二足歩行型ガトーショコラ

凛野冥

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[体:しぐさ花束]

14「どれだけ血を流せば洗われる」

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    14


「お疲れ。ポエマーbotくん」

 五時半になって帰宅した府島を、俺はそう云って迎えた。

 府島は「うわっ」と声を出して驚いた後、弱弱しく笑った。

「そういうことっすか。中学の奴が此処の住所、訊いてきたんすけど」

 こいつと会うのは、ゲーセンでハサミを突き刺したとき以来、二度目だ。実際に見てようやく、そういやこんな奴だったなと思う。

 爬虫類顔で、小柄だがよく鍛えている身体付き。それでいて自信のなさそうな表情をしている。黒いジャージを着て、頭にも黒のニット帽をかぶっている。

「二十一人目を殺してきたのか」

「そうっすね。仕事はやり遂げないと、気持ち悪いんで」

 背負っていたリュックサックを床に落とす。殺して刺青を彫るまでの道具が入っているのだろう。それからニット帽を脱いで、短髪の頭を手で掻きむしる。

「あーー……よく分かったっすね?」

 壁の方を向いて、俺と目を合わせようとしない。

 怯えてんのか? だとしたら随分と拍子抜けだが、まあいい。

「お前、この連続殺人はお前ひとりでやってるのか」

「そっすねー……」

「有紀暮と二人で計画したことなのか、と訊いてるんだが」

「うーん……どうっすかねー」

 俺は府島との距離を詰める。府島がこちらを向くのと同時に、その側頭部をハンマーで殴る。府島はめり込むみたいに床にぶっ倒れる。

「いっだああああああ!」

「痛えわけねえだろ。馬鹿かお前」

 俺は府島を跨いで立ち、ハンマーを振り上げる。

 府島は苦痛に歪めた顔で俺を見上げる。

「俺を――殺すつもりっすか? ははは――は!」

 目が爛々らんらんと輝いている。異常な興奮が宿ったようだ。

「なに笑ってんだ」

「あー痛い! 頭蓋骨、割れましたよ」

「割れねえよ。ちょっと撫でただけだろ」

「ははは! でも貴方、もう終わりっすからね!」

 血が垂れる頭に手をあてて、府島は笑いながら泣く。

「貴方はまんまと、伊歳絢を殺した。俺が通報したんすよ。知ってますよねえ? 貴方いま、追われてんすからね? 犯人として」

「それがなんだよ。そんな笑える話じゃねえだろ」

「笑えるでしょ! あーー面白い! いいっすよ。よく考えたら、貴方が俺んとこに来てくれて良かったっすわ!」

 なに吠えてんだこいつ。みっともねえ。

「はは――もう、俺達の勝ちなんすよ。貴方が俺を殺してもね。全然いいっすよ! だって姫乃由莉園を殺したのは――伊歳絢じゃないんですから! まったく!」

「じゃあお前か?」

「残念! 犯人は有紀暮です! 貴方――騙されたんすよ、俺達に! 引っ掛かったんです。全然――無実の伊歳絢を! 姫乃由莉園を殺したと思い込んで! あっははははは!」

 こいつにとってはそれが大爆笑ネタらしい。

 俺とは笑いのセンスが異なるようだ。

「あースッキリした! 馬鹿っすよねえ。あんなネックレス、伊歳絢から盗むのはわけなかったっすよ。俺達は二年前から――この仕返しのために準備してたんすからねえ! ははっ! 一号線がランニングで、百条湖が水泳で、清逸夜見川沿いのサイクリングロードが自転車――俺が、トライアスロンの練習で世話になったスポットっすよ。貴方のせいで二度と出来なくなったトライアスロンの!」

「……よく分からねえな」

 そのとき府島が俊敏な動きを見せた。俺の股の下をくぐって、ドタドタと立ち上がる。リュックサックを拾って部屋の端まで移動して、俺の方に振り返る。

 その全身に陰気な高揚をたぎらせて、俺を睨んでいる。汗だくで、呼吸も荒い。

「よく分からねえよ」と俺は繰り返す。

「は。頭、悪いんすねえ……。貴方が伊歳絢を殺したら――貴方も、伊歳絢も、鷹峰仁太郎も、俺達の人生を滅茶苦茶にした奴ら全員に、復讐してやれるじゃないっすか! 貴方の証言で、姫乃由莉園を殺したのは伊歳絢になりますし――有紀暮の罪を被せられるわけだ。天唱山のあの小屋は、俺のひい爺ちゃんが建てた展望塔っすよ。あのミイラ――よく出来ていたでしょ?」

