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壺入り娘・幕羅家編
3「挨拶代わりの推理」
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3
無花果と僕はユイちゃんの部屋――彼女が先刻、窓から顔を覗かせていた部屋――に連れて来られた。維子さんとケイくんはいない。
「お母様とお兄様が、その、すみませんでした」
「気にしないでいいよ。ああいうのには慣れてるから」
肩を落としているユイちゃんにそう云いつつ、部屋の中を見回す。
実に女の子らしい部屋だ。ただでさえ見方によってはお姫様のお城みたいな内装に、淡く柔らかい色合いの調度、ハートフルでファンシーなぬいぐるみや飾りなんかが溢れている。部屋中に満ちている、香水とは違う、もっと自然な良い香りは、この年頃の女の子がどういうわけか発するそれだろう。
「客室でなく、そのまま貴様の自室といった観ですね。此処には年に数度訪れるだけではないのですか?」
無花果が疑問を呈した。云われてみればたしかに、此処にあるものは全部がユイちゃん専用に映る。
「いえ。私はお爺様に連れられて来て、それからずっと此処で暮らしているんです」
「えっと、峯斎さんは数年前から此処で隠居生活を始めたんだよね。事前に少し調べたら、ひとりでってことだったんだけど」
「五年前です。公けにはされていませんが、お爺様と一緒に私も移りました」
では、ユイちゃんは学校にも通っていないのだろう。いくらなんでも交通の便が悪すぎる。しかし、こんな辺鄙な場所で老人と二人暮らしとは……一体どうして?
「そこに貴様と家族との確執があるわけですか」
ユイちゃんの肩がびくりと震える。
「……はい。色々あるんです、本当に、色々」
彼女は僕と無花果を順々に、不安そうに見遣った。
「あの……すべてお話しないといけませんか?」
「気が進まないのなら結構です。解決に必要と判断した場合は訊ねますが、そうでない余分な情報は要りません。私は低俗な野次馬精神とは無縁ですので」
ほっと一息つくユイちゃん。
だが、その確執とやらは今回の事件の核を成すかも知れない部分じゃないだろうか。聞かないで済むとは思えないが……。
「それで、無花果さんをお呼びした理由なんですけれど、」
「家族に殺されるという疑いですね」
「……はい」
扉の方をちらちら気にしているユイちゃんに、「大丈夫ですよ」と無花果が云う。
「誰かが聞き耳を立てているということはありません。私は人の気配を正確に察知する技術に精通しています」
「す、すごいですね」
「当然の嗜みです」
すると無花果はすすすと歩き、窓際に置かれていたアームチェアに勝手に腰掛けた。その独特のペースに慣れないユイちゃんは、助けを求めるように僕を見る。僕は『待っててご覧』と目配せした。
案の定、やや間があって無花果は話し始めた。
「現場となった幕羅峯斎の私室は荒らされ、金品がいくつか盗まれていたそうですね。さらに残されていた凶器からは指紋が採られている――此処に滞在している者達の誰とも一致しない指紋が。これらの痕跡はこれが強盗殺人であると、あからさまに、いえ、あまりにわざとらしく主張しています。
考えるまでもありません。偽装工作です。
犯人を外部犯とした場合にこの事件は一種の密室殺人と化しますが、犯人は内部犯なのですから当然のことです。外部犯が内部犯による犯行なのだと思わせたくて密室トリックを用いたならば――これは彼ないし彼女が強盗に限らず、何か策略を持った幕羅家の関係者であったところで――、現場の状況が強盗殺人を思わせるそれであったことが矛盾します。
ここから至る結論はひとつ――密室は犯人が予期せずして生まれてしまったものだった。
もちろん、この犯人とは内部犯です。内部犯は強盗殺人を装いたかったので、強盗が出入りできるように少なくとも一ヵ所は何処かの錠を開けておく必要がありました。
実際、開けておいたのですよ。しかしそれを再び掛けてしまった者がいた。それが貴様、幕羅ユイだったのでしょう。例の、犯行が行われた三時間ほど前――前日の二十三時に掛けたというそれです」
