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第一章:環楽園の殺人
3/9、3/10「人類史上最も幸福な時代」
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3/9
絵を壁に立て掛けて放置したまま、徒労感に襲われた僕と舞游は階段に隣同士で座り込んだ。霧余さんの身体から漏れた中身の数々は有寨さんが片付けた後で、血の跡もひととおりは綺麗に掃除されたらしいが、さすがに完全に消えるまでには至っていない。こんなに広い吹き抜けの中だけれど、未だ微かに死臭が立ち込めている。
それでもひと目見た限りでは、此処で縦に切断された人間の死体が引きずり回されたとは分からないだろう。なぜなら、霧余さんの死体が這わされたのはちょうど赤い絨毯の上だけだったからである。そのおかげで血の跡がいくらか視認しづらくなっていた。
「これはもうひとつの共通点なのかもな……」
僕の呟きに、舞游が「なにが?」と反応する。
「杏味ちゃんの死体が置かれていたのも、赤いシーツの上だっただろ? 霧余さんの死体の〈引きずり回し〉もほら、赤い絨毯からはみ出していない。犯人は死体から流れ出る血が赤色の上にしかつかないようにしてるんじゃないかな。……それがどんな意図なのかは分からないけど、やっぱりグノーシス主義なんかと関係してるのかも知れない」
「うーん……どうだろうね。赤色というと一般的にも〈警戒〉とか〈愛〉とか〈生〉を意味するから、暗示的であるとは単純に思うけど。キリスト教においては〈神の愛〉の他にキリストが流した〈贖罪の血〉も表すし……枢機卿の法衣が赤色なのはそのあたりからきてるんだけどさ」
そのとき、眼下のロビーに有寨さんが現れた。その姿を見るに、どうやらシャワーを浴びてきた後のようである。第二の現場の片づけをしたのだから、身体を洗いたくなるのは当然であった。
「こんなところで、なにをしているんだい?」
怪訝そうな表情の有寨さんに、僕は事情を話した。
「なるほど。だけど、何度も云っているように俺は前もってこの屋敷を下見した。巻譲家の人間同伴でね。だからそんな扉があったなら知っていないとおかしい」
「そうですね……。僕も舞游もすごい発見と思ったので、すっかり失念してました」
「北館に廊下館の屋上へ出るための小さな戸があるのは確かだよ。でも手すりも柵もついていないところから分かるように、基本的に廊下館の屋上は使用されることを前提としていない。だからこちら側からは出られないんだ」
そんなふうに説明されると、絵をどけるまで浮足立っていた僕と舞游が馬鹿みたいだった。
そもそも、仮に廊下館の屋上へ出るための扉がこちら側にあったところで、その扉もまた雪に塞がれて使用不能になっていたはずなのだ。廊下館の屋上にもまた、二メートルはないにしても、大量の雪が積もっている。吹雪のせいでよく見えなかったために、僕と舞游はそんな事柄にも気が向いていなかった。
それに、この南館の屋根(横から見ると潰れた二等辺三角形型)にもいちおう出られるようになってはいるが、三人で屋敷中を検めたときに同じ理由で除外されていたのだった。三階の廊下の西端の壁に梯子がついていて、それを上って天井にある開口部から出るという仕組みなのだけれど、開口部に内側から錠がかかっているのも確認済みである。
「ただ、この絵を運び込んだのが犯人かも知れない、というのは鋭い考察だね。俺が下見に来たときには既にあったが、今回の犯罪がかなり以前から計画されていたものである可能性は高いんだから」
「ポール・ゴーギャンは反キリスト教的な人だったから、尚更それっぽいよね」
「それどころか、この絵はグノーシス主義と関係が深いんだよ。この絵のタイトルである『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか』とは、グノーシス主義者テオドトスの『我々は誰だったのか、我々は何になったのか。我々はどこにいたのか、我々はどこに投げ込まれたのか。我々はどこに向かうのか、我々はどこから解放されるのか。誕生とは何か、再生とは何か』という言葉に由来するという有力な説があるからね。まあ、こういった問い掛けはペルシウスの『風刺詩』にも見られるし、一世紀ごろから哲学的な問題として広まっていたとする向きもあるから、理屈と膏薬はどこへでもつくといった感もあるんだが」
