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虐げられし殺人鬼・天織黄昏
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天織黄昏……以降、天織と呼ぶけれど、彼女はレンタルビデオショップに行くところだった。片手にぶら下げてる貸出袋の存在には最初から気付いてたんだ。僕はそれに同行し、道中で会話を交わせることになった。レンタルビデオショップなんて、此処からだと一番近いところでも結構な距離がある――しかし彼女は徒歩で往復するつもりらしかった。
「あたしは気にしないよ、いつも。歩くのはまぁまぁ好きだし」
「自転車は持ってないの?」
「壊れたんだよねぇ。親は新しいの買おうかって云うけど、お断り。車で送迎ってのもご免こうむる。飼い慣らされて堪るかって話よ」
あのねぇ、と天織は言葉を継ぐ。
「あんたもあたしも他の連中もそう。どうしたって庇護下にあるあたし達は、苛烈な安寧に溺れてる。そりゃ仕方ないことだけど、自分の中で線引きって云うか、基準は設けて遵守しておかないと、ずるずる腐らされていくんだ」
「へぇ、そんなふうに主義を固めてるなら、単なる反抗期ってわけじゃないんだね」
「今更あたしに何云うよ、あんた。会って間もないけどさ、あんたはいま、世界で一番あたしを理解してる人間だ。正直、驚いてるんだよ。この段階で早くも、あたしがやってることを核心までほぼ正確に見抜くなんてねぇ」
ぱちぱち、と雑な仕草で手を叩く天織。こうして話してみると、想像していたよりも気さくな子だった。ニヤニヤ笑いが何となく皮肉っぽいのは気になったが、表情もまぁ、偏りはあるものの多彩だったね。
「お見事お見事。でも変態よね、そこまで分かっちゃうってのは」
「いちおうこれでも、探偵の弟子をしてるんだ。そのノウハウが生きたのかもな」
「は? 探偵?」
「うん、この町であんまり派手な事件が相次ぐもんだから、外から探偵が来てるんだよ。縁あってその人と付き合いがあるんだけど……ああ、気にする必要はない。てんで話にならない人なんだ。ノウハウが生きたってのも冗談。ただ、その人づてに一般には公開されてない情報まで知ることができたから、君に迫れたってのはある」
「その探偵も、私が犯人だってことを――」
「いや、知らないよ。僕がこうしてるのは個人的な活動だ。そうだね、警察の動向について少し話そうか? 僕とのこの会話で、君にもメリットがあった方が良いだろう」
「あーあー」
天織は煩わしそうに手を振った。
「余計な気ぃ利かせないでよ。メリットとかデメリットとか、人間関係は市場経済じゃないでしょ? なのにどいつもこいつも損得勘定で人付き合いしてて嫌になる。嫌になるから、あたしは友達とかつくらないんだけどさ」
友達いなさそうだなぁとは思っていた。上級生相手にも遠慮なく振舞ってくるところ――天織は一年生だった。僕は全然構わないが――そういうところにも表れてる通り、一般的には〈生意気〉だとか〈粋がってる〉だとか見做されてしまう性格だろう。それに気さくな感じとは裏腹に、言動や考え方は若者らしくなく厭世的だ。
まぁ下世話な話……これだから、屈服させ甲斐があるとでも思われてレイプなんかされたのかもね。友達がいないってのも、目を付けられる要因になる。つまり相談する相手がいないんだから……結果、ひとりで抱え込んで、しかし消化しきれず、やり場がなく肥え太った憎悪や執念が連続脳姦殺人へと繋がっていった……。
「なーに黙り込んでんの。寂しい奴だとでも思ってるわけ?」
「ん、思ってないよ。そんなことを思うのは、そうだな……友達ってやつを無理矢理にでもつくっては自分を拘束して、それが充実ってことなんだと満足してるような阿呆だけだろう。僕もこれと云って名前を挙げられるような友人はいないし」
「へぇ、好感が持てる。そうだよね、あいつら自ら進んで拘束し合って喜んでるんだ。どうでもいいことで休日の予定を埋めて、家に帰っても寝るまでせっせとメールなんか交換して――振り返るってことがないから、そんな日々がどんなに無意味かも気付かないんだ。無能だよ無能」
「…………」
何だろうな。これじゃあ本当に〈寂しい奴〉二人が一所懸命に慰め合ってるかのようで、ひどく馬鹿らしい気分になっちまった。
「あ。参考までに聞かせてよ、その警察の動向とやら」
聞くのかよ。
「大した内容でもないけどね……警察も犯人が援助交際の相手を殺害してるとは二人目の被害者の時点から気付いてて、この辺りで援助交際をおこなってる人間を洗うと共に、事件当日にそういった誘いを受けた人間が他にいないか、あるいは誘ってるらしい人物を目撃した人間がいないか訊き込みに励んでるんだとさ」
「無駄無駄。あたしは縁交なんかしてないし、殺す相手にはそう騙して現場まで連れてってるけど、全部一発目で成功してて、周りに目撃されてもない。舐めんなっつーの」
「全部一発目で成功か。そいつは凄いな。観察眼が為せる業かい?」
「観察眼ってのもあるかもね。帰宅途中で、かつこの後に予定のない奴を当てる必要があるから。でもそれさえクリアすれば簡単。あたしは性的魅力――うえっ――性的魅力には欠ける身体つきかも知れんけどさ、このくらいの歳の女に誘われたらどいつも理性なんてすぐ吹っ飛ぶんだ。『小さな悪の華』は観たことある? そういうもんだよ、男ってのは揃いも揃ってクソ以下だからねぇ」