ユイちゃんが息を呑むのが分かった。無花果が語っているのはすべて、彼女がこれから説明しようとしていたことなのだろう。
「犯人は邸宅が密室と化してしまったことに気付かず、予定どおりに犯行を行いました。それで翌日、警察が訪れて簡単な捜査と事情聴取が行われたとき、初めてそれは発覚したのです。こうして、単純であったはずの事件は、不可解なそれへと変わりました。
しかし警察はこれを無視し、現場で示されているとおりの強盗殺人として捜査を進めていると云います。なぜか――それが暗黙の了解だからです。
莫大な資産を持つ幕羅家。いわゆる権力者に対して疑いを掛けるような真似が、権力の犬である警察にできるわけがありません。触らぬ神に祟りなし。警察は事件を簡単に解決したいでしょう。たとえ迷宮入りというかたちであっても、それを相手が望むなら。
そして今回、幕羅家はそれを望んでいるのです。あからさまで、あまりにわざとらしい現場の様子は、これを強盗殺人として処理しろというメッセージなのです」
……そのメッセージはきっと、明白であれば明白であるほどに強い効力を発する。幕羅家の人間がそういう犯行に及んだ以上、警察を黙らせるだけの力を既に持っているということだ。現当主はあくまで誓慈。御隠居――どころかいまや故人――の峯斎と、どちらが媚びへつらうべき相手なのか、誰にとっても明らかである。
「果たして今回の殺人が誰によって行われたのか、誰から誰までがグルなのかは現時点では断定しかねますが、錠の件から貴様――幕羅ユイが外れているのは確かです。それでも同じ内部にいる貴様からは、どうしても家族の怪しい動きが見えてしまうことでしょう。
だから貴様は私に、自分を守って欲しいと依頼した。どうやら貴様は家族との間に確執を持ち、これまでは峯斎の庇護下にあったようです。ですがその峯斎が殺され、いまの貴様は独りきり。期せずして事件に要らぬ介入をしてしまったことも相まって、その立ち位置は非常に危うい。次に自分が殺されるのではないか、と考えるのも無理はありませんね」
挨拶代わりの推理を終えた無花果は窓を開け、懐から取り出した煙草に火を点けた。僕は慌てて傍らまで駆け付け、肩に提げてきた鞄から灰皿を取って定位置にかざす。
自分の部屋でぷかぷかやられてユイちゃんからしたら堪ったものじゃないだろうが、彼女は無花果の推理に感動したのか、目から鱗の表情で立ちすくんでいた。
「……そ、そうです。そうです」
こくこくと頷くユイちゃん。尊敬の眼差し。無花果は確かな推論能力に立脚した推理を述べただけだけれど、性悪の無花果と純朴なユイちゃんという対比から、僕は自分達が詐欺を働いたかのような後ろめたさを覚えた。
「私は頭が悪いのでそんなに論理的な考え方はできていませんでしたけど、でも身の危険は感じて……。たぶん、いまが一番危ない時期だと思うんです。数日後にお爺様の遺言書の開封が控えてまして……」
無花果の手腕が知れたためか、彼女は警戒心をいくらか緩めて話し始めた。
「つまりお爺様の遺産がどう分配されるのかということなんですが、私に大部分……ひょっとすると全額が相続されるのではと、皆は疑っているのです」
「峯斎さんはそんなにも君を溺愛していたの?」
あるいは、確執というのは峯斎さんと息子一家の間にあり、ユイちゃんはそれに巻き込まれた格好なのだろうか。いずれにせよ、ちょっと信じ難い話だ。
「溺愛……そうですね。お爺様の生前の様子を見ていれば、その疑いも仕方がないと、私も思います……」
「じゃあ君が殺されるかもと云うのは、遺産争いのために?」
ユイちゃんは頷いたが、どこか曖昧な頷き方だった。
「うーん……じゃあ遺産を譲渡すればいいんじゃないかな? 遺産分割の前にそういう手続きができるのは知ってる?」
「はい。ですが、そう極端な額ではなくとも、遺産が必要なのは私も同じで……。と云いますのも、今後私がどうなるのかというのは分からなくて、不安なんです。お父様達のもとに戻れずに天涯孤独の身の上になるというのも有り得ることで……親戚筋にもあてはありませんし……そうなりますと、資金が必要というのが正直な気持ちです……」
齢十五にして、彼女は随分と複雑な境遇にあるらしかった。詳しい事情は分からないけれど、同情を禁じ得ない。
