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らふぁえる章:暗き昏木クラミジア
性感染症パズルの導き
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・・・・
二人とも眠っていた。俺の目を覚まさせたのは、洗面所から聞こえる携帯の着信音だった。コートのポケットに入れたままだったか。
由莉亜を起こさないよう、慎重にその頭の下から腕を抜く。彼女の口元が酸化した血で汚れていると分かる。寝ている間に、また少し鼻血を出したらしい。俺のスウェットの胸元にも付着しているが、別に構わない。布団を抜け出して洗面所へ。着信音は止まったものの、何度も鳴ったら鬱陶しいので、電源を切っておかないとだ。
時刻は十一時二十四分。着信は四件。うち三件は会社からで、いま鳴っていたのは澄神からだった。無視しようと思った矢先、再び澄神から掛かってきた。
玄関から外に出る。部屋の中は暖房が効きすぎていたので、つかの間、全身を刺す冷気が心地よく感じる。四コールを突破しても鳴り続ける着信に出てやる。
『やあ来須くん、お取込み中でしたか?』
「待たせて悪かったな。Time is money.――とでも云うつもりだろ」
『いいえ? Everything comes to him who waits.――ですよ。梅郷萬、芝尾柳生、幹原慈央、枷勘次の解剖が終わりました。その結果、面白いことが分かったのです』
「何だ」
『クラキ・クラミジアは、感染から三日前後で発症します。潜伏期間が一週間以上だとは、まず考えられないとのことです。これが何を意味するか、分かりますか?』
少し考えて、俺は自分がすべきことを悟った。
「……後で掛けなおす」
通話を切って部屋に戻る。洗面所の床に脱げ捨てられたジャケットの内ポケットから手帳とペンを取る。布団まで行って、胡坐をかいて、由莉亜の身体を軽くゆする。「ううん……」と可愛く呻いて、由莉亜の目が薄く開く。
「来須さん……?」
「起こしてごめん。ちょっと教えてもらっていいか」
必須ではないと思っていたから、これまで聞かなかった。由莉亜も積極的に話したくはないだろう。しかし、これがいまや非常に重要な意味を持つかも知れない。
由莉亜がいつ、誰と性行為をしたか。
こもるが調べた情報もあるが、確実なことは由莉亜本人から聞く他にない。
「お金もらってしてたことだから、うちは何も話さないって決めてたんだけど……来須さんが必要って云うなら、分かった」
彼女は壁際に教科書類と一緒に並べられていたノートを一冊抜き取ると、最後のページを開いて俺に見せた。予約の状況はそこに記録し、管理されていた。
十一月二十七日の金曜日に梅郷萬。三十日の月曜日に芝尾柳生。十二月三日の木曜日に二度目の梅郷萬。六日の日曜日に幹原慈央。九日の水曜日に押井戸謙吾。
「間に二日挟むように決めてたの。そうしないと、続けられそうになかったから」
「十二日以降の予約は全部キャンセルになったんだよな?」
「うん。キャンセルの連絡をくれた人はいないけど、十二日も十四日も来なかった」
それでも名前は一月末のぶんまで書かれている。予約が埋まっているらしい、というこもるの情報は正しかったわけだ。こもる……梅郷萬が忌引明けに早速二度目をしていたと知ったら、さらに落ち込むだろうな。
俺は手帳に十一月二十七日から今日までのカレンダーを描く。由莉亜を先頭にして、以下に死者の名前を並べ、いつ誰と性交渉し、いつ死亡したか、把握している限りの内容を書き込む。そうしているうちに気が付く。
「枷勘次は? 援助したうちのひとりじゃないのか?」
「枷くんとはしてないよ。持ち掛けられてもないし」
「じゃあ連続死の原因は自分じゃないって、由莉亜は分かっていたのか?」
「え? 原因はうち、なんでしょ?」
首を傾げる由莉亜。
「うちから始まって、枷くんには人づてに感染ったんじゃないの?」
なるほど、そう考えても仕方ない。死者の大半は自分と肉体関係を持った者なのだ。
しかし、そのミッシングリンクが繋がらないとしたら?