「グノーシス主義というのは、随分と哲学的な性格を持ってるみたいですね」
「うん。それと云うのも、当時は〈哲学は理性の領域であり、宗教は信仰の領域である〉というような区別は全然支配的じゃなかったんだよ。どちらもひとつしかない〈真理〉を追究するものだろう? 紀元二世紀というのはローマ帝国が五賢帝の時代で、とても安定していてかつ豊かだった。後にイギリスの歴史家ギボンが〈人類史上最も幸福な時代〉と呼んだとおりさ。だからこそキリスト教も社会の中に浸透できたんだね。生活に余裕があったからこそ、思想や哲学、宗教といった文化的な事柄が関心を集めたし、反省的で抽象的な意識というものが生まれた。グノーシス主義隆盛の背景もこれだ」
ここで少し間がおかれた後に、有寨さんは改まった口調で述べた。
「次は明日の昼……十二時に、リビングで会うことにしよう。そのときに大事な話がある。いまはまだ上手くまとめられていないし、お互い、ひと晩跨いで頭の中を整理してからの方が良いと思うんだ」
僕が「分かりました」と返すと、有寨さんは自分の部屋の方へと行ってしまった。彼の姿が見えなくなってから、舞游が僕の耳元に口を寄せて小声で云った。
「お兄ちゃんは私達を疑ってるんだよ」
「……うん。だいたい察せてる」
有寨さんはひとりでシャワーを浴びた。つまり彼はもう僕ら三人以外の何者かがこの屋敷に潜んでいるとは警戒しておらず、また、僕らを信用してもいないのだ。
あるいは。あるいは、それはあくまで僕達に対する表向きの〈裏〉で、本当の本当は彼こそが……。
「觜也、部屋に戻る前に図書室に寄っていい?」
「いいけど、なんの用だ?」
「グノーシス主義に関する書物を片っ端から持ち出すの。勉強しないと」
隠し扉の推理は完膚なきまでに否定されたが、舞游はむしろ真相究明に対して執念を燃やし始めたようだ。それは僕のことも元気づけてくれた。
3/10
部屋に帰った僕と舞游は、夜までずっと図書室から持ち出した本をそれぞれ読み続けた。僕はこういった小難しい文献にまったく不慣れだったけれど、有寨さんから断片的な話をいくつか聞いていたおかげで最低限のラインまでなら紐解くことができた。
特にプレーローマとアイオーンについての記述は読書百遍義自ずから見るの要領で重点的に読み込んだ。アイオーンのうち、上位の四組――オグドアスは〈対〉とは云っても、それぞれ同一な神的存在の二つの側面(両性具有性)であり、やはりユングが見出した神聖数――〈四〉に強い根拠を与えている。上位世界であり、充満世界であり、超永遠世界であり、人間の真実であるプレーローマはいくつかの階層を持っているが、その最奥はオグドアスの領域であり、ここのみを指してプレーローマと云う場合も多い。人間の救済とはすなわちこのプレーローマへの帰還を意味しており、そのためには〈本質〉や〈真理〉、〈真実〉――いわゆるイデアを発見しなければならないが、これには至高神による導き――啓示を受ける必要がある。人間が至高神を認識することは不可能なために、神自らが人間に示すのだ。さらに人間側がそれを真に認識(グノーシス)すること。
至高神とは原父――プロパトールだが、彼にはビュトスという名前もある。ビュトスとは〈深淵〉を意味し、いかにも〈原初〉や〈禁忌〉、〈真実〉らしい。深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ……とはニーチェの言葉だが、彼は反キリスト教の哲学者だった。一八八九年に『アンチクリスト』という本を書いている。『神は死んだ』という文言もあまりに有名だ。
