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みかえる章:あまね<すべての者

ジェントル澄神による解決編・後

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 澄神はパイプに葉を詰めると、燐寸で火を点けた。

「ミステリは解答からの逆算によって組み立てられていきます。過程があって解答があるというのは、あくまで登場人物あるいは彼らと共に始まりから終わりへと物語を辿っていく読者から見た順序ですよ。作者からすれば、解答があって過程があるのです。

 終わりから始まりへと向かいながら、必要な伏線を配置し、必要な事件を起こす。そうでなければミステリは成立しない。この世界においてそれをおこなっているのが、聖JKというわけです。きみが作者として小説を書くことを放棄したがために、〈作者の意識〉は同じ登場人物として物語中に顕在化けんざいかせざるを得なくなりました」

 パイプを咥え、澄神はまた黒板に描き表す。



「〈象徴界〉で小説を書いている場合と、〈想像界〉で小説の中にいる場合の違いとも云えますね。物語内にいる登場人物は物語外にいる〈作者の意識〉を認識できないのが本来ですが、この世界では同じ物語内でそれを認識することが可能となっています」

「……つまり、メタレベルの崩壊だな」

 物語は作者によって構築されるが、物語内で起きる事柄はあくまで物語内の理屈を持っていて、作者の存在は隠されている。〈作者がこうしたかったから〉では物語として成り立っていない。作者の技量が足りず、その意図が露呈してしまっている物語はよく〈ご都合主義〉と云われて批判される。

 しかし、この世界では〈作者の意識〉が登場人物の中に混ざって事件を起こしている。その動機はまさに〈作者がこうしたかったから〉だ。物語内の理屈と作者の意図が混在……いや、作者の意図まで物語内の理屈となった、異形のミステリと化しているのか。

「そのおかげで、私は凡百の探偵とは一線を画す、正真正銘のメタ探偵となることができましたよ。こうして〈作者の意識〉を推理しているのですからね」

「それは誇るようなことなのか?」

「当たり前でしょう! ミステリにおける名探偵にとって、〈作者の意識〉に到達することこそが究極の命題なのです。それは推理の域を超えた真実への到達を意味します」

「……まだ分からないことがある」

「何でしょうか」

 あまねは七五三殺人ゲームによって俺を渚と結婚させて、俺の義父となった水柱武彦を殺害することを〈父殺し〉に見立てた。その結果、〈想像界〉としてこの世界が築かれて、あまねはその中で時間を逆行しながら、ミステリ小説さながらの事件を起こしていった。

 だが、この順序であれば、新たな疑問が生じる。

「〈父殺し〉より前から、この世界は出来上がっていたと思うんだ。それとも〈父殺し〉以前……七五三殺人ゲームが始まったときには、まだ俺は〈象徴界〉……現実にいたってことなのか? ……いや、そうじゃないはずだ」

 俺にはあまねとの出逢いの記憶がない。あまねは最初から時間を逆行してきていたし、だからこそ七五三殺人ゲームを始めた。この法なき想像の世界において、それを始めることができた。

 第一、あまねも赤鞠も他の花天月高校の連中も、現実にはいない、俺の想像の産物だろう。俺が〈想像界〉にいるせいで、現実と区別が付けられなくなっているけれど……。

「これじゃあ〈父殺し〉を行うにあたって、既に〈父殺し〉が行われていることが前提になっているじゃないか。まるで自分の尾を飲み込んだ蛇みたいだ。一体、何が〈本当の始まり〉だったのか分からない」

「卵が先か鶏が先か。あるいは〈親殺しのパラドックス〉の一種とも云えますね」

 軽佻浮薄けいちょうふはくな笑みが応える。

「SFではよく議論される話です。しかし来須くん、この世界においてであれば、答えは実に単純ですよ。此処には〈本当の始まり〉なんて存在しないのです」

「どういうことだ」

「きみが云っているのは、この物語内で起きた物事の順序ではありません。この物語が完成する前――その過程における話です。此処では〈作者の意識〉が来須くんとは別に存在しているとはいえ、そもそもは来須くんが想像した世界だということをお忘れですか?」

 澄神はパイプを使って、先ほどの〈小説〉と〈この世界〉の対比図を示した。

「いまでこそ、この世界はこの図で表したとおりの構造をしていますが、それ以前にはあくまで〈小説〉として想像されていました。しかし来須くんが小説を書かなかったので、〈父殺し〉を含んだこの想像はパラノイア性精神病の引き金となり、来須くん自身を飲み込んでこの世界となったのです」

「……ああ、そうか。とすると〈本当の始まり〉があるのはその図のうち、〈小説〉の方……〈作者の意識(来須)〉の円と〈物語〉の円の間だな?」

「正確には、あったのは、ですかね」

 俺は頷く。〈小説〉の図が①で、〈この世界〉の図が②……それがこの物語が完成する以前の過程だったというわけだ。

「これで、私達がパラドックスに頭を悩ませる必要がないと分かったでしょう。SF小説について〈親殺しのパラドックス〉を指摘し論じるのは読者であって、その物語の中の登場人物ではありませんよね? 同じことです。この完成した物語の中にいる私達にとって、すべては〈はじめからそうだった〉でしかありません。

 その意味では、この世界を成り立たせる役割を担う聖JKとて、私達と変わりませんよ。あまねさんは未来において過程を知り、過去へ逆行しながら過程を築いていくわけですが、それは過程を築く前から、その過程を経た結果としての未来にいたということです。完成した物語における〈作者の意識〉と、その物語をつくった作者は別なのです。

 私達はみな、完成した〈物語〉の円の中に閉じ込められており、円の外へ干渉することはできません。それがメタレベルというものですからね」

 パラドックスを指摘しても、この世界にはひびすら入らない。

 尾を飲み込んだ蛇――ウロボロスの蛇は、始まりも終わりもない永遠として、〈完全なるもの〉を象徴する。皮肉にも、この世界を表すのに打ってつけの比喩だった。

「そして、きみがそれを望んだのです。きみの思想、性格、価値観――いわば〈作風〉が反映されたこの世界では、きみにとって不幸な出来事も起きます。しかしきみはそれらにショックを受けながら、同時に楽しんでいたはずです。違いますか?」

 一瞬、俺は首を横に振ろうとして、やめた。

「……そうだな。楽しんでいたよ」

 探偵に犯行を暴かれた犯人は、こうして罪を認めるのだろう。
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