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血染めの結婚式・聖プシュケ教会編
2「披露宴の銃声」
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2
披露宴となった。今のところはアクシデントもなく、無花果にしては真っ当な結婚式が進行している。今回、僕が準備なぞに奔走した部分はほとんどなくて、主役でありながら蚊帳の外に置かれているような、妙な気持ちである。
ケーキ入刀や、僕と無花果からの一言ずつの挨拶、乾杯を終えて、食事が始まった。料理の並んだ複数の丸テーブルを皆が思い思いに巡りながら、初対面ばかりであろう面々と歓談している格好だ。僕と無花果も例外ではなくて、意外なことに、無花果は積極的にひとりひとりに感謝の意を伝え、祝いの言葉を受け取っていた。こんなに社交的な彼女は初めて見る。
「岸条愛未ですね。来てくれて、ありがとうございます。その後、岸条浪子の容態はどうですか」
「快方に向かってますぅ。甘施様には本当にお世話になりましたわぁ。今日もこんな素敵な式に呼んでいただいて……どうぞまた、岸条邸にお越しくださいねぇ」
「そのメープルシロップが絡み付いたような喋り方をやめるなら、考えましょう。以前にも注意したはずですが」
「オホホホ……ごめんあそばせぇ」
愛未さんは去年、ひとり娘の浪子ちゃんが倒錯者に拉致監禁された事件(『甘施無花果の探偵流儀5―処刑マニア・叫びの家編―』として後に出版した)で無花果に解決を依頼してきた人だ。出産したのは十九歳だかのときだったらしくて、まだ若い。ちなみに浪子ちゃんは事件のショックから口が利けなくなってしまったのだが、それが実は拉致監禁のせいじゃなくて、無花果の奸計によって犯人が自ら用意した処刑器具で五体バラバラとなる光景を目にしてしまったためだということ等を愛未さんは知らない。
「それにしましてもぉ、お二人……」
無花果と僕を交互に見遣る愛未さん。
「夫婦ですわぁ、まぎれもなく。お二人の関係性から、塚場様が尻に敷かれるタイプかと思っていたんですけど、いえいえ、見違えましたぁ。なんて頼もしい。しっかりエスコートしてくれそうな旦那さんですねぇ、オホホホ」
普段なら『はぁ? そうですか?』と鼻白みそうなところを、無花果は素直に「はい」と胸を張った。不気味だ。
そこで愛未さんの隣で話に入るタイミングを窺っていた、作家としての僕の担当編集者である吉蠣さんが「お世話になってま――」と云い掛けたのだが突然、無花果が機敏に動いた。
バタァンという豪快な音を立てて、ひとりの女の子が無花果に背負い投げされたのだ。続いてカランと音が鳴ったので見ると、銀色のナイフが床に落ちていた。
「何のつもりでしょう?」
冷たく見下ろす無花果。どうやら、床で苦痛に顔を歪めているこの女の子が、無花果の背後に忍び寄ってナイフで刺そうとしたらしい。それを、どんな気配でも察知できる無花果が迎撃したということだろう。会場が一気に静まり返った。
「こ、こ、殺してやろうと、思ったんですヨっ」
女の子は立ち上がりはしないまま、血走った目で無花果を見上げた。この子……ちょっと名前は忘れてしまったんだが、やはりずっと前に無花果が解決した事件の依頼人だったと思う。たしか帰国子女で、日本語がところどころぎこちないのだ。
「屈辱、ですっ。ワタシを苦しめるために、貴女はまたワザワザ、こんな場を設けたんですっ。悪魔――何をされたって、文句は云えないですヨっ」
「何の話ですか?」
「トボけてくれちゃって!」
憎々しげに叫ぶ。
「パパとママを見殺しにした悪魔――でも壮太さんは違いまシタ! ワタシに優しくしてくれて、傷付いた心のcareまでしてくれまシタもの! なのに貴女は壮太さんが自分のものだって、ワタシに見せつけるために、こんな式を開いたんですネ! なんて残酷な追い打ち! ドイツもコイツも腑抜けですヨ――甘施無花果の優越感を満たすためのオモチャにされてるのに、ヘラヘラ媚びへつらうだけの家畜! だからワタ――っ、ゲホっ、ゲホゴホっ」
苦しそうに咳き込み始めた女の子。