グノーシス主義もまた、造物神をはじめとする他のあらゆる神を〈偽の神〉、〈悪の神〉として蔑視した。グノーシス主義は唯物的なものを軒並み蔑み、殊に人間の肉体を憎悪した。肉体に意味なんてなく、〈霊の解明〉こそが救済に還元されると考えていた……。
僕は改めて、グノーシス主義というものが帯びる厭世観の強烈さを実感させられた。当時の人々はキリスト教、プラトン哲学、民族宗教……ありとあらゆるところから独自にグノーシス主義の思想を完成させていった。だからこそキリスト教グノーシス主義……ウァレンティノス派やバシレイデース派、マルキオン派等、非キリスト教グノーシス主義……マンダ教やヘルメス文書等、と絢爛たる系譜の数々が生まれたのだ。ハンス・ヨナスがこの際限なき思想運動の本質を人間の精神的な姿勢に還元したというのも大いに頷ける。
この宇宙を憎み、こことは別の高次な世界を夢想した人々の恐ろしい焦がれが、ページをめくる僕をひたすらに圧迫するようであった。
区切りの良いところで本を閉じると、腕時計は既に20:58を表示していた。途中にジャムを塗っただけのトーストや果物なんかを食べていたので腹は空いていなかったが、そろそろシャワーを済ませた方が良いだろう。こんな異常な状況でも、入浴や睡眠は律儀にこなそうという気がある。もしかしたら環境が異常だからこそ、そういうルーチンな行動に縋ろうとする心理が働くのかも知れない。
舞游は読書に熱中すると周りを見なくなる性分だが、それではきりがないので半ば強引に彼女を連れ出して、僕は浴場に向かった。片方が浴場を使っている間は、片方が見張り役を担って廊下に立っているのが賢明だからである。有寨さんと違って僕らは二人なのだから、この警戒を続けない手もないだろう。
廊下で舞游を待つ間、そして自分が浴場を使っている間、僕は事件について考えた。僕にはある考えがあった。普通だったら到底受け入れられない考えだが、そういった個人的な感情や感傷を極力排し、理性的な見方で以て進める……それは逆算的なやり方であり、ゆえに出来上がったかたちはかなり歪だった。しかし、その歪なかたちこそ完成形で、少なくとも僕ではもうそれを綺麗に整えることはできそうになかった。
僕なりの推理は完成した。気味の悪い、異形の真相が……。
絵を壁に立て掛けて放置したまま、徒労感に襲われた僕と舞游は階段に隣同士で座り込んだ。霧余さんの身体から漏れた中身の数々は有寨さんが片付けた後で、血の跡もひととおりは綺麗に掃除されたらしいが、さすがに完全に消えるまでには至っていない。こんなに広い吹き抜けの中だけれど、未だ微かに死臭が立ち込めている。
それでもひと目見た限りでは、此処で縦に切断された人間の死体が引きずり回されたとは分からないだろう。なぜなら、霧余さんの死体が這わされたのはちょうど赤い絨毯の上だけだったからである。そのおかげで血の跡がいくらか視認しづらくなっていた。
「これはもうひとつの共通点なのかもな……」
僕の呟きに、舞游が「なにが?」と反応する。
「杏味ちゃんの死体が置かれていたのも、赤いシーツの上だっただろ? 霧余さんの死体の〈引きずり回し〉もほら、赤い絨毯からはみ出していない。犯人は死体から流れ出る血が赤色の上にしかつかないようにしてるんじゃないかな。……それがどんな意図なのかは分からないけど、やっぱりグノーシス主義なんかと関係してるのかも知れない」
「うーん……どうだろうね。赤色というと一般的にも〈警戒〉とか〈愛〉とか〈生〉を意味するから、暗示的であるとは単純に思うけど。キリスト教においては〈神の愛〉の他にキリストが流した〈贖罪の血〉も表すし……枢機卿の法衣が赤色なのはそのあたりからきてるんだけどさ」
そのとき、眼下のロビーに有寨さんが現れた。その姿を見るに、どうやらシャワーを浴びてきた後のようである。第二の現場の片づけをしたのだから、身体を洗いたくなるのは当然であった。
「こんなところで、なにをしているんだい?」
怪訝そうな表情の有寨さんに、僕は事情を話した。
「なるほど。だけど、何度も云っているように俺は前もってこの屋敷を下見した。巻譲家の人間同伴でね。だからそんな扉があったなら知っていないとおかしい」
