22 / 32
桔梗の観覧が知らせる秘密②
しおりを挟む
「うわあああっ」と叫んだのは僕ではない。僕の後ろ、別の男性客がムツミを見て発したのだ。みなが通路に顔を出して、左目のないムツミを引きつった顔で見つめている。
「あの子、咲いてるよ」「すごい血……」「目が!」「ひいいいっ」「あれだ、幼少帰咲ってやつ」「店員さああん!」「誰か救急車――」「警察は!」「気持ち悪ううう」
まずい。こんなにも注目を浴びている。僕が「待ってください」と云って待ってくれるものか? 頭の中をぐるぐるとあらゆる考えが駆け巡るなか、通路を曲がって野呂さんが姿を現した。膨れたビニール袋をいくつも抱えて。
「馬米、伊升、息を止めろ。こいつらを鎮圧する」
野呂さんは片手に鋏を握っている。骨付きカルビと一緒に運ばれてきたそれだ。刃の先端がビニール袋に突き刺された。途端に噴出する煙。夕顔の香り。僕は自分が息を止めるのはもちろん、ムツミの鼻と口を手で覆った。生暖かくてべったりとした鮮血の手触りがした。
効果はたちまち顕れる。ビニール袋を次々と割っていく野呂さん。周囲の人々がばたばたと倒れていく。僕はムツミに肩を貸して立ち上がらせ、出入口へ向かって通路を進む。
「咲いていたのか伊升。とにかく外に出るんだな。全員、眠らせてやるよ」
ビニール袋はあらかた割り終わっていた。新しく咥えた煙草に火を点ける野呂さんに頭を下げ、脇を通過する。この人がいて助かった。夕顔の煙は既に店中に充満している。
ホールを抜けてレジの前を通り過ぎ、出入口の重い扉をくぐる。狭いエレベーターホールに出たところで、やっと呼吸が可能になる。
「ムツミっ、何があったんだ。その目、誰かにやられたのか!」
ぐったりしている彼女を扉の脇に置かれたパイプ椅子に座らせながらも、僕は横目でエレベーターホールに倒れ伏している男性を見る。この人は誰だ。野呂さんによる夕顔の昏倒とは事情が異なりそうだ。茶髪の若い男性で、下着しか身に着けていない。その上から無造作に、この店の制服とエプロンを被せられている。傍らには空のジョッキや皿を乗せたお盆が置いてある。店員なのか?
「左目を、抜き取られました」
ムツミが小さな声で応えた。顔面は蒼白、唇が紫色に変色している。
「トイレから出たら、後ろから口を塞がれて……左目に多分、ピンセットを突っ込まれて……一瞬でした」
「犯人はどうした。見たのか」
ポケットからハンカチを取り出して、血だらけになったムツミの顔に優しくあてる。
「後ろ姿だけ。店員さんでした。お盆を持って、外の方へ……」
そういえばムツミのもとに駆け付ける途中、店員にぶつかったことを思い出す。あれはおかしかった。尋常でない悲鳴があったのに、あの店員は出入口の方へ向かっていた。
「そこで倒れている人では、ないと思います」
下着姿の男性を指差すムツミ。
「髪が長かったです。でも身体が接した感じは、男の人でした……」
把握した。そいつはきっと店員ではない。この倒れている店員と入れ替わっていたのだ。ムツミの左目を抜き取ると何食わぬ顔で店を出て、変装に用いた制服を捨てたのだ。
今から追いかけて間に合うか? そいつは既に外に出ている。外は掃いて捨てるほどの人々が行きかう夜の茜条斎。僕はそいつの顔を見ていない……。
「伊升が咲いているのは前からか? その頭の華は椿だよな?」
野呂さんもエレベーターホールに出てきた。後ろ手で扉をしっかりと閉めると、持ってきてくれたムツミのベレー帽とランドセルを空いているパイプ椅子の上に置く。
