美化委員会の不浄理論

凛野冥

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あんなに尽くしていた彼氏が密室から消えた

依頼

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 生きることは憂鬱だ。常に倦怠感けんたいかんが付きまとう。

 私はこれまで爽快だとか開放的だとか、そんな気分になった経験が一度としてないと云いきれる人間だ。すべてに対して消極的な姿勢でいたって、嫌なことというのはどうしても避けられない。不快な気分にさせられる事柄というのは不慮の事故みたいに、しかし高頻度で起こる。

 この美化委員会が根城としている教室にいたところでそうだ。様々な依頼人が様々な依頼を持ちかけてくる。変態の礎と違って、私はそれらを愉快と感じたことはない。ただ御加賀のおかげで、彼に付き合うかたちを取ることによって辛うじて、関わることができているだけだ。

 以前、御加賀が私にこう云ったのを憶えている。

「嫌なことだからと云って目を背けてばかりではいけないよ、梢くん。君だってこれから先、この人間社会で生きていくんだ。いくら厭世家と云っても、人里離れた山奥で生活するようなタイプじゃないだろう、君は。だから少しずつ、折り合いのつけ方というのを学ぶ必要がある。なに、不安に思うことはない。そんな今にも吐きそうな顔をしないでくれよ。此処にいる限りは僕が傍にいるんだから、君が他の人間と関わるのも間接的になる。それなら我慢できそうだろう? だから梢くん、ひとつ、頑張ってみてくれ」

 何様だよと云いたくなるが、しかし私の将来を気に掛けているようなその台詞を、私はちょっと気に入っていて、だからこうして憶えている。

 傲岸不遜ごうがんふそんで鼻につく鬱陶しいナルシスト男だが、私は彼のことが嫌いじゃない。ああ、でも、こうして考えてみるとやっぱり不愉快――

「――何を物思いにふけっているんだい、梢くん」

 御加賀がそんなふうに話し掛けてきて、私は我に返った。

「別に。私の勝手でしょ」

「その通りだ。でもやけに神妙な顔つきだったからね、珍しいと思ってさ。君は不機嫌そうに顔を曇らせているのがデフォルトだろう? そういえば、その割に純な瞳をしているのも君の――」

「煩わしいな。私の話なんてどうでもいいでしょ。いつも通り自分の自慢話でもしてろよ」

「自慢なんて下品なこと、僕がいつしたって云うんだい? 僕はただ事実を述べるということを癖にしているだけさ」

「はいはい」

 やっぱり有り得ないくらい他人を苛々させる男だ。私が嫌なことに耐性をつけるとしたら、御加賀と話すということをおいて他に毒と云うか薬と云うか、とにかく効果的な訓練はないだろう。

「気が緩んでいるんじゃないですか、副委員長。副委員長だからって呑気に胡坐あぐらをかいていると、いつ私にその座を奪われるか分かったもんじゃありませんよ」

 この礎も大概たいがいだ。彼女は大判の本を机上に広げているが、先程ちらと見えたそのタイトルは低俗すぎて口にするのがはばかられる。

「うるさいよ。第一、そういう野望は胸に秘めておくものだ。最近開き直ってない?」

 もう少しでいいから慎み深くなってもらいたい。

 私と礎のいつもの諍いが始まりそうになって、御加賀が「まあとにかく」と無理矢理まとめに入る。

「心ここにあらずでは困るよ。次に依頼がきたときには、君が担当する順番なんだからね」

「もう、一周したのか……」

 早い。委員が四人しかいないのでは、さもありなんだが。

 どうか楽な依頼がきますように。いや、あまりしょぼ過ぎると御加賀は自分ひとりでさっさと処理して私が担当する依頼を次に回してしまうから、丁度良い按配あんばいでないといけないか……。

 なんて考えている矢先に、教室の扉が開いて、二人の女子生徒が這入ってきた。知らない顔だ。どうやら依頼人のお出ましである。

 茶色に染めた髪に緩めのパーマをかけている女子と、もうひとりは染めてからだいぶ経っているのか、茶色と黒が混じった女子だ。パーマのかかった方は俯いていて、茶色と黒が混じった方はその女子の肩を抱えるようにしている。