まぁ、そうなのかも知れない。天織はキツめの表情をつくってる割に、幼めで可愛らしい顔立ちをしていた。このくらいの子に誘われれば、大抵の男はまんざらでもないだろう。
「とりあえずは、口抜き営業ですぅって云うんだ。あたしは犯行のときにはウィッグまでつけて芋臭い格好に変装してるんだけどさ、誘いを掛けるときもわざとぎこちなく、慣れてないふうを装う。それでいて興味はだいぶ強くて、でも恥ずかしがって隠そうとしてるって感じを出す。これが男たちには効くんだよ。こっちが主導権を握れるだろう、ちょっと強く押せば〈本番〉もできるに違いないぞ、なんて頭を回してニヤニヤし始めるんだ」
あまり聞きたくない話だった。しかし良かったのは、天織はこれを得意気に話すんじゃなくて、心の底から嫌悪しながら話すんだ。自慢話ではなく愚痴、それどころか自虐だった。さっきの彼女の云い回しを借りるなら、〈好感が持て〉たね。
「交渉が成立したら、現場までは並んで歩いたりなんかしない。距離を取って、あたしについて来てもらう。現場に着くと口でしてやって――相手はそれ以上のことをしようとがっついてくるけど、一回で終わりじゃないでしょ?って云えば大人しくなる。うえっ。一発抜けば、あとはスタンガンで気絶させて脳天にドリルぶち込んで、ビニール袋に入れて持ってきた前の奴のザー汁注いでお仕舞っとね」
「無遠慮な質問をしていいかい?」
「ん、いいよ。そもそも会ってすぐに『脳姦殺人の犯人でしょ』なんて云ってくる以上に無遠慮なことなんかある?」
「そりゃあ、言葉もないな。……で質問なんだが、君は口でとはいえ、そういった行為をしてるのは事実なわけだ。君が性に放縦な人物ではなく、むしろ心から嫌悪しているのは分かってる。なのに、いくら精液を回収する必要があるからって、そこらへん割り切れるものなのか?」
「あー……」
天織は物憂げな感じに、空を仰ぎ見た。飛行機雲が一筋あるだけの快晴が、何だか皮肉めいていたな。次の言葉まで、いくらか間があった。
「……腹が立つよ、本当に。ううん、あんたに対してじゃない。もっと大きくて、抽象的な何かに対してだ。あとは自分自身……あたしはたぶん、自棄になってる。あたしの身体は汚されたんだ。もう穢されて、不可逆なんだ。分かってる。男に犯されたことでトラウマを負った女の反応……って云うか身の振り方には、二種類あると思わない?」
「さあ、分からないが」
「ひとつは男性不信だの男性恐怖症だのになって、性的な事柄を極力遠ざけようとするケース。もうひとつは、むしろ積極的にそういったことに関わっていくケース。そうすることで、自分がされたのは全然大したことじゃなかったんだとでも云い聞かせたいんだね」
「経験を上書きするってことか」
「そう。自ら進んで汚れていき、穢されていき、トラウマを薄めようとするんだ。無能だねぇ。哀れで仕方ない。でもきっと……あたしのいまの心理はこれに近いんだと思う。もちろん、本当の目的は復讐だよ? それに、とびきり愉快なことをしてやろうっていう野望みたいな気持ちも大きい。あたしは楽しんでるんだ、一部においてはね。だけど援交をそこに組み入れて実際に行為までしてるのは、計画のためって他にも……認めたくはないけど……そういう心理も複合的に混じってるのかなぁ……」
深い溜息。天織の口元はやっぱり、自虐的に歪んでいた。空へ向いた瞳は冷ややかで、しかし彼女自身述べた通り、自らへ対する腹立ちと哀れみが同居してるみたいだった。
「悪かったね。嫌な気分にさせたみたいで」
「別に」
苦笑する天織。
「あんたの質問がなくたって、最近ずっと考えてることだし、自覚してることだったよ。苛々するんだ。自分の意思に反して、あのときのことが後悔と一緒にぐるぐる蘇ってきやがる。あんたは名前を出さないようにしてたけど、要らん気遣いだよ――縞崎のくだらない脅迫に、あのときのあたしはどうして屈したんだろう?」
「ちょっと待ってくれ。縞崎って、一年の学年主任の?」
「あれ、あんた知ってたんじゃないの?」
キョトンとされた。続いて怪訝そうに、
「あの淫行教師とあたしの噂を聞いてたから、それと繋げてあたしが脳姦殺人の犯人だって分かったんでしょ? そういうことだと納得してたんだけど?」
「ああ、いや、もちろんそうだが、僕が聞いていた噂は断片的なものでね……教師の誰かと、一年生の天織黄昏って生徒が怪しいとか、そのくらいだったんだ。だから縞崎と聞かされて少し驚いたんだが、考えてみれば驚くことでもないな」
ちょっと苦しい内容だったけれど、取り繕うことには成功した。なるほど、僕が同じ火津路高校の生徒だという偶然が、期せずして天織に都合の良い解釈を与えていたらしい。なら、そういうことにしておいた方が得策だろう。
……でも実際のところ、僕が天織に辿り着けたのは、誰が寄越したのか不明の地図に彼女の名前と住所が記されてたおかげなんだな。うん、これはとても奇妙な話だ。地図を寄越した何者かは天織が連続脳姦殺人の犯人だと知ってるんだろうし……それをどういうわけか、僕に教えてきた。直接的ではなかったけど、教えたのと変わらない。ここには一体、誰のどんな思惑があるんだ?