「はい。話してなくてすみませんでした」
「構わんよ。なるたけ他人にはバレないようにすべきことだ。……何だこいつは」
倒れている店員を足で示す野呂さん。
「犯人に気絶させられたみたいです。犯行の際、入れ替わっていたんですよ」
「成程な。店員が歩いていても誰も気に留めない。最も記憶されにくい存在ってわけか」
「野呂さん、ムツミの叫び声の後、外に出て行くニセ店員の顔を見ましたか」
「いいや。たしかに出て行く奴はいたけどな。それよりも病院じゃねえか?」
ムツミは唇を噛み締めて痛みに耐えている。ハンカチからも既に血が滴りそうだ。
「病院は……帽子を被ったまま診察させられるでしょうか」
「ウィッグを被ればいいだろ。そこらへんで売ってるぜ」
「駄目です」
ムツミが苦しそうに声を発した。
「身分証明書がありませんし……私は多分、指名手配されているので」
「なに、伊升は犯罪者なのか」
「被害者ですよムツミは。ただ、重要参考人なんです……」
そうだった。病院に連れて行くのはリスクが大きすぎる。僕は携帯を取り出して叔父さんに電話をかけた――が、例によって通じない。先程から握っているムツミの手は、水鳥のように冷たくなっていく……。
「まぁ、それなら応急手当でもいいんじゃねえか? 目玉がないんじゃあ病院でできることもたかが知れてるぜ。消毒してガーゼ詰めて、痛み止めはオピオイド鎮痛剤だ。よく効く薬を違法で売ってる店を教えてやる。あとは安静にしていることだな」
野呂さんは驚くほど頼りになった。有能を自称するだけある。
「ありがとう御座います。ムツミ、歩けるか?」
肩を貸すというより、ほとんど背負うような格好で立ち上がらせる。
「勘定は気にするな。二万置いてきた。ふん。俺がいくら稼いでると思ってやがる。ところでなんだが馬米、」
エレベーターを待つ僕の横で、野呂さんはこれが一番大切だと云わんばかりに、
「カラオケはどうする?」
「行けるわけないでしょ!」
つい怒鳴ってしまった。野呂さんは肩を落とした。
「そっ……そうか。そうだよな。仕方ないか……」
3
二十三時過ぎに〈イリアスB〉五〇五号室に帰り着いて、その頃に叔父さんと連絡がついた。叔父さんは日付が変わった後に帰ってきた。それまで僕はずっとソファーに座ったムツミに寄り添い、時折左の眼窩に詰めたガーゼを取り換え、手を握っていた。
「起きたことをとやかく云うのは趣味でないが、酷い手落ちだぞ。子供だけで夜の茜条斎に出るなら、逸見、トイレに行くにも相応の警戒を払って然るべきだ」
叔父さんの口調は厳しかった。僕は頭を下げることしかできない。
「ふむ、出血は止まっているね。手当としてはこんなところだろう」
詰物を抜き取って、傷の調子を確認する叔父さん。ムツミは鎮痛剤のおかげでだいぶ楽になったようだった。滝のように出ていた汗も今はひいている。
「明日、知り合いの医者のもとへ連れて行くよ。種々の事情を伏せ、特別に診てもらう」
「お願いします……」
僕が角膜を傷つけたのとは違い、これでムツミは左の視力を永久に失ってしまった。おそらく義眼を嵌めることになるだろう。慚愧の念に堪えない。本当に……。
叔父さんは一度キッチンへ行ってアイスコーヒーを持ってくると、椅子に腰掛けた。
「茜条斎でたまに起きる事件だ。最初は四年前だったかな。数ヵ月に一度、不定期で左の眼球を抜かれる者がいる。毎度毎度、手際のよい犯行だよ。おそらく同一犯だ」
「そういえば、聞いたことがあります。眼球蒐集家と呼ばれているんですよね」