「なぁ無花果、どうすればいいと思う?」
窓外の景色に目を遣って煙草をふかしている無花果に訊ねてみたが、彼女は「さあ」と首を傾げるだけだった。
「そういったアフターケアは私の管轄ではありません。貰った遺産で弁護士にでも相談してください」
にべもない。俗世的な事柄には微塵も興味を示さない彼女である。
ユイちゃんは「そうですよね……」と項垂れてしまった。
「すみません……私を守って欲しいという依頼も、探偵さんにお願いするようなことでは本来なかったのかも知れません……。だけど私には味方がいなくて、警察も……さっき無花果さんが仰ったようにお父様達に手を回されていて……それで、身勝手ですけど、怖くて……。私は臆病者なんです……」
「それは違うよ、ユイちゃん」
「え?」
「君が依頼状を出したのは、臆病なんかじゃない、とても勇気の要ることだったはずだ。四面楚歌に陥ってなお、君は活路を見出した。大丈夫、僕達はきっとそれに応えてみせるよ」
ユイちゃんは潤んだ瞳を僕に向け、頬を少しばかり赤らめた。その小さな口が開き、
「えっと……あの……」
「…………塚場だけど」
「塚場さん……」
憶えてなかったのかよ。
「ありがとうございます……。私、そんなふうに人から云われたこと、初めてで……」
照れ隠しなのか、ぺこぺことお辞儀するユイちゃん。はじめは卑屈に映ったその仕草も、もしかしたら複雑な家庭環境の中で染み付いた処世術なのかも知れない。
「うん。それに君が依頼をしたのは、自分の身の危険を感じただけじゃなくて、峯斎さんを殺した犯人を突き止めたい……その無念を晴らしてやりたいとも思ったからでしょ? それは立派な行いだよ、本当に」
「えっと……はい……」
だがその肯定にはなぜか、これまでとは違う歯切れ悪さがあった。
「そうですね……真犯人を見つけてくださるのなら、それ以上のことはありません。私にできるお礼は何でもしたいと思います……」
「そうですか。では、いま着ているそのドレスも戴きましょう」
無花果がすかさずそう云った。ユイちゃんは意表を突かれて(涙も引っ込んだ)おどおどしつつ「は、はい、こんなもので良ければ」と応える。
「私が欲しいと云っているものを〈こんなもの〉呼ばわりはないでしょう」
「あ、す、すみません」
「気を付けなさい。私は人様にものを渡す際に『粗品ですが』と云う人間も嫌いです。礼儀だからと考えもなしにそう云う連中はまったく、どういう神経をしているのでしょうか。ところで、誰かが近づいて来たようですね」
無花果はいつも通り僕の手首に煙草の火を押し当てて消そうとし、僕もいつも通りに手をわずかに引っ込めてちゃんと灰皿で消させる。
扉がノックされ、廊下から陽気な声が聞こえてきた。
「甘施無花果さんに塚場壮太さん? 妻から話を聞いてまいりました、幕羅誓慈と申します。是非とも顔合わせ願いたいのですが」
無花果と僕はユイちゃんの部屋――彼女が先刻、窓から顔を覗かせていた部屋――に連れて来られた。維子さんとケイくんはいない。
「お母様とお兄様が、その、すみませんでした」
「気にしないでいいよ。ああいうのには慣れてるから」
肩を落としているユイちゃんにそう云いつつ、部屋の中を見回す。
実に女の子らしい部屋だ。ただでさえ見方によってはお姫様のお城みたいな内装に、淡く柔らかい色合いの調度、ハートフルでファンシーなぬいぐるみや飾りなんかが溢れている。部屋中に満ちている、香水とは違う、もっと自然な良い香りは、この年頃の女の子がどういうわけか発するそれだろう。
「客室でなく、そのまま貴様の自室といった観ですね。此処には年に数度訪れるだけではないのですか?」
無花果が疑問を呈した。云われてみればたしかに、此処にあるものは全部がユイちゃん専用に映る。
「いえ。私はお爺様に連れられて来て、それからずっと此処で暮らしているんです」
「えっと、峯斎さんは数年前から此処で隠居生活を始めたんだよね。事前に少し調べたら、ひとりでってことだったんだけど」
「五年前です。公けにはされていませんが、お爺様と一緒に私も移りました」
では、ユイちゃんは学校にも通っていないのだろう。いくらなんでも交通の便が悪すぎる。しかし、こんな辺鄙な場所で老人と二人暮らしとは……一体どうして?