実はかなり混乱している僕だったが、まぁ表情には出さなかった。それとなく周りを窺うだけでね――地図を寄越した奴が今もどこかから見てるんじゃないかなんて思ったもんだから。
「これについちゃ詳しく話すつもりはない。あんただって、別に聞きたくないでしょ」
天織はまた、酷く憂鬱そうな調子で話し始めていた。
「縞崎はあたしの弱みを握ったんだ。大した弱みじゃないんだよ。後から考えればだけど……あの無能に身体を許さなきゃいけなくなるほどのもんじゃなかった。しょうもない、ちょっとした犯罪の証拠。でもあの日……五月二十八日だ。忘れるはずがない……生徒指導室に呼び出されたあたしは、いきなりそれを突き付けられて、襲われて、抵抗できなかった。パニックになってたんだ。どうしてだ? あんな無能にどうして怯える必要があった? バラされたって構わなかった。あんな奴に犯されるより何兆倍もマシだった。色んな思考や感情がごちゃ混ぜになって吐きそうななか、あたしはあたしに失望した。まさかあたしがこんなに弱かったなんてねぇ、笑っちゃったねぇ。想像できる? 全身――身体の外側にも内側にも大勢の蟲がゾワゾワ這い回ってて、埋め尽くされて、呼吸までできなくなってるみたいな気持ち悪さなんだよ? はじめて挿れられる痛みとか、中の肉が全部爛れてめくれ返ったかのようで――うえっ――あたしが痛がれば痛がるほどあいつは悦ぶし――あー最ッ低だったねぇ」
それは想像できた。と云うより、知っていた。僕が父親から受けている仕打ち、そのときの僕の有様……まるで僕のことを話されてるようにさえ感じたくらいだ。気分が悪くなったし、情けなくなってしまったな。考えたくなかった。だから僕は曖昧な間を取ってお茶を濁し、別の、もっと具体的な内容について訊ねた。
「それが五月の出来事ってなると、そのときの精液をずっと保管してたわけじゃないよね?」
天織はフッ……と息だけ吐くような笑い方をした。瞬きの数がずっと減っていて、憑かれたみたいな、少なからず鬼気迫るところがあった。
「当然、続いてるんだよ。一回で終わりなわけないじゃん。初回のときから、あいつは一部始終をカメラで撮ってたんだ。二回目以降は、それも脅しのネタに加わった。あの無能らしい、ありきたりな手だ。低俗で馬鹿馬鹿しい手だ。それはあいつの淫行の証拠映像でもあるんだから、公開できるはずがないでしょ? なのに、あたしは断れなかった。何なんだろう、頭で分かってても、そのときになるとどうしようもないんだ。受け入れてなんかない。抵抗してるはずなのに、本当に抵抗してるはずなのに。気が狂う気が狂う。あたしをあたし足らしめてるものが、どんどん崩されてく感じ。……そうやってずるずると、あいつとあたしの関係は出来上がっていった」
語り口調はいつしか独白めいていて、僕に対して話しているというのは関係なくなってるようだった。
「しかもあの無能、あたしに対する普段の振る舞いにも馴れ馴れしい、いやらしい感じを端々に臭わせてくるんだ。二人は特別だとでもアピールするみたいに――うえっ――そりゃ周りの連中だって何かあるって勘付くはずだよ。あたしだって、あいつらが陰でひそひそ噂し合ってることに気付かないわけない。味方が欲しいなんては思わないよ――それもあんな無能共の味方なんて。ただ、そんな奴らにああいう目で見られて、しょうもない話のネタにされて、色々想像されてるんだってのは我慢ならない。我慢ならないが、どうすることもできなかった。あー頭が孵りそう孵りそう、パカッとパカッと、割れて何かが産まれそう。狂気に染まるってのがどういうことなのか、知り過ぎるくらいに知った数ヶ月間……あたしにとっては無限に等しい時間だったよ」
でもねぇ、と天織は口調を一転させた。それまでの憂鬱が、より大きな野心に変わる様が臨めた。吊り上がったその口から「いひっ」と、特徴的な笑い声が洩れた。
「そのまま地中に埋められて息絶えるようなあたしじゃないんですわ。どいつもこいつも、相手を間違えたね。核心の部分で、あたしはあたしを守り抜いた。産まれたのがご存知、この連続脳姦殺人計画だ。あたしはじっくり耐え忍びながら準備を進めて、この夏休みにいよいよ実行に移した。やり遂げる、あたしは絶対にやり遂げる。実は復讐じゃないんだよ。これは叛逆。虐げられた者が牙を剥く。あたしは自分でもわけが分からなくなってるし自棄になってるかも知れないけど、本質には揺るがない想いが確かにある。あー縞崎の脳髄をメチャクチャに破壊して殺してやったとき、他の気掛かりは全部消えるだろう。究極、あたしはその瞬間を目指してもう止まらないってだけさ。そういうこと――はっ、思ってたよりベラベラ喋っちゃったな。喉が痛いよ。これでも喋り慣れてないんだ……」
天織は窺うように、隣の僕をチラッと見上げた。その仕草が不覚にも可愛かったんだが、それは措いといて、
「いいや、とても興味深かっ――」
僕からしても予想以上に長々と聞かせてもらったんで相応の言葉を返そうとしたんだけれど、彼女は「あーいいよいいよ」と鬱陶しそうに手で払った。
