甘施無花果の探偵遊戯

凛野冥

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「久し振りだね、皆さん」

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 ジェントル澄神の裁判は未だ終わっていない。彼は拘置所での生活を続けていた。頭を丸め、身体も痩せ細り、言動にも奇怪なところが目立つ。探偵を職業としながら、数々の詐欺をおこなってきた男の成れの果て。往時の輝きが嘘のように、鬱々とした姿……。

 しかし、一体いつぶりのことだろう。彼は今、やや倒錯した情熱をその瞳に宿していた。

 一時間ほど前に遡る。彼の収容されている部屋に立派な身なりの捜査官がやって来て、ある奇妙な殺人事件の概要を説明した。

『子供が死んでいる』――そう通報を受けた警察が現場である古びた平屋を訪れると、その殺風景な部屋ではたしかに三歳程度の子供がひとり、腹を包丁で刺されて死んでいた。この平屋にはもうひとり、子供の世話をしていた人間が住んでいたようだが、詳細は分からない。被害者の子供は、隣の県で半年前に行方不明となっていた。おそらく平屋に住んでいたもうひとりというのが誘拐犯であり、子供を殺害し、警察に通報してから失踪したものと思われる。通報はこの平屋の固定電話からされていた。

 そして死体の傍らには、血で書かれたダイイングメッセージが残されていた。

 すみがみしんしん、と。

澄上すみがみ慎志しんし。お前の本名だな?」

 捜査官はそう云った。

「はっはっは……」

 ジェントル澄神は苦笑した。

「なんて利口な子供だ。なるほど、三歳といえば平仮名を覚え始める頃合いでしょうが、死の淵でダイイングメッセージを残そうなどと発想するだろうか? 〈ん〉もひとつ余計ですよ……」

「無論、子供が書いたとは思ってない。子供の指を使って、犯人が書き残したんだ」

「ふむ。しかしあいにく、心当たりはありませんね。そもそも被害者が誘拐されたのは半年前なのでしょう? 私はもう一年間、こうして常に監視下にあるんです……。私に罪を被せようとしたのなら、犯人も随分と間が抜けている」

「分かっている。我々もあらゆる可能性を考えてから、此処に来ているんだ。間違いない。犯人はお前を指名しているんだよ」

 捜査官はノートパソコンを開くと、画面をジェントル澄神へ向け、動画を再生した。澄神は目をみはった。一目で分かった。映し出されたのは、かつて白生塔で最期を遂げた名探偵・桜野美海子――その、空いた期間のぶん、成長した姿だった。


『久し振りだね、皆さん。桜野美海子だよぉ。憶えてるかな?

 うん、多くの人は驚くんじゃないかと思うんだ。私は死んだことになっているからね。友人の塚場壮太くんが書いた出鱈目によって、死んだことになっているからね。でも小説に書かれてる真実なんて――それどころかすべての真実とされていることなんて、まったく信用できたものじゃないんだって……皆さんはいつになったら理解してくれるのかなぁ?

 もっとも、公然と死んだことになってたおかげで、白生塔事件からこれまでの間、とても生活がしやすかったよ。死人は探されないからねぇ。だから私は次なる計画をじっくりと立てられたし、じっくりと準備できた。それがいよいよ、実行に移されるフェーズまで来たんだ。

 要点だけを簡潔に述べるよ。よく聞いて、反芻はんすうして、理解してくれたまえ。

 明日からこの国で、戦後最大の大量殺人事件が始まる。

 場所も手口も犯人も、基本的には不揃いだ。ただすべてを統括しているのは私だし、それからもうひとつ、それらの事件には重要な共通点がある。すべての事件に、私の居場所を示す暗号が仕込まれているんだ。これはいわば予選――ううん、入学テストみたいなものと思って欲しい。その暗号を解いた人だけ、私のところに来ることを許すよぉ。

 注意してもらいたいのは、ひとつの暗号につき、ひとりだけってことだ。だからひとりがひとつの暗号を解いて、それをシェアして大勢が来たりするのは駄目。既に解かれている暗号を後から別の人が解くケースも、それが自力であったとしても、残念ながら無効。

