名探偵・桜野美海子の最期

凛野冥

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2日目

3「叫び声が響いた」

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 桜野、僕、枷部さん、杭原さん、琴乃ちゃん、出雲さんの六人で、サロンのテーブルにつき食事をとる。杭原さんと琴乃ちゃんは出雲さんが呼んで来た。枷部さんが同伴者を連れて来なかったために生まれた余分な一席を出雲さんの席にしようと提案したのは僕だった。使用人や客といった立場なんて意味を成さない状況なので、食事も一緒でいいだろうと思ったのだ。これには誰も反発しなかった。

 枷部さんと杭原さんの態度は、驚くほどに普通だった。普通とは、昨日と変化がないという意味だ。先ほど互いを容疑者として指摘し合っていたのに、特に仲違なかたがいした様子もなく、僕達にも自然な接し方だった。彼らの道徳に欠けた考え方を知って反感を抱いていた僕もすっかり毒気を抜かれてしまい、朝食の席は緊張感とは無縁だった。この方がストレスが溜まらなくて良いので、僕も進んで甘んじた。

「あれから考え直してみたんだけど、」

 食べ終わった杭原さんがそう口火を切った。

「閂が外からかけられているのに、あたし達は全員が中にいる。なら犯人は外部犯と考えるしかないわ。もちろん、これで終わりじゃない。相手は私達を閉じ込めて、また中に這入っては殺していくつもりよ。あたし達を餓死させようとしても、食料はたくさんあるでしょう? 此処には有名な探偵が大勢いるんだから、じきに助けだって来る。あたしも用心のために、信用できる仲間に白生塔のことは伝えてから来たしね」

「ふむ、やはりそうなるのだね。犯人は僕らの中にいて外に協力者がいるという考え方も可能だが、それは僕にも首を傾げざるを得ない話だよ。僕らは全員が高名な探偵なのだからね」

 枷部さんは、杭原さんが実は探偵ではないんじゃないかという考えは捨てたのだろうか。僕では真意は読めない。

「犯人が外部の人間となると、獅子谷氏はどうなったんですか」

「大筋は朝に話したとおりよ。能登ちゃんと犯人は協力関係にあって、あたし達を欺いていた。獅子谷氏ははじめからいなかった。録画映像での獅子谷氏の言葉のせいで、此処にあたし達以外の人間が潜んでいる可能性を失念していたわ。犯人が誰であるにせよ、フェアプレーで臨んでくると思ってたから」

「あ、あの……だったら、犯人が這入ってこないように、こちらからも閂をかけてしまったらどうでしょう」

 出雲さんが遠慮がちに提言した。

「駄目よ。いつまでも籠城戦なんてしてられないわ。あたし達は探偵よ? それにしても、まさか犯人がここまでブサイクなやり方を取るなんて……」

 杭原さんは悔しそうに歯噛みしている。

「相手は探偵を虐殺するためなら手段を選ばないようね。閂をかけたとはそういうことよ。対等な勝負なんてするつもりはないんだわ。あたしの兄を殺したのだって、知略で上をいったからじゃなくて卑怯な騙し討ちだったのよ。真っ向から知恵を戦わせる覚悟をしていたあたしが馬鹿みたいだわ」

「お気持ち、お察しするよ、杭原さん。僕にも兄がいたのだ……不出来な兄だったが、彼が死んでしまったときは心が痛んだ」

「あら……。そのお兄さんも誰かに殺されたのかしら」

「ああ、いや、そういうわけじゃあなかったがね。何にせよ、肉親の死は悲しい。それが何者かの手によってなら、憎しみの念も付与される。……どうにか犯人の裏をかいてやらないといけないな。僕も長年探偵をやってきたが、こういった事態は例がないよ」

「うーん、私には外部犯とは思えないなぁ」

 そこで桜野が突然、これまでの会話をひっくり返す発言をした。

「どうしてだ、桜野」

「だってこの犯人が私達を抹殺するためなら手段を選ばない卑劣な人間なら、これまでの犯行に推理小説的趣向が凝らされてた意味が分かんなくなっちゃうもん」

「えーっと、それって……」

 もう少し分かりやすく云ってもらえないと、僕には理解ができない。

「獅子谷さんがいるように思わせるのは、私達を油断させるために必要だったと云えるかもね。でも密室から消失したなんて状況をつくり出す必要はないよ。そのせいで結果的に、あれは録画で獅子谷さんなんていないんだって、霊堂くんや杭原さんに思い付かせちゃったんだから。能登さんの殺し方だって、まぁすぐに看破されたけど〈有り得ない転落死〉みたいに装う必要もない。犯人は明らかに私達に挑戦してる。殺したいだけじゃない。だったら犯行時以外は塔の外に隠れるにしても、外から閂をかけるなんてしないはずなんだよ。手段を選ばない外部犯、という人物像を持たれてしまったら私達との勝負にならないもん。なら、それは犯人による誘導だよ。手段を選ばない外部犯と考えて私達の思考が停止したら、犯人の勝ちなの。したがって、犯人は外部犯ではない。もっとフェアプレーに徹していて、私達がその正体を綺麗なかたちで当てられるようにしてある……んじゃないかなぁ」

「犯人はあたし達の中にいるって云うの? だったら美海子ちゃん、どうやって閂をかけたのよ」

「さあ。現時点ではなんとも」

 どうも格好が付かない桜野だったが、外部犯を否定する彼女の考えは杭原さんと枷部さんにとっても頭ごなしに否定できるものではないらしく、沈黙が訪れた。こうして口にしたということは、桜野にとっては既に正しいという確信があるということだ。