「そこに貴様と家族との確執があるわけですか」
ユイちゃんの肩がびくりと震える。
「……はい。色々あるんです、本当に、色々」
彼女は僕と無花果を順々に、不安そうに見遣った。
「あの……すべてお話しないといけませんか?」
「気が進まないのなら結構です。解決に必要と判断した場合は訊ねますが、そうでない余分な情報は要りません。私は低俗な野次馬精神とは無縁ですので」
ほっと一息つくユイちゃん。
だが、その確執とやらは今回の事件の核を成すかも知れない部分じゃないだろうか。聞かないで済むとは思えないが……。
「それで、無花果さんをお呼びした理由なんですけれど、」
「家族に殺されるという疑いですね」
「……はい」
扉の方をちらちら気にしているユイちゃんに、「大丈夫ですよ」と無花果が云う。
「誰かが聞き耳を立てているということはありません。私は人の気配を正確に察知する技術に精通しています」
「す、すごいですね」
「当然の嗜みです」
すると無花果はすすすと歩き、窓際に置かれていたアームチェアに勝手に腰掛けた。その独特のペースに慣れないユイちゃんは、助けを求めるように僕を見る。僕は『待っててご覧』と目配せした。
案の定、やや間があって無花果は話し始めた。
「現場となった幕羅峯斎の私室は荒らされ、金品がいくつか盗まれていたそうですね。さらに残されていた凶器からは指紋が採られている――此処に滞在している者達の誰とも一致しない指紋が。これらの痕跡はこれが強盗殺人であると、あからさまに、いえ、あまりにわざとらしく主張しています。
考えるまでもありません。偽装工作です。
犯人を外部犯とした場合にこの事件は一種の密室殺人と化しますが、犯人は内部犯なのですから当然のことです。外部犯が内部犯による犯行なのだと思わせたくて密室トリックを用いたならば――これは彼ないし彼女が強盗に限らず、何か策略を持った幕羅家の関係者であったところで――、現場の状況が強盗殺人を思わせるそれであったことが矛盾します。
ここから至る結論はひとつ――密室は犯人が予期せずして生まれてしまったものだった。
もちろん、この犯人とは内部犯です。内部犯は強盗殺人を装いたかったので、強盗が出入りできるように少なくとも一ヵ所は何処かの錠を開けておく必要がありました。
実際、開けておいたのですよ。しかしそれを再び掛けてしまった者がいた。それが貴様、幕羅ユイだったのでしょう。例の、犯行が行われた三時間ほど前――前日の二十三時に掛けたというそれです」
ユイちゃんが息を呑むのが分かった。無花果が語っているのはすべて、彼女がこれから説明しようとしていたことなのだろう。
「犯人は邸宅が密室と化してしまったことに気付かず、予定どおりに犯行を行いました。それで翌日、警察が訪れて簡単な捜査と事情聴取が行われたとき、初めてそれは発覚したのです。こうして、単純であったはずの事件は、不可解なそれへと変わりました。
しかし警察はこれを無視し、現場で示されているとおりの強盗殺人として捜査を進めていると云います。なぜか――それが暗黙の了解だからです。
莫大な資産を持つ幕羅家。いわゆる権力者に対して疑いを掛けるような真似が、権力の犬である警察にできるわけがありません。触らぬ神に祟りなし。警察は事件を簡単に解決したいでしょう。たとえ迷宮入りというかたちであっても、それを相手が望むなら。
そして今回、幕羅家はそれを望んでいるのです。あからさまで、あまりにわざとらしい現場の様子は、これを強盗殺人として処理しろというメッセージなのです」
……そのメッセージはきっと、明白であれば明白であるほどに強い効力を発する。幕羅家の人間がそういう犯行に及んだ以上、警察を黙らせるだけの力を既に持っているということだ。現当主はあくまで誓慈。御隠居――どころかいまや故人――の峯斎と、どちらが媚びへつらうべき相手なのか、誰にとっても明らかである。
「果たして今回の殺人が誰によって行われたのか、誰から誰までがグルなのかは現時点では断定しかねますが、錠の件から貴様――幕羅ユイが外れているのは確かです。それでも同じ内部にいる貴様からは、どうしても家族の怪しい動きが見えてしまうことでしょう。
だから貴様は私に、自分を守って欲しいと依頼した。どうやら貴様は家族との間に確執を持ち、これまでは峯斎の庇護下にあったようです。ですがその峯斎が殺され、いまの貴様は独りきり。期せずして事件に要らぬ介入をしてしまったことも相まって、その立ち位置は非常に危うい。次に自分が殺されるのではないか、と考えるのも無理はありませんね」
挨拶代わりの推理を終えた無花果は窓を開け、懐から取り出した煙草に火を点けた。僕は慌てて傍らまで駆け付け、肩に提げてきた鞄から灰皿を取って定位置にかざす。
自分の部屋でぷかぷかやられてユイちゃんからしたら堪ったものじゃないだろうが、彼女は無花果の推理に感動したのか、目から鱗の表情で立ちすくんでいた。
