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【明の章:あみだくじの殺人】
6「みんな阿弥陀の中に隠された」
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6
昼食は十二時半と決まった。摩訶子の客室でひとり待っていると、彼女は盆にカップや生卵なんかを乗せてやって来た。椅子は二つあったので、向かい合って座る格好となる。
「茶花くん、例の家系図をテーブルに置いてくれたまえ」
俺は云われたとおりにする。摩訶子は卵を割ると簡単な器具を使って黄身だけを分け、珈琲の中に落とした。スプーンでよく掻き混ぜた後、ひとくち啜って満足そうに頷く。
「犯人はそれを第一の犯行現場に残した。濡れて駄目にならないようラップフィルムで覆っていたところを見たって無論、意図的な行動だ。それ自体が何らかのメッセージであると見做して問題ないだろう。君はその意図について考えてみたと云っていたね?」
「ああ、でも分からなかった。解釈の幅が広すぎる」
「決め手に欠けるというだけで、案のひとつか二つはあるのだろう? 話してみたまえ」
相変わらず飄々とした態度の摩訶子だけれど、俺を使って遊んでいるんじゃないだろうか。どうせ正鵠を射てはいない俺の考えなんて聞かずに、早く答えを云ってくれれば良いのに……。
「真っ先に思い付くのは、これが山野部家の人間を標的とした連続殺人なんだという予告、あるいは宣言かな。そう考えれば、かしこさんが殺されることは絶対にないと君が云いきった理由も分かる」
「探偵の発言から逆算するとは面白いことをやるね。他には?」
「そうだな……俺ははじめ、遺産絡みの殺人を暗示しているのかと思った。もちろん、森蔵の遺産だよ。遺言書の開封はまだだが、相続はまさにこういう家系図に従って行われるものだろう。血族が減れば、それだけ他の者の取り分が増える」
「なるほど。しかしどうだろう、森蔵の遺産を必要としている人間が、果たしてこの中にいるだろうか。森蔵は特段、金に執着がある人間ではなかった。その富は、これまでも一族の者達に必要とあらば必要なだけ与えられてきた。少なくとも当面、金に困りそうな人間は見当たらないな」
「ああ……」摩訶子の云うとおりである。「これからにしても、おそらく遺産の大部分を相続するだろう林基さんや稟音さんが、それを独り占めしそうな気配はない。世俗を厭う彼らだから、そもそも金遣いだって荒くない。森蔵の遺産は有り余るほどあるだろうし、山野部家の金銭事情はこれまでと何ら変わらなそうだ」
「うん。それに遺産目当ての殺人ならば、名草と菜摘を殺したところで意味がない。林基や稟音がまず殺されなければおかしな話さ」
「だからまあ、遺産相続は関係ないんだと思うよ……そうなると家系図の意図はさっぱり分からないね、俺には。そろそろ女ホームズの考えを聞かせてもらえると有難いんだけど」
「いいだろう」
ようやくその気になってくれた。俺は自然、居住まいを正していた。
珈琲を啜ってから、摩訶子は講釈でもするような調子で話し始めた。
「犯人の意図を読み取るにあたって〈なぜ家系図か〉というのも大事な視点だが、これでは君の云うとおり解釈は多岐に渡り、すぐ行き詰ってしまう。そこで考えるべきは、〈なぜこの家系図なのか〉という問題なのさ。なにせこの家系図自体、犯人が作成したものだと云うのだからね。
家系図の描き方には一般的なルールならいくつかあるものの、絶対に守るべき共通のそれはない。しかし最低限、ひとつの家系図内ではルールを統一しておくのがマナーだ。そうでなければ各々の関係が読み取りづらくなり、家系図としての意味が崩壊する。
そこでこの家系図を見てみると、一見綺麗にまとまっているようでいて、実は規則性が崩れていると分かるだろう。
基本的には、兄弟においては年上を右に置いているね。これは一般的な描き方でもあるわけだけれど、夫婦においては夫を左に置いていて、こちらは一般的なそれとは逆だ。そして年上を右という点では名草・彩華の兄妹が例外で、夫を左という点では森蔵・ハテナとこれまた名草・菜摘の夫婦が例外となっている。しかしだ、森蔵とハテナは交換するだけだからいいとして、森蔵の曾孫の代に関して云えば――」