「そうですね……。僕も舞游もすごい発見と思ったので、すっかり失念してました」
「北館に廊下館の屋上へ出るための小さな戸があるのは確かだよ。でも手すりも柵もついていないところから分かるように、基本的に廊下館の屋上は使用されることを前提としていない。だからこちら側からは出られないんだ」
そんなふうに説明されると、絵をどけるまで浮足立っていた僕と舞游が馬鹿みたいだった。
そもそも、仮に廊下館の屋上へ出るための扉がこちら側にあったところで、その扉もまた雪に塞がれて使用不能になっていたはずなのだ。廊下館の屋上にもまた、二メートルはないにしても、大量の雪が積もっている。吹雪のせいでよく見えなかったために、僕と舞游はそんな事柄にも気が向いていなかった。
それに、この南館の屋根(横から見ると潰れた二等辺三角形型)にもいちおう出られるようになってはいるが、三人で屋敷中を検めたときに同じ理由で除外されていたのだった。三階の廊下の西端の壁に梯子がついていて、それを上って天井にある開口部から出るという仕組みなのだけれど、開口部に内側から錠がかかっているのも確認済みである。
「ただ、この絵を運び込んだのが犯人かも知れない、というのは鋭い考察だね。俺が下見に来たときには既にあったが、今回の犯罪がかなり以前から計画されていたものである可能性は高いんだから」
「ポール・ゴーギャンは反キリスト教的な人だったから、尚更それっぽいよね」
「それどころか、この絵はグノーシス主義と関係が深いんだよ。この絵のタイトルである『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか』とは、グノーシス主義者テオドトスの『我々は誰だったのか、我々は何になったのか。我々はどこにいたのか、我々はどこに投げ込まれたのか。我々はどこに向かうのか、我々はどこから解放されるのか。誕生とは何か、再生とは何か』という言葉に由来するという有力な説があるからね。まあ、こういった問い掛けはペルシウスの『風刺詩』にも見られるし、一世紀ごろから哲学的な問題として広まっていたとする向きもあるから、理屈と膏薬はどこへでもつくといった感もあるんだが」
「グノーシス主義というのは、随分と哲学的な性格を持ってるみたいですね」
「うん。それと云うのも、当時は〈哲学は理性の領域であり、宗教は信仰の領域である〉というような区別は全然支配的じゃなかったんだよ。どちらもひとつしかない〈真理〉を追究するものだろう? 紀元二世紀というのはローマ帝国が五賢帝の時代で、とても安定していてかつ豊かだった。後にイギリスの歴史家ギボンが〈人類史上最も幸福な時代〉と呼んだとおりさ。だからこそキリスト教も社会の中に浸透できたんだね。生活に余裕があったからこそ、思想や哲学、宗教といった文化的な事柄が関心を集めたし、反省的で抽象的な意識というものが生まれた。グノーシス主義隆盛の背景もこれだ」
ここで少し間がおかれた後に、有寨さんは改まった口調で述べた。
「次は明日の昼……十二時に、リビングで会うことにしよう。そのときに大事な話がある。いまはまだ上手くまとめられていないし、お互い、ひと晩跨いで頭の中を整理してからの方が良いと思うんだ」
僕が「分かりました」と返すと、有寨さんは自分の部屋の方へと行ってしまった。彼の姿が見えなくなってから、舞游が僕の耳元に口を寄せて小声で云った。
「お兄ちゃんは私達を疑ってるんだよ」
「……うん。だいたい察せてる」
有寨さんはひとりでシャワーを浴びた。つまり彼はもう僕ら三人以外の何者かがこの屋敷に潜んでいるとは警戒しておらず、また、僕らを信用してもいないのだ。
あるいは。あるいは、それはあくまで僕達に対する表向きの〈裏〉で、本当の本当は彼こそが……。
「觜也、部屋に戻る前に図書室に寄っていい?」
「いいけど、なんの用だ?」
「グノーシス主義に関する書物を片っ端から持ち出すの。勉強しないと」
隠し扉の推理は完膚なきまでに否定されたが、舞游はむしろ真相究明に対して執念を燃やし始めたようだ。それは僕のことも元気づけてくれた。
3/10
