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【明の章:あみだくじの殺人】
8「渦目摩訶子による解決編/上」
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8
来たる〈解決編〉――食堂にて、一同は揃った。
摩訶子が本当に犯人を証拠と共に告発してみせたため、もう文句を云おうとする者はいない。
瑞羽は椅子の上でボロ雑巾のようにくたびれている。圭太が真横まで椅子を寄せて肩を抱えてやっているけれど、彼の表情もまた筆舌に尽くしがたく複雑なものだった。わけも分からず娯楽室で待機しているところに、妻が殺人犯であったことを、しかも息子から知らされたのだ。無理もない。
俺はと云うと、ただ摩訶子が真相を開示してくれるのを待つばかりだった。瑞羽が木葉を、第五の標的として殺しに来たのは間違いない――さすがにそれは理解している。問題は、なぜそうなったのか……どうして母さんはこんな殺しをやったのかということ。それを知らなければ、受け入れられるか否かも判断が付けられなかった。
他の者はしかし、瑞羽が犯人と知っても意外そうにはしていない。どころか既にある程度、納得してしまっているように見受けられる。特に木葉は、先程からしきりに溜息を吐いていた。くだらないと云わんばかりに……。
かしこが図書室からホワイトボードを持ってきて、勧めに従い摩訶子の席に腰掛けると、ただひとり皆を見渡す位置――長テーブルの南に立っている探偵は、ようやく口を開いた。
「この事件でまず注目すべきは、第一の犯行現場に残された家系図でした。それは犯人があからさまなまでに注目されるよう残したメッセージでした」
彼女は俺に見せたのと同じく、犯人が作成した家系図を横向きにホワイトボードへ描き写すと、被害者の名前に赤いバツ印を付け、それらを結ぶ線を赤色でなぞった。
「ご覧のとおり、犯人は連続殺人によって、この家系図上であみだくじをやっていたのです。もっとも、ここまでは気付いたかたもいたでしょう。この家系図を眺めるなり思い描くなりして被害者を考えれば、そのつもりがなくとも思い付く――視覚的に単純な答えです。
そして犯人も、ここまでは気付いて欲しかったのです。そのために、わざわざ家系図を現場に残したのですからね。つまり、この〈あみだくじの殺人〉において第五の被害者は圭太になるのだろうと思わせたかった。第四の被害者、すなわち菜摘まではなるたけ素早く殺していって、第五の標的を狙うまで間を置いたのもその効果を期待してのことでしょう」
「少しいいですか」秋文が手を挙げた。「気になった点を途中で訊ねるのはマナー違反でしょうか?」
「いえ。矢鱈と中断させられては困りますが、自分の疑問が払拭されないまま話が進んでいきそうでしたら質問を挟んでくださって結構ですよ」
「ではひとつ。たしかに私は、被害者があみだくじのように連続しているとは今朝、名草さんと菜摘さんの遺体が発見されたときに気が付いていました。しかし何と云いますか、あまりに冗談が過ぎると思いましてね……偶然のことだろうと考え、気に留めなかったのです」
「僕もそうだ」木葉が続いた。「はっきり云って馬鹿馬鹿しい。そんな根拠で圭太に警戒を促すのはさらに馬鹿馬鹿しいしな、発言はしなかったんだ。他にもいるんじゃないですか、こういう人は」
すると史哲が「私も思い付いてはいた」と述べた。彼はずっと、血に飢えた獣を思わせる剣呑な目付きで娘の瑞羽を睨み据えている。
「そうなりますと、」と引き取る秋文。「犯人が期待した効果というものは、肝心な部分で失敗していたように思われます。どうなんでしょうか、摩訶子さん」
探偵は「良い質問です」と、教師みたいな台詞で応えた。
「それこそがむしろ、この犯罪のよく考えられている点なのですよ。あみだくじ自体には、その単純さのおかげで少なくない人数があらかじめ気付きます。しかし木葉さんの表現を借りるならその馬鹿馬鹿しさのおかげで、気付きはしてもまさか本気にはしないのです。