俺は作成したカレンダー上で、死亡の三日前にバツ印を打つ。三日前後との話だから誤差はあるかも知れないけれど、それが推定感染日だ。
おかしいではないか。これでは由莉亜との性交渉で感染したと見なし得るのはせいぜい、梅郷と幹原と押井戸の三人だけだ。
芝尾の推定感染日は由莉亜との行為から一週間以上も離れている。
湯浦は枷との性交渉で感染したのかも知れないが、その枷は由莉亜から感染しようがない。枷の推定感染日である八日時点で保菌しているのは芝尾と幹原だが、こいつらに何か、この表上にはない性的なコミュニティが存在したのだろうか?
于綾と三芳も、三人でホテルに行った四日から推定感染日までは遠い。柚子の証言にはなかったが、その後も行為が続いていたのか? だが推定感染日である十一日には芝尾は死亡しており、さらにはクラキ・クラミジアの噂が広がって、特に于綾は大混乱に突き落とされていた。そんな日にこいつらが誰か他の保菌者と性行為に及んだと云うのか? しかも該当するのは湯浦か押井戸だけだぞ?
だから違う。そうじゃないのだ。真相は既に表れている。
「由莉亜はこの連続死の原因じゃないよ。そう見えるように、演出されただけだ」
首を傾げたままの由莉亜に、俺は手帳を向けた。
「ウイルスが含まれた液体を食べ物か飲み物に混ぜて、標的に摂取させたんだろう。毒を盛るのと同じだな。このバツ印が盛られた日だ」
梅郷と幹原と押井戸は、由莉亜と援交した翌日。
芝尾が七日の理由は思い付かないが、それまで毒を盛る機会がなかったのだろうか。
枷に関しては、たしか八日に初めて、由莉亜との援交を周りに話したのだった。本人は冗談のつもりでも、それを聞いた犯人からすれば見逃すわけにいかない。
湯浦が枷の恋人だというのは周知だったようだから、枷を介して感染したと思わせるように、彼女も死ぬことになった。これは由莉亜と直截の性交渉がなくても死んだ例として、クラキ・クラミジアの脅威をより印象づけ、噂の広まりを加速させたに違いない。
于綾と三芳の感染日は、こいつらが芝尾を介して由莉亜と繋がっていることが周囲に知られた日だ。犯人もそこで知って、始末することにしたのだろう。こうなると、三芳が実際には見ていただけで性行為に及んでいないというのは本当だったのかも知れない。
「簡単な犯行だよ。学校ってのは杜撰な場所だ。科目によっては教室が無人になる。その間、弁当も水筒もペットボトルも、鍵つきの金庫に入れられているわけじゃないんだからな」
「でも、誰がそんなことしたのかな」
「ただの悪戯って規模じゃない。目的から考えれば、絞られるはずだ」
たとえば由布こもる。自分を幻滅させた梅郷萬を殺害し、彼を奪った由莉亜にその罪を被せるという、二重の復讐が目的だったとしたら? 由莉亜が犯人であると公的に断言させるために、有名だがアホな私立探偵・ジェントル澄神を雇ったのなら?
あるいは久万谷柚子。散々世話した于綾桃がアバズレになり果てたことを、裏切りと感じたのだとしたら? クラキ・クラミジアの噂によって、自分が死ぬかも知れないという恐怖を味わわせることまで含めて、その制裁だったのなら?
