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甘味の鬼
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「オレハ、オ絹カステイラ、喰イタカッタ。ソレノドコガ悪イ!」
あっかんべー、と、再び舌を出す。英次郎とお絹は互いに顔を見合わせ、台所からは騒ぎを聞きつけた喜一が走ってくる。
「お絹さま、鬼……ですかい?」
「ええ、そのようです」
「あっしは闇から闇へと歩いてきやしたが……いやはや、本物の鬼を見るのは初めてでさぁ」
普段は寡黙な職人喜一も、饒舌になっている。この職人も、どうやらお絹の春風のような人柄に包み込まれて共に菓子を作るうちにすっかり穏やかになってしまった。
が、親分ひとり大荒れである。今にも頭から湯気が出そうな勢いである。
「鬼に喰わせるものなどない! 失せろ!」
「ナニヲ!」
「おお、やる気か!」
「ヤルトモ!」
太一郎が鬼を挑発する口に、黄色いものがさっと押し込まれた。
「んぐ?」
もちろん、お絹である。
「親分」
「ふが」
「異人には寛容なのに鬼につらく当たるとはどうしたのです」
お絹が、ふんわり笑っている。かすていらを急いで咀嚼した親分が、目を白黒させる。
「しかしお絹さま、こやつは危険な鬼ですぞ!」
「ふふ、甘いものが好きな人に、悪い人はいませんよ」
「そ、そんな無茶な!」
ねぇ、と言いながら鬼にまで微笑みかける。そのまま鬼を恐れることなく傍に膝をついたお絹は、鬼を地面に縫い留めている英次郎の剣を抜いて息子に渡す。ゆっくりと鬼を抱き起し、その手にかすていらを乗せた。
「ワァ……」
「お口にあうと良いのですけれど」
鬼が、ゆっくりとかすていらとお絹を見比べた後、そっとそれを口に含んだ。
丁寧に咀嚼する。とろん、と目尻が下がり、刺々しい雰囲気がたちどころに鳴りを潜める。
「オイシイ……オイシイヨ……」
それはよかった、と、お絹が言う。もう一欠けら、震えている手に乗せてやると、それも平らげる。
鬼がきょときょとするので、喜一がおそるおそる、饅頭を両手に持たせてやる。するとそれも、美味そうに平らげる。
「んマイ……オイシイ……」
「ほほう、こやつの舌は確かなようで」
「オイシイ……オイシイヨ……」
「いつでも、食べにいらっしゃい。うちは、人も異国の人も鬼も、区別は致しませんよ」
「ホント……? オレ、キテイイノ?」
「ええ、もちろんですよ」
鬼の目から、ぽろりと涙が落ちた。お絹が、それを手拭いで拭ってやる。
「なぜ、ここにいらしたの?」
「オレ、サミシカッタ」
む? と、太一郎が動きを止める。
「本物ノ鬼ハ、オレナノ。阿蘭陀人や亜米利加人タチは人ナノ。鬼ジャナイノ。鬼ハオレナノ!」
必死の訴えである。が、何が主訴なのか今ひとつわからず、太一郎と英次郎は顔を見合わせる。
「ミンナ、鬼ヲ知ラナイ。オレノ姿形ヲ、ミンナガ忘レテルカラ間違エルノ! アンナノ、似テモ似ツカナイノニ酷イノ! 鬼ハオレナノ!!!」
は!? と英次郎と太一郎の目が丸くなった。これは思わぬ鬼の訴えである。
「親分……それがしは今まで、阿蘭陀人らを鬼と間違えるのは阿蘭陀人に失礼だと思っておったが……」
「うむ、鬼にとっても気の毒な話であったのだな……」
かといって、鬼と仲良くしようという気はなかなか起こらないのだが……どうにかしてやらねば、と、英次郎は考えた。
「そうだ親分、衣笠組馴染みの讀賣がおったな?」
「ああ、おるぞ」
「『江戸の町に本物の鬼が出た』と売り込んでくれぬか?」
太一郎が、小さく笑った。
この男なら、そう言うだろうと思っていたのだ。なにせ、母親は、鬼の涙を拭って頭を撫でている人物だ。
「承知した。異人との違いを強調して書いてもらうように取り計らおう」
よろしく頼む、と、律儀に英次郎が頭を下げた。
数日後。
鬼は己のことが記事になった讀賣を握りしめていた。日本橋では鬼出没の騒ぎも相まって飛ぶように売れているという。
「オ絹サマ! 絵入リナノ! オレニソックリナノ!」
もちろん、英次郎と太一郎が事細かに説明した結果である。
良かったですね、とお絹が笑う。もちろんその手には「お絹かすていら」。
鬼は讀賣に載ったことがよほどうれしかったのか、驚異の跳躍力を発揮して大きく飛び跳ねる。英次郎が慌てて鬼に駆け寄る。
「しーっ。隣の屋敷から覗かれたらなんとする」
「エイジロ、アリガトウ」
「さあ、召し上がれ」