それとは対照的に、無花果は澄まし顔。
「ハンムラビ法典を知っていますか?」
「……WHAT?」
「目には目を、というあれですよ。これは広く『やられたらやり返せ』という野蛮な報復のニュアンスで知られていますが、誤りです。正確には『目を潰されたなら、目を潰す以上のことをやり返してはいけない』という戒めの意なのです。復讐心に駆られ理性を失った愚か者に、秩序の何たるかを示すスマートな文句ですね」
「……そ、それが何なんですカっ?」
「貴様が私を殺害しようとするのはルール違反です。ご退場願います」
無花果が指を鳴らすと、会場の隅に控えていた黒服の男二人がやって来た。女の子を抱え起こして、両側から拘束。無花果の分かったような分からないような話で煙に巻かれかけていた彼女も我に返って暴れ出したが、屈強な男達はものともせずに、会場の外へと連れて行ってしまった。
会場の空気は、依然として張り詰めたまま。無花果が別のテーブルへ歩き出して僕もついて行くと、皆が無言のまま目で追ってくる。そして無花果は立ち止まり、何事もなかったかのように、目が合った女性に挨拶した。
「本日は来てくれて、ありがとうございます。貴女は――」
「あっ、岬乃絵です。壮太と同じ中学に通ってました」
乃絵さんは若干うろたえはしたものの、上手く対応した。すると周囲も止まっていた時間が動き出したかの如く、また歓談ムードへと戻っていった。
僕が無花果の隣に並ぶと、乃絵さんは気さくな感じで手のひらを向けた。
「やっほ、壮太。久しぶり。うちのこと憶えてる?」
「うん、もちろんさ。久しぶりだね」
実はまったく憶えていない。申し訳ない。
「いやぁ、招待状くれて感激だよ」
子供みたいな人懐っこい笑み。
「一度も連絡取り合ってなかったのにさ。あっ、違うよ、それはいいんだよ全然。うちも手紙とか出さなかったし。住所が分かんなくても、作家やってる壮太だったから出版社にファンレターってかたちで一筆したためられたはずなんだけど、なんだか遠慮しちゃってね。えへへ。でも活躍はいつも見てたんだよ。今日はほんとにおめでとう!」
バシバシと肩を叩かれる。うーん……地味な人でもないのに、やっぱり思い出せない。
「安心したよ、壮太の幸せそうな姿が生で見られて。うん――そうなんですよ、実はこれでも、うちはずっと壮太のこと心配してたんです」
無花果の方に向き直る乃絵さん。
「危なっかしい奴ですから。でも……ふふ、それも昔の話ですね。無花果さんと二人仲睦まじく並んでる姿を見て、感無量でした。そうですよねぇ、あの頃から随分と歳月が経ったんですもん。その間に、壮太にも色々なことがあって、その中で無花果さんに巡り合って、今日はそのひとつのゴールインですもんね。おめでとうございます、本当に」
「お気持ち、よく伝わりますよ」
無花果は割とにこやかな表情だ。心から祝福してくれてるらしい乃絵さんなので、それなりの反応はちゃんと返すのだろう。今日の無花果は。
「ところで無花果さん、今後、探偵業の方はどうされるんですか? もしかして、結婚を機に引退なさっ――」
その時、扉が勢い良く――と云うより乱暴に、開け放たれる音が響いた。全員の視線がそちらに向いた。先ほどひと悶着起こした女の子を外に連れて行った屈強な男二人が、床に倒れ込んだところだった。二人はそのまま、微動だにしない。気絶しているのか。
そして新たに這入ってきたのは、奇妙な仮面をつけた女性たちだった。
女性というのは身体つきからの判断で――その数は四。その内のひとりが前に進み出て、
「静かにしろッ!」
と怒鳴りながら、懐からピストルを取り出し、掲げるようにして見せた。それで数人が悲鳴を上げかけたが、そこですかさず一発、天井に向けて発砲された。
「よく聞けッ!」
威嚇としての一発の効果は絶大だった。全員が黙り込み、一歩も動こうとしない。
仮面の女性は咳払いしてから、威厳に満ちた声で述べた。
「我々は〈悪魔の生贄〉――一般にテロ組織として知られている。すぐ数分後、此処は警察組織に包囲される。我々は立て籠もる。この籠城戦において、お前達には人質の役割を担ってもらう。つまり、お前達の命の持ち主は我々だ。立場を弁えろ。大人しくすることだ」