「何か用かい?」

 御加賀が問い掛けると、黒と茶色の混じった方が、

「依頼したくて来たんです。この子の彼氏が失踪しちゃって、でもその失踪がすっごく変で、他の委員会じゃあ手に負えないみたいで、それで此処に」

 彼氏? どうして私が担当になるときは、こういう俗っぽい話が多いのだろう。

 それにしても、このところ依頼がえらく立て続けに来る。美化委員会が繁盛するのは、私としてはまったく歓迎できない事態だ。


    2


 緩いパーマをかけている方が鵜月うづき隘穂あいほ

 茶色と黒が混じっている方が松壁まつかべ琴海ことみ

 依頼人は鵜月で、松壁はその付き添いなのだとか。彼氏の失踪に関しては松壁はあまり関係がなくて、付き添っているのは親友だからだとか。

「それで、話をするのはワカメくん? プリンくん?」

 もはや名前を憶える気がない御加賀。髪型からつけたあだ名だろうが、雑すぎる。

「鵜月と松壁です」

 松壁が眉を顰め、唇を尖らす。

「さっきも云いましたけど――」

「待って!」

 鵜月の方がはじめて顔を上げた。泣き腫らした目は今も潤んでいる。頬もこけて、見るからに憔悴している。

「うちが話すから……。うちのことだし、琴海に任せきりじゃあ、やっぱ駄目だと思うし」

「隘穂……」

「うんうん、コントはいいから本題に入ってくれないかな」

 御加賀が続きを促す。

「コントなんてしてません! これのどこがコントなんですか!」

 勢いあまって椅子から腰を浮かしそうになる松壁。

 鵜月はそれには触れずに、

「うちの彼氏……蓮人れんと宇尾うお蓮人が、突然消えちゃったんです」

「弁当くんね。それで?」

「え、いえ、蓮人です」

「あのっ、さっきからふざけてませんか! 真面目にやる気あるんですか!」

 今度こそ腰を浮かす松壁。

「僕は大真面目だよ。無神経なのは君の方だろう。恋人が失踪した友人の前でプリンを模した髪型では、言葉の響きから不倫を連想させ――」

「そっ、そういうのがふざけていると――」

「待って!」

 松壁を抑える鵜月。

「うちらは相談しに来たんだから。落ち着こうよ、琴海」

「隘穂がそう云うなら……」

 直情型な松壁と比べて、鵜月はいくらか冷静だ。単に辛労が祟っているだけかも分からないが。

「えっと、話を戻しますけど……、蓮人が何の前触れもなく、蒸発するみたいに、消えちゃったんです。三日前の夜です。うちは蓮人の家に泊まっていて、その夜です。蓮人は一人暮らしで、うちがいつも泊まり込みで世話してるんですけど……」

「うん? 宇尾くんというのはご老人か何か?」

「え、いえ、うちと同じ高校一年生ですけど」

 そこで松壁が注釈を添えるかのように、

「隘穂はすっごく世話焼きなんですよ。昔からよく他人の面倒を見る子で、だから中三ではじめての彼氏ができて……あ、それが宇尾くんなんですけど、宇尾くんに対してはそれがさらに拍車掛かって、すっごい献身でした。もう周りはそれを指して滅私奉公なんて云うくらいでしたよ」

「はい。うち、他人のために何かしてあげるのが好きで、特に蓮人には身も心もすべてを捧げて、尽くしていました。愛するってそういうことじゃないですか。何の見返りも求めず、精一杯に尽くす……。蓮人って不器用で面倒臭がりだから、なおさらうちが面倒見てあげないと駄目で、はい……あの人には、うちがいてあげなきゃなんですよ」

 段々と声が湿り気を帯びてきて、とうとう鵜月はめそめそ泣き始めた。

 松壁がその肩をさすりながら、

「だから本当に可哀想なんですよ。隘穂、あんなに宇尾くんのこと愛してたのに、こんなことになって……」

「うんうん、それよりも宇尾くんが消えたときのことを、もう少し話してくれないかな」

「隘穂、大丈夫? 話せる?」

 鵜月はこくこくと頷いて、目元を拭い、また話し始める。

「うちと蓮人は一緒に寝て、それで深夜にうち、起きたんです。これはトイレに起きたんですけど、そしたら隣で寝ていたはずの蓮人がいなくなってて……でも玄関の扉には錠がかかっていて、他の窓も全部、中から錠がかかった状態だったんです。これって変なんです。だって部屋の鍵はちゃんと玄関脇の壁に掛けられたまま……つまり部屋の中にあったんですよ。蓮人の部屋の鍵はひとつしかありません。ってことは蓮人が部屋の中にいないわけないんです。出掛けても、外から錠はかけられないんですから。でも蓮人はいなくて……。みんな、これのことを〈密室〉って云ってます。有り得ないことだって。蓮人は本当、蒸発するみたいに消えちゃったんですよ」

「おお、密室! 密室からの消失ときましたか! これは美化委員会に舞い込む依頼にしては珍しくオーソドックスに素敵な謎がきましたね! 真っ当なミステリみたいですよ!」

 今まで割合大人しくしていた礎が、拍手しながら騒ぎ始めた。

「不思議ですねえ。不可解ですねえ。如何にして宇尾さんはその失踪を遂げたのか。非常に非常にそそりますねえ」

「君と宇尾くんの関係は良好だったのかい?」

「もちろんです。うち、蓮人のためなら何でもしてあげられるし、実際何でもしてあげてました。愛してるからです。蓮人も喜んでくれてたし、うちを必要としてくれてました。うちら以上に仲睦まじいカップルなんて――」