「切っ掛けはともかく、途中からはあたしが勝手に話したくて話してただけだから。ご清聴ありがとさん。あー暑いな、今日は一段とクソ。ちょっと涼んでいこうよ」
立ち寄ったのは小さな駄菓子屋だった。照れ隠しとは違うが、天織は早くも〈喋りすぎた〉ことをちょっと後悔してるふうに見えた。その気まずさというか引け目を、転換したくなったんだろう。そういう体験は僕にも覚えがある――しかも〈喋りすぎた自分〉ってのは、他の誰よりも自分から見て一番間抜けに思えるものなんだ。
天織は安いソーダ味の棒アイスを買って、僕らは店の外の日陰になってるベンチに並んで腰掛けた。
「あんた食べないの?」
「嗜好品には興味がないんだ」
「ふーん」
他に客はいなかった。この駄菓子屋は通りから引っ込んだ場所にあったし、せいぜい近所の小中学生が利用するくらいだろう。年季の入った外観、営んでいる老婆もいくらか呆けが始まってるみたいで、なぜだかこういうのを見ると僕はゲンナリしてしまう。
「蝉が五月蠅いねぇ。こんだけ喚かなきゃ、もうちっと長生きできるんじゃない?」
棒アイスをシャクシャク齧りながら、天織はどうでもよさそうに云った。
「蝉が短命ってのは俗説だよ。本当はもっと長く生きる」
「そうなの? うわ、すぐ死ぬ奴らだと思ってこそ騒々しいのも我慢してやってたのに」
「それはそれで酷いな。……ところで、一度流れた話を引き戻すようで悪いんだけど、」
「何?」
「いまはまだ、この事件は名実ともに無差別殺人のていを保ってる。だが君が最後、縞崎を殺せばそうはいかない。本来なら〈木を隠すなら森〉式に、つまり個人的な怨恨から殺害する相手を他の無関係な被害者たちの中に混ぜてしまうことで、自分の正体や真の目的を隠匿できるってのがこの手の無差別殺人を装うメリットのはずなんだが……連続脳姦殺人ではその本命を、始まりであって終わりである特別な存在として設置してるじゃないか」
「うん」
「そうなれば第一の被害者の脳に残されていた精液が縞崎のものだってことは、当然警察も気付く。じゃあ犯人は以前から縞崎とは関わりのあった人物で、ひょっとすると縞崎こそが最初から目的だったんじゃないか、って推測は大勢が立て得るだろう。そして君も知っての通り、君と縞崎の怪しい関係性については学内に噂話まであるんだ」
これを僕は知らなかった。だからきっと、この犯人は馬鹿じゃないだろうし、〈ゼロ〉が犯人の本命だったことが明らかにされてもなお、自分と〈ゼロ〉との関係は誰にも洗い出されない確証があって犯行に及んでいるんだとばかり思っていた。しかし違った。そうじゃなかった。
「警察はすぐ君に辿り着く。そうなれば詰みだ。君はすべての被害者の身体に、君自身の唾液を残してしまってるんだからね」
僕は天織の横顔をジッと見詰めて、問うた。
「縞崎を殺すときへのカウントダウン、それは君の破滅へのカウントダウンでもある。この連続殺人は開始と同時に失敗が約束されている。君は一体、どういうつもりなのかな?」
「いっひひひ」
天織は破顔した。残りわずかとなっていたアイスが割れて、棒から離れ、地面に落ちた。
「本当に頭良いなぁ、あんた」
愉快そうだった。このときに限っては、底抜けに明るい感すらあった。こちらを向いたその顔は、素敵な悪戯でも打ち明けようとする子供みたいだった。唇をぺろりとひと舐めして、彼女は「しかーし」と言葉を始めた。
「ひとつ勘違いしてるよ。縞崎を殺せば、その時点で成功さ。あたしが犯人だってバレることは、その後なら全然失敗じゃない。って云っても、大人しくお縄に掛かろうってんじゃないよ? 当たり前だ。あたしにとってこのカウントダウンは、破綻に向かってるんじゃない。新たな始まりに向かってるんだ。だからあんたが縞崎の仮称を〈ゼロ〉と云ったときはびっくりしたね。そうだよ――あたしは縞崎を殺した後、この町を出て行く。逃亡生活に入るんだ」
覚悟はもう、決まってるようだった。これには正直なところ、大きく感心させられた。だって格好良いじゃないか。それに潔い。つまり彼女は最初から破綻が約束された連続殺人を開始することで、すべての躊躇だの迷いだのの余地を捨て去った。ゆえあっての、この揺るぎない態度なんだから。
「ひひ。飼い慣らされて堪るかって云ったでしょ? あたしはおべんちゃら野郎にはならないよ。いまのこの、与えられただけの生活なんて喜んで捨ててやる。家族も学校もこの町も、あたしは嫌いで嫌いで仕方ないんだ。まぁ馬鹿と思われるかも知れんけど、縞崎を殺すと決めたとき、それと一緒にあたし自身の〈真っ当な人生〉ってのも殺そうと決めたのさ。この連続殺人にはね、資金集めって目的もあるんだよ。縞崎を殺すまで何人を殺すつもりかってことなら、資金が充分に溜まるまでってわけ。逃亡生活そのものについても、計画は進めてる。順調だよ。縞崎を殺したってあたしが容疑者筆頭として挙がるまでには少しの間があるからね、余裕さえ感じるくらいだ」
あんたは憶えておいてよね――天織はまた夏の青空へと視線を投じて、そう云った。
「せっかく、話してやったんだからさ。変態教師に犯されて、学校中の笑い者にされて、それでも絶対このまま窒息してなんかやるもんかって叛逆した天織黄昏って人間と今日こうして会話したこと、憶えておいてよね」
