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奇妙に深まりゆく師弟関係
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目覚めると雨が降っていた。久方振りの雨だ。どんよりと厚い雲……昼間だってことは分かったけれど、時刻は見当が付かない。変な場所で寝たもんだから、身体の節々が痛かった。
異臭が鼻を衝いた。すぐ傍で猫が死んでいたんだ。大きめの石で頭を潰されてて、飛び出た中身にブーンブーンと蠅が群がってた。まったく、起き抜けからとんでもないものを見せてくれる……。もしかして、僕がやったんだろうか? まったく憶えてない。
死骸から距離を取って、でも雨だから橋の下からは出なかった。いくらか嵩の増した川の流れをボーっと眺めながら、時間だけが経っていった。夏の雨ってのは不快極まりなくて、べたべたした空気が肌に纏わり付いてくる。服のあちこちに泥がついてたのも嫌だったな……。
腹が何度も鳴った。空腹には慣れてるからそれ自体は何ともなかったが、この後どうするか……という問題がそのたびに意識された。このまま今日も橋の下でひと晩明かすというのは、やっぱり遠慮したい。とはいえ家には帰りたくないし――うん、これは考えただけで全身が拒否反応を起こしたよ――かと云って、〈愛の巣〉はいまや糞野郎共のアジトで、あんな場所に二度と行きたくないってのは絶対だ。他に頼るあては……天織の顔が浮かんだけれど、これもあり得ない。彼女に何を頼めると云うんだ? しばらく泊めてくれってか? 図々しい……。
となると、残るはひとりしかいなかった。海老川蝶子。意外にも、この人に関しては頼ろうとすることにほとんど抵抗がなかった。もともと利用してやるつもりの付き合いだからかな……こんな惨めな有様の僕には、プライドらしきものもなかったし。
雨が止みそうな兆しはなかった。僕は橋の下から出て、ずぶ濡れになりながらも、火津路警察署を目指した。警察だって嫌だったが、連絡を取る手立てがそれしか思い付かなかったんだから仕方ない。濡れてみるとさすがに寒かったね。着いたころにはすっかり震えて、くしゃみを連発していたよ。
女探偵と男子高校生のコンビというのはかなり印象的だったようで、受付の人は僕の顔を憶えていた。それから取り次いでもらって、海老川さんに連絡を取らせた。うん、裏のパイプどうこうは関係なく、前に取り調べを受けた際に彼女の連絡先は記録されたはずだからね。頼んでいるのもその知り合いの僕なんで、これは難なくやってもらえた。警察署の職員たちは濡れ鼠の僕にタオルを渡して事情を訊いてきたけれど、僕はタオルを使うだけで質問には一切答えなかった。百合莉の件について訊ねられたら面倒だっただろうが、幸い、僕の訪問はその捜査官たちまでは伝わらなかったらしい。
一時間ほど待って、午後六時半。玄関前にようやく真っ赤なMINI cooperがやって来た。この車、嫌なんだよなぁ……と思いつつ、僕は助手席に乗り込んだ。
「ありがとうございます。服がちょっと濡れてるんですけど、いいですか?」
「構わないわ。どうしたの、その顔? 喧嘩でもした?」
「これはちょっと……気にしないでください」
「そう? ……ええ、私も君を探してたの。心配してたんだから。昨日も家の前でクラクションを鳴らしたのよ? 今日は朝から忙しかったけど……ほら、」
「音楽のヴォリュームを下げてもらえます?」
「ああ……これでいい? ほら、今日は連続脳姦殺人四人目の被害者が発見されて、昼には連続密室姑殺人の三件目も起きたのよ。やっぱりね……でも姑じゃなかったわ。単なる連続密室殺人に改名ね」
「へぇ、知りませんでした」
「今回は女主人よ。容疑者は住み込みで働いてる家政婦。例によって証拠はないんだけど、ほぼ決まりね。――とりあえず適当に出すわよ」
アクセルを踏む海老川さん。それからまた話に戻った。いつもよりやや早口気味で、どうやら僕に話したい事柄が溜まってるらしいと見える。僕の周りは話したがりばかりだな。