よく考えればそんな偶然はおよそあり得ないにも拘わらず、偶然と見做す。あるいは犯人がそれを意図しているとは考えても、それは単なる〈遊び〉のようなものと捉え、深い意味があるとまでは考えが及ばない。あえて引っ掛かる表現をいたしますが――見て見ぬふりをする、ということです。
しかも仮にあみだくじから第五の標的が圭太なのだと認識されたところで、やはり困りはしないのです。いまや明らかであるとおり、第五の標的は木葉なのですからね。
犯人が望んでいたのは、あみだくじ自体は大勢に気付かせつつも、そこに隠された深い意味については見破られていないという状態でした。木葉を殺害するまでは、そうでなくてはならなかった。なぜならあみだくじに籠められた真の意図に事前に気付かれてしまっては、計画が破綻するからです。この本来であれば危ういはずの匙加減を、あみだくじという馬鹿馬鹿しさで成し遂げようとしたところ――これに私はとても感心しています」
一を訊いたら十を返された……という感じだった。
とはいえ秋文はさすが神父だけあって苦笑を浮かべたりはせず、「話を妨げて失礼しました。どうぞ続きを」と手を差し出すのだった。
摩訶子は軽い一礼の後に再開する。
「話を戻しますが――犯人の目論見を見破った私は、それに嵌ったように見せかけて罠を張りました。理由の説明は後に回しますけれど、私には犯人が瑞羽であることと、第五の標的が実は木葉であることが分かっていた。ですから昼食の後に、話があると云って圭太を呼び出し、さらにその話には三十分は掛かるということを、あくまで自然に瑞羽にも聞かせたのです。
そうすると彼女には、私は次に狙われるのが圭太だと推理していて、ゆえに圭太を保護しようとしている――新たな被害者が出ることは絶対にないと云いきったのもこれが根拠だったのだ、というふうに解釈されたことでしょう。さらに圭太がいないということは自分がひとりで動けるようになることを意味しており、私の先の宣言によって他の人々が警戒を解いているこの時間、この機会を逃す手はないとも考えたはずです。
斯くして、彼女は木葉のもとへと向かった。しかし私は圭太のことは娯楽室で待機させておいて、木葉の客室に先回りして待っていました。結果、瑞羽は木葉を殺そうと包丁を手にやって来たところを押さえられたというわけです」
ちなみに、と摩訶子は言葉を区切る。この流れるような話し振り、きっとニュースキャスターにだってなれるだろう。聞くものを圧倒しすぎるきらいがあるけれど……。
「この包丁は、おそらく今朝早くに調理室に忍び込んで回収しておいたのでしょう。私は木葉の殺害でもこれまでどおり紐状の凶器が用いられるものと考えていましたが、木葉の殺害は瑞羽にとって特別なそれですから、包丁でも不思議はありません。
と云いますのも、木葉の殺害こそが瑞羽にとっての本命であり、最後の殺人でもあり、これが完遂されれば彼女は自分が殺人犯であると露見したって構わない――どころかそれを望んでさえいたのです。ゆえに返り血を浴びたって叫び声を上げられたって問題はなかったのですね。むしろ確実に殺すことと、その深い恨みを晴らすことを考えれば、包丁こそが相応しかった」
「ふん。そいつがひとりで部屋に来たってのに、みすみす絞殺されるような僕じゃないわな。まあ包丁だったところで同じか。返り討ちにできただろう」
そう宣う木葉だったが、鍛えているとは到底思えない細い身体つきを見るに、だいぶ怪しい。摩訶子がいなかったなら、少なくとも無傷では済まなかったに違いない。
それにしても、奇行とさえ思われた摩訶子のそれは、説明を聞いてみればどれも犯人との高度な駆け引きだったのだ。もはや彼女の探偵としての能力は疑いようがない。瑞羽が犯人であるということもまた同じく……。