「うむ。被害者は高齢者もいれば幼稚園児もいるし、男もいれば女もいる。茜条斎に遊びに来ていただけの観光客も混じっており、要するに通り魔的犯行だ。ムツミくんは偶然に狙われたのだろう」
「叔父さんはその事件、調査したことがあるんですか」
「いいや。俺が着手していたなら、どんな手を使っても解決している。だが依頼を受けない限りは着手する理由がない。俺の探偵業はビジネスだからね」
調べてくれませんか、とは云い出せない雰囲気だ。こういうときの叔父さんは冷たくて少し怖い。それに今から犯人を捕まえたところで、ムツミの視力は戻らない……。
「今後、夜の外出は控えなさい。この話はこれで終わりだ」
とてもそんなふうに切り替えられる気持ちでなかったけれど、叔父さんは「それよりも、」と話題の転換を図る。
「一昨日の〈人体梯子〉について話しておこう。分かっていると思うが、烏瓜の女による犯行だ。どういう風の吹き回しか、今度は多分に劇場型犯罪のそれだね」
ずしりずしりと、僕の頭は重くなる。月豹由布から接触を受けた件について、叔父さんには相談できていない。月豹由布から止められていることもあって、身の振り方を決定できないでいるのだ。
問題が山積している。僕は進め方を間違えたらしい。野呂さんの誘いは、断らなければならなかった……。
「ネット上に出回っている写真は見たかい? Aの上半身、Bの上半身、Aの下半身、Bの下半身、Cの上半身、Dの上半身といった調子で人体が結合され、〈八重樫ビル〉の七階窓から吊り下げられた。両手首を切断されたAの腕は、七階のフロアにある柱に回されたうえで結合されていたのだ。結局、負荷に耐え切れず引き千切れたがね。被害者は全員が首を斬り落とされ、それらは七階のフロアに転がされていた。この現場は人材派遣会社が事業所として利用しており、殺害されたのはいずれも其処で勤務していた社員、総勢十三名だ。この人材派遣会社はありふれたもので、黒い繋がりなどは今のところ見つかっていない。犯人の目撃証言も信憑性があるものはゼロ件だ」
「それじゃあ捜査は難航しているんですね」
「新事実が何もないからな。とはいえこれで、烏瓜の女は殺し屋稼業と見ていいだろう。手口はともかく、犯行の目的に一貫性が見られない。〈茜条斎MTビル〉では誘拐犯と逃がし屋を始末しているし、どこかの犯罪組織の雇われというわけだ。茜条斎にはその手の組織が多く潜んでいる。利害関係から抗争めいたことが行われるのは珍しくないよ」
「死体の結合という特徴をあえて残すのは、見せしめみたいな意味ですか……?」
しかし今度の人材派遣会社は黒い繋がりなど見つかっていないと云う。それにムツミの両親は? 特段問題のない一般家庭との話だったのに、どうして殺し屋に狙われなければならなかったのだろう?
そしてなぜ、月豹由布は僕とムツミに再び接触してきたのだろうか?
「全貌を明かすのは難しいかも知れないね」
叔父さんは顎に手をあてて、珍しく弱気な発言をした。
「烏瓜の女を捕まえることができても、トカゲの尻尾切りを受けるだけだ。俺は昔から、組織的な犯罪には深入りしないようにしている。この街で探偵なぞやって生き残るには、それが最も大切なことなのだよ」
現実の探偵は、物語に登場するような正義の味方とは違う。叔父さんはとっくに割り切っているらしいが、僕はどうにも歯がゆい感じがした。
此処が国内随一の犯罪街なのだと、改めて痛感させられる。僕の肩に頭を預けているムツミ……彼女をこの街に置いておくのは、本当に正しいことなのか?