部屋に帰った僕と舞游は、夜までずっと図書室から持ち出した本をそれぞれ読み続けた。僕はこういった小難しい文献にまったく不慣れだったけれど、有寨さんから断片的な話をいくつか聞いていたおかげで最低限のラインまでなら紐解くことができた。
特にプレーローマとアイオーンについての記述は読書百遍義自ずから見るの要領で重点的に読み込んだ。アイオーンのうち、上位の四組――オグドアスは〈対〉とは云っても、それぞれ同一な神的存在の二つの側面(両性具有性)であり、やはりユングが見出した神聖数――〈四〉に強い根拠を与えている。上位世界であり、充満世界であり、超永遠世界であり、人間の真実であるプレーローマはいくつかの階層を持っているが、その最奥はオグドアスの領域であり、ここのみを指してプレーローマと云う場合も多い。人間の救済とはすなわちこのプレーローマへの帰還を意味しており、そのためには〈本質〉や〈真理〉、〈真実〉――いわゆるイデアを発見しなければならないが、これには至高神による導き――啓示を受ける必要がある。人間が至高神を認識することは不可能なために、神自らが人間に示すのだ。さらに人間側がそれを真に認識(グノーシス)すること。
至高神とは原父――プロパトールだが、彼にはビュトスという名前もある。ビュトスとは〈深淵〉を意味し、いかにも〈原初〉や〈禁忌〉、〈真実〉らしい。深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ……とはニーチェの言葉だが、彼は反キリスト教の哲学者だった。一八八九年に『アンチクリスト』という本を書いている。『神は死んだ』という文言もあまりに有名だ。
グノーシス主義もまた、造物神をはじめとする他のあらゆる神を〈偽の神〉、〈悪の神〉として蔑視した。グノーシス主義は唯物的なものを軒並み蔑み、殊に人間の肉体を憎悪した。肉体に意味なんてなく、〈霊の解明〉こそが救済に還元されると考えていた……。
僕は改めて、グノーシス主義というものが帯びる厭世観の強烈さを実感させられた。当時の人々はキリスト教、プラトン哲学、民族宗教……ありとあらゆるところから独自にグノーシス主義の思想を完成させていった。だからこそキリスト教グノーシス主義……ウァレンティノス派やバシレイデース派、マルキオン派等、非キリスト教グノーシス主義……マンダ教やヘルメス文書等、と絢爛たる系譜の数々が生まれたのだ。ハンス・ヨナスがこの際限なき思想運動の本質を人間の精神的な姿勢に還元したというのも大いに頷ける。
この宇宙を憎み、こことは別の高次な世界を夢想した人々の恐ろしい焦がれが、ページをめくる僕をひたすらに圧迫するようであった。
区切りの良いところで本を閉じると、腕時計は既に20:58を表示していた。途中にジャムを塗っただけのトーストや果物なんかを食べていたので腹は空いていなかったが、そろそろシャワーを済ませた方が良いだろう。こんな異常な状況でも、入浴や睡眠は律儀にこなそうという気がある。もしかしたら環境が異常だからこそ、そういうルーチンな行動に縋ろうとする心理が働くのかも知れない。
舞游は読書に熱中すると周りを見なくなる性分だが、それではきりがないので半ば強引に彼女を連れ出して、僕は浴場に向かった。片方が浴場を使っている間は、片方が見張り役を担って廊下に立っているのが賢明だからである。有寨さんと違って僕らは二人なのだから、この警戒を続けない手もないだろう。
廊下で舞游を待つ間、そして自分が浴場を使っている間、僕は事件について考えた。僕にはある考えがあった。普通だったら到底受け入れられない考えだが、そういった個人的な感情や感傷を極力排し、理性的な見方で以て進める……それは逆算的なやり方であり、ゆえに出来上がったかたちはかなり歪だった。しかし、その歪なかたちこそ完成形で、少なくとも僕ではもうそれを綺麗に整えることはできそうになかった。
僕なりの推理は完成した。気味の悪い、異形の真相が……。
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