ある慈悲深き恋の結末

凛野冥

文字の大きさ
上 下
31 / 31
千代原真一の章 漆

「もたらされた慈悲」(終)

しおりを挟む
 柏崎くんが奇声を発しながら、こちらに駆けてきた。その手には包丁が握られている。

 僕は咄嗟に麗子さんと彼との間に飛び込んだ。柏崎くんは麗子さんを殺すつもりだ。そんなことをさせてはならない。だがそれは、僕が代わりに刺されることを意味していると、遅れて気付く。僕は全身に力を籠め、衝撃に備えた。

 しかし僕は刺されなかった。

 柏崎くんは真っ直ぐ、ゆめに向かって行ったのだ。その手に握られた包丁はゆめの腹に深々と刺さった。僕の背後で麗子さんが悲鳴を上げる。ゆめは未だに自分が何をされたのか分かっていないような表情で、そのまま床に倒れていく。柏崎くんも一緒に、彼女に覆い被さるような格好で倒れる。すると柏崎くんは包丁を引き抜き、再度ゆめの腹に突き刺した。

 僕は柏崎くんの身体を全力で蹴り飛ばした。彼はゆめの上から吹っ飛び、壁に激突した。

「どうしてだよ! どうしてゆめを!」

 僕は怒鳴っていた。柏崎くんに殴り掛かろうとした――が、そのとき僕は、彼が不思議そうな表情を浮かべていることに気付いた。

「ま、ま、待って欲しい……ゆ、め?」

 柏崎くんは本当に困惑しているらしく、床に倒れているゆめを一瞥し、また僕を見据えた。

「彼女は玖貝麗子だろう?」

「え?」

「貴方がそう教えてくれたではないか」

 僕も困惑していた。柏崎くんに殴り掛かろうとしていた気勢が消えていた。

「彼女はゆめだ。麗子さんはこっちの――」

「いいや、違う。私は彼女こそ玖貝麗子と教えられた……」

 ふと、僕の脳裏で、ある会話がよぎった。

 いつだったか、柏崎くんが僕に訊ねたのだ。

 ――貴方が時々会話を交わしている、あの美しい女性は、何という名前なのだろうか。

 美しい女性、という言葉から、僕はなんの疑問もなく、

 ――麗子さんだね。玖貝麗子さん。

 それから僕は麗子さんについていくらかを柏崎くんに教え、その話題はそれきりとなった……。

「しん……いち……」

 茫然と立ち尽くす僕の耳に、ゆめの声が届いた。僕は我に返り、床に倒れている彼女に視線を向ける。

 ゆめも僕を見詰めていた。腹からは大量の血が流れ、彼女を中心に、床を広がっていく。

 ゆめは振り絞るように、云った。

「死にたく……ないです……」

 それがゆめの最期の言葉だった。





『ある慈悲深き恋の結末』終。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

就職面接の感ドコロ!?

フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。 学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。 その業務ストレスのせいだろうか。 ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。

後悔と快感の中で

なつき
エッセイ・ノンフィクション
後悔してる私 快感に溺れてしまってる私 なつきの体験談かも知れないです もしもあの人達がこれを読んだらどうしよう もっと後悔して もっと溺れてしまうかも ※感想を聞かせてもらえたらうれしいです

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...