけてくださいよ。多分私も痛いので」

 聞き入れてもらえないだろうが、一応お願いはしておいた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 屋敷の一階部分を走ってくまなく見て回った。
 どこもかしこも豪華で、使用人たちがたくさん。厨房にはきちんとした料理人もいる。まさに中世ヨーロッパ風なお屋敷という感じだった。

 そして戻ってきた二階も案内される。

「ここがわたくしの寝室。で、隣がヒューゴ――わたくしの弟の部屋ね。弟はまだ六歳だけど将来は爵位を継ぐ予定なのよ。それから三つくらいの空室を挟んで、向こう側がお父様とお母様の寝室」

「うわぁ、私の家のリビングより広い……」

「公爵夫妻の寝室ともなれば当然よ。庶民のあなたと比べないでほしいわね!」

 なぜか自分のことのように誇るアイリーン。腕を組んで鼻を鳴らす仕草は可愛いけれど、私の抱く貴族のお嬢様のイメージとは程遠い。……まあ、屋敷を走り回っている時点で全然違うのだが。

 家族構成は両親とアイリーンと弟の四人家族。
 欧州では子供が幼い頃から別室で寝るという風習だと聞いたことがあるが、それと同じらしい。おそらく使用人が世話をしているのだろう。

 と、そんな風に私が事情を把握しているうちにもアイリーンは再び走り出す。
 次に向かうのはアイリーンの父、ライセット公爵の執務室らしい。書斎のようなものだろうか。

 なぜかそこを素通りし、猛スピードでその先に進もうとしていたアイリーン。しかしそれは執務室の扉がぎぃと開くことで遮られた。
 中から出てきたのは、銀髪碧眼の壮年の男性。立派な貴族服を着込んでいるところを見るにこの人が――。

「アイリーン、何をしている?」

「……っ、お父様」

 案の定、ライセット公爵だった。



 瀬戸愛としての私は、家族関係は比較的良い方だったと思う。
 思春期も両親に激しく反発することがなかったし、歳が近い妹ともよく遊んだりしたものだ。

 それが普通と思っていたが、ライセット家は違うのだとすぐにわかった。
 推定異世界だからなのか貴族だからなのか、それともこの家だけなのかはわからないが。

「お前は何をしている、アイリーン。お前はファブリス第一王子殿下を婚約者に持つ未来の王子妃、ゆくゆくは王妃になるかも知れぬのだぞ。淑女らしい振る舞いもしないで屋敷を走り回るのはいい加減やめたらどうだ。それに侍女から聞いたぞ。昨日の勉学の時間も抜け出したそうだな」

「わたくし、じっとしているのは嫌いなの」

「いつまでワガママを言っているのだ。少しは弟を見習ったらどうだ? あいつはあの歳にしてお前と同程度の勉学をこなし、マナーだって」

 アイリーンが唇を噛み締めたのが直接伝わってくる。
 悔しいのか、怒りからなのかはわからない。どちらもなのかも知れなかった。

「あの子とわたくしを比べないで!」

 叫ぶなり、アイリーンは踵を返し、肩を怒らせて歩き出す。背後からライセット公爵の声が聞こえてきたが足を止めなかった。
 そのまま自室――私が目覚めた部屋のドアを乱暴に開けて入室し、ベッドにごろんと転がった。

 ベッドは柔らかで心地良いが、味わっている場合ではないことくらいわかる。だがわからないのは何と声をかけていいのかということだ。
 しばらく迷ったあと、沈黙に耐えられなくなって口を開いた。

「……あの、大丈夫なんですか」

「召使のくせに口出するなんて生意気よ。大体この屋敷がどうなっているかわかったでしょう、見せてやったんだから感謝なさい」

「ありがとうございます」

 それからすぐにアイリーンは寝てしまったようで――どうやら片方だけの人格が寝ても体は起きているままらしい――何も言わなくなる。
 きっと彼女にとってはこれはよくあることに違いない。だがこのままではいけないと私は思う。

「せめて勉強くらいはしっかりするよう、私が支えてあげないと」

 ライセット公爵の信頼を得られれば少しは破滅から遠ざかる可能性が高い。何より、家族関係がギスギスしていては私の居心地が悪いので、どうにかしたかった。
 もっとも、私なんかがこのワガママ令嬢をどうにかできるような自信は、まったくないのだけれど。
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