「おいおいおいおい」

 これ以上は耐えられない。私はついに口火を切ってしまった。だって〈それ〉はもう喉まで込み上げてきていたのだ。椅子から立ち上がり、鵜月と松壁に迫って行きながら言葉を吐く。

「随分と恩着せがましい献身だな。見返りを求めないだの無償だの、そんなのわざわざ口に出すのがおかしいんだよ。おこがましいんだよ。いいや、まず、相手に必死で奉仕するのが愛だとかって言葉からしてお前は勘違いしてるんだ。真に相手のためを思っているなら、そんなふうに相手を甘やかすかのように何でもかんでも世話したりはしないんだよ。それは相手を駄目にするだけだからだ」

「そ、そんな――」

 鵜月と松壁は反駁しようとしたが、私はそれを許さない。

「お前は結局のところ自分が好きなだけだ。相手のことを思ってなんかいやしない。相手はお前に楽させてもらって良い気分だろうし、お前は相手に尽くす自分に酔えて良い気分だろうが、それを恋愛だなんて勘違いも甚だしい。共に前進するんじゃなくて共に停滞するだけの関係を、互いにべったり甘えて甘んじて楽がしたいだけの関係を、恋愛だなんて抜かすな。虫唾が走る。お前らは二人でずるずる堕落するだけの最悪な共依存を〈支え合い〉なんてかたる軽薄な連中だ。そこに愛なんてない。だから――」

 そのとき、御加賀が私と鵜月、松壁の間に割って入った。

「うんうん、その辺にしておきなよ、梢くん。恋愛観というのは人それぞれなんだから、それは君の私怨をぶつけているようで良くないよ」

「うっ……」

 御加賀に途中で遮られたせいで私は、堪えきれずに〈残り〉を嘔吐してしまった。咄嗟とっさに身を退いたものの、吐瀉物が御加賀にもいくらかかかってしまう。

「ば、莫迦……お、お前が止めるからだぞ……」

 しかし御加賀は動じた様子もなく、笑顔を浮かべたままだった。

「うん、僕が掃除するから、君は顔でも洗ってきたまえ」

「……分かった」

 またやってしまった……。

 御加賀は「それにしてもやはり、こうして汚物にまみれてこそ、僕の美しさは際立つなあ」なんて云いながら掃除用具の入ったロッカーに向かう途中で「ああ」と足を止め、唖然としている鵜月と松壁に向き直った。

「安心してくれ。その事件、綺麗さっぱり美化委員会が解決します」


    3


「まったく副委員長はいつだってげろげろげろげろ節操なく吐いてしまわれるのだから困りますね。少しは慎みを覚えるべきですよ」

「自重したことなんて一度もないだろうお前に云われたくない」

 だが今回ばかりは礎にそう強くも云い返せないのだった。衝動に任せて行動してしまった自分を恥じているのは本当なのだ。

「梢くんは真面目だからね。自分が許せないと思う話を聞き流すなんてできないのさ。だから依頼人が肌に合わない人種の場合、ああやって暴走してしまうのは自然な反応と云える」

 制服を着替えてきた御加賀(周到なのか莫迦なのか制服の替えを何着も常備している彼である)が知ったふうな口を叩く。鵜月と松壁の二人は先程帰って行ったところだ。

「でも梢くん、君の話のおかげで、僕は今回の事件の真相について大体の当てを付けられたんだよ」

「そうなの?」

 私にはそんなつもり、微塵もなかったのだが……。

「うん。だから気を落とさないでいい。梢くんは既に充分な働きをしたのさ。後は明日、僕が補強のための情報を収集し、放課後に鵜月くんに真実を話せば終わりだ」

「その情報収集に私は同伴しなくていいの?」

「いいよ。壱年生の教室を回るからね。君が何回吐くか分かったものじゃない」

 間違ってはいないが、なんだか心外だ。

「ちなみに、鵜月くんの献身とやらがどのくらい過剰だったのか調べるんだよ」

 つまりそれが真実と関係があるということか。だとすると……。

「宇尾は鵜月の常軌を逸した献身に辟易、いや、恐れおののいて逃げ出したってことか? 密室については……それを認めたくない鵜月が嘘をついている、とか?」

 だが御加賀はやれやれとばかりに首を横に振った。腹立つ仕草だ。

「それもひとつの真実かも知れないが、鵜月くんがそれで納得すると思うかい?」

「思わないな」

「ならこの事件を処理するには至らないね。この場合の真実は別にある」

 まあ明日御加賀が話すのだから、私が考えてみても詮無いことか。

「キーワードはね、梢くんが云った〈依存〉という言葉さ。鵜月くんと宇尾くんは、本人の談のとおり、非常に仲睦まじかったんだと思うよ。ゆえに彼は消えたんだ」
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