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烏瓜の結合を断ち切ること⑤
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6
鶴姫には再び菫の能力を使って、吐き散らかした虚言をひとつひとつ訂正してもらわなければならなかった。いくつか忘れてしまっていたり、新たな虚言を追加してしまったりして多少の混乱はあったけれど、三十分ほど掛かってどうにか野呂さんを回復させることができた。
今は月豹に対して、同じ段取りを繰り返してもらっているところだ。彼女には訊かないといけないことが残っている。もちろん、正気を取り戻しても抵抗できないよう既に拘束してある。
部屋にあった円柱状の柱に背中をつけ両腕を回させたうえ、チェーンソーを使って両手首を切断し、烏瓜の能力によって繋げたのだ。気が進まないやり方ではあったが、あいにくとガムテープが足りなかった。彼女の身体であればまた元に戻せるだろう。
それから、手首を切断した際、烏瓜の華を一輪抜き取っておいた。さらには箸盾繕太郎から取り返してズボンのポケットに仕舞っておいたムツミの眼球を、瓶から取り出した。
実を云うと、かねてより考えていたことである。
ムツミに左眼窩の詰め物を外してもらって、これも月豹の持ち物であるナイフを充分に洗った後、その先端で眼窩の奥を少しだけ傷つけた。すかさず烏瓜の華を押し込んで、続いて眼球を嵌め込んだ。
「あっ、変な感じですよこれ」
くすぐったそうな声を出すムツミ。瞼と眼球の隙間から、あまった花弁がしゅるしゅると出てくる。僕はそれを、眼球ごと引っ張ってしまわないよう丁寧に力を加減しながら引き抜いた。
「…………どうだ?」
「見……えます。見えますよ。段々と、曇りが晴れていくみたいです」
「おお、本当か!」
よく観察すると右目に比べて左目は少し濁っている感じだけれど、これも血が通い水分が足されることで良くなるのだろうか。それにしても月豹の能力は本当に万能だ。殺人になんか手を染めず、外科医にでもなればよかったのに。
「なぁ馬米よぉ、どういうことだよ……」
煙草を吸うと云って隣の部屋に行っていた野呂さんが、ふらふらと戻ってきた。ひどく絶望的な表情を浮かべている。僕も野呂さんも月豹が買い溜めしていた菓子パンや水をもらって顔も洗って、いくらか元気になったはずなのだが。
「伊升だけかと思っていたら、別の女とも仲が良いなんてよ。どうしてモテるんだ馬米……いや、どうして俺はモテないんだ? 女友達なんていたことがねえぞ?」
性格に難があるためじゃないかと思ったが、僕のせいで散々迷惑を掛けてしまった手前、口には出せなかった。
「野呂さんはほら、お金をたくさん持っているじゃないですか」
「要らんよ、金なんて。持ったうえで俺は断言するがな」
「なら私達にくださいよ」
ムツミが云うと、野呂さんは「やるかあ!」と声を荒げて彼女を指差した。
「他の誰でもねえ、俺が稼いだ金なんだぜ。何かを奢るならいい。使い方は俺の自由だからな。しかし金そのものを誰かにやるなんてあり得ねえ話だぜ!」
相変わらず偏屈そうな発言をしているけれど、一方で驚くような寛大さを持つ野呂さんである。と云うのも、危うく殺されかけるほどの危険に巻き込んでしまったことを僕が詫びると、いっそ煙たそうに片手を振りつつ「別にいいよ。結果オーライみたいだしな」の一言だった。これ以上ない大人の対応だった。
それよりも、親しい異性がいないことの方に深刻なダメージを受けているらしい。ベッドに腰掛けると、両手で顔を覆ってしまった。
「世の中おかしいぜ。俺はこんなに頑張ってるのによぉ……」