「あの子、咲いてるよ」「すごい血……」「目が!」「ひいいいっ」「あれだ、幼少帰咲ってやつ」「店員さああん!」「誰か救急車――」「警察は!」「気持ち悪ううう」
まずい。こんなにも注目を浴びている。僕が「待ってください」と云って待ってくれるものか? 頭の中をぐるぐるとあらゆる考えが駆け巡るなか、通路を曲がって野呂さんが姿を現した。膨れたビニール袋をいくつも抱えて。
「馬米、伊升、息を止めろ。こいつらを鎮圧する」
野呂さんは片手に鋏を握っている。骨付きカルビと一緒に運ばれてきたそれだ。刃の先端がビニール袋に突き刺された。途端に噴出する煙。夕顔の香り。僕は自分が息を止めるのはもちろん、ムツミの鼻と口を手で覆った。生暖かくてべったりとした鮮血の手触りがした。
効果はたちまち顕れる。ビニール袋を次々と割っていく野呂さん。周囲の人々がばたばたと倒れていく。僕はムツミに肩を貸して立ち上がらせ、出入口へ向かって通路を進む。
「咲いていたのか伊升。とにかく外に出るんだな。全員、眠らせてやるよ」
ビニール袋はあらかた割り終わっていた。新しく咥えた煙草に火を点ける野呂さんに頭を下げ、脇を通過する。この人がいて助かった。夕顔の煙は既に店中に充満している。
ホールを抜けてレジの前を通り過ぎ、出入口の重い扉をくぐる。狭いエレベーターホールに出たところで、やっと呼吸が可能になる。
「ムツミっ、何があったんだ。その目、誰かにやられたのか!」
ぐったりしている彼女を扉の脇に置かれたパイプ椅子に座らせながらも、僕は横目でエレベーターホールに倒れ伏している男性を見る。この人は誰だ。野呂さんによる夕顔の昏倒とは事情が異なりそうだ。茶髪の若い男性で、下着しか身に着けていない。その上から無造作に、この店の制服とエプロンを被せられている。傍らには空のジョッキや皿を乗せたお盆が置いてある。店員なのか?
「左目を、抜き取られました」
ムツミが小さな声で応えた。顔面は蒼白、唇が紫色に変色している。
「トイレから出たら、後ろから口を塞がれて……左目に多分、ピンセットを突っ込まれて……一瞬でした」
「犯人はどうした。見たのか」
ポケットからハンカチを取り出して、血だらけになったムツミの顔に優しくあてる。
「後ろ姿だけ。店員さんでした。お盆を持って、外の方へ……」
そういえばムツミのもとに駆け付ける途中、店員にぶつかったことを思い出す。あれはおかしかった。尋常でない悲鳴があったのに、あの店員は出入口の方へ向かっていた。
「そこで倒れている人では、ないと思います」
下着姿の男性を指差すムツミ。
「髪が長かったです。でも身体が接した感じは、男の人でした……」
把握した。そいつはきっと店員ではない。この倒れている店員と入れ替わっていたのだ。ムツミの左目を抜き取ると何食わぬ顔で店を出て、変装に用いた制服を捨てたのだ。
今から追いかけて間に合うか? そいつは既に外に出ている。外は掃いて捨てるほどの人々が行きかう夜の茜条斎。僕はそいつの顔を見ていない……。
「伊升が咲いているのは前からか? その頭の華は椿だよな?」
野呂さんもエレベーターホールに出てきた。後ろ手で扉をしっかりと閉めると、持ってきてくれたムツミのベレー帽とランドセルを空いているパイプ椅子の上に置く。
「はい。話してなくてすみませんでした」
「構わんよ。なるたけ他人にはバレないようにすべきことだ。……何だこいつは」
倒れている店員を足で示す野呂さん。
「犯人に気絶させられたみたいです。犯行の際、入れ替わっていたんですよ」
「成程な。店員が歩いていても誰も気に留めない。最も記憶されにくい存在ってわけか」
「野呂さん、ムツミの叫び声の後、外に出て行くニセ店員の顔を見ましたか」
「いいや。たしかに出て行く奴はいたけどな。それよりも病院じゃねえか?」
ムツミは唇を噛み締めて痛みに耐えている。ハンカチからも既に血が滴りそうだ。
「病院は……帽子を被ったまま診察させられるでしょうか」
「ウィッグを被ればいいだろ。そこらへんで売ってるぜ」
「駄目です」
ムツミが苦しそうに声を発した。
「身分証明書がありませんし……私は多分、指名手配されているので」
「なに、伊升は犯罪者なのか」
「被害者ですよムツミは。ただ、重要参考人なんです……」
そうだった。病院に連れて行くのはリスクが大きすぎる。僕は携帯を取り出して叔父さんに電話をかけた――が、例によって通じない。先程から握っているムツミの手は、水鳥のように冷たくなっていく……。
「まぁ、それなら応急手当でもいいんじゃねえか? 目玉がないんじゃあ病院でできることもたかが知れてるぜ。消毒してガーゼ詰めて、痛み止めはオピオイド鎮痛剤だ。よく効く薬を違法で売ってる店を教えてやる。あとは安静にしていることだな」