摩訶子は制服の胸ポケットから洒落たデザインの便箋と万年筆を取り出し、テーブルの上で簡単な作図をする。名草と彩華が入れ替えられ、それを菜摘と俺が挟む格好に改められた。
「――このように描いたなら、〈兄弟においては年上を右〉かつ〈夫婦においては夫を左〉で統一させられるのだよ。もちろん〈夫を右〉という規則で全体を描き直すこともできるし、他の描き方だって可能だ。だが反対に、山野部家の家系図を描いてみろと誰かに指示して、規則性が崩れたこの家系図が――まさにこれと同じ家系図が出来上がることは、あまりないだろうね。
しかし犯人が残したのは、犯人が用意したのは、他でもないこの家系図だった。
ここなのだよ。〈なぜ家系図か〉でなく〈なぜこの家系図なのか〉というところにこそ、犯人の真の意図が隠されているのだよ。
結論を述べれば、犯人にとってはこの家系図でなければいけなかったのだ。他の描き方では駄目だったのだ。ゆえに、第一の殺人と共に是非ともこれを提示する必要があったのだ」
「……思い付かなかったな、それは」
家系図の描かれ方に着眼するとは。しかも聞いてみれば、たしかに奇妙な描かれ方をしている。そこに犯人の意図がある……。
「……でもまだ分からない。この描き方をすることによって、何がどう変わるんだ? 表されている内容は同じはずじゃないか」
「それはだね――こうすることで瞭然となる」
摩訶子は便箋に、今度は犯人が残したとおりの家系図を描き写した。それから赤インクの万年筆を取り出して、益美、未春、名草、菜摘と殺害された順にバツ印を付けると、それらを結ぶように線を太くなぞっていった。
唖然とする俺の前で、便箋が横向きにされる。完成したその図は、俺の理解を越えていた。
「分かったかい? あみだくじだよ、茶花くん。原則として下方向を指向しながら、分岐に当たるたびにそちらへ折れる――そんなあみだくじの要領で、犯人は益美から順に殺人を繰り返しているのだ」
「そ――そんな!」正気を疑う。誰の? 犯人の? 摩訶子の?「そんな冗談みたいな――偶然じゃないのか、こんなの!」
しかし狼狽する俺とは対照的に、摩訶子は澄ましたものであった。
「こんな偶然が起こる確率が、一体どれほどあると思う? 森蔵はもちろんだが、私と母上、そして犯人自身を除いたところで十二人の候補者。その中から四人を殺していったとき、丁度こんなふうに家系図上であみだくじが描かれる確率なんて、本当に微々たるものだ。またそれは、この家系図でなければ成立しなかった。家系図がまさにこう描かれたことも、その上で被害者たちがあみだくじ式に殺されていることも、どちらも犯人の恣意によってと考えるのが自然ではないか。そうでなければ私達はこんな超常的な偶然を容認すると共に、犯人がこの家系図を現場に残した意図について解を見失うことになるだろう」
「ふざけてるっ!」
俺は似合いもせず、声を荒げてしまっていた。だって、まさか、自分と縁遠くない人達が四人も――姉さんと名草さんまで殺されて、俺らは館に閉じ込められて、外部へ助けを求めることもできなくて、またいつ新たな犠牲者が出るとも分からずに、彩華だって心細い思いをしていて、それがまさか、こんなお遊びみたいなルールに則って殺されていただなんて、あまりに情けなくって、腹立たしいなんて言葉じゃ全然足らないじゃないか。
「じゃあ、じゃあ何だ――犯人が次に狙ってるのは父さんなのか? この殺人は、益美さんから始まって父さんに行き着くっていう、そういうあみだくじなのか?」
知らせなければならない。今すぐ、父さんに、子供染みた殺人狂が父さんを殺そうとしているのだということを――そう思って俺は席を立っていたが――だが、摩訶子は平然と俺を見上げていて、予想外の答えを述べた。
「もちろん、違うよ。圭太は殺されない」
……俺はさぞかし間の抜けた顔をしているに違いない。
摩訶子もまたすっと立ち上がり、腕時計を示して云った。
「十二時半になろうとしている。食事の後は、いよいよ犯人との直接対決だ。それまでに君は今のヒントを参考にして考えてみたまえ。ひとつ云っておくが、自作した家系図の上であみだくじをやるためだけに連続殺人をやるような人間はいない。犯人はふざけているのではなく大真面目だから、そこは安心すると良いよ」