しかし、おそらくそうではない。なぜなら犯人は今朝、俺にウイルスを注射した。花天月高校の生徒でない俺に毒を盛るには、そうするしかなかったのだろう。裏返せば、そうまでして俺を殺さないといけないということだ。
由莉亜と同棲している俺が死なないと、由莉亜が原因の感染症でないことが露見すると考えたのか? だがこれによってむしろ、クラキ・クラミジアが何者かによる連続殺人事件だと自白したようなものじゃないか。まるで本末転倒だ。
そもそもこの一連の犯行は、いつまでも隠し通せることじゃない。現に解剖の結果、およそ一週間で潜伏期間が割り出された。この後も調査は進み、明らかになる新事実は犯人を浮き彫りにしていくだろう。
ならば犯人は、隠し通すつもりなんてないのだ。こいつの目的はもっと短期的な何かにある。だから俺に注射を打った。破滅を速めてでも、俺を排除したいということは――
「由莉亜、きみに昨日、援助したいと電話してきた奴の名前は?」
「軋目くんだよ。軋目常逸くん。同じベロニカ組の」
「そいつは背が高いか?」
「ううん。低い方だよ」
犯人は由莉亜が憎いのではなく、愛おしいのだとしたら。
とりあえずは、そいつだ。
二人とも眠っていた。俺の目を覚まさせたのは、洗面所から聞こえる携帯の着信音だった。コートのポケットに入れたままだったか。
由莉亜を起こさないよう、慎重にその頭の下から腕を抜く。彼女の口元が酸化した血で汚れていると分かる。寝ている間に、また少し鼻血を出したらしい。俺のスウェットの胸元にも付着しているが、別に構わない。布団を抜け出して洗面所へ。着信音は止まったものの、何度も鳴ったら鬱陶しいので、電源を切っておかないとだ。
時刻は十一時二十四分。着信は四件。うち三件は会社からで、いま鳴っていたのは澄神からだった。無視しようと思った矢先、再び澄神から掛かってきた。
玄関から外に出る。部屋の中は暖房が効きすぎていたので、つかの間、全身を刺す冷気が心地よく感じる。四コールを突破しても鳴り続ける着信に出てやる。
『やあ来須くん、お取込み中でしたか?』
「待たせて悪かったな。Time is money.――とでも云うつもりだろ」
『いいえ? Everything comes to him who waits.――ですよ。梅郷萬、芝尾柳生、幹原慈央、枷勘次の解剖が終わりました。その結果、面白いことが分かったのです』
「何だ」
『クラキ・クラミジアは、感染から三日前後で発症します。潜伏期間が一週間以上だとは、まず考えられないとのことです。これが何を意味するか、分かりますか?』
少し考えて、俺は自分がすべきことを悟った。
「……後で掛けなおす」
通話を切って部屋に戻る。洗面所の床に脱げ捨てられたジャケットの内ポケットから手帳とペンを取る。布団まで行って、胡坐をかいて、由莉亜の身体を軽くゆする。「ううん……」と可愛く呻いて、由莉亜の目が薄く開く。
「来須さん……?」
「起こしてごめん。ちょっと教えてもらっていいか」
必須ではないと思っていたから、これまで聞かなかった。由莉亜も積極的に話したくはないだろう。しかし、これがいまや非常に重要な意味を持つかも知れない。
由莉亜がいつ、誰と性行為をしたか。
こもるが調べた情報もあるが、確実なことは由莉亜本人から聞く他にない。
「お金もらってしてたことだから、うちは何も話さないって決めてたんだけど……来須さんが必要って云うなら、分かった」
彼女は壁際に教科書類と一緒に並べられていたノートを一冊抜き取ると、最後のページを開いて俺に見せた。予約の状況はそこに記録し、管理されていた。
十一月二十七日の金曜日に梅郷萬。三十日の月曜日に芝尾柳生。十二月三日の木曜日に二度目の梅郷萬。六日の日曜日に幹原慈央。九日の水曜日に押井戸謙吾。
「間に二日挟むように決めてたの。そうしないと、続けられそうになかったから」
「十二日以降の予約は全部キャンセルになったんだよな?」
「うん。キャンセルの連絡をくれた人はいないけど、十二日も十四日も来なかった」
それでも名前は一月末のぶんまで書かれている。予約が埋まっているらしい、というこもるの情報は正しかったわけだ。こもる……梅郷萬が忌引明けに早速二度目をしていたと知ったら、さらに落ち込むだろうな。
俺は手帳に十一月二十七日から今日までのカレンダーを描く。由莉亜を先頭にして、以下に死者の名前を並べ、いつ誰と性交渉し、いつ死亡したか、把握している限りの内容を書き込む。そうしているうちに気が付く。
「枷勘次は? 援助したうちのひとりじゃないのか?」
「枷くんとはしてないよ。持ち掛けられてもないし」
「じゃあ連続死の原因は自分じゃないって、由莉亜は分かっていたのか?」
「え? 原因はうち、なんでしょ?」
首を傾げる由莉亜。
「うちから始まって、枷くんには人づてに感染ったんじゃないの?」
なるほど、そう考えても仕方ない。死者の大半は自分と肉体関係を持った者なのだ。
しかし、そのミッシングリンクが繋がらないとしたら?