 まぁ分かりやすく云うと、それぞれの暗号の答えが、ひとりのみ有効の入場券であって参加資格ってわけさ。事件のどこが暗号になっていて、どう解いて、此処に辿り着いたのか――それを正しく説明できることが条件。だからたとえば、暗号をひとつ解いた人がそれを公開して大勢が知るところとなっても、使えるのは一番はじめに此処に来たひとりだけ。それが最初に解いた人と別人であっても、私からすると失格にはできないね。こういったルールの穴についてもよく考えて、注意するなり利用するなりするといい。

 それから想定されるケースとして、私が起こしたと思われる殺人事件の中に、そうでない殺人事件も混じっているはずだね? そういうのはいちいち私が『これは私のやつで、あれは私のやつじゃない』なんてふうには教えないから、各自で見極めてくれたまえ。あくまで有効なのは私が起こす殺人事件の、私が仕込んだ暗号のみだ。ふふふ……これを切っ掛けとして、殺人事件がブームになると思うよ? 私が起こす大量殺人事件に乗じて〈木を隠すなら森〉の要領で殺人に及ぶ人もいるだろうし、触発されたり影響を受けたりしてそうする人もきっと多いだろう。最高だと思わないかい?

 皆さんの毎日が退屈で仕方ないっていうのは、ちょっと観察していれば分かるんだ。実際、その通りでしょ? この世の中はあまりにも詰まらない。私はミステリの世界にしか心惹かれなかった。常にミステリを読み続け、現実の殺人事件を解決し続けた。でもそれにも、限界を感じていた。もう現実の方を変えるしかないんだよ、素晴らしいミステリの世界にね。ああ、時間が限られてる……これについては、今は詳しく話さないでおこう。

 最後にひとつ。暗号を解いて此処にやって来た人達は、私と直接対決することができる。そこで私が敗北したら、大量殺人事件もやめることにするよぉ。つまりはそうしない限り、大量殺人事件が止まることはない。私を拘束したり拷問したり殺害したりしても、止まらないからね? その場合はむしろ、永久に止まる機会が失われることになるね? 私が提示したルールの中で、フェアに戦おう。誰もそれを破ってはいけない。私との直接対決で勝利する他に、方法は何ひとつないんだ。やがては――もしかしたら序盤で、私の居場所は周知となるかも知れない。でもその敷地内には、繰り返してるように、ひとつの暗号につきひとり、それを解いた人が這入れるのみだ。そうでない人が這入ろうとは、くれぐれもしないで頂戴ね? 分かるだろう?

 さて、皆さんの健闘を祈るよ。殺人事件は明日から全国で次々に行われるけど、暗号を解いた人が此処に来るのは、今日から一週間後の十月十八日からにしてくれたまえ。午前中に到着するのをお勧めする。スタートの時点である程度、人数を揃えたいんだ。それ以降は、いつ来ても構わないよ。楽しみだねぇ。

 皆さんもどうぞ、楽しんでね。最高の時代の到来だ。明日から私達は皆、大好きなミステリを読むのと同じように、現実を生きることができる。真実というものに恋焦がれる私にとって、これは大きな躍進であり、革命だ』


 これは桜野美海子が五日前、公共の電波をジャックして流した映像であるらしい。大勢の人々がこの動画を保存し、ネット上にアップロード。この国で最低限の文化レベルを保って生活している人間ならば、もう見ていない者はいないと思われるほどとのことだ。

 桜野美海子が宣言したとおり、四日前からは各地でそれぞれ奇妙な特徴を持つ殺人事件が起き始めた。発覚している限り、四日前に三件、三日前に四件、二日前に二件、一日前に三件、この日も既に一件報告されている。警察当局はこれらが報道されることを禁じているが、いくつかの派手な事件は近隣住民に知られ、そこから漏れてしまい、どうやら本当に無差別殺人事件が日本国中で起きているようだとは皆が気付いていて問い合わせの電話も引っ切り無し。混乱のほどは日に日に増している。

