虚無式サマーバニラスカイ

凛野冥

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あれよと云う間に探偵修行へ

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    ○


 翌日。このあたりから、僕を取り巻く状況ってやつが一段とキナ臭さを増し始めた。

 目覚めて、目もとをこすりながら身を起こして、そいつはすぐ視界に入った。僕の椅子に、見覚えのない少女がこちらを向いて腰掛けていたんだ。

 云っておくが、これはなかなか尋常じゃないぜ? 普通に生活していて、こんな体験をするなんて、あまりないじゃないか。だから僕は驚きはしたんだけど……寝起きでもあったしね、派手なリアクションは取れなかった。ただ呆気に取られて「……誰?」と訊いたな、とりあえずは。

「ベニシロ」

 少女はそれだけ答えた。無論、知らなかったね。それにしたって珍妙な格好だったよ。ゴスロリって云うのかな、いささか漫画チックな黒い衣装に身を包んでて、でもノースリーブだしスカート丈も短かったし、何と云っても少女の表情自体が涼しげだった。ゾッとするほど無表情でね、ちゃんと血が通ってるのか怪しいくらい真っ白な肌をしていた。髪はおかっぱだったが、よく似合ってたから洒落て見えたな。

「どうして僕の部屋にいるんだい?」

「起きるのを待ってた。一度顔を合わせておく必要があったから」

「うーん、それでも無断で部屋に侵入しなくてもいいと思うんだけどなぁ」

 父親が入れたとは思えない。そもそもまだ朝早いから起きてさえいないだろう。とすると、侵入したんだとは分かった。玄関は施錠してあるけど、僕の部屋は窓が開けっ放しだったんで――エアコンなんてないからね、夏場に寝るときはそうしてるんだ――充分に可能ではあった。ほら、貧乏家庭だから盗人なんて警戒してないんだよ。

「外で待っていると人目に付く。貴方にとっても歓迎できないこと」

 少女に悪びれる様子は微塵もなかった。慇懃無礼いんぎんぶれいってやつかね、少女だてらに肝が据わってると思ったな。だって初対面だし、目覚めた僕が激昂して暴力的に追い出すかも分からなかったはずだろう? あるいは、このベニシロって少女は僕のことをよく知ってるんだろうか? どうも態度を見るに、その公算は高そうだった。

「君は誰……ああ、いや、何者なんだい?」

「心当たりがない?」

「ないよ。全然だ。まさかワンナイトラブじゃないだろう? 僕は酒を飲んだこともないし」

「私もない」

 ……はぁ、参ったね。とにかく無表情ってのが厄介だし、少女ってのも厄介だ。

「家出か何かなのかな? それだと僕は力になれそうにないな。他をあたってもらいたいが、世の中には変態しかいないしなぁ……まぁ気を付けてくれよ」

「本当に心当たりがない?」

「しつこいな。君の方こそ勘違いしてるんじゃないか? 僕には親戚も生き別れた妹も疎遠になってる幼馴染も何もいないぜ?」

 少女はこくりと頷いた。可愛い仕草だったけど、一体何を頷かれたんだ?

「こうなるかも知れないとは、聞いてた。特に初対面の場合だから」

「聞いてたって誰に? 誰かの差し金なのかい? それにも心当たりはないが」

「いいの。要件は満たした」

 すぅーっと立ち上がる少女。そしてすっすっすっと窓際に移動して、さんに足を掛けた。細い生足が付け根のとこまで露出して、色気はまったくなかったけれど、妙にドキッとさせられた。彼女は出て行きざまに振り向いて、

「忠告――表に停まってる赤い外車、貴方を見張ってる。最近この町にやって来た私立探偵。キレ者だから注意して」

 そう云って音も立てずに庭に出て、裏の方に回って行っちまった。とても優雅で流れるようだったから、呼び止めることもできなかった。

 ああ、混乱したさ。狸に化かされでもしたら、こんな感じなのかね? まったく奇妙な時間だったよ。少女が去ってはじめて、外で蝉がジャワジャワジャワジャワやかましく鳴いているのに気付いたほどだった。