野呂さんは驚くほど頼りになった。有能を自称するだけある。
「ありがとう御座います。ムツミ、歩けるか?」
肩を貸すというより、ほとんど背負うような格好で立ち上がらせる。
「勘定は気にするな。二万置いてきた。ふん。俺がいくら稼いでると思ってやがる。ところでなんだが馬米、」
エレベーターを待つ僕の横で、野呂さんはこれが一番大切だと云わんばかりに、
「カラオケはどうする?」
「行けるわけないでしょ!」
つい怒鳴ってしまった。野呂さんは肩を落とした。
「そっ……そうか。そうだよな。仕方ないか……」
3
二十三時過ぎに〈イリアスB〉五〇五号室に帰り着いて、その頃に叔父さんと連絡がついた。叔父さんは日付が変わった後に帰ってきた。それまで僕はずっとソファーに座ったムツミに寄り添い、時折左の眼窩に詰めたガーゼを取り換え、手を握っていた。
「起きたことをとやかく云うのは趣味でないが、酷い手落ちだぞ。子供だけで夜の茜条斎に出るなら、逸見、トイレに行くにも相応の警戒を払って然るべきだ」
叔父さんの口調は厳しかった。僕は頭を下げることしかできない。
「ふむ、出血は止まっているね。手当としてはこんなところだろう」
詰物を抜き取って、傷の調子を確認する叔父さん。ムツミは鎮痛剤のおかげでだいぶ楽になったようだった。滝のように出ていた汗も今はひいている。
「明日、知り合いの医者のもとへ連れて行くよ。種々の事情を伏せ、特別に診てもらう」
「お願いします……」
僕が角膜を傷つけたのとは違い、これでムツミは左の視力を永久に失ってしまった。おそらく義眼を嵌めることになるだろう。慚愧の念に堪えない。本当に……。
叔父さんは一度キッチンへ行ってアイスコーヒーを持ってくると、椅子に腰掛けた。
「茜条斎でたまに起きる事件だ。最初は四年前だったかな。数ヵ月に一度、不定期で左の眼球を抜かれる者がいる。毎度毎度、手際のよい犯行だよ。おそらく同一犯だ」
「そういえば、聞いたことがあります。眼球蒐集家と呼ばれているんですよね」
「うむ。被害者は高齢者もいれば幼稚園児もいるし、男もいれば女もいる。茜条斎に遊びに来ていただけの観光客も混じっており、要するに通り魔的犯行だ。ムツミくんは偶然に狙われたのだろう」
「叔父さんはその事件、調査したことがあるんですか」
「いいや。俺が着手していたなら、どんな手を使っても解決している。だが依頼を受けない限りは着手する理由がない。俺の探偵業はビジネスだからね」
調べてくれませんか、とは云い出せない雰囲気だ。こういうときの叔父さんは冷たくて少し怖い。それに今から犯人を捕まえたところで、ムツミの視力は戻らない……。
「今後、夜の外出は控えなさい。この話はこれで終わりだ」
とてもそんなふうに切り替えられる気持ちでなかったけれど、叔父さんは「それよりも、」と話題の転換を図る。
「一昨日の〈人体梯子〉について話しておこう。分かっていると思うが、烏瓜の女による犯行だ。どういう風の吹き回しか、今度は多分に劇場型犯罪のそれだね」
ずしりずしりと、僕の頭は重くなる。月豹由布から接触を受けた件について、叔父さんには相談できていない。月豹由布から止められていることもあって、身の振り方を決定できないでいるのだ。
問題が山積している。僕は進め方を間違えたらしい。野呂さんの誘いは、断らなければならなかった……。
「ネット上に出回っている写真は見たかい? Aの上半身、Bの上半身、Aの下半身、Bの下半身、Cの上半身、Dの上半身といった調子で人体が結合され、〈八重樫ビル〉の七階窓から吊り下げられた。両手首を切断されたAの腕は、七階のフロアにある柱に回されたうえで結合されていたのだ。結局、負荷に耐え切れず引き千切れたがね。被害者は全員が首を斬り落とされ、それらは七階のフロアに転がされていた。この現場は人材派遣会社が事業所として利用しており、殺害されたのはいずれも其処で勤務していた社員、総勢十三名だ。この人材派遣会社はありふれたもので、黒い繋がりなどは今のところ見つかっていない。犯人の目撃証言も信憑性があるものはゼロ件だ」
「それじゃあ捜査は難航しているんですね」
「新事実が何もないからな。とはいえこれで、烏瓜の女は殺し屋稼業と見ていいだろう。手口はともかく、犯行の目的に一貫性が見られない。〈茜条斎MTビル〉では誘拐犯と逃がし屋を始末しているし、どこかの犯罪組織の雇われというわけだ。茜条斎にはその手の組織が多く潜んでいる。利害関係から抗争めいたことが行われるのは珍しくないよ」
「死体の結合という特徴をあえて残すのは、見せしめみたいな意味ですか……?」
しかし今度の人材派遣会社は黒い繋がりなど見つかっていないと云う。それにムツミの両親は? 特段問題のない一般家庭との話だったのに、どうして殺し屋に狙われなければならなかったのだろう?