「瑞羽の目的やあみだくじに籠められた意図はまだ措いておき、先に彼女の犯行を振り返ってみましょう。彼女は誰をどの順番で殺害するのか厳格に定めていました。
まずは益美の殺害です。彼女は益美が浴場へ行く際に報告を受けていた。ゆえに、圭太が図書室で調べものをしていた間、犯行に及ぶことが可能でした。これは第一の殺人だったのですから、同性の彼女が這入ってきたところで益美が強い警戒を抱くわけもなく、殺すのは容易だったでしょう。
続いて未春の殺害。西側にて秋文と圭太が、東側にて木葉と名草が館内を調べ回っていた間、彼らの目に留まらぬよう注意しながら彼女は単身、未春の客室を訪れました。既に他の人々は各部屋に送り届けられ、捜索隊はそれぞれエリアの北側を中心に動いていた――また中庭はガラス張りですけれど、吹雪のせいで対岸の見通しは悪くなっていたため、彼女がこっそりと館の南サイドを横断したことにそれほどのリスクはなかったはずです。未春にしたところで、この時点では内部の者を疑う空気はまだ希薄であり、瑞羽とは子供時代を共に館で過ごした間柄でもあるのですから、やはり強い警戒を露わにする方が不自然ですね。この犯行も瑞羽にとっては難しくありませんでした。
夜が明けて、名草と菜摘の殺害です。圭太は自分達が眠ったのは四時頃だったと述べていましたけれど、瑞羽はその振りをしたに過ぎません。実際は圭太が眠ったのを確認した後に標的の部屋の扉を見張れる場所――廊下の曲がり角や柱の陰――まで移動し、ずっと身を潜めていたのでしょう。彼女が待ったのは、名草がひとりでトイレに行く時機でした。尿意というのは生理現象でありますし、逆ならばともかく彼がトイレへ向かうならまさか妻に付き添ってもらうはずもないというのは、考えてみれば当然のことです。もちろんその好機が訪れなかったなら犯行を見送るまで。また、この間に圭太が目を覚まし瑞羽の不在に気付くという危険を減らすために彼を四時頃まで寝かせなかったのも、彼女があえておこなった方策だったのだと思われます。
果たして名草は、六時前後から七時十分頃までのどこかで、期待どおりにひとりでトイレに行きました。瑞羽は彼が其処から出たところを襲って殺害すると、続けて菜摘を殺しに向かいます。現場の状況からこのときの菜摘はベッドで眠っていたようですが、起きていたところで瑞羽は母親ですからね、大声で人を呼ばれたりはしないでしょう。失敗の惧れはほとんどなかったと云って良い。こうして娘夫婦の殺害に成功した彼女は、あとは死体が発見されて騒ぎになるまで部屋で眠っているだけでした。ちなみに先程も述べましたけれど、ここまでのいずれかのタイミングで包丁を回収し、懐にでも忍ばせておいたのです。
以上、彼女の犯行は大胆なようでいながら、実のところ危ない橋を渡った場面はありません。柔軟性や保身にも充分に長け、何より冷静です。殺人犯としては優秀な部類に入るかと思います」
そんな評価を下して、摩訶子は一旦、卵黄入り珈琲で喉を潤した。
俺は信じられない思いで、実の母を見る。優秀な殺人犯……四人もの人間を冷静に殺していった……自分の娘すら手に掛けた……すべては計画されていた……。
「いつからだ、一体……」
そんな疑問が口をついて出た。だが、俺が問わねばならないことだった。瑞羽は完全に壊れてしまったかの如く微動だにせず、寄り添う圭太は泣き出しそうな表情で途方に暮れている。菜摘は死んでしまった。俺しかいない。俺が正気を保っていなければ……。
「いつからと云うのは、この犯罪計画がいつ立てられたのかという意味かい?」
「そうだ。考えてみれば……この連続殺人は吹雪のせいで俺らが帰れなくなった夜に始まった。予定外の夜から始まったんだ。なのに以前から計画されていたってのは、おかしな話だろう」
「そうでもないさ」
摩訶子はさらりと応え、また皆に対する口調へと戻る。