珈琲を飲み干して盆を持ち、先にさっさと部屋を出て行く摩訶子。
ここに至って、混乱は極みに達した。この謎は、俺の手には余り過ぎる。
昼食は十二時半と決まった。摩訶子の客室でひとり待っていると、彼女は盆にカップや生卵なんかを乗せてやって来た。椅子は二つあったので、向かい合って座る格好となる。
「茶花くん、例の家系図をテーブルに置いてくれたまえ」
俺は云われたとおりにする。摩訶子は卵を割ると簡単な器具を使って黄身だけを分け、珈琲の中に落とした。スプーンでよく掻き混ぜた後、ひとくち啜って満足そうに頷く。
「犯人はそれを第一の犯行現場に残した。濡れて駄目にならないようラップフィルムで覆っていたところを見たって無論、意図的な行動だ。それ自体が何らかのメッセージであると見做して問題ないだろう。君はその意図について考えてみたと云っていたね?」
「ああ、でも分からなかった。解釈の幅が広すぎる」
「決め手に欠けるというだけで、案のひとつか二つはあるのだろう? 話してみたまえ」
相変わらず飄々とした態度の摩訶子だけれど、俺を使って遊んでいるんじゃないだろうか。どうせ正鵠を射てはいない俺の考えなんて聞かずに、早く答えを云ってくれれば良いのに……。
「真っ先に思い付くのは、これが山野部家の人間を標的とした連続殺人なんだという予告、あるいは宣言かな。そう考えれば、かしこさんが殺されることは絶対にないと君が云いきった理由も分かる」
「探偵の発言から逆算するとは面白いことをやるね。他には?」
「そうだな……俺ははじめ、遺産絡みの殺人を暗示しているのかと思った。もちろん、森蔵の遺産だよ。遺言書の開封はまだだが、相続はまさにこういう家系図に従って行われるものだろう。血族が減れば、それだけ他の者の取り分が増える」
「なるほど。しかしどうだろう、森蔵の遺産を必要としている人間が、果たしてこの中にいるだろうか。森蔵は特段、金に執着がある人間ではなかった。その富は、これまでも一族の者達に必要とあらば必要なだけ与えられてきた。少なくとも当面、金に困りそうな人間は見当たらないな」
「ああ……」摩訶子の云うとおりである。「これからにしても、おそらく遺産の大部分を相続するだろう林基さんや稟音さんが、それを独り占めしそうな気配はない。世俗を厭う彼らだから、そもそも金遣いだって荒くない。森蔵の遺産は有り余るほどあるだろうし、山野部家の金銭事情はこれまでと何ら変わらなそうだ」
「うん。それに遺産目当ての殺人ならば、名草と菜摘を殺したところで意味がない。林基や稟音がまず殺されなければおかしな話さ」
「だからまあ、遺産相続は関係ないんだと思うよ……そうなると家系図の意図はさっぱり分からないね、俺には。そろそろ女ホームズの考えを聞かせてもらえると有難いんだけど」
「いいだろう」
ようやくその気になってくれた。俺は自然、居住まいを正していた。
珈琲を啜ってから、摩訶子は講釈でもするような調子で話し始めた。
「犯人の意図を読み取るにあたって〈なぜ家系図か〉というのも大事な視点だが、これでは君の云うとおり解釈は多岐に渡り、すぐ行き詰ってしまう。そこで考えるべきは、〈なぜこの家系図なのか〉という問題なのさ。なにせこの家系図自体、犯人が作成したものだと云うのだからね。
家系図の描き方には一般的なルールならいくつかあるものの、絶対に守るべき共通のそれはない。しかし最低限、ひとつの家系図内ではルールを統一しておくのがマナーだ。そうでなければ各々の関係が読み取りづらくなり、家系図としての意味が崩壊する。
そこでこの家系図を見てみると、一見綺麗にまとまっているようでいて、実は規則性が崩れていると分かるだろう。
基本的には、兄弟においては年上を右に置いているね。これは一般的な描き方でもあるわけだけれど、夫婦においては夫を左に置いていて、こちらは一般的なそれとは逆だ。そして年上を右という点では名草・彩華の兄妹が例外で、夫を左という点では森蔵・ハテナとこれまた名草・菜摘の夫婦が例外となっている。しかしだ、森蔵とハテナは交換するだけだからいいとして、森蔵の曾孫の代に関して云えば――」
摩訶子は制服の胸ポケットから洒落たデザインの便箋と万年筆を取り出し、テーブルの上で簡単な作図をする。名草と彩華が入れ替えられ、それを菜摘と俺が挟む格好に改められた。