おかしな状況ってものには慣れている僕だけれど、これは初めてのパターンである。
披露宴となった。今のところはアクシデントもなく、無花果にしては真っ当な結婚式が進行している。今回、僕が準備なぞに奔走した部分はほとんどなくて、主役でありながら蚊帳の外に置かれているような、妙な気持ちである。
ケーキ入刀や、僕と無花果からの一言ずつの挨拶、乾杯を終えて、食事が始まった。料理の並んだ複数の丸テーブルを皆が思い思いに巡りながら、初対面ばかりであろう面々と歓談している格好だ。僕と無花果も例外ではなくて、意外なことに、無花果は積極的にひとりひとりに感謝の意を伝え、祝いの言葉を受け取っていた。こんなに社交的な彼女は初めて見る。
「岸条愛未ですね。来てくれて、ありがとうございます。その後、岸条浪子の容態はどうですか」
「快方に向かってますぅ。甘施様には本当にお世話になりましたわぁ。今日もこんな素敵な式に呼んでいただいて……どうぞまた、岸条邸にお越しくださいねぇ」
「そのメープルシロップが絡み付いたような喋り方をやめるなら、考えましょう。以前にも注意したはずですが」
「オホホホ……ごめんあそばせぇ」
愛未さんは去年、ひとり娘の浪子ちゃんが倒錯者に拉致監禁された事件(『甘施無花果の探偵流儀5―処刑マニア・叫びの家編―』として後に出版した)で無花果に解決を依頼してきた人だ。出産したのは十九歳だかのときだったらしくて、まだ若い。ちなみに浪子ちゃんは事件のショックから口が利けなくなってしまったのだが、それが実は拉致監禁のせいじゃなくて、無花果の奸計によって犯人が自ら用意した処刑器具で五体バラバラとなる光景を目にしてしまったためだということ等を愛未さんは知らない。
「それにしましてもぉ、お二人……」
無花果と僕を交互に見遣る愛未さん。
「夫婦ですわぁ、まぎれもなく。お二人の関係性から、塚場様が尻に敷かれるタイプかと思っていたんですけど、いえいえ、見違えましたぁ。なんて頼もしい。しっかりエスコートしてくれそうな旦那さんですねぇ、オホホホ」
普段なら『はぁ? そうですか?』と鼻白みそうなところを、無花果は素直に「はい」と胸を張った。不気味だ。
そこで愛未さんの隣で話に入るタイミングを窺っていた、作家としての僕の担当編集者である吉蠣さんが「お世話になってま――」と云い掛けたのだが突然、無花果が機敏に動いた。
バタァンという豪快な音を立てて、ひとりの女の子が無花果に背負い投げされたのだ。続いてカランと音が鳴ったので見ると、銀色のナイフが床に落ちていた。
「何のつもりでしょう?」
冷たく見下ろす無花果。どうやら、床で苦痛に顔を歪めているこの女の子が、無花果の背後に忍び寄ってナイフで刺そうとしたらしい。それを、どんな気配でも察知できる無花果が迎撃したということだろう。会場が一気に静まり返った。
「こ、こ、殺してやろうと、思ったんですヨっ」
女の子は立ち上がりはしないまま、血走った目で無花果を見上げた。この子……ちょっと名前は忘れてしまったんだが、やはりずっと前に無花果が解決した事件の依頼人だったと思う。たしか帰国子女で、日本語がところどころぎこちないのだ。
「屈辱、ですっ。ワタシを苦しめるために、貴女はまたワザワザ、こんな場を設けたんですっ。悪魔――何をされたって、文句は云えないですヨっ」
「何の話ですか?」
「トボけてくれちゃって!」
憎々しげに叫ぶ。
「パパとママを見殺しにした悪魔――でも壮太さんは違いまシタ! ワタシに優しくしてくれて、傷付いた心のcareまでしてくれまシタもの! なのに貴女は壮太さんが自分のものだって、ワタシに見せつけるために、こんな式を開いたんですネ! なんて残酷な追い打ち! ドイツもコイツも腑抜けですヨ――甘施無花果の優越感を満たすためのオモチャにされてるのに、ヘラヘラ媚びへつらうだけの家畜! だからワタ――っ、ゲホっ、ゲホゴホっ」
苦しそうに咳き込み始めた女の子。
それとは対照的に、無花果は澄まし顔。
「ハンムラビ法典を知っていますか?」
「……WHAT?」