「ああ、憶えておくよ。そうだな……これはなかなか、良い思い出かも知れない」
……ここだけの話、僕が本当に本心から首を縦に振るってのは、珍しいことなんだぜ。
「あたしは気にしないよ、いつも。歩くのはまぁまぁ好きだし」
「自転車は持ってないの?」
「壊れたんだよねぇ。親は新しいの買おうかって云うけど、お断り。車で送迎ってのもご免こうむる。飼い慣らされて堪るかって話よ」
あのねぇ、と天織は言葉を継ぐ。
「あんたもあたしも他の連中もそう。どうしたって庇護下にあるあたし達は、苛烈な安寧に溺れてる。そりゃ仕方ないことだけど、自分の中で線引きって云うか、基準は設けて遵守しておかないと、ずるずる腐らされていくんだ」
「へぇ、そんなふうに主義を固めてるなら、単なる反抗期ってわけじゃないんだね」
「今更あたしに何云うよ、あんた。会って間もないけどさ、あんたはいま、世界で一番あたしを理解してる人間だ。正直、驚いてるんだよ。この段階で早くも、あたしがやってることを核心までほぼ正確に見抜くなんてねぇ」
ぱちぱち、と雑な仕草で手を叩く天織。こうして話してみると、想像していたよりも気さくな子だった。ニヤニヤ笑いが何となく皮肉っぽいのは気になったが、表情もまぁ、偏りはあるものの多彩だったね。
「お見事お見事。でも変態よね、そこまで分かっちゃうってのは」
「いちおうこれでも、探偵の弟子をしてるんだ。そのノウハウが生きたのかもな」
「は? 探偵?」
「うん、この町であんまり派手な事件が相次ぐもんだから、外から探偵が来てるんだよ。縁あってその人と付き合いがあるんだけど……ああ、気にする必要はない。てんで話にならない人なんだ。ノウハウが生きたってのも冗談。ただ、その人づてに一般には公開されてない情報まで知ることができたから、君に迫れたってのはある」
「その探偵も、私が犯人だってことを――」
「いや、知らないよ。僕がこうしてるのは個人的な活動だ。そうだね、警察の動向について少し話そうか? 僕とのこの会話で、君にもメリットがあった方が良いだろう」
「あーあー」
天織は煩わしそうに手を振った。
「余計な気ぃ利かせないでよ。メリットとかデメリットとか、人間関係は市場経済じゃないでしょ? なのにどいつもこいつも損得勘定で人付き合いしてて嫌になる。嫌になるから、あたしは友達とかつくらないんだけどさ」
友達いなさそうだなぁとは思っていた。上級生相手にも遠慮なく振舞ってくるところ――天織は一年生だった。僕は全然構わないが――そういうところにも表れてる通り、一般的には〈生意気〉だとか〈粋がってる〉だとか見做されてしまう性格だろう。それに気さくな感じとは裏腹に、言動や考え方は若者らしくなく厭世的だ。
まぁ下世話な話……これだから、屈服させ甲斐があるとでも思われてレイプなんかされたのかもね。友達がいないってのも、目を付けられる要因になる。つまり相談する相手がいないんだから……結果、ひとりで抱え込んで、しかし消化しきれず、やり場がなく肥え太った憎悪や執念が連続脳姦殺人へと繋がっていった……。
「なーに黙り込んでんの。寂しい奴だとでも思ってるわけ?」
「ん、思ってないよ。そんなことを思うのは、そうだな……友達ってやつを無理矢理にでもつくっては自分を拘束して、それが充実ってことなんだと満足してるような阿呆だけだろう。僕もこれと云って名前を挙げられるような友人はいないし」
「へぇ、好感が持てる。そうだよね、あいつら自ら進んで拘束し合って喜んでるんだ。どうでもいいことで休日の予定を埋めて、家に帰っても寝るまでせっせとメールなんか交換して――振り返るってことがないから、そんな日々がどんなに無意味かも気付かないんだ。無能だよ無能」
「…………」
何だろうな。これじゃあ本当に〈寂しい奴〉二人が一所懸命に慰め合ってるかのようで、ひどく馬鹿らしい気分になっちまった。
「あ。参考までに聞かせてよ、その警察の動向とやら」
聞くのかよ。
「大した内容でもないけどね……警察も犯人が援助交際の相手を殺害してるとは二人目の被害者の時点から気付いてて、この辺りで援助交際をおこなってる人間を洗うと共に、事件当日にそういった誘いを受けた人間が他にいないか、あるいは誘ってるらしい人物を目撃した人間がいないか訊き込みに励んでるんだとさ」
「無駄無駄。あたしは縁交なんかしてないし、殺す相手にはそう騙して現場まで連れてってるけど、全部一発目で成功してて、周りに目撃されてもない。舐めんなっつーの」
「全部一発目で成功か。そいつは凄いな。観察眼が為せる業かい?」
「観察眼ってのもあるかもね。帰宅途中で、かつこの後に予定のない奴を当てる必要があるから。でもそれさえクリアすれば簡単。あたしは性的魅力――うえっ――性的魅力には欠ける身体つきかも知れんけどさ、このくらいの歳の女に誘われたらどいつも理性なんてすぐ吹っ飛ぶんだ。『小さな悪の華』は観たことある? そういうもんだよ、男ってのは揃いも揃ってクソ以下だからねぇ」