「そもそも私には獅子谷さんがいないなんて考えも……」

 桜野が何やら新たな考えを披露しようとしたその時、

「きゃあああああああああああああ」

 遠くから、しかし確実に聞こえてきたのは香奈美ちゃんの叫び声だった。白生塔は螺旋階段が中央を貫いているために、フロアでの大声なんかは各階まで響くのだ。

「……駆け付けるべきだね。只事じゃあなさそうだ」

 枷部さんに続いて僕らも立ち上がり、急ぎ足で香奈美ちゃんのもとへと向かう。エレベーターを呼び出すのももどかしく、螺旋階段を駆け上がった。

「たしか香奈美ちゃんの階は……」

「八階だよ、先生」

 叫び声はまだ続いている。自分の喉を破壊せんばかりの絶叫である。嫌な予感が胸の内で膨れ上がり、暴れている。香奈美ちゃんはついさっき、完成した料理を盆に乗せてエレベーターに乗り込んで行ったばかりだ。それが今、絶叫しているということは……。

 八階に到着する。八〇一号室の扉が開いていて、奥の床に座り込んで泣き叫んでいる香奈美ちゃんの姿が見とめられた。床には彼女がつくった料理も散らばっている。僕の中で、予感が確信に変わる。変わってしまう。

 香奈美ちゃんのもとに駆け付けた僕らの視線は、ベッドの上に置かれたそれをすぐに捉えた。

 霊堂義治の首だった。

「うわあああっ」

 僕は床に尻餅をついてしまった。続々と這入ってくる他の皆も一様に驚いていて、出雲さんは通路の中ほどまで急いで引き返すと床に倒れた。

 ベッドとその周辺は元からその色だったのではないかと思うほどに、一面が赤黒く染まっていた。コンクリートの壁にも血液は飛び散っている。その中心にあるのは義治くんの生首。ニット帽を被ったままなのが何とも奇妙だ。綺麗に切断され、こちらに顔を向けて置かれている。血を失って紫色に変色した顔は苦痛をたたえた醜い表情をしていて、限界まで見開かれた目は生前の彼が一度も見せなかったものだ。その豹変が、なおさら恐怖と衝撃を煽った。

 せ返るような血のにおい。空気に血液が混じっているかのよう。そうだ……胴体はどこに行ったのだ。見回してみるが、少なくともこの周囲にはない。やや遅れて無花果ちゃんと新倉さんが部屋に這入ってくるのが見えた。

「おお、何ということだ!」

 枷部さんが興奮気味な声を発した。

「皆さん、僕は気が狂いそうな感動の中にいるよ! そう、感動。この莫大な激情を表現するには、衝撃や戦慄よりも感動と云うのが相応ふさわしい! あまりにも出来すぎだよ! これぞ運命! 僕の存在は今この瞬間のために在ったとさえ思える!」

「ちょっと、どうしたのよ」

 怪訝そうな杭原さんに、枷部さんは塔全体に響き渡りそうな声で告げた。

「首切りジャックだ! この塔には首切りジャックが潜んでいるのだ!」

 枷部さんはスーツが汚れるのもお構いなしに血の海の中をびしゃびしゃと進んで行くと、あろうことか義治くんの首を両手で掴み、持ち上げた。

「この切断面……間違いない、間違えようがない、奴の犯行だよ! おお甘施さん、君も見たまえ、よく憶えているだろう、この綺麗な切断面を!」

 枷部さんが切断面をこちらに向けてきたので、僕は咄嗟とっさに視線を逸らした。

「あははっ、なるほどなるほど! 探偵が殺人犯なんてとても信じられなかったが、探偵を殺すという皮肉めいた行いは実に首切りジャックらしいな! 合点がいったよ、そうか、奴が犯人なのか! 皆さん、首切りジャックです! この塔はもはや彼の――」

「ふざけんなアアアアアア!」

 香奈美ちゃんが枷部さんに飛び掛かった。枷部さんはし掛かられるままに後ろ向きに転倒し、その手から離れた義治くんの首が宙を飛んでいく。香奈美ちゃんは枷部さんの首をミシミシという音が聞こえそうなくらい強く締め上げる。長い爪が皮膚を破いて肉を裂き、血が滲んでいく。枷部さんはやっと抵抗を始めるが、香奈美ちゃんは決して振り落とされない。その血走った目から、彼女が本気で枷部さんを殺そうとしていると思い知らされる。

「駄目だ、香奈美ちゃんっ」

 僕は急いで香奈美ちゃんに駆け寄り、枷部さんから引き剥がそうと試みた。すぐに杭原さんもやって来て手伝ってくれた。しかし香奈美ちゃんの執念は凄まじく、決して離れようとしない。彼女の狂ったような叫びに、僕の鼓膜は破けてしまいそうだった。枷部さんの顔面が鬱血していくのが分かる。

 そこで突然、香奈美ちゃんの抵抗がなくなり、僕は後ろ向きに転んだ。かと思えば、彼女は僕に襲い掛かってきた。咄嗟に前に出した腕に、ガブリと噛み付かれる。そのまま骨を砕くような勢いでギリギリと――

「あああああっ」

 しかしすぐに香奈美ちゃんは剥がされた。杭原さんと枷部さんによって後ろから拘束された彼女は、なおも暴れ回って脱しようとしている。その形相ぎょうそうは人間というよりも獣に近かった。

 遠くの床から、首だけとなった義治くんがジッとこちらを見詰めていた。
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