「目には目を、というあれですよ。これは広く『やられたらやり返せ』という野蛮な報復のニュアンスで知られていますが、誤りです。正確には『目を潰されたなら、目を潰す以上のことをやり返してはいけない』という戒めの意なのです。復讐心に駆られ理性を失った愚か者に、秩序の何たるかを示すスマートな文句ですね」
「……そ、それが何なんですカっ?」
「貴様が私を殺害しようとするのはルール違反です。ご退場願います」
無花果が指を鳴らすと、会場の隅に控えていた黒服の男二人がやって来た。女の子を抱え起こして、両側から拘束。無花果の分かったような分からないような話で煙に巻かれかけていた彼女も我に返って暴れ出したが、屈強な男達はものともせずに、会場の外へと連れて行ってしまった。
会場の空気は、依然として張り詰めたまま。無花果が別のテーブルへ歩き出して僕もついて行くと、皆が無言のまま目で追ってくる。そして無花果は立ち止まり、何事もなかったかのように、目が合った女性に挨拶した。
「本日は来てくれて、ありがとうございます。貴女は――」
「あっ、岬乃絵です。壮太と同じ中学に通ってました」
乃絵さんは若干うろたえはしたものの、上手く対応した。すると周囲も止まっていた時間が動き出したかの如く、また歓談ムードへと戻っていった。
僕が無花果の隣に並ぶと、乃絵さんは気さくな感じで手のひらを向けた。
「やっほ、壮太。久しぶり。うちのこと憶えてる?」
「うん、もちろんさ。久しぶりだね」
実はまったく憶えていない。申し訳ない。
「いやぁ、招待状くれて感激だよ」
子供みたいな人懐っこい笑み。
「一度も連絡取り合ってなかったのにさ。あっ、違うよ、それはいいんだよ全然。うちも手紙とか出さなかったし。住所が分かんなくても、作家やってる壮太だったから出版社にファンレターってかたちで一筆したためられたはずなんだけど、なんだか遠慮しちゃってね。えへへ。でも活躍はいつも見てたんだよ。今日はほんとにおめでとう!」
バシバシと肩を叩かれる。うーん……地味な人でもないのに、やっぱり思い出せない。
「安心したよ、壮太の幸せそうな姿が生で見られて。うん――そうなんですよ、実はこれでも、うちはずっと壮太のこと心配してたんです」
無花果の方に向き直る乃絵さん。
「危なっかしい奴ですから。でも……ふふ、それも昔の話ですね。無花果さんと二人仲睦まじく並んでる姿を見て、感無量でした。そうですよねぇ、あの頃から随分と歳月が経ったんですもん。その間に、壮太にも色々なことがあって、その中で無花果さんに巡り合って、今日はそのひとつのゴールインですもんね。おめでとうございます、本当に」
「お気持ち、よく伝わりますよ」
無花果は割とにこやかな表情だ。心から祝福してくれてるらしい乃絵さんなので、それなりの反応はちゃんと返すのだろう。今日の無花果は。
「ところで無花果さん、今後、探偵業の方はどうされるんですか? もしかして、結婚を機に引退なさっ――」
その時、扉が勢い良く――と云うより乱暴に、開け放たれる音が響いた。全員の視線がそちらに向いた。先ほどひと悶着起こした女の子を外に連れて行った屈強な男二人が、床に倒れ込んだところだった。二人はそのまま、微動だにしない。気絶しているのか。
そして新たに這入ってきたのは、奇妙な仮面をつけた女性たちだった。
女性というのは身体つきからの判断で――その数は四。その内のひとりが前に進み出て、
「静かにしろッ!」
と怒鳴りながら、懐からピストルを取り出し、掲げるようにして見せた。それで数人が悲鳴を上げかけたが、そこですかさず一発、天井に向けて発砲された。
「よく聞けッ!」
威嚇としての一発の効果は絶大だった。全員が黙り込み、一歩も動こうとしない。
仮面の女性は咳払いしてから、威厳に満ちた声で述べた。
「我々は〈悪魔の生贄〉――一般にテロ組織として知られている。すぐ数分後、此処は警察組織に包囲される。我々は立て籠もる。この籠城戦において、お前達には人質の役割を担ってもらう。つまり、お前達の命の持ち主は我々だ。立場を弁えろ。大人しくすることだ」
おかしな状況ってものには慣れている僕だけれど、これは初めてのパターンである。
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