いただきます、と、行儀よく手を合わせる赤鬼を、お絹が嬉しそうに眺めていた。
【了】
あっかんべー、と、再び舌を出す。英次郎とお絹は互いに顔を見合わせ、台所からは騒ぎを聞きつけた喜一が走ってくる。
「お絹さま、鬼……ですかい?」
「ええ、そのようです」
「あっしは闇から闇へと歩いてきやしたが……いやはや、本物の鬼を見るのは初めてでさぁ」
普段は寡黙な職人喜一も、饒舌になっている。この職人も、どうやらお絹の春風のような人柄に包み込まれて共に菓子を作るうちにすっかり穏やかになってしまった。
が、親分ひとり大荒れである。今にも頭から湯気が出そうな勢いである。
「鬼に喰わせるものなどない! 失せろ!」
「ナニヲ!」
「おお、やる気か!」
「ヤルトモ!」
太一郎が鬼を挑発する口に、黄色いものがさっと押し込まれた。
「んぐ?」
もちろん、お絹である。
「親分」
「ふが」
「異人には寛容なのに鬼につらく当たるとはどうしたのです」
お絹が、ふんわり笑っている。かすていらを急いで咀嚼した親分が、目を白黒させる。
「しかしお絹さま、こやつは危険な鬼ですぞ!」
「ふふ、甘いものが好きな人に、悪い人はいませんよ」
「そ、そんな無茶な!」
ねぇ、と言いながら鬼にまで微笑みかける。そのまま鬼を恐れることなく傍に膝をついたお絹は、鬼を地面に縫い留めている英次郎の剣を抜いて息子に渡す。ゆっくりと鬼を抱き起し、その手にかすていらを乗せた。
「ワァ……」
「お口にあうと良いのですけれど」
鬼が、ゆっくりとかすていらとお絹を見比べた後、そっとそれを口に含んだ。
丁寧に咀嚼する。とろん、と目尻が下がり、刺々しい雰囲気がたちどころに鳴りを潜める。
「オイシイ……オイシイヨ……」
それはよかった、と、お絹が言う。もう一欠けら、震えている手に乗せてやると、それも平らげる。
鬼がきょときょとするので、喜一がおそるおそる、饅頭を両手に持たせてやる。するとそれも、美味そうに平らげる。
「んマイ……オイシイ……」
「ほほう、こやつの舌は確かなようで」
「オイシイ……オイシイヨ……」
「いつでも、食べにいらっしゃい。うちは、人も異国の人も鬼も、区別は致しませんよ」
「ホント……? オレ、キテイイノ?」
「ええ、もちろんですよ」
鬼の目から、ぽろりと涙が落ちた。お絹が、それを手拭いで拭ってやる。
「なぜ、ここにいらしたの?」
「オレ、サミシカッタ」
む? と、太一郎が動きを止める。
「本物ノ鬼ハ、オレナノ。阿蘭陀人や亜米利加人タチは人ナノ。鬼ジャナイノ。鬼ハオレナノ!」
必死の訴えである。が、何が主訴なのか今ひとつわからず、太一郎と英次郎は顔を見合わせる。
「ミンナ、鬼ヲ知ラナイ。オレノ姿形ヲ、ミンナガ忘レテルカラ間違エルノ! アンナノ、似テモ似ツカナイノニ酷イノ! 鬼ハオレナノ!!!」
は!? と英次郎と太一郎の目が丸くなった。これは思わぬ鬼の訴えである。
「親分……それがしは今まで、阿蘭陀人らを鬼と間違えるのは阿蘭陀人に失礼だと思っておったが……」
「うむ、鬼にとっても気の毒な話であったのだな……」
かといって、鬼と仲良くしようという気はなかなか起こらないのだが……どうにかしてやらねば、と、英次郎は考えた。
「そうだ親分、衣笠組馴染みの讀賣がおったな?」
「ああ、おるぞ」
「『江戸の町に本物の鬼が出た』と売り込んでくれぬか?」
太一郎が、小さく笑った。
この男なら、そう言うだろうと思っていたのだ。なにせ、母親は、鬼の涙を拭って頭を撫でている人物だ。
「承知した。異人との違いを強調して書いてもらうように取り計らおう」
よろしく頼む、と、律儀に英次郎が頭を下げた。
数日後。
鬼は己のことが記事になった讀賣を握りしめていた。日本橋では鬼出没の騒ぎも相まって飛ぶように売れているという。
「オ絹サマ! 絵入リナノ! オレニソックリナノ!」
もちろん、英次郎と太一郎が事細かに説明した結果である。
良かったですね、とお絹が笑う。もちろんその手には「お絹かすていら」。
鬼は讀賣に載ったことがよほどうれしかったのか、驚異の跳躍力を発揮して大きく飛び跳ねる。英次郎が慌てて鬼に駆け寄る。
「しーっ。隣の屋敷から覗かれたらなんとする」
「エイジロ、アリガトウ」
「さあ、召し上がれ」
いただきます、と、行儀よく手を合わせる赤鬼を、お絹が嬉しそうに眺めていた。
【了】
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