どうかこの人には幸せになってほしい。
居た堪れない気持ちになったところで、鶴姫が「終わったよお」と声を掛けてきた。見ると、柱に背中をつけて床に胡坐をかいた格好の月豹が、不貞腐れたように天井を睨んでいる。
「ありがとう鶴姫。適当に掛けてくれるか」
「はぁい」と返事して鶴姫は椅子に座った。ムツミは壁にもたれていて、野呂さんはベッドに腰を下ろしたまま。僕は月豹の正面に立っていて、各々が丁度良い位置取りである。
それでは、いよいよ解決編といこう。
7
「月豹さん、大体の事情はもう分かっています。貴女の目的はムツミだった。より正確に云うなら、椿の能力だったんですね」
彼女は反応を示さないが、構わずに話す。
「貴女はムツミを使って、何かを見つけようとしていた。ムツミのご両親を殺したのは口封じのためでしょう。当初の計画ではそのときに、ムツミを誘拐する手筈だったんじゃないですか?」
「しかし馬米さん、」
ムツミが質問を挟む。
「私の能力が、どうしてこの人に知られたのでしょうか」
「君は施設に入れられる予定だったんだよね。きっとその話が洩れたんだろう。君のご両親は君を家から出さないようにしていたから、月豹さんが来たときにも、君は家にいるはずだった。でも君は強引に家を飛び出していた。結果、誘拐だけが失敗したわけだ」
鶴姫と野呂さんは黙って聞いている。ふたりは事情をよく知らないが、それでも今やここまで巻き込んでしまったし、助けてもらったのだ。本人たちさえ嫌でなければ、聞く権利があると思う。
僕は再び月豹へと向かって、話を続ける。
「とはいえ〈茜条斎MTビル〉で初めて会ったときの貴女に、ムツミを知っている様子はありませんでした。おそらく顔までは知らなかったのでしょう。ただし、あのときにムツミは貴女の前で椿の能力を使った。貴女は逃げ果せた後になってムツミを認識したんですね。さらにはこれで、私立探偵の矢韋駄創儀のもとにいるということまで分かったんだ」
以前に矢韋駄が話していたとおり、これは偶然ではない。椿の知覚によって、必然的に引き合わされたのである。
思えば、この一週間あまりのうちに起きた出来事のすべてがそうだった。
本来であれば集うわけもなかった人々が、一輪の椿の華によって、今ここにいるのだ。
「貴女はまたムツミの誘拐を企てた。しかし外では決行しづらい。昼は矢韋駄がついているし、夜は僕がついていて、人気のない場所にもなかなか行かないからです。ゆえにこうして、ホテルの部屋に呼び出そうとしたのでしょう。違いますか?」
「……あたしがそれを認めたとして、何だって云うんだよ?」
月豹はやっと口を開いた。依然としてこちらには目もくれないが。
「あんたが満足するだけだろ。馬鹿馬鹿しい。あんたらみたく、普通に通学したり通勤したりしてる奴らがさァ、這入ってこようとするなよ」
「這入ってきているのは貴女たちの側じゃないですか。僕らは身を守るために知ろうとしているんです」
「うるせーな。無事で済むつもりでいるのが一番ムカつく。この街で生きたこともないくせに。そうやって偉そうにしていたいなら、何も知らないままがいいんじゃない?」
「あのぉ、すみませんけどぉ、」
鶴姫が椅子から立ち上がった。マスクを顎まで下げつつ、月豹のもとへ歩いて行く。
「これって交渉じゃないんですよねえ」
「やめろお前っ」
「えへへ、無駄ですよ」
月豹の顔を両手で挟んで指で強引に瞼を開かせ、どうやら舌の上で開いた菫を見せたようだ。その能力はあまり使ってほしくないのだけれど、仕方ないか……。
「貴女は逸見くんに、本当のことを洗いざらい話したいと思ってます」
「は? 云われなくたって知ってるよ、そんなの」