「たしかにこの計画がどれほど以前から瑞羽の脳内で描かれていたかは定かでありませんが、その練り込みようや家系図が用意されていたことなどから察するに、少なくとも昨日や一昨日の話ではなさそうです。細部はともかくとして、木葉ひいては山野部家に対する復讐の意思は前々からあったでしょう。計画は一昨日に此処にやって来た時点で既に仕上がっていたと思われます。
一族が一堂に会する絶好の機会……そしてこの季節のことを思えば、豪雪などによって館に閉じ込められる展開は予定外というほどではありません。この連続殺人では是非とも、誰も外へ脱出できない状況が望まれる。逆に云えば、そうでないと成立が難しい。ゆえに瑞羽は、クローズド・サークルが生じないなら計画を先送りにするつもりでいたと推測されます。しかし現実は彼女に味方した。したがって、私達が脱出できないと確定されていた昨日の夜にこそ、計画は実行に移されたのです」
「では……もしかすると瑞羽さんが殺人計画を企てながら館にやって来るのは、今回が初めてのことではなかったのかも知れませんね……」
嘆くように云う秋文に、摩訶子は首肯で以て応えた。
「無論、〈あみだくじの殺人〉では名草と菜摘が結婚している必要があったわけですけれど、それ以前にはまた別の殺人計画が用意されていたとは大いに考えられます。なにせこの殺人の動機はともすれば二十年以上も昔の出来事に根差し、今日まで継続されてきたのですから」
俺は慄然とした。そんなに以前から、瑞羽は殺人の意思を胸に秘めていた……? 鬱々とした表情の裏に隠し、研ぎ澄ませ続け、誰にも悟られることなく……そしてようやく時機が巡ってきたのが今回だったのだと、そう云うのか……? 二十年……俺の年齢を超えている……俺が育っていく間、俺の母はずっとずっとずっとずっと、殺人の機会を窺っていた……?
「ああ面倒臭いな」木葉がガリガリと頭を掻いた。「いいから早く、その動機とやらの説明に入ったらどうだ? 退屈すぎて眠ってしまいそうだよ」
いつもの皮肉ではない。どころか自虐でもするかのようで、投げやりでさえあった。
「そのつもりです」と頷く摩訶子。
本題はここからなのだと感じ取る。頭の奥がジーンと痺れているけれど、最も聞かなければならないのは、受け止めなければならないのは、どうして瑞羽はこんな殺人を犯したのかというその話だ。自然、膝の上で握った拳に力が入った。
「私が事件の真相を突き止められたのは、先程から繰り返しているように、あみだくじに隠された真の意図に関してまで考えを進められたからです。
私はこう考えました――なぜこの家系図で、かつ、このあみだくじなのか?
〈あみだくじの殺人〉がやりたいだけなら、なにもこの家系図である必要はないのですよ。この家系図であったところで、益美から始める必要もまたありません。犯人があえてこの家系図を残した以上、そうするだけの理由があるはずだ――そう疑ったとき、以前からそれとなく察知していた山野部家のある秘密とも合わさり、答えは浮かび上がったのです。
結論から先に述べましょう。
このあみだくじに則るならば、第五の被害者は圭太となりそうですね。しかし、本当にそうなのでしょうか? 圭太が殺されてあみだくじが完成したところで、それ以上の意味は何もありません。ですが殺されるのが圭太でなかったなら? 表面的な表記に騙されず、家系図というものの本質に目を向けてみてください。家系図を左へ九十度回転させて益美から開始されたあみだくじ。次に殺されるのは益美の第二子――未春。その次は未春の養子のうち、家系図の都合から左に位置する者――名草。その次は名草と婚姻関係にある女性――菜摘。そして次に来るべきは、菜摘の父親です。
すなわち、ここで圭太以外の者が殺されたならば、その者こそ菜摘の本当の父親となります。
これこそが〈あみだくじの殺人〉の目的――菜摘の父親を告発すること。
そしてそれは皆さんご存知のとおり、木葉に他ならないではありませんか」
来たる〈解決編〉――食堂にて、一同は揃った。
摩訶子が本当に犯人を証拠と共に告発してみせたため、もう文句を云おうとする者はいない。