「――このように描いたなら、〈兄弟においては年上を右〉かつ〈夫婦においては夫を左〉で統一させられるのだよ。もちろん〈夫を右〉という規則で全体を描き直すこともできるし、他の描き方だって可能だ。だが反対に、山野部家の家系図を描いてみろと誰かに指示して、規則性が崩れたこの家系図が――まさにこれと同じ家系図が出来上がることは、あまりないだろうね。
しかし犯人が残したのは、犯人が用意したのは、他でもないこの家系図だった。
ここなのだよ。〈なぜ家系図か〉でなく〈なぜこの家系図なのか〉というところにこそ、犯人の真の意図が隠されているのだよ。
結論を述べれば、犯人にとってはこの家系図でなければいけなかったのだ。他の描き方では駄目だったのだ。ゆえに、第一の殺人と共に是非ともこれを提示する必要があったのだ」
「……思い付かなかったな、それは」
家系図の描かれ方に着眼するとは。しかも聞いてみれば、たしかに奇妙な描かれ方をしている。そこに犯人の意図がある……。
「……でもまだ分からない。この描き方をすることによって、何がどう変わるんだ? 表されている内容は同じはずじゃないか」
「それはだね――こうすることで瞭然となる」
摩訶子は便箋に、今度は犯人が残したとおりの家系図を描き写した。それから赤インクの万年筆を取り出して、益美、未春、名草、菜摘と殺害された順にバツ印を付けると、それらを結ぶように線を太くなぞっていった。
唖然とする俺の前で、便箋が横向きにされる。完成したその図は、俺の理解を越えていた。
「分かったかい? あみだくじだよ、茶花くん。原則として下方向を指向しながら、分岐に当たるたびにそちらへ折れる――そんなあみだくじの要領で、犯人は益美から順に殺人を繰り返しているのだ」
「そ――そんな!」正気を疑う。誰の? 犯人の? 摩訶子の?「そんな冗談みたいな――偶然じゃないのか、こんなの!」
しかし狼狽する俺とは対照的に、摩訶子は澄ましたものであった。
「こんな偶然が起こる確率が、一体どれほどあると思う? 森蔵はもちろんだが、私と母上、そして犯人自身を除いたところで十二人の候補者。その中から四人を殺していったとき、丁度こんなふうに家系図上であみだくじが描かれる確率なんて、本当に微々たるものだ。またそれは、この家系図でなければ成立しなかった。家系図がまさにこう描かれたことも、その上で被害者たちがあみだくじ式に殺されていることも、どちらも犯人の恣意によってと考えるのが自然ではないか。そうでなければ私達はこんな超常的な偶然を容認すると共に、犯人がこの家系図を現場に残した意図について解を見失うことになるだろう」
「ふざけてるっ!」
俺は似合いもせず、声を荒げてしまっていた。だって、まさか、自分と縁遠くない人達が四人も――姉さんと名草さんまで殺されて、俺らは館に閉じ込められて、外部へ助けを求めることもできなくて、またいつ新たな犠牲者が出るとも分からずに、彩華だって心細い思いをしていて、それがまさか、こんなお遊びみたいなルールに則って殺されていただなんて、あまりに情けなくって、腹立たしいなんて言葉じゃ全然足らないじゃないか。
「じゃあ、じゃあ何だ――犯人が次に狙ってるのは父さんなのか? この殺人は、益美さんから始まって父さんに行き着くっていう、そういうあみだくじなのか?」
知らせなければならない。今すぐ、父さんに、子供染みた殺人狂が父さんを殺そうとしているのだということを――そう思って俺は席を立っていたが――だが、摩訶子は平然と俺を見上げていて、予想外の答えを述べた。
「もちろん、違うよ。圭太は殺されない」
……俺はさぞかし間の抜けた顔をしているに違いない。
摩訶子もまたすっと立ち上がり、腕時計を示して云った。
「十二時半になろうとしている。食事の後は、いよいよ犯人との直接対決だ。それまでに君は今のヒントを参考にして考えてみたまえ。ひとつ云っておくが、自作した家系図の上であみだくじをやるためだけに連続殺人をやるような人間はいない。犯人はふざけているのではなく大真面目だから、そこは安心すると良いよ」
珈琲を飲み干して盆を持ち、先にさっさと部屋を出て行く摩訶子。
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