「これで勘付いたな? お前にさっき説明した殺人事件は、その内のひとつだと目されている。発見は昨日、死亡推定時刻も昨日だ。桜野美海子は、そうと明言してはいないものの、優秀な探偵を集めたがっている。お前が指名されてるとは、そういうことだ。犯人は桜野美海子――おそらく実行犯は本人ではなく協力者だろうが、問題はそこじゃない。我々が知りたいのは彼女の居場所だ。指名されているお前なら、その暗号ってやつが解けるんじゃないかと期待している」

 ジェントル澄神は歓喜した。彼は桜野美海子を――会ったことは一度もなかったが――敬愛していた。彼女を崇める宗教団体〈桜生の会〉にも、ビジネスの一環であるとはいえ、出資していた。まさか桜野美海子が生きていて、しかも自分を指名してくれるとは!

「事件の詳しい資料をください。たちどころに暗号を見つけ、解いてみせましょう」

 警察に利用されようが何でもいい。とにかく、桜野美海子からの私信を受け取る必要がある。

 捜査官は澄神に資料を渡した。詳細データ、現場の写真、押収された物品について。彼とは縁もゆかりもない地方の、何の変哲もない住宅地の中の、小さな平屋。部屋には布団と卓袱台と箪笥くらいしかない。部屋の中央、畳の上にうつ伏せに倒れた子供。その人差し指が書いた例の血文字〈すみがみしんしん〉。

 そして今に至る。資料を熱心に読み込み始めてから五分ほどが経過。そこで澄神は、一枚の写真に目を留めた。

「何ですか、これは」

 写されているのは、皺だらけの白い紙だった。平仮名が書き込まれている。

「ゴミ箱の中から発見された紙だ。くしゃくしゃに丸められていたものを広げて写している。紙は他にも数枚捨てられていて、そのどれもに同じ文字が書いてあった。ああ、それが暗号なんじゃないかと考えられてるが……さっぱり意味が分からない」

 縦書きで二行に渡って記されている文字は、たしかに意味を成しているようには見えない。

『るほんわち はくゆまし いこそさす なむもたふ つにけをね

 かりえのひ きらよぬれ あせて みめへおろ とやう』

 しかし澄神は、頭を悩ませることもなかった。

「君達は、この程度の暗号も解けなかったのですか?」

「なに……?」

 眉をひそめる捜査官。澄神はニタリと笑って、〈すみがみしんしん〉の血文字を写した写真を指差した。

「血文字は犯人が残したものですが、しかし被害者である子供の指で書かれている。わざわざそうしたのは、これが子供が残したダイイングメッセージであると〈設定〉するためですよ。ならば、その〈設定〉に従いましょう。三歳の子供はちょうど、平仮名を覚え始めるころだ。誘拐されてからの半年間で、この子供もまた平仮名を教わったのです。この紙に書かれているのは、五十音順の平仮名ですよ。四十六文字で、同じ文字は一度ずつしかないでしょう? ええ、この子供は音と文字を間違えて覚えさせられたのです。『あいうえお』をこの子供は『るほんわち』と書くのです。それがこの暗号を解くための〈設定〉――そうです、暗号はダイイングメッセージの方なのです。このダイイングメッセージは〈すみがみしんしん〉と書かれていますが、そう読むんじゃない。私の名前を指すのであれば〈ん〉がひとつ余分だというのもヒントでしたね。この紙を参照して、真のダイイングメッセージを導かなければなりません。そうしますと……そ……ら……ば……ら……こ……う……こ……う……そらばらこうこう! そういう名前の高等学校があるのでしょう。おそらくは廃校となり、使われていない建物だ。桜野美海子さんは其処にいる。其処で私を待っている!」

 捜査官が目を見開く。澄神が暗号を――しかも、ここまであっさりと――解いてしまうとは思っていなかったのだろう。

 澄神は居ても立ってもいられない様子で立ち上がり、興奮した声で続けた。

「私を行かせなさい! 桜野さんとの直接対決に勝利すれば、事件は終わるのでしょう? 私に任せるのです! 過去のことは忘れてください――ははっ――実は私はこの一年のうちに、真の自分に目覚めたのですよ! 私は神に選ばれた名探偵・ジェントル澄神! 森羅万象、解けない謎はありません! ははっ――はははははははっ!」
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