「舞台となったのは今嘉神家。先の二家とは別の高級住宅地にある豪邸ね。イマカガミと云えば、麻耶雄嵩の処女作『翼ある闇』でしょう。今度も密室殺人と所縁ある名前ってわけ。手口はこれまでと同じ。女主人の今嘉神メグが密室で身体を切り開かれ殺害されていた。身幅はそこそこあったけど、この家に赤ん坊はいないわ――でもこれはいいのよ。私が推理した胎内回帰トリックは間違ってたんだから。それよりも面白い共通点、被害者の腹の中から毛髪が発見されたの。実は私が知らなかっただけで、一件目の喜久岡松見の腹の中にも毛髪が残ってたって話だわ。そして調べたところ、その毛髪は連続首切り殺人ひとり目の被害者のDNAと一致した。今回の毛髪はまだ結果待ちだけど、これも連続首切り殺人のいずれかの被害者と一致するでしょう。ええ、玖恩寺富恵だけじゃない……生首がそのまま残されてたのは玖恩寺富恵だけだったけど、この連続殺人ではすべての被害者の切り開かれた腹に、一度は連続首切り殺人被害者の生首が収められてるのよ。一体、どういうつもりなのかしら……蟹原くんは何か思い付く?」
「いえ、まったく」
「そうよねぇ……。ところで、喜久岡家と玖恩寺家は容疑者同士に繋がりがあったわね? だから、この連続密室殺人は一種のコミュニティを渡るようにしてトリックのみが受け継がれていくって仕組みだと推理していたわけだけど……今度の今嘉神家には先の二家との繋がりが見当たらないのよ。でもトリックが共有されているのは明白。だから私は、この事件に対する見方を変えたわ。闇はさらに大きかったのよ。つまりね、それぞれの家を繋ぐ隠された個人なり集団がいて、トリックを提供してるの――それを必要としている家にね。もちろん、この〈黒幕〉は連続首切り殺人の仕掛け人でもあるわ。連続首切り殺人に関しては、喜久岡家にも玖恩寺家にも犯人なり得る人間は存在しないって、捜査の結果が出てるから。これはいよいよ、一筋縄ではいかない事件よ……」
相変わらずの空想的な推理だったけれど、これが当たってるんだから参っちゃうよな。阿弥陀たち〈夜の夢〉は本格ミステリ式犯罪ってやつを意図してやってる。連続密室殺人の舞台が『斜め屋敷の犯罪』『姑獲鳥の夏』『翼ある闇』を連想させるってのも、その通りなんだろう。趣向そのものが目的で凝らす趣向。犯罪そのものが目的で行う犯罪。〈栄誉ある消費〉。
犯人が馬鹿馬鹿しい連中なんだから、ひょっとするとこれを解決できるのは同じく馬鹿馬鹿しい探偵であるところの海老川さんだけなのかも知れない。手を貸そうとは思わないけれど、僕は前と比べて海老川さんを応援したい気持ちがいくらか芽生えていた。頑張ってくれ。
「でも連続脳姦殺人に関しては、果たして関係があるのか怪しいのよね……。他とは別の論理で動いてるみたいって云うか……。連続首切り殺人と連続密室殺人の繋がりは向こうから示唆してきたのに、こっちは全然でしょう? 強いて挙げるなら、連続首切り殺人と同じ夜にスタートしたって点かしら……。今朝に発見された被害者は、自分の車の中で殺害されていたの。後部座席で、頭頂部に開けられた穴に前回被害者の精液を注がれていた。木立に挟まれた道の途中に停車してあったのを、朝に部活へ行く中学生が発見したって次第ね。窓にもべっとり血が着いてたから、隣を通れば分かって当然よ。公衆トイレ、ラブホテル、今度は車中……頭の良い犯人だわ。連続殺人犯が捕まらない術ってものを心得てる」
うん、天織については心配は要らなそうだった。彼女はきっとやり遂げる――環を完成させる。そしてこの町を出て行くだろう。彼女が犯人だということは阿弥陀たちも知っているが、おそらく、それを告発するつもりはない。思惑は違えど、阿弥陀たちからすれば連続脳姦殺人も〈本格ミステリ式犯罪ムーブメント〉に貢献してるんだからな。
「さて、事件についてはこんなところね。それより――君のことよ、蟹原くん。どうしたの? 一昨日、様子が変だとは思ったけど……連続首切り殺人の新しい被害者・白樺百合莉、君の恋人だったのね? あのビルで私も一度会ったけど、被害者の写真を見るまで分からなかったわ」