まぁ、そうなのかも知れない。天織はキツめの表情をつくってる割に、幼めで可愛らしい顔立ちをしていた。このくらいの子に誘われれば、大抵の男はまんざらでもないだろう。
「とりあえずは、口抜き営業ですぅって云うんだ。あたしは犯行のときにはウィッグまでつけて芋臭い格好に変装してるんだけどさ、誘いを掛けるときもわざとぎこちなく、慣れてないふうを装う。それでいて興味はだいぶ強くて、でも恥ずかしがって隠そうとしてるって感じを出す。これが男たちには効くんだよ。こっちが主導権を握れるだろう、ちょっと強く押せば〈本番〉もできるに違いないぞ、なんて頭を回してニヤニヤし始めるんだ」
あまり聞きたくない話だった。しかし良かったのは、天織はこれを得意気に話すんじゃなくて、心の底から嫌悪しながら話すんだ。自慢話ではなく愚痴、それどころか自虐だった。さっきの彼女の云い回しを借りるなら、〈好感が持て〉たね。
「交渉が成立したら、現場までは並んで歩いたりなんかしない。距離を取って、あたしについて来てもらう。現場に着くと口でしてやって――相手はそれ以上のことをしようとがっついてくるけど、一回で終わりじゃないでしょ?って云えば大人しくなる。うえっ。一発抜けば、あとはスタンガンで気絶させて脳天にドリルぶち込んで、ビニール袋に入れて持ってきた前の奴のザー汁注いでお仕舞っとね」
「無遠慮な質問をしていいかい?」
「ん、いいよ。そもそも会ってすぐに『脳姦殺人の犯人でしょ』なんて云ってくる以上に無遠慮なことなんかある?」
「そりゃあ、言葉もないな。……で質問なんだが、君は口でとはいえ、そういった行為をしてるのは事実なわけだ。君が性に放縦な人物ではなく、むしろ心から嫌悪しているのは分かってる。なのに、いくら精液を回収する必要があるからって、そこらへん割り切れるものなのか?」
「あー……」
天織は物憂げな感じに、空を仰ぎ見た。飛行機雲が一筋あるだけの快晴が、何だか皮肉めいていたな。次の言葉まで、いくらか間があった。
「……腹が立つよ、本当に。ううん、あんたに対してじゃない。もっと大きくて、抽象的な何かに対してだ。あとは自分自身……あたしはたぶん、自棄になってる。あたしの身体は汚されたんだ。もう穢されて、不可逆なんだ。分かってる。男に犯されたことでトラウマを負った女の反応……って云うか身の振り方には、二種類あると思わない?」
「さあ、分からないが」
「ひとつは男性不信だの男性恐怖症だのになって、性的な事柄を極力遠ざけようとするケース。もうひとつは、むしろ積極的にそういったことに関わっていくケース。そうすることで、自分がされたのは全然大したことじゃなかったんだとでも云い聞かせたいんだね」
「経験を上書きするってことか」
「そう。自ら進んで汚れていき、穢されていき、トラウマを薄めようとするんだ。無能だねぇ。哀れで仕方ない。でもきっと……あたしのいまの心理はこれに近いんだと思う。もちろん、本当の目的は復讐だよ? それに、とびきり愉快なことをしてやろうっていう野望みたいな気持ちも大きい。あたしは楽しんでるんだ、一部においてはね。だけど援交をそこに組み入れて実際に行為までしてるのは、計画のためって他にも……認めたくはないけど……そういう心理も複合的に混じってるのかなぁ……」
深い溜息。天織の口元はやっぱり、自虐的に歪んでいた。空へ向いた瞳は冷ややかで、しかし彼女自身述べた通り、自らへ対する腹立ちと哀れみが同居してるみたいだった。
「悪かったね。嫌な気分にさせたみたいで」
「別に」
苦笑する天織。
「あんたの質問がなくたって、最近ずっと考えてることだし、自覚してることだったよ。苛々するんだ。自分の意思に反して、あのときのことが後悔と一緒にぐるぐる蘇ってきやがる。あんたは名前を出さないようにしてたけど、要らん気遣いだよ――縞崎のくだらない脅迫に、あのときのあたしはどうして屈したんだろう?」
「ちょっと待ってくれ。縞崎って、一年の学年主任の?」
「あれ、あんた知ってたんじゃないの?」
キョトンとされた。続いて怪訝そうに、
「あの淫行教師とあたしの噂を聞いてたから、それと繋げてあたしが脳姦殺人の犯人だって分かったんでしょ? そういうことだと納得してたんだけど?」
「ああ、いや、もちろんそうだが、僕が聞いていた噂は断片的なものでね……教師の誰かと、一年生の天織黄昏って生徒が怪しいとか、そのくらいだったんだ。だから縞崎と聞かされて少し驚いたんだが、考えてみれば驚くことでもないな」
ちょっと苦しい内容だったけれど、取り繕うことには成功した。なるほど、僕が同じ火津路高校の生徒だという偶然が、期せずして天織に都合の良い解釈を与えていたらしい。なら、そういうことにしておいた方が得策だろう。
……でも実際のところ、僕が天織に辿り着けたのは、誰が寄越したのか不明の地図に彼女の名前と住所が記されてたおかげなんだな。うん、これはとても奇妙な話だ。地図を寄越した何者かは天織が連続脳姦殺人の犯人だと知ってるんだろうし……それをどういうわけか、僕に教えてきた。直接的ではなかったけど、教えたのと変わらない。ここには一体、誰のどんな思惑があるんだ?