瑞羽は椅子の上でボロ雑巾のようにくたびれている。圭太が真横まで椅子を寄せて肩を抱えてやっているけれど、彼の表情もまた筆舌に尽くしがたく複雑なものだった。わけも分からず娯楽室で待機しているところに、妻が殺人犯であったことを、しかも息子から知らされたのだ。無理もない。
俺はと云うと、ただ摩訶子が真相を開示してくれるのを待つばかりだった。瑞羽が木葉を、第五の標的として殺しに来たのは間違いない――さすがにそれは理解している。問題は、なぜそうなったのか……どうして母さんはこんな殺しをやったのかということ。それを知らなければ、受け入れられるか否かも判断が付けられなかった。
他の者はしかし、瑞羽が犯人と知っても意外そうにはしていない。どころか既にある程度、納得してしまっているように見受けられる。特に木葉は、先程からしきりに溜息を吐いていた。くだらないと云わんばかりに……。
かしこが図書室からホワイトボードを持ってきて、勧めに従い摩訶子の席に腰掛けると、ただひとり皆を見渡す位置――長テーブルの南に立っている探偵は、ようやく口を開いた。
「この事件でまず注目すべきは、第一の犯行現場に残された家系図でした。それは犯人があからさまなまでに注目されるよう残したメッセージでした」
彼女は俺に見せたのと同じく、犯人が作成した家系図を横向きにホワイトボードへ描き写すと、被害者の名前に赤いバツ印を付け、それらを結ぶ線を赤色でなぞった。
「ご覧のとおり、犯人は連続殺人によって、この家系図上であみだくじをやっていたのです。もっとも、ここまでは気付いたかたもいたでしょう。この家系図を眺めるなり思い描くなりして被害者を考えれば、そのつもりがなくとも思い付く――視覚的に単純な答えです。
そして犯人も、ここまでは気付いて欲しかったのです。そのために、わざわざ家系図を現場に残したのですからね。つまり、この〈あみだくじの殺人〉において第五の被害者は圭太になるのだろうと思わせたかった。第四の被害者、すなわち菜摘まではなるたけ素早く殺していって、第五の標的を狙うまで間を置いたのもその効果を期待してのことでしょう」
「少しいいですか」秋文が手を挙げた。「気になった点を途中で訊ねるのはマナー違反でしょうか?」
「いえ。矢鱈と中断させられては困りますが、自分の疑問が払拭されないまま話が進んでいきそうでしたら質問を挟んでくださって結構ですよ」
「ではひとつ。たしかに私は、被害者があみだくじのように連続しているとは今朝、名草さんと菜摘さんの遺体が発見されたときに気が付いていました。しかし何と云いますか、あまりに冗談が過ぎると思いましてね……偶然のことだろうと考え、気に留めなかったのです」
「僕もそうだ」木葉が続いた。「はっきり云って馬鹿馬鹿しい。そんな根拠で圭太に警戒を促すのはさらに馬鹿馬鹿しいしな、発言はしなかったんだ。他にもいるんじゃないですか、こういう人は」
すると史哲が「私も思い付いてはいた」と述べた。彼はずっと、血に飢えた獣を思わせる剣呑な目付きで娘の瑞羽を睨み据えている。
「そうなりますと、」と引き取る秋文。「犯人が期待した効果というものは、肝心な部分で失敗していたように思われます。どうなんでしょうか、摩訶子さん」
探偵は「良い質問です」と、教師みたいな台詞で応えた。
「それこそがむしろ、この犯罪のよく考えられている点なのですよ。あみだくじ自体には、その単純さのおかげで少なくない人数があらかじめ気付きます。しかし木葉さんの表現を借りるならその馬鹿馬鹿しさのおかげで、気付きはしてもまさか本気にはしないのです。
よく考えればそんな偶然はおよそあり得ないにも拘わらず、偶然と見做す。あるいは犯人がそれを意図しているとは考えても、それは単なる〈遊び〉のようなものと捉え、深い意味があるとまでは考えが及ばない。あえて引っ掛かる表現をいたしますが――見て見ぬふりをする、ということです。
しかも仮にあみだくじから第五の標的が圭太なのだと認識されたところで、やはり困りはしないのです。いまや明らかであるとおり、第五の標的は木葉なのですからね。
犯人が望んでいたのは、あみだくじ自体は大勢に気付かせつつも、そこに隠された深い意味については見破られていないという状態でした。木葉を殺害するまでは、そうでなくてはならなかった。なぜならあみだくじに籠められた真の意図に事前に気付かれてしまっては、計画が破綻するからです。この本来であれば危ういはずの匙加減を、あみだくじという馬鹿馬鹿しさで成し遂げようとしたところ――これに私はとても感心しています」
一を訊いたら十を返された……という感じだった。
とはいえ秋文はさすが神父だけあって苦笑を浮かべたりはせず、「話を妨げて失礼しました。どうぞ続きを」と手を差し出すのだった。
摩訶子は軽い一礼の後に再開する。
「話を戻しますが――犯人の目論見を見破った私は、それに嵌ったように見せかけて罠を張りました。理由の説明は後に回しますけれど、私には犯人が瑞羽であることと、第五の標的が実は木葉であることが分かっていた。ですから昼食の後に、話があると云って圭太を呼び出し、さらにその話には三十分は掛かるということを、あくまで自然に瑞羽にも聞かせたのです。
そうすると彼女には、私は次に狙われるのが圭太だと推理していて、ゆえに圭太を保護しようとしている――新たな被害者が出ることは絶対にないと云いきったのもこれが根拠だったのだ、というふうに解釈されたことでしょう。さらに圭太がいないということは自分がひとりで動けるようになることを意味しており、私の先の宣言によって他の人々が警戒を解いているこの時間、この機会を逃す手はないとも考えたはずです。
斯くして、彼女は木葉のもとへと向かった。しかし私は圭太のことは娯楽室で待機させておいて、木葉の客室に先回りして待っていました。結果、瑞羽は木葉を殺そうと包丁を手にやって来たところを押さえられたというわけです」
ちなみに、と摩訶子は言葉を区切る。この流れるような話し振り、きっとニュースキャスターにだってなれるだろう。聞くものを圧倒しすぎるきらいがあるけれど……。
「この包丁は、おそらく今朝早くに調理室に忍び込んで回収しておいたのでしょう。私は木葉の殺害でもこれまでどおり紐状の凶器が用いられるものと考えていましたが、木葉の殺害は瑞羽にとって特別なそれですから、包丁でも不思議はありません。
と云いますのも、木葉の殺害こそが瑞羽にとっての本命であり、最後の殺人でもあり、これが完遂されれば彼女は自分が殺人犯であると露見したって構わない――どころかそれを望んでさえいたのです。ゆえに返り血を浴びたって叫び声を上げられたって問題はなかったのですね。むしろ確実に殺すことと、その深い恨みを晴らすことを考えれば、包丁こそが相応しかった」
「ふん。そいつがひとりで部屋に来たってのに、みすみす絞殺されるような僕じゃないわな。まあ包丁だったところで同じか。返り討ちにできただろう」
そう宣う木葉だったが、鍛えているとは到底思えない細い身体つきを見るに、だいぶ怪しい。摩訶子がいなかったなら、少なくとも無傷では済まなかったに違いない。
それにしても、奇行とさえ思われた摩訶子のそれは、説明を聞いてみればどれも犯人との高度な駆け引きだったのだ。もはや彼女の探偵としての能力は疑いようがない。瑞羽が犯人であるということもまた同じく……。
「瑞羽の目的やあみだくじに籠められた意図はまだ措いておき、先に彼女の犯行を振り返ってみましょう。彼女は誰をどの順番で殺害するのか厳格に定めていました。
まずは益美の殺害です。彼女は益美が浴場へ行く際に報告を受けていた。ゆえに、圭太が図書室で調べものをしていた間、犯行に及ぶことが可能でした。これは第一の殺人だったのですから、同性の彼女が這入ってきたところで益美が強い警戒を抱くわけもなく、殺すのは容易だったでしょう。
続いて未春の殺害。西側にて秋文と圭太が、東側にて木葉と名草が館内を調べ回っていた間、彼らの目に留まらぬよう注意しながら彼女は単身、未春の客室を訪れました。既に他の人々は各部屋に送り届けられ、捜索隊はそれぞれエリアの北側を中心に動いていた――また中庭はガラス張りですけれど、吹雪のせいで対岸の見通しは悪くなっていたため、彼女がこっそりと館の南サイドを横断したことにそれほどのリスクはなかったはずです。未春にしたところで、この時点では内部の者を疑う空気はまだ希薄であり、瑞羽とは子供時代を共に館で過ごした間柄でもあるのですから、やはり強い警戒を露わにする方が不自然ですね。この犯行も瑞羽にとっては難しくありませんでした。
夜が明けて、名草と菜摘の殺害です。圭太は自分達が眠ったのは四時頃だったと述べていましたけれど、瑞羽はその振りをしたに過ぎません。実際は圭太が眠ったのを確認した後に標的の部屋の扉を見張れる場所――廊下の曲がり角や柱の陰――まで移動し、ずっと身を潜めていたのでしょう。彼女が待ったのは、名草がひとりでトイレに行く時機でした。尿意というのは生理現象でありますし、逆ならばともかく彼がトイレへ向かうならまさか妻に付き添ってもらうはずもないというのは、考えてみれば当然のことです。もちろんその好機が訪れなかったなら犯行を見送るまで。また、この間に圭太が目を覚まし瑞羽の不在に気付くという危険を減らすために彼を四時頃まで寝かせなかったのも、彼女があえておこなった方策だったのだと思われます。
果たして名草は、六時前後から七時十分頃までのどこかで、期待どおりにひとりでトイレに行きました。瑞羽は彼が其処から出たところを襲って殺害すると、続けて菜摘を殺しに向かいます。現場の状況からこのときの菜摘はベッドで眠っていたようですが、起きていたところで瑞羽は母親ですからね、大声で人を呼ばれたりはしないでしょう。失敗の惧れはほとんどなかったと云って良い。こうして娘夫婦の殺害に成功した彼女は、あとは死体が発見されて騒ぎになるまで部屋で眠っているだけでした。ちなみに先程も述べましたけれど、ここまでのいずれかのタイミングで包丁を回収し、懐にでも忍ばせておいたのです。
以上、彼女の犯行は大胆なようでいながら、実のところ危ない橋を渡った場面はありません。柔軟性や保身にも充分に長け、何より冷静です。殺人犯としては優秀な部類に入るかと思います」
そんな評価を下して、摩訶子は一旦、卵黄入り珈琲で喉を潤した。
俺は信じられない思いで、実の母を見る。優秀な殺人犯……四人もの人間を冷静に殺していった……自分の娘すら手に掛けた……すべては計画されていた……。
「いつからだ、一体……」
そんな疑問が口をついて出た。だが、俺が問わねばならないことだった。瑞羽は完全に壊れてしまったかの如く微動だにせず、寄り添う圭太は泣き出しそうな表情で途方に暮れている。菜摘は死んでしまった。俺しかいない。俺が正気を保っていなければ……。
「いつからと云うのは、この犯罪計画がいつ立てられたのかという意味かい?」
「そうだ。考えてみれば……この連続殺人は吹雪のせいで俺らが帰れなくなった夜に始まった。予定外の夜から始まったんだ。なのに以前から計画されていたってのは、おかしな話だろう」
「そうでもないさ」
摩訶子はさらりと応え、また皆に対する口調へと戻る。
「たしかにこの計画がどれほど以前から瑞羽の脳内で描かれていたかは定かでありませんが、その練り込みようや家系図が用意されていたことなどから察するに、少なくとも昨日や一昨日の話ではなさそうです。細部はともかくとして、木葉ひいては山野部家に対する復讐の意思は前々からあったでしょう。計画は一昨日に此処にやって来た時点で既に仕上がっていたと思われます。
一族が一堂に会する絶好の機会……そしてこの季節のことを思えば、豪雪などによって館に閉じ込められる展開は予定外というほどではありません。この連続殺人では是非とも、誰も外へ脱出できない状況が望まれる。逆に云えば、そうでないと成立が難しい。ゆえに瑞羽は、クローズド・サークルが生じないなら計画を先送りにするつもりでいたと推測されます。しかし現実は彼女に味方した。したがって、私達が脱出できないと確定されていた昨日の夜にこそ、計画は実行に移されたのです」
「では……もしかすると瑞羽さんが殺人計画を企てながら館にやって来るのは、今回が初めてのことではなかったのかも知れませんね……」
嘆くように云う秋文に、摩訶子は首肯で以て応えた。
「無論、〈あみだくじの殺人〉では名草と菜摘が結婚している必要があったわけですけれど、それ以前にはまた別の殺人計画が用意されていたとは大いに考えられます。なにせこの殺人の動機はともすれば二十年以上も昔の出来事に根差し、今日まで継続されてきたのですから」
俺は慄然とした。そんなに以前から、瑞羽は殺人の意思を胸に秘めていた……? 鬱々とした表情の裏に隠し、研ぎ澄ませ続け、誰にも悟られることなく……そしてようやく時機が巡ってきたのが今回だったのだと、そう云うのか……? 二十年……俺の年齢を超えている……俺が育っていく間、俺の母はずっとずっとずっとずっと、殺人の機会を窺っていた……?
「ああ面倒臭いな」木葉がガリガリと頭を掻いた。「いいから早く、その動機とやらの説明に入ったらどうだ? 退屈すぎて眠ってしまいそうだよ」
いつもの皮肉ではない。どころか自虐でもするかのようで、投げやりでさえあった。
「そのつもりです」と頷く摩訶子。
本題はここからなのだと感じ取る。頭の奥がジーンと痺れているけれど、最も聞かなければならないのは、受け止めなければならないのは、どうして瑞羽はこんな殺人を犯したのかというその話だ。自然、膝の上で握った拳に力が入った。
「私が事件の真相を突き止められたのは、先程から繰り返しているように、あみだくじに隠された真の意図に関してまで考えを進められたからです。
私はこう考えました――なぜこの家系図で、かつ、このあみだくじなのか?
〈あみだくじの殺人〉がやりたいだけなら、なにもこの家系図である必要はないのですよ。この家系図であったところで、益美から始める必要もまたありません。犯人があえてこの家系図を残した以上、そうするだけの理由があるはずだ――そう疑ったとき、以前からそれとなく察知していた山野部家のある秘密とも合わさり、答えは浮かび上がったのです。
結論から先に述べましょう。
このあみだくじに則るならば、第五の被害者は圭太となりそうですね。しかし、本当にそうなのでしょうか? 圭太が殺されてあみだくじが完成したところで、それ以上の意味は何もありません。ですが殺されるのが圭太でなかったなら? 表面的な表記に騙されず、家系図というものの本質に目を向けてみてください。家系図を左へ九十度回転させて益美から開始されたあみだくじ。次に殺されるのは益美の第二子――未春。その次は未春の養子のうち、家系図の都合から左に位置する者――名草。その次は名草と婚姻関係にある女性――菜摘。そして次に来るべきは、菜摘の父親です。
すなわち、ここで圭太以外の者が殺されたならば、その者こそ菜摘の本当の父親となります。
これこそが〈あみだくじの殺人〉の目的――菜摘の父親を告発すること。
そしてそれは皆さんご存知のとおり、木葉に他ならないではありませんか」
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「あの人、私が
後悔と快感の中で
なつき
エッセイ・ノンフィクション
後悔してる私
快感に溺れてしまってる私
なつきの体験談かも知れないです
もしもあの人達がこれを読んだらどうしよう
もっと後悔して
もっと溺れてしまうかも
※感想を聞かせてもらえたらうれしいです
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
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