やれやれ。ようやく僕の話になったか。
「まぁ……そうですね、それもありますし、他にも色々とあって、家に居づらくなってしまったんです。百合莉じゃありませんが、僕も家出してきたんですよ」
「だからそんなに酷い格好なのね」
海老川さんは可笑しそうな微笑みを浮かべた。なに笑ってんだ――とは思ったが、いや、気分を和らげようとしてくれてるんだろう。分かってる。そうじゃなくたって、笑われて当然の格好だったしな。
「実は父親がろくでもない奴なんです。あの家を見れば分かると思いますけどね。父子家庭で……」
本当は話したくなんてなかったけれど、これから頼み事をする以上、ある程度は話さなければいけなかった。
「……父親は、僕が面倒事を起こすのが一番気に入らないんです。最近、玖恩寺家の一件や百合莉のことなんかで、立て続けに警察が来たもんですから、父親の怒りが爆発しまして……この顔も、昨夜しこたま殴られたせいです。僕は耐えられなくなって、家を飛び出しました」
もう海老川さんは笑みを引っ込めて、真剣に聞いていた。僕は前だけをぼんやり見てたんだけど、雰囲気でそれが分かった。そして僕は前を向いたまま、お願いを告げた。
「でも間抜けなことに、行くあてがないんです。金も何も持ってません。なので海老川さん……もしよかったら、しばらく僕を匿ってもらえませんか?」
どういうわけか、少しだけ怖かった。返事までに間があって、僕は自分の鼓動が聞こえた。頼まなきゃ良かったかな、と後悔さえした。本当に不思議だ……しかし、
「いいわよ。私が借りてる部屋に一緒に泊まるので構わないなら」
肩から力が抜けた――ところではじめて、力んでいたことに気付いた。
「それでいいです、もちろん……。ありがとうございます」
「ふふ、気にしないで。そろそろ別のホテルに移るところだったのよ。ツインの部屋を取りましょう」
肩をぽんと叩かれてそちらを向くと、海老川さんはニコリと笑った。
「頼ってくれて嬉しいわよ。ま、師匠に任せなさいな」
目覚めると雨が降っていた。久方振りの雨だ。どんよりと厚い雲……昼間だってことは分かったけれど、時刻は見当が付かない。変な場所で寝たもんだから、身体の節々が痛かった。
異臭が鼻を衝いた。すぐ傍で猫が死んでいたんだ。大きめの石で頭を潰されてて、飛び出た中身にブーンブーンと蠅が群がってた。まったく、起き抜けからとんでもないものを見せてくれる……。もしかして、僕がやったんだろうか? まったく憶えてない。
死骸から距離を取って、でも雨だから橋の下からは出なかった。いくらか嵩の増した川の流れをボーっと眺めながら、時間だけが経っていった。夏の雨ってのは不快極まりなくて、べたべたした空気が肌に纏わり付いてくる。服のあちこちに泥がついてたのも嫌だったな……。
腹が何度も鳴った。空腹には慣れてるからそれ自体は何ともなかったが、この後どうするか……という問題がそのたびに意識された。このまま今日も橋の下でひと晩明かすというのは、やっぱり遠慮したい。とはいえ家には帰りたくないし――うん、これは考えただけで全身が拒否反応を起こしたよ――かと云って、〈愛の巣〉はいまや糞野郎共のアジトで、あんな場所に二度と行きたくないってのは絶対だ。他に頼るあては……天織の顔が浮かんだけれど、これもあり得ない。彼女に何を頼めると云うんだ? しばらく泊めてくれってか? 図々しい……。
となると、残るはひとりしかいなかった。海老川蝶子。意外にも、この人に関しては頼ろうとすることにほとんど抵抗がなかった。もともと利用してやるつもりの付き合いだからかな……こんな惨めな有様の僕には、プライドらしきものもなかったし。
雨が止みそうな兆しはなかった。僕は橋の下から出て、ずぶ濡れになりながらも、火津路警察署を目指した。警察だって嫌だったが、連絡を取る手立てがそれしか思い付かなかったんだから仕方ない。濡れてみるとさすがに寒かったね。着いたころにはすっかり震えて、くしゃみを連発していたよ。
女探偵と男子高校生のコンビというのはかなり印象的だったようで、受付の人は僕の顔を憶えていた。それから取り次いでもらって、海老川さんに連絡を取らせた。うん、裏のパイプどうこうは関係なく、前に取り調べを受けた際に彼女の連絡先は記録されたはずだからね。頼んでいるのもその知り合いの僕なんで、これは難なくやってもらえた。警察署の職員たちは濡れ鼠の僕にタオルを渡して事情を訊いてきたけれど、僕はタオルを使うだけで質問には一切答えなかった。百合莉の件について訊ねられたら面倒だっただろうが、幸い、僕の訪問はその捜査官たちまでは伝わらなかったらしい。
一時間ほど待って、午後六時半。玄関前にようやく真っ赤なMINI cooperがやって来た。この車、嫌なんだよなぁ……と思いつつ、僕は助手席に乗り込んだ。
「ありがとうございます。服がちょっと濡れてるんですけど、いいですか?」
「構わないわ。どうしたの、その顔? 喧嘩でもした?」
「これはちょっと……気にしないでください」
「そう? ……ええ、私も君を探してたの。心配してたんだから。昨日も家の前でクラクションを鳴らしたのよ? 今日は朝から忙しかったけど……ほら、」
「音楽のヴォリュームを下げてもらえます?」
「ああ……これでいい? ほら、今日は連続脳姦殺人四人目の被害者が発見されて、昼には連続密室姑殺人の三件目も起きたのよ。やっぱりね……でも姑じゃなかったわ。単なる連続密室殺人に改名ね」
「へぇ、知りませんでした」
「今回は女主人よ。容疑者は住み込みで働いてる家政婦。例によって証拠はないんだけど、ほぼ決まりね。――とりあえず適当に出すわよ」
アクセルを踏む海老川さん。それからまた話に戻った。いつもよりやや早口気味で、どうやら僕に話したい事柄が溜まってるらしいと見える。僕の周りは話したがりばかりだな。
「舞台となったのは今嘉神家。先の二家とは別の高級住宅地にある豪邸ね。イマカガミと云えば、麻耶雄嵩の処女作『翼ある闇』でしょう。今度も密室殺人と所縁ある名前ってわけ。手口はこれまでと同じ。女主人の今嘉神メグが密室で身体を切り開かれ殺害されていた。身幅はそこそこあったけど、この家に赤ん坊はいないわ――でもこれはいいのよ。私が推理した胎内回帰トリックは間違ってたんだから。それよりも面白い共通点、被害者の腹の中から毛髪が発見されたの。実は私が知らなかっただけで、一件目の喜久岡松見の腹の中にも毛髪が残ってたって話だわ。そして調べたところ、その毛髪は連続首切り殺人ひとり目の被害者のDNAと一致した。今回の毛髪はまだ結果待ちだけど、これも連続首切り殺人のいずれかの被害者と一致するでしょう。ええ、玖恩寺富恵だけじゃない……生首がそのまま残されてたのは玖恩寺富恵だけだったけど、この連続殺人ではすべての被害者の切り開かれた腹に、一度は連続首切り殺人被害者の生首が収められてるのよ。一体、どういうつもりなのかしら……蟹原くんは何か思い付く?」
「いえ、まったく」
「そうよねぇ……。ところで、喜久岡家と玖恩寺家は容疑者同士に繋がりがあったわね? だから、この連続密室殺人は一種のコミュニティを渡るようにしてトリックのみが受け継がれていくって仕組みだと推理していたわけだけど……今度の今嘉神家には先の二家との繋がりが見当たらないのよ。でもトリックが共有されているのは明白。だから私は、この事件に対する見方を変えたわ。闇はさらに大きかったのよ。つまりね、それぞれの家を繋ぐ隠された個人なり集団がいて、トリックを提供してるの――それを必要としている家にね。もちろん、この〈黒幕〉は連続首切り殺人の仕掛け人でもあるわ。連続首切り殺人に関しては、喜久岡家にも玖恩寺家にも犯人なり得る人間は存在しないって、捜査の結果が出てるから。これはいよいよ、一筋縄ではいかない事件よ……」
相変わらずの空想的な推理だったけれど、これが当たってるんだから参っちゃうよな。阿弥陀たち〈夜の夢〉は本格ミステリ式犯罪ってやつを意図してやってる。連続密室殺人の舞台が『斜め屋敷の犯罪』『姑獲鳥の夏』『翼ある闇』を連想させるってのも、その通りなんだろう。趣向そのものが目的で凝らす趣向。犯罪そのものが目的で行う犯罪。〈栄誉ある消費〉。
犯人が馬鹿馬鹿しい連中なんだから、ひょっとするとこれを解決できるのは同じく馬鹿馬鹿しい探偵であるところの海老川さんだけなのかも知れない。手を貸そうとは思わないけれど、僕は前と比べて海老川さんを応援したい気持ちがいくらか芽生えていた。頑張ってくれ。
「でも連続脳姦殺人に関しては、果たして関係があるのか怪しいのよね……。他とは別の論理で動いてるみたいって云うか……。連続首切り殺人と連続密室殺人の繋がりは向こうから示唆してきたのに、こっちは全然でしょう? 強いて挙げるなら、連続首切り殺人と同じ夜にスタートしたって点かしら……。今朝に発見された被害者は、自分の車の中で殺害されていたの。後部座席で、頭頂部に開けられた穴に前回被害者の精液を注がれていた。木立に挟まれた道の途中に停車してあったのを、朝に部活へ行く中学生が発見したって次第ね。窓にもべっとり血が着いてたから、隣を通れば分かって当然よ。公衆トイレ、ラブホテル、今度は車中……頭の良い犯人だわ。連続殺人犯が捕まらない術ってものを心得てる」
うん、天織については心配は要らなそうだった。彼女はきっとやり遂げる――環を完成させる。そしてこの町を出て行くだろう。彼女が犯人だということは阿弥陀たちも知っているが、おそらく、それを告発するつもりはない。思惑は違えど、阿弥陀たちからすれば連続脳姦殺人も〈本格ミステリ式犯罪ムーブメント〉に貢献してるんだからな。
「さて、事件についてはこんなところね。それより――君のことよ、蟹原くん。どうしたの? 一昨日、様子が変だとは思ったけど……連続首切り殺人の新しい被害者・白樺百合莉、君の恋人だったのね? あのビルで私も一度会ったけど、被害者の写真を見るまで分からなかったわ」
やれやれ。ようやく僕の話になったか。
「まぁ……そうですね、それもありますし、他にも色々とあって、家に居づらくなってしまったんです。百合莉じゃありませんが、僕も家出してきたんですよ」
「だからそんなに酷い格好なのね」
海老川さんは可笑しそうな微笑みを浮かべた。なに笑ってんだ――とは思ったが、いや、気分を和らげようとしてくれてるんだろう。分かってる。そうじゃなくたって、笑われて当然の格好だったしな。
「実は父親がろくでもない奴なんです。あの家を見れば分かると思いますけどね。父子家庭で……」
本当は話したくなんてなかったけれど、これから頼み事をする以上、ある程度は話さなければいけなかった。
「……父親は、僕が面倒事を起こすのが一番気に入らないんです。最近、玖恩寺家の一件や百合莉のことなんかで、立て続けに警察が来たもんですから、父親の怒りが爆発しまして……この顔も、昨夜しこたま殴られたせいです。僕は耐えられなくなって、家を飛び出しました」
もう海老川さんは笑みを引っ込めて、真剣に聞いていた。僕は前だけをぼんやり見てたんだけど、雰囲気でそれが分かった。そして僕は前を向いたまま、お願いを告げた。
「でも間抜けなことに、行くあてがないんです。金も何も持ってません。なので海老川さん……もしよかったら、しばらく僕を匿ってもらえませんか?」
どういうわけか、少しだけ怖かった。返事までに間があって、僕は自分の鼓動が聞こえた。頼まなきゃ良かったかな、と後悔さえした。本当に不思議だ……しかし、
「いいわよ。私が借りてる部屋に一緒に泊まるので構わないなら」
肩から力が抜けた――ところではじめて、力んでいたことに気付いた。
「それでいいです、もちろん……。ありがとうございます」
「ふふ、気にしないで。そろそろ別のホテルに移るところだったのよ。ツインの部屋を取りましょう」
肩をぽんと叩かれてそちらを向くと、海老川さんはニコリと笑った。
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