そしてなぜ、月豹由布は僕とムツミに再び接触してきたのだろうか?
「全貌を明かすのは難しいかも知れないね」
叔父さんは顎に手をあてて、珍しく弱気な発言をした。
「烏瓜の女を捕まえることができても、トカゲの尻尾切りを受けるだけだ。俺は昔から、組織的な犯罪には深入りしないようにしている。この街で探偵なぞやって生き残るには、それが最も大切なことなのだよ」
現実の探偵は、物語に登場するような正義の味方とは違う。叔父さんはとっくに割り切っているらしいが、僕はどうにも歯がゆい感じがした。
此処が国内随一の犯罪街なのだと、改めて痛感させられる。僕の肩に頭を預けているムツミ……彼女をこの街に置いておくのは、本当に正しいことなのか?
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
やり直せるなら、貴方達とは関わらない。
いろまにもめと
BL
俺はレオベルト・エンフィア。
エンフィア侯爵家の長男であり、前世持ちだ。
俺は幼馴染のアラン・メロヴィングに惚れ込み、恋人でもないのにアランは俺の嫁だと言ってまわるというはずかしい事をし、最終的にアランと恋に落ちた王太子によって、アランに付きまとっていた俺は処刑された。
処刑の直前、俺は前世を思い出した。日本という国の一般サラリーマンだった頃を。そして、ここは前世有名だったBLゲームの世界と一致する事を。
こんな時に思い出しても遅せぇわ!と思い、どうかもう一度やり直せたら、貴族なんだから可愛い嫁さんと裕福にのんびり暮らしたい…!
そう思った俺の願いは届いたのだ。
5歳の時の俺に戻ってきた…!
今度は絶対関わらない!
single tear drop
ななもりあや
BL
兄だと信じていたひとに裏切られた未知。
それから3年後。
たった一人で息子の一太を育てている未知は、ある日、ヤクザの卯月遥琉と出会う。
素敵な表紙絵は絵師の佐藤さとさ様に描いていただきました。
一度はチャレンジしたかったBL大賞に思いきって挑戦してみようと思います。
よろしくお願いします
褒めて強くなる! 異世界最強バッファーは褒めるだけで人気者
星宮 嶺
ファンタジー
褒め上手の平凡な高校生が、異世界に転生!
佐藤春人は、おばあちゃんから教わった「褒める」ことの大切さを胸に、ごく普通の高校生活を送っていた。しかし、怪我をした猫を助けようとした瞬間、異世界へと転移してしまう。そこで春人は驚くべき事実を知る。彼の「褒める」力が、この世界では特殊な魔法となって現れるのだ!
剣の腕前はからっきし、魔法の才能もない。でも、仲間を褒めるたびに、驚くほどの力を引き出せる! 美しい剣士、天才魔法使い、そして気高き王女。個性豊かな仲間たちと共に、春人は己の力を磨きながら、次々と難関を乗り越えていく。
とある文官のひとりごと
きりか
BL
貧乏な弱小子爵家出身のノア・マキシム。
アシュリー王国の花形騎士団の文官として、日々頑張っているが、学生の頃からやたらと絡んでくるイケメン部隊長であるアベル・エメを大の苦手というか、天敵認定をしていた。しかし、ある日、父の借金が判明して…。
基本コメディで、少しだけシリアス?