「ですよねえ。逸見くんに正直に話せば、貴女は救われるんですもんね」
「そうだな……救われる……」
「自分のためにも、貴女は逸見くんに全部を話さないといけません」
鶴姫が嬉しそうな顔をして椅子へ戻ったので、僕はもう一度、月豹に問う。
「僕が話した内容は間違っていないですね?」
「大体は当たってるよ」
打って変わって素直に答える月豹。視線も僕の方を向いた。
「ただ、あたしは別に伊升ムツミの能力そのものには興味がないね。その知覚する能力を欲しがってるのは組織だよ。あたしは組織に働かされてる殺し屋だから」
「何の組織なんですか」
「〈箱舟〉――茜条斎に数ある犯罪組織のひとつさ。母体は〈アウフヘーベン〉って名前の宗教的結社」
「〈アウフヘーベン〉は有名だな」
野呂さんが少々驚いたふうに言葉を挟んだ。
「劣ったものを捨てて優れたものを生かし、人類を最前の状態へ向かわせるとかいう憲章を掲げた団体だろ? 構成員は著名人や有識者揃いで、昔から何かと都市伝説が多い」
僕は寡聞にして知らなかったが、月豹は「その通りだ」と頷く。
「あたしは伊升ムツミを誘拐することと、その親を殺すことを〈箱舟〉から命令された。だけど誘拐はできなかった。〈茜条斎MTビル〉での殺人は別件だったけど、ここでも〈箱舟〉が重宝していた宇足垂を失うことになった」
「あの紫陽花が咲いた男の子ですね」
「そうだよ。失態が続いたせいで、あたしの立場はまずくなった。もうじき切り捨てられる。〈箱舟〉にとってのあたしはその程度の価値しかない。だから、伊升ムツミの居場所が分かっても〈箱舟〉に報告しなかった」
「どうしてですか。報告して少しでも評価を上げた方がよさそうですけど」
「違うね。あたしは個人で伊升ムツミを手に入れないといけないのさ。そうすれば〈箱舟〉との交渉権を獲得できる」
月豹の恨めしそうな眼差しが、ムツミへと向けられた。
「末端のあたしには、伊升ムツミの情報はほとんど与えられてなかった。だけど〈茜条斎MTビル〉の一件があって、もしやと思って、あんたらを観察した。椿の能力を確かめたときに、あたしは〈箱舟〉がどうしてこいつを欲しがってるのか理解した」
「どうしてなんですか」
「種神様だ。〈箱舟〉は椿の能力を使って、種神様を探そうとしてる。間違いないね」
物凄い真相のように語られたけれど、僕は種神様という単語にも聞き覚えがなかった。さっきの〈アウフヘーベン〉と違って、誰も心当たりがないようだ。
「華乃幼少帰咲って病気は、どうして茜条斎周辺でしか発症しないか、考えたことある?」
溜息まじりな調子で訊ねてくる月豹。
「それは茜条斎でしか種が撒かれてないからさ。華が咲いてる以上、種が撒かれてるのは当たり前だろ? それを撒いてるのが種神様」
「人なのか?」
野呂さんが訝しそうに訊ねる。
「さあね。種神様が何なのかは誰にも分からない。だからみんな、血眼になって探してるんだ。華乃幼少帰咲の解明にそれが必要なのは分かるだろ。そして最初に解明した者が、どれだけの利益を手に入れられるか……これは想像つかないか」
何だろう。現実味が湧かないと云うか、どうしても夢物語のように聞こえる。
その一方で、単なる与太話と一笑に付すことはできそうにない。
現に、そんな理由で僕らは危険な目に遭ったのだから。
「ま、〈箱舟〉は華乃幼少帰咲の謎を解明して、超能力者による最強の犯罪組織を目指してるわけよ。それとも〈アウフヘーベン〉の意向なのかね? なんにせよ、あたしは最後のチャンスもものにできなかった。〈箱舟〉に始末されてお仕舞だな」
月豹は自嘲気味に笑った。見る者に寒気を抱かせる笑いだった。
「この街で生きるってのはこういうことだし、この街で死ぬってのはそういうことだよ」
一体、茜条斎の裏側に、どれほどの思惑や陰謀が渦巻いているのか。
華乃幼少帰咲という謎多き奇病……その原因である種神様……それを奪い合っているらしい人々や組織……。
たしか、〈茜条斎MTビル〉で殺されたのは華乃幼少帰咲の研究者だという話だった。
点と点が繋がっていくようだったり、離れていくようだったり……。
「……今、〈箱舟〉と連絡を取れますか?」
僕の問い掛けに、月豹は首を横に振った。
「あたしから連絡することはできないよ。連絡はいつも向こうから、別々の手段でくる」
「貴女に教えられた電話番号は? 組織のものじゃないんですか?」
「ただのデリヘルの受付だよ。あたし、風俗嬢もやってるから」
「そうですか……」
これ以上、月豹から聞けることはなさそうだ。事はトントン拍子では進まない。
野呂さんと鶴姫とムツミを順々に見ると、みな、お疲れの様子である。
僕はポケットから携帯を取り出した。電話帳からは消したものの、あいにくと暗記してしまっている番号に電話を掛ける。意外にも、相手はすぐに出た。
『逸見かい』
「はい」
『何の用だね。戻りたいと云われても聞かないよ』
「まさか。烏瓜の女を捕まえたので、場所を教えてあげます」
『そんな嘘を俺が信じると思うのかい』
「では写真をメールで送りますよ。〈ホテル・ネクロの実〉というラブホの七〇二号室です。貴方の手柄にしたらいいでしょう」
『どういうつもりだ』
「烏瓜の女を捕まえれば、貴方には報酬が入るんですよね。全額、僕の口座に振り込んでください。口座は後日、電話かメールで伝えますよ」
通話を切った。携帯のカメラで月豹を撮影して、その写真をメールに添付して送信した。後のことは任せよう。もう名前も呼びたくないが、優秀な人なのは確かなのだから。
そして僕は、神妙そうな表情になってしまったみなに、明るい声で云う。
「出ることにしましょう」
鶴姫には再び菫の能力を使って、吐き散らかした虚言をひとつひとつ訂正してもらわなければならなかった。いくつか忘れてしまっていたり、新たな虚言を追加してしまったりして多少の混乱はあったけれど、三十分ほど掛かってどうにか野呂さんを回復させることができた。
今は月豹に対して、同じ段取りを繰り返してもらっているところだ。彼女には訊かないといけないことが残っている。もちろん、正気を取り戻しても抵抗できないよう既に拘束してある。
部屋にあった円柱状の柱に背中をつけ両腕を回させたうえ、チェーンソーを使って両手首を切断し、烏瓜の能力によって繋げたのだ。気が進まないやり方ではあったが、あいにくとガムテープが足りなかった。彼女の身体であればまた元に戻せるだろう。
それから、手首を切断した際、烏瓜の華を一輪抜き取っておいた。さらには箸盾繕太郎から取り返してズボンのポケットに仕舞っておいたムツミの眼球を、瓶から取り出した。
実を云うと、かねてより考えていたことである。
ムツミに左眼窩の詰め物を外してもらって、これも月豹の持ち物であるナイフを充分に洗った後、その先端で眼窩の奥を少しだけ傷つけた。すかさず烏瓜の華を押し込んで、続いて眼球を嵌め込んだ。
「あっ、変な感じですよこれ」
くすぐったそうな声を出すムツミ。瞼と眼球の隙間から、あまった花弁がしゅるしゅると出てくる。僕はそれを、眼球ごと引っ張ってしまわないよう丁寧に力を加減しながら引き抜いた。
「…………どうだ?」
「見……えます。見えますよ。段々と、曇りが晴れていくみたいです」
「おお、本当か!」
よく観察すると右目に比べて左目は少し濁っている感じだけれど、これも血が通い水分が足されることで良くなるのだろうか。それにしても月豹の能力は本当に万能だ。殺人になんか手を染めず、外科医にでもなればよかったのに。
「なぁ馬米よぉ、どういうことだよ……」
煙草を吸うと云って隣の部屋に行っていた野呂さんが、ふらふらと戻ってきた。ひどく絶望的な表情を浮かべている。僕も野呂さんも月豹が買い溜めしていた菓子パンや水をもらって顔も洗って、いくらか元気になったはずなのだが。
「伊升だけかと思っていたら、別の女とも仲が良いなんてよ。どうしてモテるんだ馬米……いや、どうして俺はモテないんだ? 女友達なんていたことがねえぞ?」
性格に難があるためじゃないかと思ったが、僕のせいで散々迷惑を掛けてしまった手前、口には出せなかった。
「野呂さんはほら、お金をたくさん持っているじゃないですか」
「要らんよ、金なんて。持ったうえで俺は断言するがな」
「なら私達にくださいよ」
ムツミが云うと、野呂さんは「やるかあ!」と声を荒げて彼女を指差した。
「他の誰でもねえ、俺が稼いだ金なんだぜ。何かを奢るならいい。使い方は俺の自由だからな。しかし金そのものを誰かにやるなんてあり得ねえ話だぜ!」
相変わらず偏屈そうな発言をしているけれど、一方で驚くような寛大さを持つ野呂さんである。と云うのも、危うく殺されかけるほどの危険に巻き込んでしまったことを僕が詫びると、いっそ煙たそうに片手を振りつつ「別にいいよ。結果オーライみたいだしな」の一言だった。これ以上ない大人の対応だった。
それよりも、親しい異性がいないことの方に深刻なダメージを受けているらしい。ベッドに腰掛けると、両手で顔を覆ってしまった。
「世の中おかしいぜ。俺はこんなに頑張ってるのによぉ……」
どうかこの人には幸せになってほしい。
居た堪れない気持ちになったところで、鶴姫が「終わったよお」と声を掛けてきた。見ると、柱に背中をつけて床に胡坐をかいた格好の月豹が、不貞腐れたように天井を睨んでいる。
「ありがとう鶴姫。適当に掛けてくれるか」
「はぁい」と返事して鶴姫は椅子に座った。ムツミは壁にもたれていて、野呂さんはベッドに腰を下ろしたまま。僕は月豹の正面に立っていて、各々が丁度良い位置取りである。
それでは、いよいよ解決編といこう。
7
「月豹さん、大体の事情はもう分かっています。貴女の目的はムツミだった。より正確に云うなら、椿の能力だったんですね」
彼女は反応を示さないが、構わずに話す。
「貴女はムツミを使って、何かを見つけようとしていた。ムツミのご両親を殺したのは口封じのためでしょう。当初の計画ではそのときに、ムツミを誘拐する手筈だったんじゃないですか?」
「しかし馬米さん、」
ムツミが質問を挟む。
「私の能力が、どうしてこの人に知られたのでしょうか」
「君は施設に入れられる予定だったんだよね。きっとその話が洩れたんだろう。君のご両親は君を家から出さないようにしていたから、月豹さんが来たときにも、君は家にいるはずだった。でも君は強引に家を飛び出していた。結果、誘拐だけが失敗したわけだ」
鶴姫と野呂さんは黙って聞いている。ふたりは事情をよく知らないが、それでも今やここまで巻き込んでしまったし、助けてもらったのだ。本人たちさえ嫌でなければ、聞く権利があると思う。
僕は再び月豹へと向かって、話を続ける。
「とはいえ〈茜条斎MTビル〉で初めて会ったときの貴女に、ムツミを知っている様子はありませんでした。おそらく顔までは知らなかったのでしょう。ただし、あのときにムツミは貴女の前で椿の能力を使った。貴女は逃げ果せた後になってムツミを認識したんですね。さらにはこれで、私立探偵の矢韋駄創儀のもとにいるということまで分かったんだ」
以前に矢韋駄が話していたとおり、これは偶然ではない。椿の知覚によって、必然的に引き合わされたのである。
思えば、この一週間あまりのうちに起きた出来事のすべてがそうだった。
本来であれば集うわけもなかった人々が、一輪の椿の華によって、今ここにいるのだ。
「貴女はまたムツミの誘拐を企てた。しかし外では決行しづらい。昼は矢韋駄がついているし、夜は僕がついていて、人気のない場所にもなかなか行かないからです。ゆえにこうして、ホテルの部屋に呼び出そうとしたのでしょう。違いますか?」
「……あたしがそれを認めたとして、何だって云うんだよ?」
月豹はやっと口を開いた。依然としてこちらには目もくれないが。
「あんたが満足するだけだろ。馬鹿馬鹿しい。あんたらみたく、普通に通学したり通勤したりしてる奴らがさァ、這入ってこようとするなよ」
「這入ってきているのは貴女たちの側じゃないですか。僕らは身を守るために知ろうとしているんです」
「うるせーな。無事で済むつもりでいるのが一番ムカつく。この街で生きたこともないくせに。そうやって偉そうにしていたいなら、何も知らないままがいいんじゃない?」
「あのぉ、すみませんけどぉ、」
鶴姫が椅子から立ち上がった。マスクを顎まで下げつつ、月豹のもとへ歩いて行く。
「これって交渉じゃないんですよねえ」
「やめろお前っ」
「えへへ、無駄ですよ」
月豹の顔を両手で挟んで指で強引に瞼を開かせ、どうやら舌の上で開いた菫を見せたようだ。その能力はあまり使ってほしくないのだけれど、仕方ないか……。
「貴女は逸見くんに、本当のことを洗いざらい話したいと思ってます」
「は? 云われなくたって知ってるよ、そんなの」
「ですよねえ。逸見くんに正直に話せば、貴女は救われるんですもんね」
「そうだな……救われる……」
「自分のためにも、貴女は逸見くんに全部を話さないといけません」
鶴姫が嬉しそうな顔をして椅子へ戻ったので、僕はもう一度、月豹に問う。
「僕が話した内容は間違っていないですね?」
「大体は当たってるよ」
打って変わって素直に答える月豹。視線も僕の方を向いた。
「ただ、あたしは別に伊升ムツミの能力そのものには興味がないね。その知覚する能力を欲しがってるのは組織だよ。あたしは組織に働かされてる殺し屋だから」
「何の組織なんですか」
「〈箱舟〉――茜条斎に数ある犯罪組織のひとつさ。母体は〈アウフヘーベン〉って名前の宗教的結社」
「〈アウフヘーベン〉は有名だな」
野呂さんが少々驚いたふうに言葉を挟んだ。
「劣ったものを捨てて優れたものを生かし、人類を最前の状態へ向かわせるとかいう憲章を掲げた団体だろ? 構成員は著名人や有識者揃いで、昔から何かと都市伝説が多い」
僕は寡聞にして知らなかったが、月豹は「その通りだ」と頷く。
「あたしは伊升ムツミを誘拐することと、その親を殺すことを〈箱舟〉から命令された。だけど誘拐はできなかった。〈茜条斎MTビル〉での殺人は別件だったけど、ここでも〈箱舟〉が重宝していた宇足垂を失うことになった」
「あの紫陽花が咲いた男の子ですね」
「そうだよ。失態が続いたせいで、あたしの立場はまずくなった。もうじき切り捨てられる。〈箱舟〉にとってのあたしはその程度の価値しかない。だから、伊升ムツミの居場所が分かっても〈箱舟〉に報告しなかった」
「どうしてですか。報告して少しでも評価を上げた方がよさそうですけど」
「違うね。あたしは個人で伊升ムツミを手に入れないといけないのさ。そうすれば〈箱舟〉との交渉権を獲得できる」
月豹の恨めしそうな眼差しが、ムツミへと向けられた。
「末端のあたしには、伊升ムツミの情報はほとんど与えられてなかった。だけど〈茜条斎MTビル〉の一件があって、もしやと思って、あんたらを観察した。椿の能力を確かめたときに、あたしは〈箱舟〉がどうしてこいつを欲しがってるのか理解した」
「どうしてなんですか」
「種神様だ。〈箱舟〉は椿の能力を使って、種神様を探そうとしてる。間違いないね」
物凄い真相のように語られたけれど、僕は種神様という単語にも聞き覚えがなかった。さっきの〈アウフヘーベン〉と違って、誰も心当たりがないようだ。
「華乃幼少帰咲って病気は、どうして茜条斎周辺でしか発症しないか、考えたことある?」
溜息まじりな調子で訊ねてくる月豹。
「それは茜条斎でしか種が撒かれてないからさ。華が咲いてる以上、種が撒かれてるのは当たり前だろ? それを撒いてるのが種神様」
「人なのか?」
野呂さんが訝しそうに訊ねる。
「さあね。種神様が何なのかは誰にも分からない。だからみんな、血眼になって探してるんだ。華乃幼少帰咲の解明にそれが必要なのは分かるだろ。そして最初に解明した者が、どれだけの利益を手に入れられるか……これは想像つかないか」
何だろう。現実味が湧かないと云うか、どうしても夢物語のように聞こえる。
その一方で、単なる与太話と一笑に付すことはできそうにない。
現に、そんな理由で僕らは危険な目に遭ったのだから。
「ま、〈箱舟〉は華乃幼少帰咲の謎を解明して、超能力者による最強の犯罪組織を目指してるわけよ。それとも〈アウフヘーベン〉の意向なのかね? なんにせよ、あたしは最後のチャンスもものにできなかった。〈箱舟〉に始末されてお仕舞だな」
月豹は自嘲気味に笑った。見る者に寒気を抱かせる笑いだった。
「この街で生きるってのはこういうことだし、この街で死ぬってのはそういうことだよ」
一体、茜条斎の裏側に、どれほどの思惑や陰謀が渦巻いているのか。
華乃幼少帰咲という謎多き奇病……その原因である種神様……それを奪い合っているらしい人々や組織……。
たしか、〈茜条斎MTビル〉で殺されたのは華乃幼少帰咲の研究者だという話だった。
点と点が繋がっていくようだったり、離れていくようだったり……。
「……今、〈箱舟〉と連絡を取れますか?」
僕の問い掛けに、月豹は首を横に振った。
「あたしから連絡することはできないよ。連絡はいつも向こうから、別々の手段でくる」
「貴女に教えられた電話番号は? 組織のものじゃないんですか?」
「ただのデリヘルの受付だよ。あたし、風俗嬢もやってるから」
「そうですか……」
これ以上、月豹から聞けることはなさそうだ。事はトントン拍子では進まない。
野呂さんと鶴姫とムツミを順々に見ると、みな、お疲れの様子である。
僕はポケットから携帯を取り出した。電話帳からは消したものの、あいにくと暗記してしまっている番号に電話を掛ける。意外にも、相手はすぐに出た。
『逸見かい』
「はい」
『何の用だね。戻りたいと云われても聞かないよ』
「まさか。烏瓜の女を捕まえたので、場所を教えてあげます」
『そんな嘘を俺が信じると思うのかい』
「では写真をメールで送りますよ。〈ホテル・ネクロの実〉というラブホの七〇二号室です。貴方の手柄にしたらいいでしょう」
『どういうつもりだ』
「烏瓜の女を捕まえれば、貴方には報酬が入るんですよね。全額、僕の口座に振り込んでください。口座は後日、電話かメールで伝えますよ」
通話を切った。携帯のカメラで月豹を撮影して、その写真をメールに添付して送信した。後のことは任せよう。もう名前も呼びたくないが、優秀な人なのは確かなのだから。
そして僕は、神妙そうな表情になってしまったみなに、明るい声で云う。
「出ることにしましょう」
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