俺は作成したカレンダー上で、死亡の三日前にバツ印を打つ。三日前後との話だから誤差はあるかも知れないけれど、それが推定感染日だ。
おかしいではないか。これでは由莉亜との性交渉で感染したと見なし得るのはせいぜい、梅郷と幹原と押井戸の三人だけだ。
芝尾の推定感染日は由莉亜との行為から一週間以上も離れている。
湯浦は枷との性交渉で感染したのかも知れないが、その枷は由莉亜から感染しようがない。枷の推定感染日である八日時点で保菌しているのは芝尾と幹原だが、こいつらに何か、この表上にはない性的なコミュニティが存在したのだろうか?
于綾と三芳も、三人でホテルに行った四日から推定感染日までは遠い。柚子の証言にはなかったが、その後も行為が続いていたのか? だが推定感染日である十一日には芝尾は死亡しており、さらにはクラキ・クラミジアの噂が広がって、特に于綾は大混乱に突き落とされていた。そんな日にこいつらが誰か他の保菌者と性行為に及んだと云うのか? しかも該当するのは湯浦か押井戸だけだぞ?
だから違う。そうじゃないのだ。真相は既に表れている。
「由莉亜はこの連続死の原因じゃないよ。そう見えるように、演出されただけだ」
首を傾げたままの由莉亜に、俺は手帳を向けた。
「ウイルスが含まれた液体を食べ物か飲み物に混ぜて、標的に摂取させたんだろう。毒を盛るのと同じだな。このバツ印が盛られた日だ」
梅郷と幹原と押井戸は、由莉亜と援交した翌日。
芝尾が七日の理由は思い付かないが、それまで毒を盛る機会がなかったのだろうか。
枷に関しては、たしか八日に初めて、由莉亜との援交を周りに話したのだった。本人は冗談のつもりでも、それを聞いた犯人からすれば見逃すわけにいかない。
湯浦が枷の恋人だというのは周知だったようだから、枷を介して感染したと思わせるように、彼女も死ぬことになった。これは由莉亜と直截の性交渉がなくても死んだ例として、クラキ・クラミジアの脅威をより印象づけ、噂の広まりを加速させたに違いない。
于綾と三芳の感染日は、こいつらが芝尾を介して由莉亜と繋がっていることが周囲に知られた日だ。犯人もそこで知って、始末することにしたのだろう。こうなると、三芳が実際には見ていただけで性行為に及んでいないというのは本当だったのかも知れない。
「簡単な犯行だよ。学校ってのは杜撰な場所だ。科目によっては教室が無人になる。その間、弁当も水筒もペットボトルも、鍵つきの金庫に入れられているわけじゃないんだからな」
「でも、誰がそんなことしたのかな」
「ただの悪戯って規模じゃない。目的から考えれば、絞られるはずだ」
たとえば由布こもる。自分を幻滅させた梅郷萬を殺害し、彼を奪った由莉亜にその罪を被せるという、二重の復讐が目的だったとしたら? 由莉亜が犯人であると公的に断言させるために、有名だがアホな私立探偵・ジェントル澄神を雇ったのなら?
あるいは久万谷柚子。散々世話した于綾桃がアバズレになり果てたことを、裏切りと感じたのだとしたら? クラキ・クラミジアの噂によって、自分が死ぬかも知れないという恐怖を味わわせることまで含めて、その制裁だったのなら?
しかし、おそらくそうではない。なぜなら犯人は今朝、俺にウイルスを注射した。花天月高校の生徒でない俺に毒を盛るには、そうするしかなかったのだろう。裏返せば、そうまでして俺を殺さないといけないということだ。
由莉亜と同棲している俺が死なないと、由莉亜が原因の感染症でないことが露見すると考えたのか? だがこれによってむしろ、クラキ・クラミジアが何者かによる連続殺人事件だと自白したようなものじゃないか。まるで本末転倒だ。
そもそもこの一連の犯行は、いつまでも隠し通せることじゃない。現に解剖の結果、およそ一週間で潜伏期間が割り出された。この後も調査は進み、明らかになる新事実は犯人を浮き彫りにしていくだろう。
ならば犯人は、隠し通すつもりなんてないのだ。こいつの目的はもっと短期的な何かにある。だから俺に注射を打った。破滅を速めてでも、俺を排除したいということは――
「由莉亜、きみに昨日、援助したいと電話してきた奴の名前は?」
「軋目くんだよ。軋目常逸くん。同じベロニカ組の」
「そいつは背が高いか?」
「ううん。低い方だよ」
犯人は由莉亜が憎いのではなく、愛おしいのだとしたら。
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