実はかなり混乱している僕だったが、まぁ表情には出さなかった。それとなく周りを窺うだけでね――地図を寄越した奴が今もどこかから見てるんじゃないかなんて思ったもんだから。
「これについちゃ詳しく話すつもりはない。あんただって、別に聞きたくないでしょ」
天織はまた、酷く憂鬱そうな調子で話し始めていた。
「縞崎はあたしの弱みを握ったんだ。大した弱みじゃないんだよ。後から考えればだけど……あの無能に身体を許さなきゃいけなくなるほどのもんじゃなかった。しょうもない、ちょっとした犯罪の証拠。でもあの日……五月二十八日だ。忘れるはずがない……生徒指導室に呼び出されたあたしは、いきなりそれを突き付けられて、襲われて、抵抗できなかった。パニックになってたんだ。どうしてだ? あんな無能にどうして怯える必要があった? バラされたって構わなかった。あんな奴に犯されるより何兆倍もマシだった。色んな思考や感情がごちゃ混ぜになって吐きそうななか、あたしはあたしに失望した。まさかあたしがこんなに弱かったなんてねぇ、笑っちゃったねぇ。想像できる? 全身――身体の外側にも内側にも大勢の蟲がゾワゾワ這い回ってて、埋め尽くされて、呼吸までできなくなってるみたいな気持ち悪さなんだよ? はじめて挿れられる痛みとか、中の肉が全部爛れてめくれ返ったかのようで――うえっ――あたしが痛がれば痛がるほどあいつは悦ぶし――あー最ッ低だったねぇ」
それは想像できた。と云うより、知っていた。僕が父親から受けている仕打ち、そのときの僕の有様……まるで僕のことを話されてるようにさえ感じたくらいだ。気分が悪くなったし、情けなくなってしまったな。考えたくなかった。だから僕は曖昧な間を取ってお茶を濁し、別の、もっと具体的な内容について訊ねた。
「それが五月の出来事ってなると、そのときの精液をずっと保管してたわけじゃないよね?」
天織はフッ……と息だけ吐くような笑い方をした。瞬きの数がずっと減っていて、憑かれたみたいな、少なからず鬼気迫るところがあった。
「当然、続いてるんだよ。一回で終わりなわけないじゃん。初回のときから、あいつは一部始終をカメラで撮ってたんだ。二回目以降は、それも脅しのネタに加わった。あの無能らしい、ありきたりな手だ。低俗で馬鹿馬鹿しい手だ。それはあいつの淫行の証拠映像でもあるんだから、公開できるはずがないでしょ? なのに、あたしは断れなかった。何なんだろう、頭で分かってても、そのときになるとどうしようもないんだ。受け入れてなんかない。抵抗してるはずなのに、本当に抵抗してるはずなのに。気が狂う気が狂う。あたしをあたし足らしめてるものが、どんどん崩されてく感じ。……そうやってずるずると、あいつとあたしの関係は出来上がっていった」
語り口調はいつしか独白めいていて、僕に対して話しているというのは関係なくなってるようだった。
「しかもあの無能、あたしに対する普段の振る舞いにも馴れ馴れしい、いやらしい感じを端々に臭わせてくるんだ。二人は特別だとでもアピールするみたいに――うえっ――そりゃ周りの連中だって何かあるって勘付くはずだよ。あたしだって、あいつらが陰でひそひそ噂し合ってることに気付かないわけない。味方が欲しいなんては思わないよ――それもあんな無能共の味方なんて。ただ、そんな奴らにああいう目で見られて、しょうもない話のネタにされて、色々想像されてるんだってのは我慢ならない。我慢ならないが、どうすることもできなかった。あー頭が孵りそう孵りそう、パカッとパカッと、割れて何かが産まれそう。狂気に染まるってのがどういうことなのか、知り過ぎるくらいに知った数ヶ月間……あたしにとっては無限に等しい時間だったよ」
でもねぇ、と天織は口調を一転させた。それまでの憂鬱が、より大きな野心に変わる様が臨めた。吊り上がったその口から「いひっ」と、特徴的な笑い声が洩れた。
「そのまま地中に埋められて息絶えるようなあたしじゃないんですわ。どいつもこいつも、相手を間違えたね。核心の部分で、あたしはあたしを守り抜いた。産まれたのがご存知、この連続脳姦殺人計画だ。あたしはじっくり耐え忍びながら準備を進めて、この夏休みにいよいよ実行に移した。やり遂げる、あたしは絶対にやり遂げる。実は復讐じゃないんだよ。これは叛逆。虐げられた者が牙を剥く。あたしは自分でもわけが分からなくなってるし自棄になってるかも知れないけど、本質には揺るがない想いが確かにある。あー縞崎の脳髄をメチャクチャに破壊して殺してやったとき、他の気掛かりは全部消えるだろう。究極、あたしはその瞬間を目指してもう止まらないってだけさ。そういうこと――はっ、思ってたよりベラベラ喋っちゃったな。喉が痛いよ。これでも喋り慣れてないんだ……」
天織は窺うように、隣の僕をチラッと見上げた。その仕草が不覚にも可愛かったんだが、それは措いといて、
「いいや、とても興味深かっ――」
僕からしても予想以上に長々と聞かせてもらったんで相応の言葉を返そうとしたんだけれど、彼女は「あーいいよいいよ」と鬱陶しそうに手で払った。
「切っ掛けはともかく、途中からはあたしが勝手に話したくて話してただけだから。ご清聴ありがとさん。あー暑いな、今日は一段とクソ。ちょっと涼んでいこうよ」