「……そ、そうです。そうです」
こくこくと頷くユイちゃん。尊敬の眼差し。無花果は確かな推論能力に立脚した推理を述べただけだけれど、性悪の無花果と純朴なユイちゃんという対比から、僕は自分達が詐欺を働いたかのような後ろめたさを覚えた。
「私は頭が悪いのでそんなに論理的な考え方はできていませんでしたけど、でも身の危険は感じて……。たぶん、いまが一番危ない時期だと思うんです。数日後にお爺様の遺言書の開封が控えてまして……」
無花果の手腕が知れたためか、彼女は警戒心をいくらか緩めて話し始めた。
「つまりお爺様の遺産がどう分配されるのかということなんですが、私に大部分……ひょっとすると全額が相続されるのではと、皆は疑っているのです」
「峯斎さんはそんなにも君を溺愛していたの?」
あるいは、確執というのは峯斎さんと息子一家の間にあり、ユイちゃんはそれに巻き込まれた格好なのだろうか。いずれにせよ、ちょっと信じ難い話だ。
「溺愛……そうですね。お爺様の生前の様子を見ていれば、その疑いも仕方がないと、私も思います……」
「じゃあ君が殺されるかもと云うのは、遺産争いのために?」
ユイちゃんは頷いたが、どこか曖昧な頷き方だった。
「うーん……じゃあ遺産を譲渡すればいいんじゃないかな? 遺産分割の前にそういう手続きができるのは知ってる?」
「はい。ですが、そう極端な額ではなくとも、遺産が必要なのは私も同じで……。と云いますのも、今後私がどうなるのかというのは分からなくて、不安なんです。お父様達のもとに戻れずに天涯孤独の身の上になるというのも有り得ることで……親戚筋にもあてはありませんし……そうなりますと、資金が必要というのが正直な気持ちです……」
齢十五にして、彼女は随分と複雑な境遇にあるらしかった。詳しい事情は分からないけれど、同情を禁じ得ない。
「なぁ無花果、どうすればいいと思う?」
窓外の景色に目を遣って煙草をふかしている無花果に訊ねてみたが、彼女は「さあ」と首を傾げるだけだった。
「そういったアフターケアは私の管轄ではありません。貰った遺産で弁護士にでも相談してください」
にべもない。俗世的な事柄には微塵も興味を示さない彼女である。
ユイちゃんは「そうですよね……」と項垂れてしまった。
「すみません……私を守って欲しいという依頼も、探偵さんにお願いするようなことでは本来なかったのかも知れません……。だけど私には味方がいなくて、警察も……さっき無花果さんが仰ったようにお父様達に手を回されていて……それで、身勝手ですけど、怖くて……。私は臆病者なんです……」
「それは違うよ、ユイちゃん」
「え?」
「君が依頼状を出したのは、臆病なんかじゃない、とても勇気の要ることだったはずだ。四面楚歌に陥ってなお、君は活路を見出した。大丈夫、僕達はきっとそれに応えてみせるよ」
ユイちゃんは潤んだ瞳を僕に向け、頬を少しばかり赤らめた。その小さな口が開き、
「えっと……あの……」
「…………塚場だけど」
「塚場さん……」
憶えてなかったのかよ。
「ありがとうございます……。私、そんなふうに人から云われたこと、初めてで……」
照れ隠しなのか、ぺこぺことお辞儀するユイちゃん。はじめは卑屈に映ったその仕草も、もしかしたら複雑な家庭環境の中で染み付いた処世術なのかも知れない。
「うん。それに君が依頼をしたのは、自分の身の危険を感じただけじゃなくて、峯斎さんを殺した犯人を突き止めたい……その無念を晴らしてやりたいとも思ったからでしょ? それは立派な行いだよ、本当に」
「えっと……はい……」
だがその肯定にはなぜか、これまでとは違う歯切れ悪さがあった。
「そうですね……真犯人を見つけてくださるのなら、それ以上のことはありません。私にできるお礼は何でもしたいと思います……」
「そうですか。では、いま着ているそのドレスも戴きましょう」
無花果がすかさずそう云った。ユイちゃんは意表を突かれて(涙も引っ込んだ)おどおどしつつ「は、はい、こんなもので良ければ」と応える。
「私が欲しいと云っているものを〈こんなもの〉呼ばわりはないでしょう」
「あ、す、すみません」
「気を付けなさい。私は人様にものを渡す際に『粗品ですが』と云う人間も嫌いです。礼儀だからと考えもなしにそう云う連中はまったく、どういう神経をしているのでしょうか。ところで、誰かが近づいて来たようですね」
無花果はいつも通り僕の手首に煙草の火を押し当てて消そうとし、僕もいつも通りに手をわずかに引っ込めてちゃんと灰皿で消させる。
扉がノックされ、廊下から陽気な声が聞こえてきた。
「甘施無花果さんに塚場壮太さん? 妻から話を聞いてまいりました、幕羅誓慈と申します。是非とも顔合わせ願いたいのですが」
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