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【止の章:選択するペルセウス】

5「あまりに気取った私立探偵の証言」

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 摩訶子と俺は並んで座り、『渦目摩訶子は明鏡止水~バラバラにされた海獣~』と銘打たれた原稿をざっと確認した。

『~あみだくじの殺人~』同様にワープロ打ちで作成された文章は、やはりこの俺を視点とした一人称のノンフィクション推理小説。不貞寝を続けていた俺のもとに沙夜が訪ねてくるところから始まり、摩訶子による再〈解決編〉の後、客室にて夕希が俺に靴紐を返してきたところで終わっている。すべて俺が知るまま、客観的事実に止まらぬ俺の心理描写に至るまでおよそそのとおり、正確な記述であった。

 ジェントル澄神はこれを、昨晩に自宅のポストから見つけたらしい。原稿のみが収められた茶封筒には宛先も差出人も一切書かれておらず、切手や消印もなし。どうやら郵送されたのではなくて、じかに投函されたもののようだ。

「紅代は僕の家を知っていますからね、彼女の仕業でしょう。此処から電車で二時間以上掛かりますが、それでも昨日のうちに届けたかった――ゆえに郵送ではいけなかったのだと思われます。また、この小説の作者が彼女であることも明白ですね」

 テーブルを挟んだ向かいの席に腰掛けて、名にジェントルを冠する探偵は住人の許可を取りもせずパイプをふかしている。しかし態度は横柄おうへいと云うよりもたしかに悠然で、なぜだか品がある……。

「この部屋に盗聴器を仕掛けることができたのは薊沙夜です。したがって彼女は紅代の協力者に違いないと分かりますから、外に出てからの山野部くんとの行動やファミレスでの会話などは彼女が紅代に伝えればクリア。山野部くんが帰宅してから聞いた渦目さんによる留守電のメッセージは盗聴にてクリア。これによって紅代は、貴方たちが香逗駅の南口改札で合流したところに居合わせることも可能でした。人混みに紛れて、お二人の傍についていたのです。電車の中では前後の席にでも腰掛けて、聞き耳を立てていたのでしょう」

 さも当然のような調子でからくりを解き明かしていくジェントル澄神に、摩訶子は「なるほど」と軽く頷き、すると続きは彼女が引き取った。

「条拝由木胎駅に着くと彼女は素早く電車を降り、私と茶花くんよりも先回りして、駐車場でかしこと落ち合ったのですね。すなわちこの二人も協力者。紅代はトランクに隠れさせてもらい、私達と共に館へ。到着すると再び先回りして窓から彩華の客室に這入り、私と茶花くんを待ち受けていた。その後の内容は彼女も同じ場にいたシーンばかりです。例外は私の客室における私と茶花くんとの会話ですが、この時点では、私はまだ部屋の盗聴器を外していませんでした。以上、原稿を紅代――薊夕希は書き得たのだと説明できます」

 昨夜話していた推理まで組み込んで……もう展開に適応しているのか。俺なんて混乱するばかりなのに。

「これを書いたのが夕希だってことは分かりましたよ……。かしこさんは途中で自殺してしまいましたし……でも『~あみだくじの殺人~』を書いたのはかしこさんですよね? この原稿からは、書き手が変わったような印象を受けないんですけど……」

 夕希が、ひと回りもふた回りも年上であるかしこの文章を模倣できたとは、ちょっと想像しにくい。これだけの分量があれば、どこかで違和感が出るものじゃないだろうか。

「いいえ――僕は『~あみだくじの殺人~』の方は読んでいませんが、大体の内容は『~バラバラにされた海獣~』中の記述から察せられます――作者はどちらとも紅代ですよ」

 ジェントル澄神はセカンドバッグの中から、今度は一枚のカラー写真を取り出した。こちらへ向けて卓上に置かれたそれは、どうやら学校のクラス写真らしい。

 制服はツグミ高校のものだ……教師にも見覚えがある……並んでいる生徒たちは一年生か……何の気なしにそれらの顔を見ていって、俺の視線はあるひとりのところで止まった。

「えーっと……沙夜さんの高校時代の写真でしょうか?」

 ロングヘアだと雰囲気がだいぶ異なるけれど、面影があった。

 だがジェントル澄神は「違います」と、含みありげに微笑する。

「薊沙夜は隣町にある公立火津路ひつじ高等学校の生徒だったようですよ。この写真は現在の私立ツグミ高等学校一年D組――貴方が云っている生徒は、薊夕希です」

「……いえ、違います。夕希はこんな顔じゃない」

 たしかに二人は姉妹だが、顔はあまり似ていないのだ。見間違えはしない。

 そのとき――「嗚呼、」――隣の摩訶子が、珍しく感嘆詞を発した。

「迂闊でした。私としたことが、こんな簡単なことに気付けないとは」

「どういうことだ、摩訶子」

「写真の生徒が本物の薊夕希なのだよ、茶花くん。私達が薊夕希だと思い込んでいたのは、その名を騙っているだけの偽物――ただのバイオレント紅代でしかなかったのだ」

「あっ!」

 まるで青天の霹靂。死角からの襲撃。身体がひと刹那、痺れた。

 夕希は――彼女は〈薊夕希〉を名乗ってはいたものの、それが公的に証明された場面は一度もなかった――なぜなら俺と彼女とは〈秘密の関係〉――放課後に会うのみで互いの私生活には干渉せず――彼女が〈薊夕希〉として学校で生活している姿を、俺は見ていないではないか!

「じゃあ、あのアリバイは――」

 薊夕希は無遅刻無欠席。ゆえに〈つがいの館〉で連続殺人をやれたはずがないとするアリバイは――

「完全に無効だ。別人なのだからね。紅代には彩華と入れ替わって〈つがいの館〉に滞在していることができた。真相はひっくり返されたよ。〈あみだくじの殺人〉を遂行したのも、母上ではなく彼女だろう。茶花くん、これに書いてある靴紐は持っているかい?」

「……あ、ああ。俺の部屋にあるが」

「そのまま保管しておきたまえ。益美や未春や名草や菜摘の皮膚が付着している可能性がある。立派な物的証拠だよ」

 愕然がくぜんとした。目の前が真っ暗になったかと思った。

 本当にあれが、あの靴紐こそが、四人の絞殺に使用された凶器だったのか――?

 一体、この事件の真相は、何度ひっくり返される――?

「主犯は紅代であり、母上の方が従犯だったのだ。これでようやく腑に落ちた。母上の遺書には自分が殺人犯だとは書かれていなかった。盗聴器を事前に仕掛けて回ったのは母上だろうが、盗聴するにあたって携帯できるサイズの小型受信機――使用人室を探しても発見できなかったそれを、紅代は持っていたに違いない。『~あみだくじの殺人~』を書くには、やはり母上では時間的に苦しかったはずだよ。作者は紅代だった。彼女はおそらく母上が私を駅まで送ったときに、ここでも車のトランクに隠れていたのだろう。そして条拝由木胎から自分の自宅宛てに原稿を郵送すると、自らも電車に乗って香逗町へ向かった。そして翌日の夜に郵便物を回収。ひと晩かけて落書き事件を起こし、私と茶花くんにくっついて条拝由木胎へと帰還した。綺麗に説明がつくではないか」

 世界とは認識だ。認識の反転はすなわち、世界の崩壊と再構築を意味する。

 目まぐるしい秩序の交替に、俺の世界はそろそろ擦り切れてしまいそう。

「納得いただけたようですね」

 微笑して、ジェントル澄神はパイプをズボンのポケットに仕舞った。

「その原稿を読んだ時点で、僕にとって紅代ノットイコール薊夕希は自明でした。今朝にツグミ高校で証拠の写真を回収してきたのも、此処での話を円滑に進めるために過ぎません。なぜなら紅代は元孤児だからですよ。貴方たちは〈紅代シリーズ〉をご存知ですか?」

 摩訶子と俺は沈黙で以て否定する。

「そうでしょうね。公けにはされていないものの、知る人ぞ知る人材派遣機関がありまして、〈紅代シリーズ〉はそこの主力商品とでも申しましょうか。様々な事情によって社会的に存在しない孤児の少女を全国から集め、英才教育をほどこし、あらゆる顧客のあらゆるニーズに応じて貸し出しているんです。僕が探偵活動をするうえで助手とするために借りたのが紅代〇三五八号――番号では味気ないので、僕はバイオレント紅代と名付けました。無期限契約ですし、まあ養子として引き取ったと云えなくもないですね。ともかく、そんな彼女に薊夕希という名前があって、高校にまで通っているわけがありません」

「社会的に存在しない孤児……そうですか」

 摩訶子が何かを思い付いた気配がした。

「彼女が薊夕希ではなかった以上、その実年齢が茶花くんの一学年下であるとも限らなくなりました。澄神さん、もしかして彼女は――」

「ええ、契約の際に商品の基礎的なデータは閲覧しています。彼女の年齢は現在十五。僕からも訊きたかったんですよ――これは山野部彩華さんと同じではありませんか?」

 その言葉に、俺は理解する前から鳥肌が立った。動物的直観、危機を察知する本能か。そして理解は、続く摩訶子の言葉によってもたらされ、叩き付けられる。

「二卵性双生児ですね。一卵性であればすぐにそうと分かったはずですから」

 聞き間違い――そんなわけがないのに――その可能性に望みを託すような気持ちで、俺はゆっくりと振り向く。

「何だって……?」

「彩華と紅代が似ているとは君も思っていただろう? あり得ない話ではないよ」

 摩訶子は少しばかりのいたわるような調子を織り交ぜて、説明を開始した。

「きっとそこにこそ、紅代が山野部家に復讐する動機があったのだ。彼女は彩華の双子の妹だった。エジプト九柱の神々に重ねる目的で子をつくっていた木葉にとって、彼女の存在は邪魔でしかなかった。神話によってはオシリス、イシス、セト、ネフティスに続いて五人目の兄弟ホルスがいるとされることもあるが、残念ながらホルスは男なのだよ。よって木葉はこの余分に産まれた赤子を捨てた――後に回収する名草や彩華とは違って、社会的に存在もしない格好でね。それが十五年の後、山野部家にどんな悲劇を生むかも知らずに」

「ということは……」声が、震える。「……あいつは俺の、妹なのか?」

 問い掛けるまでもない。そのとおりのことを摩訶子が云ったではないか。俺もまた木葉と瑞羽の間に産まれたセト。ネフティスの彩華は実妹であり、存在を抹消された〈五人目〉――紅代という商品名にゼロサンいくつという番号だけを与えられた元孤児の少女も同じなのだと。

「そのあたりの話は『~あみだくじの殺人~』で出たんですね? 僕には詳しいことが分かりませんが、しかし山野部くんと紅代が兄妹であるのは、紅代が残した暗号においても示唆されていました。『兄と妹が結ばれる聖なる夜に待っています』という部分です」

 ジェントル澄神に云われて、やっと思い出す。それは何と云うか、答えが分かってみれば、あまりに直截的だったではないか。

 実の兄妹……彼女が俺にあれだけ執着しているのも、それゆえのことなのか?

「〈聖なる夜〉とはクリスマスですね」と摩訶子。「今日は二十四日――教会暦を採用するのであれば、クリスマスは今日の日没から明日の日没まで。〈聖なる夜〉は今夜を指しているのだと考えられます」

「ええ、紅代が僕に原稿を渡したのは、山野部くんを導かせるためでしょうね。僕の助けがなければタイムリミットに間に合わないかも知れないと危惧したわけです。まったく、勝手な話ですよ」

 苦笑を浮かべるジェントル澄神。

「僕らはコンビ解消などしていません。三ヵ月ほど前に彼女が突然、何も云わずに失踪してしまったんです。僕なりに可愛がっていたつもりなのにね。そして手掛かりもなく途方に暮れていたところに、今度のこんな役回りでしょう? もっとも、助手の不始末をどうにかするのも探偵の仕事。不満はありませんが」

「紅代は自分が山野部家の血族であることをはじめから知っていたのでしょうか」

「さあ、分かりません。ただし少なくとも契約の際には教えられませんでしたし、〈紅代シリーズ〉の少女たちは基本的に己が出自について知らないはずです。商品の欠陥に繋がりますからね。現に僕の紅代はこんなことになっている」

「ならば紅代が事を知った経緯を明らかにする必要がありますね。場合によっては誰か別の人物の思惑まで絡んでいるかも知れません」

 速い――探偵が二人揃ったことで、話が加速している。俺はますます置いてけぼりを食らうが――それでもひとつ、すぐにでも訊ねたい、訊ねなければならない事柄があった。

「彩華は、どうなったんですか? 〈あみだくじの殺人〉時点で既に入れ替わりが行われていたなら、彩華がどこに行ったのか分からない――」

「ふむ。僕が思うに、紅代によって捕らわれているでしょうね。無事は保証できません」

 遠く突き放される感覚。きっと絶望的な表情を浮かべただろう俺に、だがジェントル澄神は気安い感じで「悲観するのは早いですよ」とも続ける。

「いずれにせよ、早急に紅代を探し出すことです。渦目さん、ここは是非とも僕に譲っていただきたい。次に行くべき場所は決まっています」

「私は構いません。早いに越したことはないでしょう。紅代の思惑に乗って日没まで待つ必要はないのですから」

「そのとおり。Nothing ventured, nothing have.――メドゥーサ退治へと向かいましょうか」

 ジェントル澄神は手を叩いて、立ち上がった。それから俺に、その手を差し伸べた。

「しっかりしてください。主役は貴方なんですよ、ペルセウスくん」
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