立ち寄ったのは小さな駄菓子屋だった。照れ隠しとは違うが、天織は早くも〈喋りすぎた〉ことをちょっと後悔してるふうに見えた。その気まずさというか引け目を、転換したくなったんだろう。そういう体験は僕にも覚えがある――しかも〈喋りすぎた自分〉ってのは、他の誰よりも自分から見て一番間抜けに思えるものなんだ。
天織は安いソーダ味の棒アイスを買って、僕らは店の外の日陰になってるベンチに並んで腰掛けた。
「あんた食べないの?」
「嗜好品には興味がないんだ」
「ふーん」
他に客はいなかった。この駄菓子屋は通りから引っ込んだ場所にあったし、せいぜい近所の小中学生が利用するくらいだろう。年季の入った外観、営んでいる老婆もいくらか呆けが始まってるみたいで、なぜだかこういうのを見ると僕はゲンナリしてしまう。
「蝉が五月蠅いねぇ。こんだけ喚かなきゃ、もうちっと長生きできるんじゃない?」
棒アイスをシャクシャク齧りながら、天織はどうでもよさそうに云った。
「蝉が短命ってのは俗説だよ。本当はもっと長く生きる」
「そうなの? うわ、すぐ死ぬ奴らだと思ってこそ騒々しいのも我慢してやってたのに」
「それはそれで酷いな。……ところで、一度流れた話を引き戻すようで悪いんだけど、」
「何?」
「いまはまだ、この事件は名実ともに無差別殺人のていを保ってる。だが君が最後、縞崎を殺せばそうはいかない。本来なら〈木を隠すなら森〉式に、つまり個人的な怨恨から殺害する相手を他の無関係な被害者たちの中に混ぜてしまうことで、自分の正体や真の目的を隠匿できるってのがこの手の無差別殺人を装うメリットのはずなんだが……連続脳姦殺人ではその本命を、始まりであって終わりである特別な存在として設置してるじゃないか」
「うん」
「そうなれば第一の被害者の脳に残されていた精液が縞崎のものだってことは、当然警察も気付く。じゃあ犯人は以前から縞崎とは関わりのあった人物で、ひょっとすると縞崎こそが最初から目的だったんじゃないか、って推測は大勢が立て得るだろう。そして君も知っての通り、君と縞崎の怪しい関係性については学内に噂話まであるんだ」
これを僕は知らなかった。だからきっと、この犯人は馬鹿じゃないだろうし、〈ゼロ〉が犯人の本命だったことが明らかにされてもなお、自分と〈ゼロ〉との関係は誰にも洗い出されない確証があって犯行に及んでいるんだとばかり思っていた。しかし違った。そうじゃなかった。
「警察はすぐ君に辿り着く。そうなれば詰みだ。君はすべての被害者の身体に、君自身の唾液を残してしまってるんだからね」
僕は天織の横顔をジッと見詰めて、問うた。
「縞崎を殺すときへのカウントダウン、それは君の破滅へのカウントダウンでもある。この連続殺人は開始と同時に失敗が約束されている。君は一体、どういうつもりなのかな?」
「いっひひひ」
天織は破顔した。残りわずかとなっていたアイスが割れて、棒から離れ、地面に落ちた。
「本当に頭良いなぁ、あんた」
愉快そうだった。このときに限っては、底抜けに明るい感すらあった。こちらを向いたその顔は、素敵な悪戯でも打ち明けようとする子供みたいだった。唇をぺろりとひと舐めして、彼女は「しかーし」と言葉を始めた。
「ひとつ勘違いしてるよ。縞崎を殺せば、その時点で成功さ。あたしが犯人だってバレることは、その後なら全然失敗じゃない。って云っても、大人しくお縄に掛かろうってんじゃないよ? 当たり前だ。あたしにとってこのカウントダウンは、破綻に向かってるんじゃない。新たな始まりに向かってるんだ。だからあんたが縞崎の仮称を〈ゼロ〉と云ったときはびっくりしたね。そうだよ――あたしは縞崎を殺した後、この町を出て行く。逃亡生活に入るんだ」
覚悟はもう、決まってるようだった。これには正直なところ、大きく感心させられた。だって格好良いじゃないか。それに潔い。つまり彼女は最初から破綻が約束された連続殺人を開始することで、すべての躊躇だの迷いだのの余地を捨て去った。ゆえあっての、この揺るぎない態度なんだから。
「ひひ。飼い慣らされて堪るかって云ったでしょ? あたしはおべんちゃら野郎にはならないよ。いまのこの、与えられただけの生活なんて喜んで捨ててやる。家族も学校もこの町も、あたしは嫌いで嫌いで仕方ないんだ。まぁ馬鹿と思われるかも知れんけど、縞崎を殺すと決めたとき、それと一緒にあたし自身の〈真っ当な人生〉ってのも殺そうと決めたのさ。この連続殺人にはね、資金集めって目的もあるんだよ。縞崎を殺すまで何人を殺すつもりかってことなら、資金が充分に溜まるまでってわけ。逃亡生活そのものについても、計画は進めてる。順調だよ。縞崎を殺したってあたしが容疑者筆頭として挙がるまでには少しの間があるからね、余裕さえ感じるくらいだ」
あんたは憶えておいてよね――天織はまた夏の青空へと視線を投じて、そう云った。
「せっかく、話してやったんだからさ。変態教師に犯されて、学校中の笑い者にされて、それでも絶対このまま窒息してなんかやるもんかって叛逆した天織黄昏って人間と今日こうして会話したこと、憶えておいてよね」
「ああ、憶えておくよ。そうだな……これはなかなか、良い思い出かも知れない」
……ここだけの話、僕が本当に本心から首を縦に振るってのは、珍しいことなんだぜ。
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