エチシーンところか、チュッどまりで申し訳ございません(土下座)
ムーンライト様でも公開しております。
【短編】 死に戻リープ王女
はくら(仮名)
恋愛
とある国の王女には婚約者がいた。
しかしある日その婚約者は馬車に轢かれて死んでしまう。
絶望した王女は自殺してしまうが、気が付くと婚約者が死んだ日に戻っていた。
最初は信じなかった王女だが、それが本当のことだと分かると、婚約者を助け出すために何度も死に戻りを繰り返す。
総長様は可愛い姫を死ぬほど甘く溺愛したい。
彩空百々花
恋愛
別に、君じゃなくても良かった。
このどうしようもない寂しさを埋めてくれるのなら、別に誰だって良かった。
幸せをくれる人なら、誰だって好きになれた。
でも、俺の世界に、そんないい人はいなかった───。
汚い欲望と利益に溺れて、どうにかなってしまいそうだった。
でも、君だけは、君の住む世界だけはいつも温かくて、優しかった。俺もそこに一緒に連れて行ってほしかった。純粋な君を俺でいっぱいに染めたくて、俺だけを見てほしくて。
いつからだろう。君の隣に居られるだけですごく特別だったのは。すごく幸せな気持ちになれたのは。
君じゃなくても良かった、という戯言は、姿形なく消えてしまったんだ。
俺は、君じゃないとだめだった。
君以外は、泣きたくなるくらいにどうでもよかった。
俺の冷えきった心を温かく包み込んでくれる君が、この世界にたった1人しかいないってことに気づけたこと。
それだけで、俺の世界の色は、180度変わってしまったんだ。
他に好きな人が出来た、という理由で突然彼氏から別れを告げられた私。
雨の中、一人で泣いていた私の前に嵐のように突然現れて
「俺ん家、くる?」
なんでもない顔をして、そう言った大人の男の人。彼の瞳の色は、声を失ってしまうほどに冷え切っていて。
「そんなやつ、俺が忘れさせてあげる」
でも、とても優しくて。
「早く泣き止まないとキスするよ」
なんだかとても危険で
「やっと、抱ける」
とても甘々で
「桜十葉に手ぇ出したら俺がぶっ殺す…」
でもそんな彼は日本一最強のヤクザの息子だと知って
「俺のこと、……怖くなった?」
日本一最強の暴走族の総長様だと知って
「俺は桜十葉の隣にいないと、幸せ感じられないの」
私を甘く翻弄する彼に胸が苦しくなって、いつの間にか恋に落ちていました。
でもそんな彼と私には歪みすぎた過去があって…?
どこか危険で甘々な年上男子
坂口裕翔
-Sakaguchi Hiroto-
22歳
×
芯の強いしっかり者の女の子
結城桜十葉
-Yushiro Otoha-
16歳
*あらすじ*
冬。私は大好きだった彼氏に振られた。雨の中、公園で1人泣いていた私に声をかけたのは、この世のものとは思えないほど綺麗な顔をした、かっこいい大人の人。出会ったときから甘々な年上男子に、甘く激しく翻弄されて。でもそんな彼には、何か隠し事があるようで──?
2人の恋を阻む、歪みすぎた裏の世界。そして裕翔が昔、犯してしまった罪とは───?これは、過去と現実を行き来する、切なくも甘い究極のラブストーリー!!
浮気者と罵られ婚約破棄された公爵令嬢は、追放されて女神になる。
青の雀
恋愛
王太子の浮気相手の男爵令嬢から陥れられ、冤罪をでっちあげられ国外追放となる。
実は、女神さまの化身が公爵令嬢の姿を借りて、顕現されていたものです。
浮気相手と目された人は、実は男爵令嬢の浮気相手だったのですが、女神様と旅を共にするうちに眷属として覚醒していくお話です。
公爵令嬢も神の国での出来事を思い出し、だんだんと女神としての自覚を持っていく話になればいいなぁ。
婚約破棄から聖女 スピンオフ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる