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甘味の鬼

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 英次郎とは、曽祖父の代より主に金貸しとして付き合いのある御家人・佐々木家の次男坊である。
 もちろん、英次郎当人が借財をこしらえたわけではない。彼の曽祖父から父までが、衣笠組から桁外れの大金を借りた。
 それを律儀に少しでも返済しようと頑張っている――だが満足に返せたためしはない――のが、次男・英次郎とその母親・お絹である。
 この二人の頑張りがなければ、佐々木家はとっくに御家人株を手放し、生活に困窮していただろう。
 二人とも近隣で評判の美貌、人柄もまっすぐで気持ちが良い。
 その上英次郎は剣の達人である。一刀流の流れを汲む御先一刀流(みさきいっとうりゅう)の免許皆伝だ。
 だから――というわけではないが、太一郎はなにかと英次郎に仕事を依頼する。当初は日々の暮らしの助けになればと考えて仕事を頼んでいたのだが、今ではすっかり気の置けない友としてその剣の腕を頼りにしている。

 たとえば、借金取りの際の用心棒であったり。
 たとえば、やくざ同士の喧嘩の助っ人であったり。

 ――そして、衣笠組が代々密かに任されている『江戸に出てきた異人たちの影警護』の際の、頼もしい助っ人でもある。
 太一郎とともに修羅場を潜れば潜るほど、英次郎の剣は凄みを増している。

「英次郎がここへ来るとは、何か厄介な事件でもあったのであろうか……?」
 少し表情を引き締めた親分が腰を上げ、自ら玄関へと向かった。

 はたして衣笠組の広い玄関先には、血の気の失せた若い侍がぽつんと立っていた。顔色が悪く、がたがたと震えている。寒いから、というわけではないだろう。
 しかも、内職の荷を背負ったままである。雨でも雪でも律儀に品物を納める彼が、珍しい。
 さすがに不審に思った太一郎が、英次郎を奥の座敷へと誘う。人払いをするまでもなく、配下たちはいつの間にか姿を消している。
 縁側に座るようにすすめられて腰を落ち着けたものの、英次郎の目線はうろうろと落ち着かない。
「英次郎、如何いたしたのじゃ? 背中の荷は傘であろう? 内職の品ではないのか?」
 御家人ではあるが、長らく無役の佐々木家、英次郎とお絹の内職がなければ暮らしてはいけない。
 その大事な荷を、背負ったままなのだ。
「お、おお……これを納めるために、おれは朝早くに屋敷を出て、日本橋を越えて来た……」
「うむ。いつもの道順じゃな?」
 こくこく、と英次郎が頷く。
「それを、背から下ろしてはどうかな?」
 こくこく、と頷いた英次郎がぎこちなく荷を下ろす。そして、こわばった表情で親分を見た。
「親分。聞いてくれ。おれは、見たのだ」
「何を?」
「……鬼だ。化け物の、あれ」
 鬼? と太一郎が目を丸くした。太一郎は、よっこいしょ、と、立ち上がると、部屋の隅にある書見台から一冊の書物を持ってきた。
「英次郎、鬼とは……これか? 化け物の類の、鬼のことか?」
 すっと差し出された書物は、古今東西の化け物の名前や特徴、百鬼夜行が描かれている。
 英次郎は、これ! と鋭く叫んだ。
「これだ。赤い顔で、鼻が高く、背が高い。角も二本、あったような気がする」
「本当か? どこで出会ったのだ?」
「娘たちが大川に鬼がいると騒いでおったので、おれも好奇心に駆られて見に行った。そうしたら……確かにいたのだ」
「はぁ……」
「おれが見ていることに気付いたら、すごい眼でおれを睨みつけ、跳躍したついでにおれの額を強かに蹴り飛ばして、川へざんぶと飛び込んだ。おれは……情けないことに、鯉口を切る間もなく、気を失ってしまった」
 太一郎が何か聞く前に、おれは本当に見たのだ、と英次郎が叫ぶ。
 すっ、と襖が開いて喜一が茶と茶菓子を持ってきた。ついでに、火鉢の火を熾して網を置き、煎餅を並べた。香ばしい匂いが太一郎の鼻をくすぐる。
 が、英次郎は湯呑みを握ったまま硬直している。
「英次郎、まずは飲んで落ち着くのじゃ」
 と太一郎がすすめる。
 ごくり、ごくり、と、英次郎が喉を鳴らして飲み干す。すかさず喜一がお代わりを注ぐ。
 ほどなくしてちょうどよく炙った煎餅を英次郎の膝元に差し出し、すっと退出する。それをも飲み干した英次郎が、ばり、と煎餅を齧った。
 ばり、ばり、と座敷に煎餅を噛む音が広がる。傍らでは太一郎がせっせと俵型の饅頭、鶉焼を口に入れる。
 食べ終わると、うむ、と大きく頷いた。
「よし、親分」
「む?」
「はやく支度を頼む」
「何の支度じゃ?」
 血走った目をかっと大きく見開いて、英次郎は前のめりになった。
「鬼退治に決まっている」
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