「……ああ? 俺が逮捕されたとしてだ。絢を殺した動機として、絢が由莉園を殺したからだって証言するって話か? でもお前がもうバラしちまったじゃねえか。絢じゃなくて有紀暮なんだろ?」

「それは俺が今から貴方を殺すから、必要なくなった話っすよ」

 リュックサックの中をまさぐって、府島はナイフを取り出した。なるほど、分かりやすい展開だ。しかし俺は、普段ならいつ殺されてもいいし、俺を殺してくれる奴を求めてさえいたが、今はそういう気にならない。

 府島は覚悟の決まった目をしている。腰も引けていない。二十一人を殺した奴だ。その道ではプロフェッショナルというわけだが、まあだからなんだとしか思わない。

 死線をくぐってきたのとは違う。せこい通り魔殺人で殺し合いのスキルは身に着かないだろう。

 俺は府島へと大股歩きで近づく。府島がナイフを大振りするので少し後ろに退いて、直後にハンマーを振る。府島も後ろに退くが、俺はさらに踏み出してもうひと振りする。ハンマーが府島の左頬に命中する。歯が何本か勢い良く口から飛び出していく。

 もう一発、今度は府島の脳天に振り下ろすが、これは外れる。構わずに俺は府島に体当たりする格好となる。両者の身体がバランスを崩し、横に傾いていく。そのまま床に倒れ込んだとき、俺は脇腹に妙な異物感を覚え、見るとナイフが柄まで突き刺さっている。

 府島は血だらけになった顔面を両手で押さえて絶叫している。俺はまだハンマーを手放していない。府島の顔面にもう一度叩き下ろし、それから体勢を変えて府島の脚を全力でぶっ叩く。骨を粉々にできるように渾身の力を込めて、何度も何度も振り下ろす。

「だあ! だいッ! 痛い! いだあい! あああああ!」

「うるせえ! こんなもんが痛いわけねえだろ!」

 大声を出すと、腹に激痛が走る。痛い。気絶しそうになる。

 駄目押しに府島の肩のあたりや肺があるあたりを何度か打った後に、俺は壁に手をつきながら立ち上がった。窓を割るときのために買ったガムテープを拾って、洗面所に行く。

 洗面所に這入ると、砕けんばかりに奥歯を噛みながら、脇腹のナイフを引き抜く。畜生……人間に刺すもんじゃねえだろ、こんなの。ナイフは洗面台に捨てる。シャツをめくり、蛇口を全開にひねり、水をすくった手で傷口を適当にこすって洗ってから、壁にかかっていたタオルを取って拭く。すぐにまた血がだらだらと溢れ出すがもう気にせず、ガムテープを何重にも腹に巻いて止血する。

 居間に戻ると、府島が床にぶっ倒れたままゲロを吐いて泣いている。俺はズボンのポケットから携帯を取り出して、鷹峰に電話する。

『正念坂! どうした!』

「府島を半殺しにした。調べてもらった府島の家だ」

『じゃあ、やっぱりそいつが絢を殺したんだな?』

「詳しいことは府島に訊いてくれ。もう半分殺すかどうかは、お前に任せるよ」

 通話を切って、府島に「おい」と呼び掛ける。

「ゲームしようぜ。すげえ面白いゲームなんだが、絢を殺したのは俺だって、鷹峰に話していいぞ。なにを話してもいい。鷹峰を信じさせることができたら、助かるかもな」

 俺は踵を返し、玄関の方から部屋を出ようとする。

 そこに虫の息の府島から「待てっ……」と声が掛かる。

「有紀暮には……なにも、するなっ……」

「なんでだよ。なにもしないで済むと思えるのか、お前」

「あんた……馬鹿だ。姫乃由莉園のこと、神格化してるが……あの女は、殺されて当然だ。有紀暮が……話したんだ。正念坂ユウが、自分のカレシにハサミ、突き刺して……滅茶苦茶に、されたって……。姫乃由莉園は、笑ったんだよ。有紀暮に……あんたのこと、自慢したんだ。自分のカレシは凄いだろ、って……。お前は、弱い男と付き合ってて……可哀想だって。姫乃由莉園はいつも、有紀暮のこと……見下して、馬鹿にしてたんだ……。ずっと昔から……有紀暮は、殺すつもりはなかった……でも、我慢の、限界だった……」

 俺は引き返して行って府島の顔を思いきり蹴った。

「鷹峰が来るまで、喋る体力は温存しておけよ」

 それから今度こそ部屋を出て行く。外もやや蒸し暑いが、府島の部屋よりは何倍もマシだった。空が一面、夕焼けで真っ赤に染まっている。

 頭の中がぐちゃぐちゃに乱れている。しかし、やることは分かっている。

 原付に向かいながら、有紀暮に電話を掛ける。ツーコールで応答がある。

『もしもし』

「有紀暮、急で悪いが、今から会えるか?」

『もちろん。問題ないよ』

 今は感情を抑えないといけない。こいつになにも悟られないように。

「由莉園の死体がある小屋に来てくれ。タクシーとか使って」

『え? どうしてだい?』

「其処がいいんだ。会ってから詳しく話すよ」

『正念坂さん、息が荒いよ?』

「運動不足が祟ってな。来れるか?」

 焦り過ぎているかも知れないが、仕方ない。

『うん。行くけれど……もう向かっていいの?』

「ああ。急いでくれ。俺は先に行って待ってる」

『分かった。また後でね』

「また後で」

 よし、これでいい。原付に跨る。

 脇腹に熱いんだか冷たいんだかよく分からない感触がする。早くもガムテープに血が滲んできたようだ。天唱山に着くまでに、何度か巻き直す必要があるだろう。

 走り出そうとしたところで、携帯が鳴る。有紀暮か鷹峰だろうと思って表示を見ずに出る。考えてみれば鷹峰からなら無視するところだったが、相手はどちらでもなかった。

『先輩っ、良かった! 出てくれましたっ』

 ああ、こんな奴いたな。クソみてえに可愛い声だ。

『ごめんなさい、先輩っ。本当にごめんなさいっ。助けてくださいっ』

「なに。助けるって」

『追われてるんですっ。ギャスケッ教の人達にっ。二十一人目が死んだと確認されたら、原爆を起動するからっ。だけどボク、死にたくないんですっ』

「なんで? 受験勉強が嫌なんだろ?」

『ボクが馬鹿でしたっ。もう自分でも、よく分からなくなってしまってっ。見栄とか、プライドで。だけど嫌なんですっ。やっぱり死ぬなんて、怖い!』

 俺は脳の血管がブチ切れそうになったが、努めて冷静に答える。

「じゃあ、そうだな――一時間後に、美濃和高校の駐輪場で合流しよう」

『先輩! ありがとうございます! あの……一時間後じゃないと駄目ですか? もっと早くは……』

「無理だ。それまでは耐えろ」

『分かりました……でも、ありがとうございます! 本当に!』

 まつりとの通話を終えてすぐ、発着信の履歴から阿僧祇の名前を探して電話を掛ける。

『はい、阿僧祇ですが』

「まつりから電話があった。一時間後に美濃和高校の駐輪場に来るよう云っておいたから、取り逃がすんじゃねえぞ」

『ああ、正念坂くん。ありがとう。だけど、きみは彼女の協力者じゃないのかな? 嘘の情報で僕らを――』

「お前らの不手際に俺を巻き込むな! まつりなんてクソどうでもいいわ! 早く殺せ!」

『ど、怒鳴らないでほしいな……。分かった。協力、感謝するよ』

 どいつもこいつも話が通じねえ。俺にこれ以上、クソな話を聞かせるな。俺はお前らに死ぬほど興味がないし、俺になにかを求めても一切応えるつもりはないんだと一体いつになったら理解するんだ。俺に関係ないところで勝手にやれよ全部!

 腰が血だらけになって踵まで垂れてきているが、構わずに原付を発進させた。
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