 だが、結局あの少女が何だったのかはさっぱり分からなかったが、最後の台詞せりふは聞き捨てならなかった。それには心当たりがあったからな。僕を見張ってる私立探偵――昨日の海老川蝶子に違いない。でもどうして僕の家が分かったんだろう? 名前さえも聞かなかったのに……。

 そこでちょっと思考した。尾行は考えづらい。なぜなら昨日の帰り道、それには気を付けていたからだ。じゃあ他に何がある? 海老川さんと話したあの数分間のことを回想し……そして気付いた。気付くなりベッドから下りて、洗面所に向かった。目的は洗濯機だった。蓋を開けて、昨日放り込んだ僕のシャツを拾い上げて、

「はぁ…………」

 ゲンナリしたねぇ。肩の後ろあたり――海老川さんが最初に手を置いてきた箇所だ。そこには小型の機器が貼り付けられてたんだよ。薄いブルーに着色してあって……うん、きっと様々な色のバリエーションを用意してあるんだろう。シャツの色と同じだったもんだから、ちょっと見たくらいでは分からないようになっていた。間違いない。発信機だ。こんなに小さいもんなんだな……これじゃあ料理に混ぜられて飲み込んでいたって気付かないぜ。

『キレ者だから注意して』

 ベニシロはそう云ったが、本当かねぇ? ただし無視できないのは確かだった。



 ちょっと早めに〈愛の巣〉へ行く支度したくをして、家を出た。くだんの車はなるほど、僕の家の正面を遠目に監視できる丁度良い位置に、こちらに後ろを向けて停めてあった。ありゃMINI Cooperだな。嫌味がなくて良いセンスではあったけど、張り込みをするのにどうしてもっと地味な車にしないんだ? 磨き上げられた赤いボディが真夏の太陽光をギラギラ反射して輝いていて……さぞかし自慢の愛車なんだろう。ナンバープレートから、やっぱり都会の人間だとも知れた。馬鹿じゃないかね。

 僕は堂々と歩み寄って行って、運転席を覗き込んだ。窓越しでも、海老川さんが「ワーオ」とわざとらしい声を上げたのが分かった。彼女は窓を開けると顔を出して、ニッと白い歯を見せた。

「お見事よ。よく分かったわね。私が張ってることを予期してたのかしら?」

「これ、お返ししますよ」

 超小型発信機を手渡した。洗濯したら壊れただろうし、どうせ僕の所在を突き止めたところまでで用済みだった品だろうから、これを逆に利用して一杯食わせてやろうとは考えなかった。そもそも僕だってこの人に会いたかったんだ。

「ご丁寧にありがと。値が張るのよ、これ。回収できて良かったわ」

 ガシャッ。ドアのロックが外れる音が響いた。

「乗りなさいよ。ちょっと話したいの」

 親指で助手席を示されたからそちらに回ったが、車は民家の塀に近づけて停められていたからドアを開けるのに苦労した。こういう些細な点に、配慮が行き届く人間か否かが表れるんだよな。この人は駄目だ。

 車内は冷房が効いてて心地良かった。ただ煙草のにおいが染み付いてて、これには参ったね。あと耳障りな音楽が流れていたんだ。「The Dillinger Escape Planよ。嫌い?」なんて微笑みながら海老川さんは停止ボタンを押したが……何だそれ、バンド名か?

「激しい音楽が好みなんですね」

「慣れないと、そう感じるかも知れないわね。でもすごく知的でテクニカルで、ユニークなバンドよ。解散発表が本当に寂しい……。さて本題だけど、蟹原刹くん、やっぱり貴方って見所があるわ」

「はあ」

 名前は聞き込みか何かでどうにでもなるからいいとして、見所って何だ?

「探偵の素質があるって云ってるのよ。君の年齢不相応に達観したクールぶり、捨て置くには惜しいってわけ」

「……僕は容疑者として目を付けられたんじゃないんですか?」

「両方よ。もしも君が殺人犯じゃなかったら、その時はその時で収穫なの。君は名犯人か名探偵のいずれか。間違いないわ」

「買い被りだと思いますね。昨日ちょっと会話した程度で、何が分かるって云うんです」

「分かるわよ、私は探偵だもの。それに君は容疑者なんだから、どのみち見逃しはしない。つまりね、君がこうして私の監視に気付いた時点で決めたのよ。君とは親身にやり取りしていきながら、その正体を探るって。果たして殺人犯として暴かれるのか、名探偵として開花するのか」

 途轍もなく素敵な思い付きのつもりなんだろうな、海老川さんは得意満面に笑った。

「これから私のもとで修業しなさい。連続首切り殺人と連続脳姦殺人、解決するわよ」

「…………」

 うわぁ、面倒くせぇ。激しいのは〈音楽の好み〉だけじゃなくて〈思い込み〉もらしいぞ……と思いつつも、僕はある可能性に思い至った。もしかして先刻のベニシロは海老川さんの差し金だったんじゃないだろうか? こんな話が用意されていたところを見るに、海老川さんは僕に見つけて欲しかったようだ……ただその意図を表向きは伏せた格好で……そう考えると、あの唐突な少女の出現に説明がつくんだな。

 駆け引きも面倒臭く感じられて、これについて僕は直截的に切り出してみた。

「ベニシロという少女は知り合いですか?」

「べにしろ? いいえ、どんな字を書くのかしら?」

 とぼけてるのか否か、その反応からは分からなかった。

「何でもないです。すみません」

 諦めることにする。海老川さんはひとつ咳払いをして、

「じゃあ早速だけど、脳姦殺人について非公開の情報を与えるから推理してみて頂戴。この事件の特徴として被害者の脳内に残された精液があるけど、実はひとり目と二人目でそれは異なる人物のものと判明したのよ。ここから、どんな場合が考えられる?」

「うーん……」

 いや、探偵修行だなんて阿呆臭いというのはもちろんだったんだが……まぁ、非公開の情報を仕入れるには良いポジションだった。あくまで開示された情報から推論できる範囲であれば、有能なところを見せるのも必要だし、有効だろう。海老川さんは例の〈犯人しか知り得ないはずの事柄〉を話させる等のトラップを仕掛けまくるというのがひとつ目論見なんだろうけど、引っ掛かる僕じゃないし……そう考えると、接近戦はそれはそれで上等だと云えたんだな。だから僕は仕方なく、付き合うことにしたんだよ。

「まずは、別々の人物による犯行という場合ですかね。頭部に穴を開けて中に精液を残すという手口は独自性が強いですから、後者は模倣犯なんでしょう。他にも色々考えられそうですけど、それだけの情報じゃあ何とも」

「そうね。ではもうひとつこれは二人の被害者に共通してる点で、現場の公衆トイレはそれぞれ二人の活動圏とはズレていた……簡単に云うと、普段立ち寄ることはない場所だった。どう?」

「あくまでそれが事件において重要だと仮定したうえでですけど……つまり、偶然に立ち寄ったところで張っていた犯人に襲われたんではなく、別の場所から犯人によって連れてこられた、ないしは一緒にやって来たということですね」

「ええ、これは非公開の情報だし、また頭部に穴を開けるのに用いたドリルドライバーも同じものだろうと分かっているのよ。やっぱり同一犯である疑いが濃い。そこで、ひとり目と二人目で残された精液が別という点を考え合わせると、何を思い付く?」

「……ああ、犯人は女。そう推理させたいんでしょう?」

 海老川さんはニヤリとした。

「さすがね。もう少し詳しく話して頂戴」

 僕は考えをまとめるのに要するだろう程度の間をおいてから、

「同一犯なのに精液が異なるなら、すなわち精液は犯人のものではないんです。きっとそれぞれの被害者のものなんじゃありませんか? であれば犯人は男である必要性がない。さらに他の点から、いっそ女である方の蓋然性が高い。それは被害者の心理に立てば分かります。昨日の夕方のニュースで見たんですけど、二人の被害者に接点は見られないそうですね? 連続首切り殺人と同じで――ただ被害者の財布の中身が抜かれてる点は異なるものの、これも無差別殺人と目されている。なら被害者にとっても犯人は馴染みの人物ではなくて、それなのに普段立ち寄らないような公衆トイレまでついて行ったところから、一種の援助交際というケースが想像されます。少なくとも、犯人はそれを装った。被害者は誘いを受けてついて行き、行為の後に殺された……そして自分の精液を脳内に注がれた……もっとも精液の件は調べればすぐに分かることですから、犯人が男だと偽装する目的はなくて、犯人の目的は他にあるんでしょうけど、これでとりあえず一連の要素に自然な解釈が付けられます。巷で噂されてるようなゲイの犯人じゃあ、援助交際というケースが想定されたときに無理が生じますからね」

「……ブラボー。想像以上よ」

 海老川さんは本気で感心したらしく、車内にパチパチと拍手の音が響いた。

「なら良かったです」

 僕は現場に居合わせて犯人を見もしたんだから、分かってて当然なんだけどね。

 ただ……脳姦殺人の犯人が女だと分かっているなら、どうしてこの人は僕を疑っているんだろう? さすがにこの矛盾に気が付いてないなんて馬鹿なことは、こんな自信満々そうにしていてあり得ないだろうし……犯人はひとりじゃない、もしくはあくまで、犯人と関係を持ってる人間として疑われているのか……? まぁ利用しようとしている僕からすれば、別に何だっていいんだが。

「でも蟹原くん、もちろんこの条件では君の推理で合格点以上なんだけど――脳姦殺人にはもうひと癖あるのよ。実はね、被害者は自分の精液を脳内に注がれてるんじゃない。ひとり目の脳内に残されてた精液が誰のものかは未だ不明で、そして二人目の脳内に残されてた精液は、ひとり目のそれで間違いないだろうと判明したの」

「へぇ……ひとり目の精液を保存しておいて使ったってことですか」

 これは想像してなかったね。それに興味深かった。

「ええ、冷凍保存でも高が知れてるから、かなり鮮度の低い精液だったのよ――これはひとり目の脳内に残されてたそれも同様。もし三人目の被害者が出るなら〈彼〉には二人目の被害者の精液が注がれるんでしょう。この行為の意図は、まだ私にも推測が立てられてないわ」

 僕はちょっと考えてみて――ここで何となく、見えた気がした。無論、態度には出さなかったよ。海老川さんの期待する以上の働きをしてやる義理はないんだから。

「とはいえ警察は現実主義だから、そんな意図なんて犯人を捕まえてから訊き出せばいいって云って、いまは主にこの近辺の援交女を洗ってるみたい。あとは事件当日、それぞれの被害者の前に誘いを断った人間が何人かいるかも知れないってことで訊き込み……でもこっちは難しいでしょうね。断ったにせよ援交の誘いを受けたってことを素直に話すとは限らない。このご時世、市民は警察を信用してないもの」

 そこまで話すと、海老川さんは窺うような視線を僕に向けてきた。はい? 今度は何を求められてるんで? さすがに無言だと僕も困っちまう。

「……そうね。この場はこのくらいで収めましょうか。また私の方からやって来るわ。修行とは云っても君にも君の生活があるんだし、つきっきりで何かをさせようってわけじゃないから安心して頂戴。小林少年並みの活躍は必要ない。今のところはね」

「そうですか。それでも期待に応えられるとは思えませんけど……分かりました。疑われてる以上『やめてくれ』と云っても無駄でしょうし、できるだけ頑張りますよ。少なくとも僕は善良な市民として、警察でも探偵でも協力は惜しみませんから」

「良い子ねぇ」

 海老川さんがいきなり色っぽい声を出すもんだから、正直かなりゾッとした。続いてその手が動くのを見て頭でも撫でられるんじゃあるまいかと身を退きかけたが、ただカーステレオの再生ボタンを押しただけだった。

「じゃあまた、近日中に」

 ディリンジャー何とかが続きから流れ始めて、それに追い立てられるように車を降りたよ。忙しいんだか暇なんだか知らないが、車はすぐに発進し去って行った。

 それにしても、変なことになっちまったもんだ。

 僕は肩をすくめた後、家の前に置いていた自転車に跨って〈愛の巣〉へと向かった。このときにペダルを漕ぎつつ、先程の着想をもとにして考えを進めてみたんだがね、すると脳姦殺人の犯人――あの飄々とした地味な女子の動機や目的について、おおよそ見当が付いてしまった。

 ひとり目の被害者に注がれた精液は誰のものなのか……これがキーだったんだ。
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